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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第二章 魔法族は星のもとに集う
41/104

15Carat 辿って、廻る、メビウスの“和” part1


―――コツ…カツ…


コツ……カツ……


荘厳なスミソニアン博物館。

しんと静まり返った夜の展示室に、黒装束の男が現れた。


一歩彼が踏み出すたびに、高めに設計された天井に靴音が響きわたる。

 手入れの行き届いた真っ黒いカラスの羽のような、長い真っ直ぐな髪は、前髪も含めて足もと近くまでのばされて、扇のように広がり、彼が歩くたびに艶めいて揺らめく。長身で細身の体に真っ黒いローブを身に纏い、腰部分から大きく裾がゆったりと広がって、辺りの闇に存在が溶け込んでいるかのようだった。




――コツ……カツ…


コツ……


―――ぎろり…

彼はギラギラと暗闇の中でも光を放つ、蒼い宝石の前へと歩み寄って、じっとそれを見据え始めた。


辺りの空気が一瞬でピリピリと凍り付く―――――

展示資料たちも彼の存在に怯え、ますます息をひそめて、しんとした静寂が強まる。


 長い前髪の間から、冷やかな侮蔑を含んだ、赤い鮮血のような双眼が覗き見える。

不敵な笑みを浮かべた歪んだ口元、陶器のように白い肌、長い睫毛、整った顔立ちでありながら、冷徹で残虐な雰囲気を放つ紳士。




「―――ホープ、すっかり奴に懐柔されたか?何故ワタシに新しく記された“記憶”を見せぬ?」


凄味のある声


彼は―――ホープ・ダイヤモンドの安置されたショーケースへと手を伸ばす。


ぎゅっとその手を握ったかと思うと、その手中が蒼黒く光って、その手が再び開かれたとき――そこに“彼女”は居た




「純白のダイヤを感ずるな…中和されたか――――」

右手にのった“彼女”に、左手をかざすと、純白の光とともに、インド式クッション・カットのホープと同じ形状のダイヤが、“彼女”からじんわりと溶け出るかのように左手へと漂い出る――

男はそれを掴み取ると、“彼女”に再び射るような視線を向けた。


「まぁいい。オマエが懐柔されたということは、白百合の君と大賢者の仲はおめでたいほど睦まじいということだ……それが分かれば――――キサマは、もう用済みだ。」


“彼女”が抵抗するかのようにギラギラと蒼黒い光を男に放つ―――


「ダイヤはモース硬度10、ヌープ硬度8000の類稀なる硬さをもった鉱物――だが、壊れないわけではない―――」


男はますます楽しげに冷酷に笑いながら、“彼女”をぎゅっと握りしめた―――



「一定の面に沿って割れやすい(へき)開性(かいせい)と、衝撃に対する強度、(じん)(せい)は低いだろう?よって―――――」




パリィイイイ…………………………ン………ッ!!




ホープ・ダイヤモンドは彼の手の中で、無残にも粉々に砕け散った――――




彼は“彼女”の欠片を小さな箱へと入れた。

「オマエの負の影響力そのものには利用価値がある。まだ働いてもらうぞ。」


そう言いつつ、彼は右手のひらをチロっとなめた。

―――彼の手のひらは、“彼女”の抵抗で、火傷したようにただれていた

「実にあっけのない。宝石も、心も。」


冷たく、興味もなさそうに、言い捨てる。



―――ギュルゥ……

不気味な唸り声が、男の後ろの暗闇から響いて、アンフェスバエナが闇をうごめき、彼に何やら耳打ちする。


―――フ………

男の口元が大きく歪み、くすくすと笑いながら、長い前髪をかきあげ、狂気に満ちた紅い瞳を細めて天を見上げる―――





「それはキリストの(かい)と同じだSaint(サン)-Hilaire(ティエール)―――」



「―――――――Quo(クォ) ego(エゴ) vado(ウァド) non(ノーン) potes(ポテス) me() modo(モード) sequi(セクィ)…………」


(ワタシの行くところに、アナタは今、ついてくることはできない――――)


―――ニタァ



「すべては――――――――――――Santa(サンタ)-Lucia(ルチア)のために」





15Carat 辿(たど)って、(まわ)る、メビウスの“()



「あっ!見てくださいイレールさん!大吉でした!!」

百合は明るい太陽に負けないくらいの、晴れ渡る笑顔を浮かべて、おみくじを広げて見せる。

「わぁ~本当ですね!おめでとうございます!私は何ですかね~えぇ……っと…―――――きょ、凶っ!?」

イレールは形の良い眉を寄せた。


二人は元旦の今日、仲良く初詣に来ている。イレールは初詣には行ったことがないらしく、百合が思い切って誘ってみたところ、嬉しそうに頷いてくれ、さっそく近場の大きな神社に初詣に来たのだった。


今は参拝し終わって、おみくじを引いたところである。

そしてものの見事に、二人は対極のくじを引き当てた。

(せっかく貴女が誘ってくれたのに……楽しい気分が台無しです。)

トホホ……っとなりながら、彼はくじに目を通し始めた。

もちろん、ろくなことが書かれていない…。


(女難の相あり。………大きなお世話ですっ!)

イレールはデンファレ姫とキキーモラのポーラを思い出して、機嫌を悪くする。


(重大な決断を迫られる年。決断を誤れば悲劇的な結末を迎えることになろう。用心せよ。………ッ!これは、気に留めるべきですね。)


神妙な面持ちになったイレールを、百合は心配そうに見上げた。

「イレールさん…そんな顔しないでください。くじの結果はどうあれ、嫌なことも嬉しいこともどんな年だって、同じくらいあるものですよ!!そして、年末には楽しかった思い出のほうが頭に残っているものです!去年の私がそうでしたから!!って、すみません…何だか偉そうに言っちゃって……」

真っ白いコートを羽織った華奢な肩に、長い黒髪がさらりと流れて、黒曜石の瞳が幸福に満ちて笑った。

「……偉そうだなんて、そんな風には見えませんよ。ありがとうございます。そうですね、運命は自分で変えていかなくては。御真弓(おまゆみ)(さま)にも、情けないと笑われてしまいます。」

彼は黒い箱を取り出した。

その中には、御真弓様の眠るブラック・オニキスが入っている。彼も立派な宝石店の仲間、彼の存在はしっかりと宝石店の人々の中で息づいている。

「御真弓様………。」

切なげに、でも、幸せそうに、百合は箱の中のそれを見つめた。

「神教のアニミズム的存在である彼もきっと、神社に来て喜んでくれているはずです。」

「早く……起きてほしいな。」

「はい…そればかりは、彼が実体を保てるほど回復するまで、待つしか…。」

二人は寂しそうに少しだけうつむいた。

イレールは気持ちを切り替えるために、そっと、首に巻いた黒いマフラーに触れて、くじを折りたたむと、神社に植えられている木に、そのくじを巻き付けた。

「百合さんは巻き付けないんですか?―――あれ……?」



百合の姿が消えていた



「百合さんっ!!」


周囲を見回してみるものの、神社は参拝客でごった返して、人ごみの中に割り込むのも気がひけた。

「くっ!」

小さく唇を噛んで、イレールは目をつぶって百合の気配を探る。


―――神社の本殿に、彼女の気配を見つけた


(なぜ、そんなところに………!)

急いでイレールは拝殿を抜け、厳かな本殿へと向かった。




一方、百合は、巫女の舞装束を着せられていた―――

「だからっ!私は巫女さんじゃないですって!」

「何言ってるの!もうすぐ巫女神楽の時間よ!あと一人来てないってあなたのことでしょ?!みんな待ってるんだから、急いで!」


(うぅ……!信じてくれない………)

 百合は巫女神楽の舞姫の巫女と間違われ、強引にここまで連れて来られ、着々と着付けされている。

(……この装束、どっかで見たことあるような…中学生の時に近所の神楽講習会に行った時に……そうだ!うら…うら…なんだっけ…うら~なんとかって神楽!これならできるかも!それに、私がここで抜けてしまったら、この人達の練習が無駄になっちゃう……!)


(篠原百合!歳は今年で18!覚悟を決めます!!)

百合は気合を入れると()(おうぎ)を手に、神楽笛の音に合わせて、本殿に登場して行った―――




厳かな霊験に満ちた本殿の神の御前、四人の大人びた少女が神楽を舞い始めた。

それまで騒ぎ立てていた参拝客たちも、しんと静まり返って、神への奉納の舞に息を飲む。


――浦安の舞


 それを百合は、記憶を頼りに、ゆったりと舞う。

(御真弓様のことを考えよう……この神楽は確か、心の平安を祈るための舞…平安に眠っているあなたのために……)


長く節をつけた荘厳な吟じ手の声に合わせて、片膝を立てた状態で檜扇を安らかに広げる。

空いた左手を腰に沿え、ゆっくりと立ち上がりつつ、大きく弧を描くようにゆるりと周囲を払うと、檜扇の左右に付けられた六色紐がそれに合わせてたなびいた―――



イレールはというと――――


口をあんぐり開けて、舞姫の巫女の一人を、人ごみの後ろから見つめていた。

(百合さん……何がどうなって、ここで、何をしておられるのですか………?)

ここに駆けつけて来たとき、気配を強く感じて、視線をやった先には――――


神楽を舞っている彼女が、居た


彼は最初、驚いた衝撃で固まっていたが、今やすっかり、神秘的な彼女の姿に見とれていた。

 檜扇から五色鈴緒のついた(ほこ)(すず)に持ちかえて、清らかな音色が万物を清める。


―――リン……


シャン…


東西南北、ゆったりと方向を変えるたびに、花簪(はなかんざし)と後ろにまとめた黒髪がしゃなりと艶めく。

薔薇色の頬に、視線を落として優しげに細められた瞳、薄ら微笑みを含んだ桜色でつやつやの小さな唇、いつも以上に清らなる白百合。


イレールはこっそりと、愛おしげに見つめ続ける。

(きれいですよ……百合さん。きっと大和撫子という言葉は、貴女のためにある言葉なんじゃないですかね―――)



―――!!?

のんびり、うっとりとしていたイレールはとっさに、箱の中の御真弓様の眠るブラック・オニキスから、尊い力を感じ取った――




(これは!!?)


それはすぐにおさまった。

しかし、それは、“彼”の目覚めの予兆のような気がした――――





イレールと謎の黒い男とのやり取りに登場したラテン語は、『ヨハネ福音書』の一節から抜粋しました。

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