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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第一章 平穏な日々を君へ
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4Carat 白百合を愛でるのは白い死人花  前編

前回と同じぐらいの長さです。……長いです。分けるということを覚えました。


4Carat 白百合を愛でるのは白い死人花




 冬の快晴に少年少女の明るいはしゃぎ声が響いては、空に溶けていった。


まだ午後一時だというのに、生徒たちは下校していく。

まだまだ元気が有り余っている彼らは、いつも以上にみずみずしい。


「ついてるよねーこんなに早く帰れるなんて!」

凛とした雰囲気をもつ少女が、ポニーテールを揺らして楽しげに言った。

「おかげで百合とも遊べるし!」

そう言って、腕に抱き着いてくるのは――百合の親友の美結である。

「うん!職員会議だっけ?明るいうちに帰れるなんて、すごく久しぶり!」

 今日は、前日から美結に遊びに誘われていたため、バイトはお休みさせてもらったのだ。

イレールとクラースに会えないのは、少し寂しかったが。

「どこに行こっか?」

ともあれ、美結と遊びに行けるのはうれしい。

「気になってるカフェがあるから、そこに付き合って!」

「うん、いいよ!」

二人仲良く並んで、歩幅を合わせて、はしゃぎながらカフェへと向かう。


「あっ、この彼岸花めずらしいね。白いよ。」

美結が道端に白い彼岸花を見つけた。

「わあ、めずらしいね。きれい……でも、彼岸はもう過ぎて冬なのに、まだ咲いてるって、すごいね。」

「ほんと!強い生命力だよね。愛でたくなっちゃう!」

美結が手を花に沿えた。


――「いたっ!」


彼女は、いきなり悲鳴をあげて、手を押さえだす。左手の人差指に血が滲んでいた。

刃物で素早く切ったかのように、指に線が走っている。

「大丈夫!?」

「うん……平気。でもカッターで切ったみたいな感じがしたんだよね……」

百合はその彼岸花に恐る恐る手を伸ばす。


しかし、何ともなかった。


白い花弁は柔らかく、けがをする要因があるとはとても思えなかった。

彼女は本能的に恐怖を覚えた。

「早く……行こう!」

美結の手をとって百合は足早にカフェへと急いだ。


―――二人が走り去ったあと、その白い彼岸花は風もないのに、揺れた。


「びっくりしたよね!棘でもあったのかな~」


美結は呑気に、絆創膏を貼りながら言う。

「私、ちょっと怖かった……」

右手をぎゅっと胸の前に持ってきて、心を落ち着けようと思って強く握る。

「ほらほら、気にせずに。ここ、ガトーショコラが美味しいんだって!」

「そうなんだ。でも、おっきいね……」

体の震えが止まらない百合に比べ、美結はあまり気にしていないようだった。

「ここのケーキは味と大きさが売りなんだよ!私はこれと、カフェオレにしよう。百合も決めた?」

「うん。」

「すみませーん、注文お願いします。」

美結がウエイトレスを呼ぶ。

「私はカフェモカだけで」

小食の百合は、飲み物だけをオーダーした。

「あーー!えっと、それとカフェオレとガトーショコラ二つで!」

美結はそれが気に食わなかったらしく、注文を強引に付け加えた。

「えっ!私ケーキは――」

「かしこまりました。」

ウエイトレスが早々と行ってしまい、百合にも大きなガトーショコラがくることになった。

「なんてことするの~?お昼食べたばかりだから、食べきれないと思って、頼まなかったのに!」

「百合が小動物みたいに食べるのを見たかったの!いつもちょこちょこ小さい口で食べてるでしょ。巨大ケーキに挑むのを、見てみたいじゃない?なかなか減らないだろうな~」

「もうっ!遊ばないでよ~!」


ここ最近イレールといい、美結といい、よくからかわれている彼女であった。


運ばれてきたガトーショコラに百合が苦しんでいると、美結がそういえば、と切り出した。


「ここら辺に伝わる伝承にさ、白い彼岸花の話があるの、知ってる?」


ケーキをおいしそうに頬張りながらも、凛とした雰囲気は崩れない。

「なにそれ?」

百合は一生懸命にケーキを口に運んでいる。

彼女のケーキはやっと二等辺三角形の頂点部分がなくなったところであった。


「知らないんだ。こういうの――」

美結はケーキを口に運ぶ手は休めずに、その伝承を語り始める。



 昔、この土地には、白い彼岸花しか咲かなかった。


死人花とも呼ばれる彼岸花。


白しか咲かないのは、ここが不吉な土地になる前触れだと、いつしか言われ始める。

村人は恐れ、白い彼岸花を抜いては焼き、数を減らそうとした。


しかし、それは間違いであった。


この土地の神は白い彼岸花を好み、それをこの地に咲かせることで、豊穣を届けていたのだ。

怒った神は、山中に籠ってしまい、それ以来豊穣を授けることはなかった。

人々は深く反省したが、神が戻ることはなかった。

その様子に心を痛めた隣の土地の神が、この土地にも豊饒を授けるようになり、この土地は潤った。

それから、この地には赤い彼岸花が咲くようになった。


しかしその代わりに、白い彼岸花はめったに咲かなくなってしまった。

この土地に白い彼岸花が極端に少ないのは、このためである。


「――って話。」


百合は話の内容よりも、目の前の凛とした美人の友人が、あっという間にケーキを食べ尽したことのほうに気を取られた。

「あ…なくなっちゃった……」

「聞いてた?」

「……うん!知らなかった。そんな話があるんだ……」

「でも、もともと白い彼岸花ってあんまりなさそうだよね。迷信っぽい。……なんか、まだ食べ足りないかも!」

友人は自分のケーキにフォークを伸ばしてくる。

それには抗わずに、


(何となく気味が悪いから、明日イレールさんに相談してみよう……魔法使いだから、何か知ってるかも……)


と、彼女は友人の血の滲んだ絆創膏を眺めながら思った。




美結と別れて、すっかり暗くなった通学路を足早に歩く。


(すっかり暗くなっちゃった。お母さん最近、夜ご飯食べてくれるようになったんだから、急いで帰らないと……!)


不意に、民家の庭に、白い彼岸花が咲いているのが目に入った。

おいでおいでと、手招きしているかのように、不自然に揺れている。


―――ぞくっ!

恐くなって、その場所から離れたい一心で駆け出した時だった。


 気づけば、辺り一面白い彼岸花の花畑にいた。


そこは森の中に開けた広場のようになっていて、その広場の中央に、腐りかけた巨木がその威厳を失わずにそびえ立っている。

まるで白い彼岸花を率いているかのようにも見える。その巨木のすぐ真上に満月が光り、幻想的な空間であった。

彼女は放心したように、がくっと、膝から崩れた。


「ごめんね、驚かせて……」


ハッとして我に返ると、不思議な男の子が近くに立っていた。


 百合と同じ高校生ぐらいの男の子で、あどけなさの残る整った色白い顔をしている。平安貴族のような、神教の神主のような、陰陽師のような白い服――水干(すいかん)を身にまとい、肩にかかる程に伸ばした白い髪は外に軽くはね、野生的な感じがある。瞳は青みがかった白、(しら)(あい)色をしていた。百合と同じぐらいの背で、とても線の細い体つきをしている。どこか、全体的に色素が抜けた感じのする、不思議な男の子だった。


「あなたは……だれ?」


百合は恐ろしくなって、後ずさる。

男の子は悲痛そうに叫んだ。

「お願い、怖がらないで!寂しかったんだ!ずっと一人で!」

白藍の瞳は憂いに満ちて、すがるように百合を見つめている。

「ずっと、一人で、誰かに構って欲しかったんだ……でも、みんな怖がるばかりで……それでも君は稀有なほどに澄んだ心をしていたから、僕のこと、分かってくれると思って!」


「……寂しかったの?」


未だ恐怖は残っていたが、悲痛な叫びに、この子の本当の心の痛みを感じた。

自分が一緒に居てあげることで、この子の心が救われるなら……。

自然と百合の心に、そんな思いがこみ上げてきた。

「お話ぐらいなら……聴くよ……?」

恐る恐るその子に近づく。


その子は微かに微笑んで、


「本当………?」


と、聞いた。


人間ではないが、悪い何か、ではないように見える。


「ほんとだよ。私でいいなら……だけど。」

不思議と恐怖は消え、百合はあたたかくその子に微笑んだ。




白い彼岸花が一面に咲き誇り、風に揺れる。

二人の細い髪と頬をなでるかのような、優しい風だった。

二人は古びた巨木の根元に並んで腰かける。


「じゃあ、さっき美結の手を切ったのは、あなただったの?」


「うん……いきなり褒められたからびっくりして……ずっと、白は不吉だって言われ続けていたから、自己嫌悪になって……思わず……ごめんね。」

「美結は全然気にしてなかったから、大丈夫だよ。悪気は無かったんだよね。」

「そっか……ありがとう……それよりも……君は本当に優しくて、きれいな心をしているね……こんな僕でも……普通に接してくれるんだから…」

百合の肩に頭を寄りかからせながら、穏やかな表情を浮かべている。

「……そんなことはないよ!あなたが悪い人じゃないと思ったからで……」

初対面で同年代(?)の男の子が甘えてくる。その状況に頬を赤らめながら、必死に否定する。

「そういえば、あなたの名前は何?私は篠原百合。下の名前で呼んでほしいな。」

「僕は……御真弓(おまゆみ)(さま)……もう誰もこの名を呼んでくれないけどね……」

「私は呼ぶよ!わあ!かっこいい!神様みたい!」

彼はくすっと笑って、

「名残惜しいけど、遅く帰ったらご両親が心配するよね。――さあ、もうお帰り。」

その子はゆっくり立ち上がると、百合の手を取って、彼女を立ち上がらせる。

「また明日も、迎えに行っていいかな……?」

消え入りそうな声で、その子は尋ねる。

一瞬、イレールのことが頭をよぎり、百合は、

「あんまり時間が取れないかもしれないけど、それでもよかったら……」

と、答える。

「会ってくれるだけで十分だよ……じゃあ、また明日ね。」

彼はうれしそうに微笑んだ。


百合が返事をしようとしたときには、もう彼女は自分の家の前に立っていた――――



次の日、百合は昨日のことが夢の中のできごとのように、感じられていた。

思いかねたお昼休み、美結になんとなく聞いてみる。

「ねえ、美結。変なこと聞くけど、御真弓様って聞いたことある?」

「なにそれ?なんか胡散臭い怪談話の名前みたいだね。知らないよ。」

そのあとも、別の友人たちに聞いてみたが、誰も知らなかった。

(何者なのかな……御真弓様……)

一日中そのもやもやは消えなかった。


帰り道、昨日の白い彼岸花が咲いている民家に差し掛かった時、―――再び彼女は、あの不思議な空間に導かれた。


「ありがとう、百合さん……今日も来てくれて。」

憂いをはらんだ瞳が嬉しそうに細められた。今日は昨日とは打って変わり、彼は穏やかな表情をしていた。

百合はにこっと笑いかける。

「御真弓様をほっとけないし、私ももっとあなたのこと知りたいから。気にしないで……」

「でも、今日は君、用事があるんだろう……?君ともっと話したいけど、今日は、これだけ渡そうと思ったんだ……左手を出して?」

「うん……?」

言われるがまま、百合は左手をだす。


「こんなにきれいな心を持っている君なら……大丈夫なはず………君に幸運を……」


シュル、シュルッ、キュッ―――


彼は、彼女の左手首に、白いリボンを蝶結びしたのだった。


「方見放さずに持って……これを絶対に離さないで、お守りなんだ………これは君への信頼と感謝の気持ち……」

真剣な眼差しを向けられ、なぜこんなことをするのかわからないものの、了承する。

「きれいなリボンだね。よくわからないけど、ありがとう!」

素直にお礼を言う。きっと喜ばせようとしてやったことなのだろうと彼女は思った。


「じゃあ、待ち人が君を待ってるだろうから、今日はもう、さよなら……」

「明日はゆっくりお話ししようね!」

百合がにこやかに手を振る。



気付けば、通学路に立っていた。

「もう少しなら、一緒に居られたんだけど……私のことを気遣ってくれたのかな。」

早々と、自分の約束を優先させてくれたのは、彼が優しいからだろう。

路地裏へとたどり着き、イレールを待つ。彼がいないと、彼女は宝石店へは行けない。袖を少しあげて、彼女は御真弓様からもらったリボンを眺めた。


何の変哲もない白いリボン。


それでも、寂しげな彼が自分を喜ばせようとしたのかと考えると、うれしかった。

にこにこしながら見つめる。


―――「お疲れ様です、百合さん!今日もこちらは寒いですね~脊髄が凍り付きそうです。」


寒さに弱音を吐きながらも、肩に垂らした薄茶の飴色の髪をしなやかに揺らして、イレールが颯爽と登場する。

「背筋がぞくぞくするってことですよね。イレールさんもお疲れ様です。」

丁寧に突っ込みながら、ねぎらいの言葉で返す。

「ん?何見てるんですか~?」

イレールが穏やかに百合の手元を覗く。


――――彼の顔色が変わった。


「これは!……どうして、貴女に……!」


「え!?どうしたんですか!」


戸惑いと焦りを隠せない様子に、彼女は不安になる。

イレールは彼女を落ち着かせるように、百合の両肩を優しくつかむと、


「とりあえず、店へ行きましょう!」


とだけ言って、指を鳴らした。一瞬にして、宝石店へと移動する。



彼は百合をカウンターに座らせ、自分も彼女の隣に座った。

とても深刻そうな顔をして、考え込んでいる。


「あの、イレールさん……このリボン、そんなにおかしいものですか?どこにでも売っていそうな、ごく普通のリボンですよ……」

彼の変貌に、百合も戸惑いを隠せなかった。

「ああ……ごめんなさい。こんな態度されたら心配になりますよね……」

イレールは苦笑すると、彼女に向き直る。

「それをつけている貴女に直接的な害はありませんが……ちょっと困ったことになっているんです。」

「困ったこと……ですか?」


 そこに開け放たれた窓から、クラースが飛んできた。


「何やら変わった気配を感じて来てみたが……百合、すごいものに目をつけられたな……」

彼のアクワマリンとペリドットの瞳が険しく歪んでいる。


彼女はますます不安に襲われた。


イレールが、百合の目を真剣に見つめて言った。


「昨日から今日にかけて、貴女の身に起こった、変わった出来事を、すべて話してください。」

「―――はい……」



彼女は話した。


友人が白い彼岸花に触れたらけがをしたこと。

この土地には、白い彼岸花に関連した伝承があること。

昨日不思議な白い男の子に出会ったこと。

彼は一人ぼっちで寂しげだったこと。

これからは話を聞いて、一緒に居てあげること。

今日は少しだけ会って、このリボンをもらったこと。

明日はゆっくり話を聞く約束をしたこと―――――


話を進めるごとに、イレールとクラースの表情が緊迫したものになる。



「何か、とんでもないことをしてしまったのは分かります……教えてくれますか?」

とんでもなく不安だが、恐る恐るお願いする。

クラースがゆっくりと口を開いた。

「百合、お前が出会ったのは、いや、――魅入られたのは、ここの氏神(うじがみ)だ。」

「えっ!神様ですか!てっきり白い彼岸花の妖精か何かかと……」


イレールは思わず、彼女の鈍感さ、無垢さに頭を抱えた。

「お気づきになられなかったんですね……白い彼岸花の伝承に出て来た、忘れ去られた神様、それが、貴女が出会った不思議な男の子の正体ですよ……」

心の中で、彼は叫び続ける。

(お願いですから……少しは身の安全というものを考えてください…疑わない無垢な心が貴女の何よりの取り柄ですが…綱渡りを見ているようです。こちらはハラハラして、心配で気が気でないんですから!)


 二週間前サーカス公演を手伝ったとき、彼女は彼の殺気に気づかなかった。呑気に気分が悪いのかと聞いてきた。

今回に至っては、人間でないものを簡単に受け入れ、親交を持っている。

怖くはないのだろうか……。

見かねたクラースが肩をすくめ、彼を現実へと連れ戻す。

「おい、お前が考えていることに何となく予想はつくが、百合にちゃんと説明してやれ。」

「はい……。百合さん、貴女は氏神という神の種類について、何か知っていることはありますか?」

気を取り直して、彼女に尋ねる。

「うーーん…この土地に豊饒を授けてくれている神様ってことぐらいです。」

「氏神は、ある特定の土地でのみ信仰される神です。貴女のおっしゃるように、確かに氏神はそのような良い面を持っていますが、大抵、氏神―――土地の神は山の神です。山の神は、自分の気に入った動物や人間を特に気にかけ、幸運を授けます。その証が、そのリボンだと言われています。」

彼女の左手首をやって言った。


「じゃあ、これは、すごくありがたいものなんですね。」

あれっ?心配するものなの?という風に、百合は、そのリボンを優しくなでた。


「確かに山の神に認められるのはとても素晴らしいことです。でも、それはあくまで授けられた人だけへの幸運なんです。もし、その人の体を、心を傷つける者があれば、その者へと報復します。例えその者に、悪意がなくても……です。だから、山の神も無駄な犠牲を出さないよう、人となりのしっかりした者にしか与えません。それでも……貴女の周りの人に、害が及ばないとは限りません。」

「そんなっ!じゃあ、私は誰かをこのリボンのせいで、傷つけてしまうかもしれないってことですか!」

百合は悲痛に表情をゆがめた。

「……はい。可能性は限りなく低いと思いますが……。」

イレールが目を伏せる。


「どうにも……できないんですか?」


百合の顔が青白くなっていく。

小さい華奢な肩を、猛獣を前にした小動物のように、震わせている。


「そのリボンを破壊するか、御真弓様を説得して寵愛をやめてもらうか、のどちらかです。でも前者は、その神と対立する可能性が高いので、後者が望ましいですね……でも、聞くところによると、相当貴女のことを気に入っているみたいです。難しいでしょうね……」


イレールは苦しげに、言葉を吐く。

でも、と不意に続けて言って、彼は椅子から立ち上がった。


いつの間にか、彼はいつもの落ち着きを取り戻して、彼女の正面へと歩み寄った。

 膝を曲げ、百合の膝の上の恐怖で冷たくなった両手を、自らの繊細な温かい手で包む。


「貴女はこれまで通り、御真弓様と仲良くして差し上げてください。きっと彼も、心が追い詰められています。貴女の存在は何よりの救いになっているでしょう。」


彼女は手のぬくもりに浸り、恐怖が薄れていくのを感じた。

心地よさに思わず目をつぶる。


イレールは決意のこもった口調で優しく言った――――


「私に任せてください。貴女のクリア・フローライトの心を、もう誰にも、絶望で傷つけたりさせませんから……」



だいぶ落ち着いた彼女は、何か仕事をしようと、掃き掃除に取り掛かった。

イレールとクラースは無理をしないでほしいと言っていたが、何かしている方が、気がまぎれるのだ。


彼女は自然と、自らの心と向き合っていた。


 御真弓様が自分にくれたリボンは、とんでもないものであった。


これのせいで誰かを傷つけてしまったら……考えるだけで身がすくむ。


このリボンは(かせ)のようにも感じる。


でも、さっきイレールの言った言葉――――御真弓様も心が追い詰められている。

という言葉がひっかかった。


イレールは御真弓様の気持ちも大切にしたいと考えているのだ。


そうだ。


彼には悪気があったのではなく、自分に愛情を示そうとしたのだ。


この土地の人から傷つけられ、ずっと一人で……やっと見つけた自分をみてくれる人に、幸せになって欲しかっただけなのだ。


自分に向けられた信頼に、恐怖で返したくない。


そんな思いがこみ上げてくる。

だったら、自分は、彼に、最大限のぬくもりをあげよう。

百合はそう胸に誓うと、左手首のリボンをなでた―――――



 次の日、彼女はまた御真弓様と、あの不思議な空間に居た。


そこはいつも夜で、満月が中央の腐りかけた巨木と、ぐるりとそれを取り囲む白い彼岸花を照らし出していた。

「ここの彼岸花は白くて、雪みたいで、とてもきれいだね。」

白い彼岸花に膝まで覆われながら、御真弓様を振り返って、百合は楽しそうに言った。

「うん……僕も大好きなんだ。君も同じことを思ってくれて、うれしい……」

彼は彼岸花を一つ手折ると、愛しむように、口元へ寄せた。

穏やかな表情を浮かべていたが、白藍の瞳に影が落ちた。

「どうして同じ白なのに、ここまで違うのかな……」

心配して、百合は彼の傍に寄る。

「どういう意味なの………?」

近寄ってきた彼女の頬に右手を持っていき、彼は怒りをなだめて始めた。

「他の花は、いろんな色があって、白だってあるよね……例えば、君は、白い百合…白百合みたいだ……」

口調が不意に荒くなった。

「でも!白い彼岸花は違うっ!不吉だって…彼岸花はもともと、不吉だって言われることもあるけど、それ以上に不吉だって…死をもたらすと、人間は騒ぎ立てて……健気に咲いている彼らの命を奪っていった……!彼らと僕の証だったのに!」

瞳が血のように赤く染まっている。


「ね、落ち着いて……私がついてるよ。」


百合は憤怒に震えている頬に添えられた手に、自分の手を重ね、ぬくもりで包む。

彼の変貌は恐ろしかったが、慈愛の方が勝っていた。

「気が抜けるようだけど、クッキーを焼いてきたんだ。口に合うか分からないけど………一緒に食べよう?」

「僕のために……?」

彼は平生の青白い瞳に戻り、表情も驚きに変わった。

百合はふふっと笑って、彼の手を引いて、巨木の根元へ座らせた。


 かわいらしくラッピングされた、香ばしいクッキーを取り出す。


「どうぞ~」

「……ありがとう。これが、クッキーっていう食べ物なんだね……」

「初めてなんだね、クッキー。」


彼はクッキーを、不思議そうにあどけなさの残る瞳で眺めたり、つっついてみたり、くんくんと匂いを嗅いだりしている。


こうしているのを見ると、自分と同じ年頃ぐらいの普通の男の子である。


微笑ましいと思っていると、御真弓様はカリッと小さくかじりついた。


そして―――目を見開いて固まってしまった。


心配になって顔を覗き込む。


「……御真弓様、大丈夫ですか?」


 ………彼の目が、ぱあっと輝いた。


「美味しい!美味しいよこれ!今まで食べて来た物の中で一番甘くて美味しいよ!」


手を口元に持ってきて、今までにない笑顔で目を輝かせている。

「それは、良かった!」

「もっと、貰っていいかな?」

「どんどん食べてね。」

悲しげで物憂い雰囲気は息をひそめ、幸せオーラを出しながら、クッキーをお行儀よく口に運んでいく。

「美味しかった!ありがとう!」

幸せそうに、にこにこして、色白い頬もわすかに薔薇色に染まっている。

「そんなに喜んでくれるんなら、また作ってくるね!」

「うん!待ってるよ!」



彼はそう言うと、すとんっと、百合の肩に頭を傾けた。

目を閉じると、穏やかな声で小さく言う。

「今すごく僕は、悪いことを考えてる……」

言葉とは裏腹に、彼はとても優しそうな顔をしていた。

「……そんなこと考えているようには見えないよ。」

百合もその表情をのぞきながら、優しく言った。

「このまま、君がここにいてくれたら、どんなにうれしいだろう……。ほんとは君を帰したくないんだ……捕まえておきたいと思ってしまう。」

「そんなこと、御真弓様はしないよ。」

きっぱりとその言葉を、百合は否定した。


「え……?」


意外な言葉を聞いて、御真弓様は目を見開いて、長いまつげを儚げに揺らした。

百合はなおも優しそうに笑ってみせて、抱擁力に満ちた言葉を紡ぐ。

「御真弓様は、初めて会った日も、次の日会った時も、帰る時間が遅くなるとか、私のことを待っている人がいるからって、すぐに帰してくれて、私のことを一番に考えてくれていたから。優しい人なんだなって思ったんだ。寂しくて誰かと少しでも長く居たいはずなのに……それに、あんなにかわいい顔してクッキー食べる人が、そんなことするはずないもの。」

―――――柔らかな微笑みだった。


御真弓様は、彼女と同じ微笑みを浮かべたあと、意を決したように、口を開いた。

――――少し体が震えているのが、肩にのったぬくもりから伝わってくる。


「君を捕まえておきたいのは……僕に時間がないからなんだ。」


「僕はあと少しで、消えてしまうんだ……」



――――その言葉を理解するのに、長い時間が必要だった――――


「どうして……………?」


―――「神は人間の信仰心で生きているんだ。膨大な信仰心で僕たちは実体を得て、霊験あらたかな神となれる。僕は、忘れられてしまったから……もうすぐ消えてなくなる。」

肩の震えが大きくなる。

「――すぐ後ろに、腐りかけた木が生えているよね――これは僕。死にかけた僕の、姿見の木……」


葉をつける養分もなく、芯まで乾燥し、今にも倒れそうな巨木。

枝は折れ果て、周囲に散乱している。


彼の命は尽き果てようとしている。それをこの木ははっきりと表しているのだ。

「信仰するよ!私が御真弓様を強く信仰するから、消えないで……!」


――――ぎゅ……


肩に寄りかかった震えるぬくもりを、百合は両腕で抱きしめた。

彼は、目を見開いて驚いたのち、切なげな表情を浮かべた。

「君の気持ちは僕の、乾燥して冷たくなった体を温めてくれるよ。でも、信仰心は質じゃないんだ。数千人規模の数が必要なんだよ……いいんだ。神の気持ちは人間には分かるはずないのに、勝手に腹を立てたんだ。自業自得なんだよ………」

「でも………でも……!」

今にも百合は涙をこぼしてしまいそうなほど、瞳に涙を溜めた。


百合のその表情を見つめているうち、御真弓様の心の中の思いが爆発してしまった――――


――――「これ以上僕を苦しませないでよ……!そんな顔されたら、ますます君を捕まえていたくなってしまう!………せめて、僕が消えてしまうのを、君が見届けてくれたらいいのに!

いつ消えるかは自分でも分からないし……お願いだ!君の意志で、ここにずっといてくれないかな?そうして僕の最後の願いを叶えてほしい………!」


黒曜石と白藍の瞳が見つめ合う。


―――――突然、彼が目を離し白彼岸花畑の先に暗く広がる林を、キッと獣のように睨みつけた。


「誰だ!」


その声音には、いまだ神の威厳があった。


ゆっくりと、暗闇から姿を現したのは――――イレールだった


御真弓様は彼を見て冷笑する。

「ここ数百年時々見かける、異界の者か。我に気づかれずに結界を破って来るとは、それなりの魔力を持っているようだ。だが、神聖なこの場所に足を踏み入れるとは、何事か!」

彼の口調は堂々としたものに変わっている。


―――「私のような身の上の突然の来訪、お許しください。しかし、どうにも聞き捨てならないお言葉が聞こえて、気配を隠し切れなくなってしまいました……でも、貴方と争うつもりは毛頭ありません。私の話を聞いてくださいますか?」


一歩も引かないという気持ちが表れながらも、落ち着いた声色でイレールは問いかけた。御真弓様はひるむことなく、イレールを鼻で笑うと、鋭く言い放った。


「異界の者の言葉を、そうやすやすと聞き入れると思うか?邪魔をするなら容赦はしない!」


――――シューーーーーーーーーーーーーーーン!


冷やかに叫んだその刹那、彼の手に弓が握られ、矢が放たれた。

青白い光を放つそれは、空を切り裂き、瞬く間にイレールに牙をむく。


静かに目を閉じたイレールは右手を高々と掲げ、いつものように指を鳴らした。


――パチン!


 ざん!


その矢は鎌のような旋風に一瞬にして切り刻まれた。


「な!神の矢が、よそ者風情に!」

「貴方と争うつもりは全くない。ですが………彼女の自由をさらに拘束し、傷つけようとするものを、みすみす野放しにしておくわけにはゆきません。―――例えそれが、神でも。」

落ち着き払った声で、イレールは冷やかに言った。

ブルーサファイアの瞳の眼光は冷たく光り、刃物のように鋭い。

珍しく怒りを露わにし、神を威圧する。


「お前のような異様な存在に、彼女は渡さん!」

御真弓様は再び矢を射ようとする。


―――「聞いてください!このままでは貴方にそのつもりがなくても、彼女はさらに傷つくんですよ!」

イレールは有無を言わせないほど、ぴしゃりと言い放つ。


――――「くっ!」

 御真弓様はひるんで、焦ったように目を背けた。


 その様子に、イレールが目の鋭さを弱めた。

「貴方は、彼女が自分の意志で、貴方の手中に収まることを選んでくれたら、それで満足でしょう。おそらく心優しい彼女のことですから、聞き入れてくれるはずです。でも、彼女の自由は奪われてしまいます。………貴方の命が消えるその時まで……それは数週間、数日だけしか残されていないかもしれません……でも、その間ずっと……鳥籠のようなこの空間に閉じ込められて、弱っていく貴方に心を痛め続けなければならないのですよ……すでに寵愛のリボンの枷のせいで傷ついている彼女を、また更に苦しませるつもりですか?」


彼は両手のひらを握りしめる。

御真弓様への憐れみと慈愛。

それに加えて、本人の自覚のないところで彼女への強い思いが満ちていく。


「それに、百合さんは貴方だけでなく、ほかのたくさんの方に慕われ、愛されています。きっとその多くが心配で気が狂いそうになるような思いをするでしょう……」


だんだん彼の表情がいつもの柔らかさを取り戻し、悪い子どもをしかるような口調に変わっていく。


「なにより、私が怒っているのは!貴方が百合さんの信頼を踏みにじろうとしたからです!」


苦しげに顔を歪め始めた御真弓様は、声を震わせながら、やっと言葉を絞り出す。


「そんな……そんな………僕は……彼女を傷つけたくなんか………」


「百合さんは貴方が絶対に自分を捕らえはしないと、信じていたんですよ……今まで貴方は死の淵に居ながら、寂しさの感情よりも、強い優しさの感情を持ち続けていたではありませんか……」


完全に優しげな瞳を取り戻した彼は、じっと御真弓様を見つめる。


「…じゃあ、僕は一人で消えていくの……?……いやだ……いやだ…でも、彼女を傷つけたくは……」

頭を押さえて、ふらつきながら、御真弓様はその場にへたりと座り込んでしまった。


イレールがゆっくりと彼の傍に歩み寄る―――


「貴方を見捨てたりなんてことはしません………すみません……少々、取り乱してしまいましたが、私も貴方の力になりたいのです。百合さんと御真弓様、お二人が笑い合える未来に変えるために。」


微笑みながら、彼は手を目の前の神へと差しのべた。


 そこへ、その様子を見守っていた百合が御真弓様のもとへと駆け寄り、再び腕の中へ閉じ込めた。

震えている彼の耳元へと囁く。


「イレールさんはすごく優しくて、面白くて、頼りになって………その……きれいで、かっこよくて、素敵な人だよ。信じてくれるよね?」


 御真弓様はその言葉にくすっと笑うと、

「もちろん信じるよ……。」

と、まだ彼女への申し訳なさを残しながらも微笑み、そっと立ち上がった。

イレールを幾分鋭さを押さえた瞳で見つめる。

「さっきは、悪かったね……でも、男の手は取らないよ。」

百合と話すときの彼本来の口調に戻り、悪戯っぽく笑う。

「私には素直になって下さらないのですね。」

苦笑しながらイレールは手を引っ込める。

「どうやら……ライバルみたいだからね。」

ちらっと御真弓様は百合を一瞥する。

「おやおや……」

彼は苦笑の色をさらに強めた。



 

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