15Carat 辿って、廻る、メビウスの”和” part3 last
メビウスの輪は表裏の区別がつけられない曲面。
どこかに指を置いて辿って行けば、表も裏も、廻ったと言える摩訶不思議。
それには数秒も要しない。
表は、面 裏は、心
面も知って、心も知る。
それが刹那的に強く結ばれた、イレールと御真弓様の信頼関係。
そして―――浦安の舞の浦は、“心”との掛け言葉。
――――「よろしくお願いします。」
「はい……!」
「うむ!」
イレールに百合、クラースは宝石店の御真弓様の宿ったブラック・オニキスの前で、彼を覚醒させる準備を終えた。
百合は後ろで黒髪を一つに結んで花簪をつけ、緋袴に菊柄の千草を着て、手に檜扇と鉾鈴を持ち、緊張した面持ちでその時を待っている。
クラースは堂々とした声音を生かして、吟じ手の役目を担う。
精悍な彼は、イレールの左腕にとまって、落ち着き払っている。
楽器は博物館にも顔が通ずるミカエラに頼んで借用した。彼女は不審がりもせず、新しい友人のためと言ったところ、二つ返事で話を通してきてくれたのである。
イレールの役目は、彼に負担のかからないよう彼の世界への扉を開き、楽器を魔法で操り、演奏すること。
「イレールさんって、何か楽器弾けるんですか?」
緊張している百合は少しでも緊張を和らげようと思って、純粋に疑問に思ったことを尋ねる。
彼はまさかといった顔をして、彼女の緊張を感じ取ったのか柔らかい口調で答えた。
「何一つとして弾けませんよ~。昔、縁あって作詞の話を引き受けたことがあるので、何とか楽譜は読めますが。」
意外な返事が返ってきた。これは緊張どころではない。
「わぁ!今度聴かせてください、その曲!きっと素敵な詞なんですよね!」
「嫌ですよ。恥ずかしい……。さ、緊張した顔してないで、早く彼を迎えに行きますよ。」
照れくさそうに言うと、彼は口をつぐんでしまった。
「聴きたかったです……。イレールさんが作詞した曲……」
口ではそう言っているが、緊張がほぐれた百合はリラックスした表情になって、気を引き締めた。
イレールも引き締まった顔になる。
「二人とも、目がくらむかもしれません。目をつぶってください。」
二人はイレールの指示に従って、しっかりと目を閉じる。
「では―――――行きましょう。」
イレールは静かに目を閉じて、右手を高々と天へとのばし、指を鳴らす。
―――パチン……!
弦の音のように軽く澄んだ音が、張りつめた空気に冴える。
宝石店の空間がゆらりと歪み、まるでパレットの上で絵の具をかき混ぜるかのように色が混ざり、引き伸ばされた―――――
「もう目を開けていいですよ。」
穏やかなイレールの声が耳に届いて、百合は目を開けた。
「―――――!!」
そこは彼と出会った、あの懐かしい白い幻想的な花園。
彼の姿はそこにはなかった。
それでも―――彼が自分の姿見の木だと言った、枯れかかったあの古い檀の巨木は、
上弦の月のもと、青青しく枝葉を広げ、生気にあふれ、月光に緑を光らせていた―――
「御真弓様……私、もう一度あなたにクッキーを作ってあげたいから…頑張るね。」
彼女は穏やかに微笑むと、巨木の根元に鈴台を置き、正座をして目をつぶる。
閉じた扇の端をそれぞれ手で持ち、彼女はそれを目の前に差しだすように、そのまま大きく一礼した。
それは『この世界』の神だけに捧げることを示すかのよう。
その礼のあと、扇を広げて胸の前で構え、扇の舞の姿勢へとうつる。
リン……
鈴台に置かれた鉾鈴が小さく風に鳴る。
イレールはそれを見届けて、楽器に向き合った。
しちりきや神楽笛に笙などがきちんと並べられ、楽士だけがいなくなったかのような不思議な情景の中、それらは今か今かと出番を待っている。
クラースはイレールの左腕にのったまま、そっと相棒に呟いた。
「……彼にも、目覚めたときに誰かがいる喜びを感じてもらおう。」
イレールは返事をする代わりに、ふっと微笑んで、相棒の柔らかい喉元の羽毛をなでた。
――――パチン……!
再び指が鳴らされる。
―――ちゃ……ちゃん…
一斉に、楽器たちが意志を持ったかのように、ばちや笛が宙に浮きあがり、雅やかな調べを奏で始めた――
クラースが体を膨らませ、大きく息を吸い込んで、荘厳に笙歌する―――
百合は扇を持ったまま大きく両手を体の真横へとのばすと、末広がりを示すように、扇で宙をゆったりとはらいながら、扇の舞を始めた。
祝いの象徴である檜扇が、弓張の月へと高く捧げられる。
立ち上がった彼女を中心として、扇が開けるかのような舞。
広げた扇で弧を描くように、その場でゆったりと回るたび、扇の六色紐があでやかに宙を舞う。
檜扇の要を中心に豊かに開けゆく
彼女は別々の物事を一つにまとめる和、中心帰一の世界を体現する。
―――(天の原 振りさけ見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道はよけむ……百合さん。これから僕らの歩む道は、きっと君が照らし出してくれるよ。)
―――御真弓様は、巨木の遥か上の大枝に座って、幹に背を預けていた。
少し視線を月へとやったあと、眼下の白百合を見つめる。
それは以前のように寂しげで物憂い瞳ではなく、愛しい者だけに見せる優しげで慈しむ愛情に満ちた瞳。
百合は鉾鈴へと持ちかえた―――
鉾鈴は剣と鏡、玉の三種の神器が一体となった尊い鈴。
柄についた鈴を彼女が揺らすたびに、万物は清められ、刀身は鏡のように心地よいこの世界を映し出した。
―――シャ…ン……シャン…
左手で鈴に付けられた五色鈴緒の長い帯に手をそえて、右手で高々と鈴を鳴らす。
その五色の帯は弓の弦のようにぴんと張られて、力強さを感じさせる。
右手で鳴らせば、次は左手へ
流れるような、その手つき
全ての方位を清めてゆく
―――シャン…
その鈴の音は、この場に居る心を持った種族の異なる彼らに、共通のあたたかい感情をもたらして
奥ゆかしい空気に音は冴えて、彼らの心に溶けていく
――――やがて
クラースが吟じるのを終えるに合わせ、百合はゆったりと鈴を下ろした
――ちゃら…ら、ん………
全ての楽器が静止して、音、空気の流れ、が、一気に止まった。
静寂の余韻に、その場に居た二人と一匹は浸り続ける―――
――――ザァ…………!!
突然
大きな突風が、彼岸花を揺らし、彼らの目をつぶらせた。
「きゃっ……!」
短く叫んでふらついた百合だったが、誰かにふわりと抱き留められる。
頭を優しく包まれて、抱き寄せられ、視界が真っ白く染まった――――
(御真弓様……!!)
イレールが薄らその双眼に白い真弓の神の姿をとらえ、ハッとした時には、彼らは宝石店に戻っていた。
へたりと座り込んだ百合は、一瞬で何が起こったのかを悟った。
―――ぎゅ……
自分にそっと身を寄せている、優しい神様へと彼女も腕をまわす。
感嘆を含んで消え入りそうな声で、少し上を見上げて、そっと声をかける。
「おはよう―――――御真弓様………」
――――――「おはよう。僕の大切な人達――――――――――――」
白藍色の幸福な瞳と、黒曜石の幸福な瞳が重なった―――――
生まれた土地柄、私は神楽を幼少時かじる程度やっておりました。
それはそれは、へったくそでしたが(笑)
人生で見て来た神楽の中でも浦安の舞は、派手さはあまりないものの、日本人なら安らいでしまう何かがあるような気がします。




