18Carat 迷い、そして決意を、君に捧ぐ part2 last
ちょうどドアを開けた先に、クラウンが腕組みをして立っていた。
イレールの瞳に、仮面の奥からじっと視線を注ぎ続けている。
イレールは表情を緩めた。
「貴方はもう、人を生かす刃を手にして、自分はLa mort inverse(逆さまの死神)だと、豪語できるのですね。」
クラウンはフッと笑った。
「ああ、お前たちとともに旅をしていた時には躊躇いがあって刃を振るっていたからね……刃への考え方が変わった今、これでやっと、リュシーが指し示してくれた『人を生かす死神』に、本当に到達できたと思うよ。」
それより――と、クラウンは続けて、イレールをホテルの屋根の上へと促した。
屋根に降り立った二人は、一変して真剣に向き合う。
「百合さんは何者かに……その命を狙われています。」
「やはり、そうか………」
憤怒を秘めたイレールの言葉に、クラウンは自分の予想があたってしまったことを嘆いた。
「アーエスは利用されたのでしょう。口ぶりもそのような様子でしたし……。それに、彼女が“あの方”と呼んでいたのは、恐怖公アスタロトです。彼はソロモン七十二柱の一人として、イスの都に破滅をもたらしましたが、悪魔である彼らとは厳正なる約束銘文のもと、和解済みです。アスタロトが黒幕だとは考えにくい。悪魔にとって契約は絶対的なものですからね――――」
イレールの口調が、少しだけ荒くなった。
「なぜ…………?百合さんを狙う必要があるのですか……?考えるだけで怒りが込み上げてきますよ……!!…冷静な推測ではないかもしれませんが、おそらく―――――」
「―――贄かい?」
俯きがちにキッと目を吊り上げたイレールの代わりに、クラウンが言葉の先を呟いた。
イレールは悔しげに小さく頷いた。
「何か大きな魔術を成すには、それ相応の対価、贄が必要です。私達魔法族にとって、人間の肉体は、命を差し出すに等しい大きな対価……贄として最適なもの……ですから。アーエスは百合さんの命を奪うよう指示されていましたが、体を傷つけずにという条件を付けられていました……それが何よりの証拠です。」
贄という言葉に心を締め付けられながら、イレールはしぼりだすように言った。
クラウンもその言葉への不快感から顔を背けていたが、すぐにイレールに疑問をぶつける。
「しかし、贄を欲する目的は何か、なぜそれが百合である必要があるのか、そもそも黒幕は何者か、見当はついているのかい……?」
イレールは首を振った。
「その三点に関しては…しっかりとした推測が、思いつかないのです………」
しかしながら、と彼は続けて、再びキッと瞳を吊り上げた。
「――去年の十二月、二度、不可解なことが起こりました。それらを仕組んだのは、今回の黒幕と同じかもしれません。」
クラウンは驚いたように言った。
「それは……なんだい?」
イレールは、クラウンの仮面の奥の瞳を真剣に見つめた。
「眠りについていたはずのホープ・ダイヤモンドが、私のもとへ誘われたこと。そして、何者かとファミリア(使い魔)関係にあるアンフェスバエナが、店を襲撃したことです。その時は憶測で事を運びたくなかったので、心に引っ掛かっているとは、お話しできませんでしたが……」
イレールの言葉にクラウンはハッとする。
「呪いのホープ・ダイヤかい……? では、アーエスのつけていたこれはもしや―――」
クラウンは蒼黒いダイヤのペンダントを取り出した。イレールはそれがクラウンの手に握られていることに驚いた様子だったが、すぐに何かに気づいたような表情に変わった。
そのペンダントから発せられる、微細でいて恐ろしい魔力を感じ取ったのだ。すぐにイレールは焦りのこもった声で叫んだ。
「―――砕かれた欠片のようですが……間違いなくホープ・ダイヤモンドです……!!!」
彼はルーペを取り出すこともなく、それを受け取って、じっと観察した。
「――――砕いたダイヤ特有の階段状の断面、このインクルージョン(内包物)、インド式クッション・カットの名残が見られる…この、一面……っ」
焦りの色だったイレールの口調が、やがて、悲しみの色に変わった。
悔しさと悲しさが混ざり合った表情で、自我を失った“彼女”をぎゅっと握る。
「全て、同一人物の仕業なのですね……どうしてこんなことが…できるのですか……?“彼女”を殺して、手中におさめ利用し、アーエスの絶望に染まった思念をますます煽ったのですね……。悲しみの連鎖を紡ぎ出すことは、そんなに楽しいことですか……?」
それは、何者かへの悲痛な訴えだった。
「イレール………。すまない。お前はまだ知らなくてもいいことだったかもしれない。」
クラウンはイレールのその様子に、心が痛んだ。
しかしイレールは、首を振って、すぐに凛とした表情になった。
「いえ……早めに知っておくべきことです。―――私はもう、決意したのですから。」
その声はしっかりとしたものだった。
そのままじっと、クラウンの瞳を覗きこんでいたが、イレールの瞳に影が落ちる。
「………もちろん。これは諸刃の剣ともいえる決心。なぜなら私は百合さんに、Saint-Hilaireという一面を知られたくない。この選択をすれば、私のこの一面がより前面に押し出されてしまう。もし“Saint-Hilaire”として武器を振るう姿を見られたなら……?……きっと百合さんはその姿をも受け入れてくれるでしょう……でも、この一面に翻弄されている私にとっては……?」
イレールは目をぎゅっと閉じて、顔を背ける。
「――ますます彼女との間に壁を作ってしまいます………この世界を守るために、戦いに身を投じるのが私のもう一つの姿。……やはり、想いは伝えられない。固い絆を築くことは許されても……。彼女に今以上の愛情を求めることは、戦いに身をおく私の人生に、彼女も引き込んでしまうということ。彼女は…違う誰かと”幸せ”になるべきです。その権限は私には、ない……」
「……お前は本当、に……優しすぎるよ。」
クラウンは、やっと……それだけ言った。
なにも、かける言葉が見つからなかった。変に言葉をかけてみても、それはきっと今のイレールには届かない。考え抜いている真摯な気持ちを踏みにじってしまうだけだ。
イレールの瞳は、辛さと切なさ、愛おしさを秘めて揺れ続けている。
「でも、そうも言っていられない状況になってしまいました……脅かされているのはこの世界ではなく、彼女の命なのですから……!!今回は運が良かっただけです。今の私ではこの先彼女を守ってあげることは……叶わない。だから私は、たとえそれが諸刃の剣だとしても―――Saint-Hilaireになるのです。」
再び、ブルー・サファイアの瞳が、凛と瞬く。
「―――そうか。もう…決心したんだね。むろん、一人で戦わせはしないよ。さっき皆で今回の一件で分かった情報を交換し合って、話し合ったんだ。その結果、どうしても百合の命が狙われていると結論づいてしまってね……決定したよ。私達は暗躍する。彼女の影となり、彼女の守護者となる。そうすれば彼女は今まで通りの日常を送ることができる。」
クラウンも仮面の奥の瞳を凛とさせて、芯の通った口調で続けて言った。
――「リュシーの桜を今ひと時だけ散らそう。リュシーに意見を請うことができたなら、そうしろと言うはずさ。もう一度、大切なものを守るために、力を。」
イレールは胸ポケットの中に入れた百合のバレッタに、コート越しに触れた。
先ほど胸に感じた彼女のぬくもりをそこに感じながら、毅然とした声でそれに続く。
「私の持つものすべて――
この体、この力、この心に宿りし揺るがぬ愛を、決意を。
その総べてを貴女だけに捧げましょう。
―――――すべては愛する貴女のために―――」
―――二人は星々を見上げて、固く、強く、心に誓った
他の三人と一匹は、百合を起こさないよう、そっと寝顔を覗きこんでいた。
―――「百合さんをどうして殺めようとするんだろう……?僕にはどうしても理解できないよ。」
御真弓様はそっと、眠っている百合の頬に触れた。今はとても穏やかな寝顔をしている彼女の頬のぬくもりに、安堵を感じる。クラースはふわふわの羽毛を膨らませて、その反対側の頬に身を寄せていた。
「ゆりちゃん、安心してね。わたしたちはもう……身近で大好きな人をなくしたくないの。だから全力で抗うわ。」
潤んだ瞳をして言うミカエラのその言葉に、ジョルジュも瞳を凛とさせて続く。
「オレらはどこかお前にリュシーに似た何かを感じてる……でも、これは百合っていう友人を守るための戦いだ。降りかかる火の粉がお前にかかってしまう前に、オレらが振り払ってやんよ。」
二人はそれぞれ大切にしているブローチへと手を沿えた。
ミカエラが暗い部屋の中で、そっと言った。
「みんな、もう休みましょう。魔力を回復させましょうよぅ。」
「そうだな。ほらっ、野郎は別室だぜ。行くぞ。」
ジョルジュが百合に付き添っている御真弓様とクラースに言った。
二人は名残惜しそうに百合から離れた。
御真弓様は数歩歩いて、あれ?と、不思議そうな顔になった。
「部屋って三人部屋だよね?男は四人だから一つベッドが足りないんじゃないかな?僕は自分の結界を張った世界でいつも休んでるからいらないけど、ミカエラさんそのことは知らなかったよね?勘違いしたの?」
ミカエラは首を横に振った。
「勘違いじゃないわぁ。ゆりちゃんの隣のベッドは、イレールのベッドなのよぅ。この部屋はわたしと百合ちゃんとイレールの三人でって思ったのぅ。そしたらきれいに分かれるでしょう~?イレールはきっと、ゆりちゃんに一晩中ついてあげたいって思うはずよぅ。」
「そっか。ミカエラさんって、本当に天使的な人だね。」
「『天使的』ではなくて、正真正銘の天使よぅ~~なぜだかときどき忘れてしまうけれどねぇ。」
それを聞いた御真弓様はふふっと笑って、部屋を跡にした。
一人になったミカエラは、百合の寝顔をそっと覗いた。
「……ねぇイレール。あなたは人の幸せを何より優先する、素敵な優しさを持っているわ。でもね、自分の幸せも大切にしてあげてね。幸せになる権利は、あなたにもあると思うの……」
ミカエラは、死神アンクウの馬車の中で見たイレールの、切なげな表情を思い出しながら、百合の頭を、いたわるようになでた――――
次の日の朝
百合は安らかな気持ちで目を覚ました。
まだ頭をぼんやりさせながら、目を開ける。
視界が真っ白かった
「…………」
何故か、顔全体がもこもこする。
ふわふわ、フワフワする。
何かが、顔にのっている。
この『羽毛』は―――
「………おはようございます。クラースさん。もこもこで気持ちがいいです。」
「うむ。起きたか。」
―――バサッ
クラースは飛び立って、近くに居た人物の肩にとまった。
百合は半身を起こして、その人物の姿を認める。
眠気は一気に吹き飛んで、嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「おはようございます――――イレールさん……」
背の高いその人物を見上げる。
――――「おはようございます。すっかり顔色もよろしいようですね。」
イレールが、すぐそばに立っていた。
彼は優しげに微笑んで、百合の寝乱れた髪を後ろから手で整え始めた。
窓辺からあたたかい朝日が差し込んで、二人のシルエットを白いシーツに映し出す――
黒髪に手櫛がさらりと通されるたびに、シーツに黒い線の影が流れるようになびく。黒い指先がそっと髪をすくいあげて、リボンの形をした影がそこへ運ばれる。
―――パチン……
「できましたよ。」
そう告げるイレールの口調は、穏やかで柔らかい。
「……ありがとうございます。」
百合は恥ずかしそうに頬を染めながら、お礼を言った。
身支度を済ませると、ホテルの屋上に、百合は連れられた。
そこにクラウン以外の皆が集っていた。百合の姿を見て、皆安堵の表情を浮かべている。
「―――骸骨が、立ってる………!」
百合は死神アンクウの姿に、さすがにびっくりして、イレールの後ろに隠れた。イレールのコートをぎゅっと掴んで、彼の後ろから恐る恐る死神アンクウの様子を窺う。
「ふふ…大丈夫ですよ。クラウンの飲み友達です。中身は面白い人なんですよ。」
イレールは少しだけ嬉しそうだ。
「ゆりちゃンて言うんだよネ。そうだヨゥ~昔は荒々しかったけド、今はフレンドリ~~!よろしくネェ!!」
死神アンクウは引き上がった口を大きく開けて、ニカニカ笑っている。本人は笑ってフレンドリーに見せているらしいが、カタカタ歯がかち合ってなんとも不気味に見える。
声がひょうきんなものだったので、寛大な百合は幾分安心して、イレールから離れた。
「声が親しみやすいですね。昔は荒々しかったんですか?」
「うン。昔は―――」
死神アンクウの声が変わった
「―――富豪だろうが貧乏人だろうがァア!オレが引導を渡さない人間はいなイ!この世に生を受けたものは、領主だろうが貴族だろうが、ブルジョワだろうが農民だろうが、すべては意のままに罰せられルッ!この世からすべての存在を消し去るのは、無慈悲な死神アンクウ、このオレだァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
―――「きゃあああっ!!」
いきなり恐ろしい声で叫び始めた死神アンクウに恐れをなして、再び百合はイレールの後ろに隠れてしまった。
――「あっはっはっは!!!遊ばれているな百合!」
スタッと音がして、クラウンが屋上に降りたった。
―――死神アンクウの眼窩の奥の炎がクラウンをとらえて、ギラッとオレンジに光った。
クラウンに向かって両腕のこぶしをかためている。
ファイティングポーズだ。
――――――「クラウン兄貴………」
一変して、バリトンボイスのいい声になった。
―――――「アンクウ兄貴よ………」
クラウンもサーカスで司会をする時のいい声を作って、同じくファイティングポーズをとった。
二人は喧嘩腰の眼差しで対面している。
死神アンクウが首をゴキゴキと鳴らす。
「ここで会ったが百年メ……」
「いざ尋常に……」
クラウンが腕を振りかざす――――
―――バシッ!バシッ!!バシッ!!! バチン!!!
「「No・Mi・A・Ka・So…………」」
―――両腕を交互に差出し合い、手首をぶつけ合った
最後までいい声だった。
「―――何ですかこれっ!?」
のんびりした気質の百合が、珍しく素早く突っ込んだ。
幼馴染たちは、あはは……と、苦笑している。イレールが腹を抱えて笑い合っている死神アンクウとクラウンをしり目に、百合にこそっと耳打ちした。
「彼らのご機嫌なご挨拶です……毎回飲み屋の前でやっています。ときどき喧嘩と勘違いした威勢のいい飲み屋のママさんに、喧嘩するならよそでやれって、入店を断られていますよ……」
「そ……そうですか……。」
百合もイレール同様、引きつった笑いを浮かべる。
――「さて、日本までよろしく頼むよ。」
改まった様子で、クラウンが死神アンクウに頼んだ。
「頼まれたヨゥ~ささ、乗っテ乗っテ!!!上空25000フィートを飛ぶヨ~!」
彼らは死神アンクウの馬車に乗り込む。
―――ぐいっ
不意に、イレールのコートを百合が握った。
「どうしたんですか?」
「私、高いところはある程度平気ですけど……見た所、馬車で高いところを飛ぶんですよね……?」
「そういうことになりますね……」
百合はなんだか不安そうな顔をしている。
彼女は意識を失っていたため、昨日乗ったことを知らないに等しい。どうやら、少し怖がっているようだ。イレールは困ったような顔になった。
「大丈夫ですか?死神アンクウの魔力で飛んでいるので、絶対に落ちたりはしませんよ。」
再び、百合は昨晩のように、頬を赤らめて言いづらそうに言った。
「………イレールさんの隣に…座っても、いいですか?それなら―――」
なにか言いかけたが、百合はそこで黙ってしまった。
イレールもそれを聞いて、僅かに頬を赤らめる。言いかけた言葉の先は、聞かなくてもなんとなく分かった。
「……もちろんですよ―――では、行きましょうか。」
「………!!」
イレールは、百合の手をとって、後ろにその手を隠しながら馬車に乗り込んだ。
長いコートの裾で、手をつないでいることを皆に悟られないように隠しながら、座席に隣り合って座る。
馬車が走りだして、彼らはあるべき場所へと帰省する。
百合は左手のぬくもりに安心感を覚えながら、ますます思いが募っていくのを感じた。
(あの夢は………イレールさんのことを思うあまり、見てしまった夢なのかな……?)
――桜吹雪、長い薄茶の飴色の髪、そして白い純白のローブ
(きれいな人だったな………イレールさんになんとなく似てる……)
顔を少しだけ上げると、イレールの横顔が目に入った。
視界に入れただけで、胸がドキッとする。
(―――もし、イレールさんに思いを伝えたらどうなるのかな……?)
思いが募れば募るほど、彼女の中でその問いが少しずつ顔を出し始めていた――――
純愛っていいです……




