4Carat 白百合を愛でるのは白い死人花 後編
4Carat 白百合を愛でるのは白い死人花
イレールは御真弓様を、自分の宝石店へと連れて行った。
「ここは……少し空間からずれているんだね。それに、ここの宝珠は僕の知らない不思議な力に満ちている……あの梟も」
彼は店内をキョロキョロ眺め、クラースへと視線を移した。
クラースは気にすることもなく、目を合わせることもしない。
ふわふわした羽を広げ、口ばしで翼を手入れしている。
御真弓様は右腕を彼の方へと向けると、
「おいで……」
と落ち着いた様子で言った。
―――すると、彼は素直にそれに応じた。
「うちの看板娘に呆れた寵愛を向けるとはどんな神かと思えば………なかなかに賢そうな少年ではないか。――しかも古い巨木を依代にしているな。とまり心地が良いぞ。」
「とまり心地がいいと言われたのは……初めてだよ。」
苦笑しながら、御真弓様は彼のお腹をなでている。
クラースも気持ちよさそうにじっとしている。
意外なことに、お互い気が合ったらしい。
そんな二人を見守りつつ、イレールが話しかけた。
「ここなら、残り少ない力を使って結界をはる必要もありません。貴方が残された命の時間の中で、望んでいること――さっき貴方がおっしゃっていた、貴方の最後の願い……聞かせていただけますか?」
お茶の用意をすませた、御真弓様をカウンターへと促す。
カウンターに座って向き合うと、再び、イレールがゆっくりと口を開いた。
「民間伝承や工芸品、美術品に詳しい私の友人に聞きました。この土地は昔、弓の産地だったそうですね。」
椅子にぐったりと座った御真弓様は、昔を懐かしむように、目を細めた。
「うん……そうだよ。ここは昔、檀がたくさん群生していてね。檀は質の良い弓の材料になるから、弓の産地として栄えたんだ。そして……いつしか―真弓への信仰が始まって……僕が生まれた。」
クラースが彼の椅子の背の部分にバサッと降り立った。
彼はちょうど肩のあたりに来たクラースのもこもこの羽毛に顔を埋め、気持ちよさそうに微笑んだ。
そのまま、彼は思い出に浸る。
「僕は……ずっと人が好きだった。」
生活のためとはいえ、弓を一生懸命に作る人々。
多数の弓の名手も輩出した。
御上への献上品としても尊ばれた。
自然と生活も村も潤っていった。
笑い合い、生き生きと日々を過ごす人々を、御真弓様は温かく見守り、日照りや干ばつ、洪水、台風などの災害から守った。
ある時、この地が誇る弓の名工が、御真弓様への感謝の意を示すため、ある弓を作った。その弓は、御真弓様が宿る檀の巨木の大枝からつくられた、聖なる弓だった。
真弓は人の命を守るもの。
弓は狩りの道具となり、山の恵みを人にもたらす。
また、理不尽に命が奪われていく戦乱の世で家族や友人などを守るための道具となる。村の特産品として、村を潤し、貧しさに飢える者はいない。
その考えのもと、生と死を司るかのように彼岸に咲く、彼岸花の紋章がその弓には彫られた。檀の多くが白に少し緑を含んだ白緑色の花を咲かせることから、それは白い彼岸花であった。
御真弓様は―――それは、それは喜んだ
聖なるその弓は、御真弓様を祀る村の共同の神棚に納められた。
彼は人間たちへの友好の証として、この地の彼岸花を白い彼岸花に変えた。
さらに御真弓様の加護はこの地に満ちる――
人間と神
果て無く続くかに思われたその信頼関係は、儚くも崩れた――――
「長い時が経って、人間は弓を必要としなくなったんだ。」
御真弓様は、ポツリといった。
日本は本格的な近代化の道を歩み始めたのだ。弓の需要は大きく下降し、村は衰え始めた。
人々は真弓への信仰を少しずつ無くしていった。
それに伴い、御真弓様は少しずつ力を無くしていく。
それでも彼は、白い彼岸花を咲かせ、精一杯の豊穣を授けた。弓で村を潤すことができなくても、穀物が豊かであり続ければと思ったのだ。
真弓は人の命を守るもの……
白い彼岸花は僕と人間の友好の証……
しかし、長く時が経ちすぎて、名工と神の思いを知る由もない人々は、白い彼岸花しか咲かないことに恐れを抱いた。
「―――それが、この地に伝わる伝承につながるんだね……」
百合が彼の傍に寄り添った。
椅子にぐったり座ったまま、御真弓様は彼女の体に頭を傾ける。
「時代が移れば世も人も変わる……。弓の氏神である僕は、もうその変化についていけなくなったんだ。日本に神は八百万いる……人間からすれば、別の神にまた頼れば良いだけの話。
僕は人知れず消えていく。これがこの世界の理。………でも。」
彼が椅子からその半身を起こした。
「二人に叶えてほしい。……僕の最後の願いを………」
二人をまっすぐに見つめた。
「この弓を、あの名工の一族へ返してやってほしいんだ。」
彼は、先ほどイレールへと向けた弓を取り出した。
「人の強い思念と聖なる神の憐れみ深い感情を感じましたが……こちらだったんですね。」
「きれいな弓……」
それは芸術作品と言えるほど、美しい弓であった。
御真弓様の身長ほどもある大弓。
一寸のずれもない細く優美な曲線を描く形態。
優しい木目を残しながらも、表面には浅く檀の花の幾何学模様が繊細に彫られている。そして、弦を止めた両端部分に二か所、白い彼岸花のシルエットを模した紋章が入っていた。弦をはじけば弦音が冴えわたる。
「この弓は僕が人を信じられなくなってしまったときに、取り上げてしまったんだ。これは、僕と人間との信頼関係が具現化したようなものだったのに………」
彼は後悔と、反省の念を言葉にする。
「名工の一族はいまだに弓を作り続けている……。感じるんだ……彼らだけはまだ僕への信仰を続けている。神は寵愛した人間の前にしか姿を現せない決まりなんだ………。こうして生きながらえているのは彼らの信仰の力がわずかに助けてくれているから。だけど、個々人を寵愛しているわけじゃないから、僕は彼らに会えない………だから、君たちに託したい……」
弓を二人のほうに差し出す。
「もちろんです。お任せ下さい!」
「御真弓様の願い、絶対に叶えるよ!」
イレールは君主から命を受けたかのように胸に手を当てて、丁寧にお辞儀した。
百合は意志の強い瞳で頷いた。
「ありがとう………」
数百年ぶりに感じた強い他者の無償の思いやりに、彼は柔らかく微笑んだ。
「あの工房ですか?」
彼らは早速御真弓様の案内で、その場所へと向かった。
「うん……僕の姿と声は君たち以外には見えないし、聞こえない……よろしくね………」
「イレールさん、どうやって渡すんですか?」
「そうですね……いきなりお渡ししても、突拍子もない話を簡単に信用してくださるか……一応、民間伝承を調べている身の上、という設定で、御真弓様に関するお話を聞き出すというのはいかがでしょう?」
「分かりました。それなら、弓を渡しやすい状況になりそうですね。」
森林に包まれた木造の簡素な工房の周りには、切り出された木材や竹が所々に積み上げられ、木の優しい匂いが充満している。
そこに、長い黒髪を後ろで束ねた若い女性が木材を取りに来た。
「お忙しいところ、すみません。少しお時間いただけますか?」
―――ふわっ
イレールがにこやかに話しかける。
彼女は彼の言葉に顔を上げた。
目がきらっとした。
すこし彼に見入ったのち、頬を赤らめながら、
「なんのご用でしょうか……?」
と、遠慮がちに言った。
(お姉さん………気持ち、すごくわかるよ……)
百合は心の中で、うんうんと共感する。
(これが、現代の世で言われている営業スマイルというやつなんだね。)
御真弓様も納得した様子で心の中でひとりごちる。
「どうぞ。」
彼女はこの工房の長のもとへと彼らを連れて行った。
作業場には作りかけのたくさんの大弓があちらこちらに立てかけてあり、円のように並べられた弓の大群の中心に、小柄な老人が座って作業している。
「お父さん、お客さんよ。話が聞きたいんだって。」
―――ぴく
こちらに背を向けていたその老人は、気難しそうな顔をして、鋭い目をしてこちらを見た。
百合は恐縮して、改まってしまう。
イレールはお構いなしに、“営業スマイル”で話しかける。
「突然押しかけてしまい、申し訳ありません。私たちは民間伝承を調べているのですが、この地の氏神――御真弓様に関して何かご存じありませんか?」
御真弓様は居心地よさそうに、朗らかな様子で工房の中を歩き回っている。
老人は客人を睨むように見つめながら、重々しく口を開いた。
「白い彼岸花伝承は知っているか。」
「はい、存じております。」
「では、御真弓様と私たちの家系について語ろう。」
堅苦しい表情は崩さずに、老人は会話を進める。
魔のスマイルが効いたのか、本当は老人が親切な気質だからか、順調に話は進んでいく。
「私たち岡崎家は、代々弓の作り手として名をはせている。その中でも特に天才とされた三代目の名工が、御真弓様への感恩の意を表すために、名弓を作った。それからというもの、代々その名誉を誇りとしてきた。時代が弓を必要としなくなっても。」
老人が少しだけ、周りに弧を描いて置いてある弓に視線を落とした。
「他の者が私たちの神を忘れようとも――神とのつながりの証、名弓がいつの間にか消え失せてしまっても。」
彼は立ち上がると、近くに座っていた娘である、先ほどの若い女性に言った。
「この人たちは見たところ、真摯に御真弓様について知りたがっているようだ。職人の目はごまかせない。彩矢、あの家宝を持ってきてほしい。」
彼女はハッとした顔で父親を見た。
「あれは……家の者でも家督を継ぐものしか見られない決まりじゃない……いいの?」
「良いのだ。私たちの信仰の証を見てもらおう。」
御真弓様もハッとした様子で、彼らに近寄ってきた。
彼女が緊張しつつ大切そうに運んできたのは―――片手に収まってしまうほどの、小さな木箱だった。
「こちらは……」
イレールが何かを感じ取り、真剣な面持ちになる。
老人は彼女から箱を受け取ると、ゆっくりと、大切そうに―――開く
そこに入っていたのは―――
薄汚れてほつれた、白い、幅一センチほどの、紐
百合は何となく、自分の左手に結ばれた、白いリボンと、それが重なった。
御真弓様が、信じられないといった様子で叫んだ。
「これは………!僕が彼にあげた―――寵愛の組み紐…………!」
「これは御真弓様が、三代目の名工に与えた、感謝の意、そして――私たち一族との、もう一つのつながりの証。」
老人は思いを噛みしめるかのように、ゆっくりと話す。
「名工は天寿を全うし、この組み紐と名弓を代々大切にするように遺言を残したのだ。人間と神、そこに確かにつながりがあったことを忘れぬために………」
御真弓様はがくりと膝をついた。
「ああ………!そんな!僕は人間を信用できなくなって……彼らのもとを去ったのに!こんなにも思ってくれる人たちがいたんだ……!僕が一番つらかったのは、彼らにまで僕が人間に感じていた思いを忘れ去られてしまったと思っていたこと……」
彼は白藍の瞳を輝かせ、涙を流す。
「僕は寂しいなんて、思う必要なかったんだ!この身は一人ではなかったんだから……!」
イレールと百合は、岡崎家の人々にお礼を言うと、御真弓様と一緒に工房をあとにした。
老人が話している途中イレールにつつかれて、視線をやった先――岡崎家の神棚に、聖なる弓が置かれていたのだ。
きっと彼が人知れず魔法を使い、返したのだろう。
百合はイレールを柔らかく見上げた。
彼らは宝石店へと戻った。
御真弓様は、穏やかに、安らかな様子で口を開いた。
「ありがとう………もう、何も思い残すことはないよ。とても安らかな気持ちで消えていける。」
(御真弓様………)
百合は痛む心を抑える。
例え彼の心が救われていたとしても、彼はいづれ………。
―――「いいえ!私たち二人は思い残しありありですし、全く安らかではありません!」
いきなり、毅然としてイレールが叫んだ。
静かなる宝石輝くその場所に、彼の大声が響く。
御真弓様と百合は、その剣幕に、きょとんとする。
「言ったでしょう?二人が笑い合える未来に、変えると。」
彼の左手に、漆黒の石が現れ、あたたかい白い光を放ち始める。
その光は澄んだように白く、淡く、薄ら優しい桜色をしている。
「百合さん。宝石が、人の心を救う存在へと超越するために、必要なもの、覚えていますか?」
穏やかに彼は問いかける。
「……ええっと確か、人の心の欠片、でしたっけ………?」
「そうです。これはブラック・オニキス。古くから魔を退け、人の命を守る石だとされています。大切な人に贈り、その者の身を守ってくれるよう、国民、民族関係なく崇拝された歴史を持ちます………人の命を守るもの…私には御真弓様そのものに思えるのです………」
ブラック・オニキスが彼の手を離れ、御真弓様の前で止まった。
「この石……!彼女の心を含んでいる………!」
彼は目の前で優しく瞬くその石を、驚いて見つめる。
「氏神の貴方は、人の信仰心から生まれた山の神であり、弓の神。あの名工が仰っていたように、弓は人の命を守るもの。貴方の心はまさにオニキス。」
ますます慈愛に満ちた言葉を紡ぐ。
「貴方は人の心から生まれた存在。心は心に宿り、眠りにつくことができる。氏神ではなくなっても、この宝石に宿った存在として目覚め、そう遠くない未来、二人で笑い合えるように。このブラック・オニキスの中で身を休めてください。彼女の艶めく黒髪を思わせるようなこの石、彼女の純粋で無垢な包容力を持った心に抱かれて………どうか、消えないでください。」
「イレールさん………!」
彼女は歓喜に震えた。
自分の心は御真弓様の命を救うことができるのだ。
しばらく会えなくなっても、――いつか再び彼に会うことができる。
クラースが飛んできて、ショーケースにとまった。
「次会うときには、高尚な論議に華を咲かせよう!もちろん、俺はお前の肩にとまらせてもらうぞ!御真弓様よ!」
「今度は、私にも素直な御真弓様を見せてくださいね。」
イレールが少し苦笑して言った。
「御真弓様………次会うときには、クッキー、もっと上手くなって、たくさん作るから……」
彼女は涙をこらえきれず、涙声になる。
「みんなが………忘れ去られたと思っていた僕の名を呼んでくれる……」
彼は、あどけなさの残るきれいな顔に喜びの涙を流しながら、ブラック・オニキスの純白の光に包まれていく。
「……次、目覚めたときには……君たちを守る弓となろう…大切な人たちを守り続けよう……あらゆる魔を射抜き、幸せを届けよう。僕はもう死人花ではない、聖なる白い曼珠沙華。」
光りはさらに輝きを強め、彼の姿がかすんでいく。
「百合さん……君は何者とも知れない僕を簡単に受け入れてくれて、そのきれいな心で包んでくれたね。感謝しきれないよ………」
「私は……御真弓様が悪い人じゃないってすぐわかったから……それに、一緒に居て落ち着くの。笑顔がかわいいから。」
涙を流しながら、白百合のように、すべてを抱擁する微笑みを彼に向ける。
彼は神秘的でいて優しい顔をして、穏やかに目を閉じた。
(君は深く意識してないみたいだけど、彼のことを……少し妬けるよ。……イレールさん、彼女のことよろしくね………あなたも迷っているみたいだけど、早くしないと彼女、僕みたいなのに取られちゃうよ。)
――――「それじゃあ…………またね。僕の新しい大切な人達………………」
目を開けていられないほどに大きく光り輝き、彼の姿は、ブラック・オニキスの中へと消えていった――――
展示用の宝石たち専用のショーケースを、百合は覗き込んだ。
そこには―――御真弓様の眠る、彼とのつながりの証となった、ブラック・オニキス。
手には左腕からほどかれた白いリボンが握られている。
その様子を穏やかに見守っていたイレールだったが、不意に顔がほころんだ。
「………そういえば、百合さん。私のことを、すごく優しくて、面白くて、頼りになって、きれいで、かっこよくて、素敵な人だと、思ってくれているんですね!」
「え!………あ、それは……!」
(聞こえてたのーーーーーーーー!)
顔が真っ赤になるのを感じる。
「うれしいですよ~私も貴女のことは、すごく優しくて、いじりがいがあって、守りがいがあって、かわいくて、美しくて、愛らしいって思っていますから~~」
「遊んでますよね!それ、絶対からかってますよね!」
イレールの腕をポカポカ叩いて、恥じらいを必死で誤魔化す。
「あはは!全然痛くないですね~!」
「痛くしてないからです!」
(本当ですよ……本心です。貴女が隣に居て、私は幸せです。今はそれで、充分すぎるぐらい幸せなんですよ、御真弓様………)
ちらっと、ブラック・オニキスを一瞥する。
百合を迎えて、さらに賑やかになったこの宝石店。
そう遠くない未来、ここで目覚める新しい友人。
輝かしいその行く末、三人と一匹でまた誰かを、この宝石店は迎えるのだ。
神と人間と白魔術師
彼らのつながりの物語は、紡がれ始めたばかり――――