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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第一章 平穏な日々を君へ
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2Carat 思い出を拾い集めて

2Carat 思い出を拾い集めて




 ピーチチチ……


雀たちが、冬の、ひんやりした空気の冷たさに負けることなく、元気にさえずりまわっている。

十匹ほどの雀たちは、屋根から枝へ、枝から電柱へと、おいかけっこするかのように飛び回っていた。


窓辺にそのうちの一匹が止まり、ガラスを小さな口ばしでこつん、とついた。

中の様子を興味深そうに、キョロキョロと覗いている。



この部屋の主――――


篠原百合はまだベッドの中で、猫のように丸くなって眠っていた。

寝心地のよい布団にくるまり、頬を鮮やかな薔薇色にしながら、つやつやした桜色の唇が、呼吸に合わせてわずかに動く。


ピピピピピ……


目覚まし時計のアラームが、起きなさい、と甲高いアラーム音を響かせる。

その音にびくりとし、眠り姫はゆっくりと伸びをした。

雀は、彼女が動いたことに驚いたのか、慌てて飛び立つ。

「う……ん」

朝にあまり強くない彼女は、眠そうに目を開ける。

頭はまだ眠りの余韻を味わっていたが、ふと、頭にバイトの三文字が浮かんだ。

「んーー…………あ、今日からバイトだ!」

一気に覚醒した眠り姫は、布団から楽しそうに、一気に起き上がる。



宝石店のバイトというと、服装に困ったが、制服に着替える。

一応、高校生の正装なのだ。

次に、胸ほどまである長いまっすぐな髪を、結ぼうか悩む。

「似合う髪型が分からないんだよね……」

(うーーん……、いつも通りでいっか……)

寝ぐせをなおし、くしで整えた。

平生の、彼女の容儀が出来上がる。

髪を整え終わると、階段を降り、朝食を用意すべく、キッチンへ向かう。


母は自室でまだ眠っているようだ。



―――父が出て行った一か月前から、元気をだして欲しくて、あれから幾度となく作った母の好物、砂糖多めの甘い玉子焼きは、今やすっかり、得意料理となっていた。今日もおいしそうに焼き上げると、テーブルの上に醤油とともに母の席へ置く。なぜか母は、甘い玉子焼きに醤油をかけて食べるのが好きなのだ。



(そうだ!)

朝食をとった後、思いついたように手をたたくと、薔薇模様の入った千代紙の一筆箋を取り出す。



 今日の玉子焼きは、100点満点中、何点ですか?  (   )点



解答欄までつくり、満足そうに眺める。

(少しずつでも、話してほしいな。これをきっかけにしてくれたら……)

時計を見ると、午前十時二分を指していた。

そろそろ出なくては。待ち合わせは午前十時三十分だ。

「行ってきます」

小さくつぶやいて、鞄を取って、出発する。



「わあ……!」



辺り一面、銀世界だった。

今日は一段と冷えると思っていたが、昨晩のうちに降り積もったようだ。昨日おばさんが言っていたことは、本当だったらしい。

急に寒気を感じて、おそろいの白いクリーム色のマフラーと手袋を身に着ける。

しばらくすると、粉雪が舞い始めた。見慣れた風景が銀色に染まっている中、粉雪が舞う、その情景に心躍らせる。


いつもの裏路地にたどり着く。

まだイレールが来ていないことに、少しだけ寂しさを覚える。


裏路地は雪雲のせいで、いつも以上に薄暗い。

気を紛らわせるために、百合は、楽器屋の裏口へ続く小さな階段へ腰を下ろすと、雪うさぎを作り始めた。


葉っぱで耳をつけて、あとは目をつけたいところ。

しかし、目にするのに丁度よいナンテンの実など、都合よく見つかるはずもない。


何かないかな、と考えていたその時、

――――「あとは真っ赤なお目目をつけて出来上がりですね。」

パチンという指を鳴らす音とともに、声がしたかと思うと、雪うさぎにナンテンの真っ赤な瞳が現れる。


「わあーー!イレールさん!」


目の前で起こった魔法のような出来事(魔法なのだが)と、待ち人が現れたことの両方に歓声をあげる。


優しげな微笑を絶やさないブルーサファイアの瞳、彫刻のような美しい顔立ち、毛先だけゆるく癖のある、長い飴色の髪を赤いリボンで結んだ、この神の寵愛を受けたかのような容姿の彼は、今日は漆黒のファーコートに、これまたカラスのように真っ黒い手袋をはめ、冬の装いであった。

「遅くなって申し訳ありません。寒かったでしょう?」

息を白くしながら、さも寒そうに尋ねる。

「平気ですよ。雪は久しぶりなので、うれしくって!」

「そうですか……。私はこの歳になると雪の寒さが体の節々にきて辛くて辛くて……。早く行きましょうか。寒くて凍ってしまいそうです……」

自分を抱きしめながら、ぶるっと身震いしている。

かわいらしい一面を見た百合だったが、

(イレールさんってそんなことが気になる歳なの?!)

ということで頭がいっぱいになる。しかし、

「さ、さあ、い、行きましょ……う」

だんだん冷たくなっていく彼が、やっとのことで手を差し伸べていることに気づくと、慌てて手をとった。


「大丈夫ですか?……」

「ええ、何とか……。暖房のあるところに来ればこっちのものです。」


フフフ……と力なく笑っている。

(根本的な解決ではないけどな……)

寒がりな相棒の発言に心の中で突っ込みをいれるクラースであった。

昨日右羽に負った傷は経過良好なのか、既に包帯は取れていた。


店内は暖かく、長袖一枚着ていれば快適な温度である。

イレールがコートを脱ぎ、黒のパンツスーツに白のシャツ、グレーのベストを合わせた、昨日の宝石商らしい服装になる。

今日も胸に六条のスター効果が光るスターサファイアのブローチをつけている。

彼が、百合からコートと荷物を預かっていると、彼女が何か言いたそうにしているのにクラースが気づく。

「どうしたのだ?」

「あの……イレールさんを待っている間、雪うさぎを作っていたんです……」

手のひらに大事そうに乗せたそれをクラースに示す。

「ほう、かわいらしいな。それで、これがどうしたのだ?」

「この子、溶けちゃうとかわいそうなので、外か冷蔵庫に置いてあげてくれませんか?」

寂しそうに、うっすら瞳を潤ませている。

会話を聞いていたイレールも、クラースも、一瞬ドキッとしてしまう。


……こほんっ

(いいものが見られましたね……)


クラースはほのかに頬を赤らめながら咳をし、イレールは目を細めてうっとりとしている。

「その雪うさぎには、目を付けたときに溶けないように思いを込めましたから、溶けませんよ。カウンターにでも置いて差し上げて下さい。」

一気に寒さが吹き飛ぶのを感じながら、安心させるように言う。

「本当ですか?!じゃあ、ここに置かせてください。」

一変して花が咲くような笑顔になると、カウンターの隅に雪うさぎを置く。

「お前が気に入っているのも……なんとなく分かった。なんと無垢なものか……」

クラースが照れているのを隠すように、ぶっきらぼうに言った。

「無垢で純粋で、本当に愛らしいです……昔から。」

イレールとクラースが、楽しそうな彼女の後姿を眺めながら、こそこそと話していることに、彼女は気付かなかった。



―――「それでは、まず、こちらに着替えていただけますか。制服でも構いませんが、こちらのほうが宝石店の従業員らしいので。」


彼に促されるまま、百合はカウンター奥のキッチンへと移動し、着替える。

手渡された服を視界に入れて、驚く。

しかし、個室に一人になった以上、逃げられない。


「こ、これ……私に似合わないよ~!」


数分後、ドアが開き、すっかり見違えた彼女が現れた。



百合は恥ずかしそうに縮こまっている。

「あのっ……ど……どうですか?!こんな服、絶対に私なんかに似合わないはずですけど…」

「いいえ。よくお似合いですよ。とってもかわいらしくて、品がある。」

イレールが朗らかに笑う。

彼女が着ているのは、薔薇と百合のアンティークレースが胸元に重厚に重なる白いブラウス。その上に彼と同じグレーのベストを合わせているため、胸元から出したブラウスのレースが、一層華やかさを増している。その下には、黒いベロア生地に、漆黒の花びらを思わせるようなフリルがふんだんに裾に縫い付けられたスカートを合わせている。

艶めく黒髪と、白く肌理の細かい滑らかな肌をもつ少女に、良く似合っていた。


「これからはその服で私の助手をしてくださいね。」

イレールは再びうっとりしそうになるのをこらえながら、言う。

「こんなにかわいい服、私が着ていいんでしょうか……」

「いいんです、いいんです。貴女、もとからとってもかわいらしいんですから。」

「……!?」

彼は顔から火が出そうになるようなことを、さらりと言ってのける。

(イレールさんって、私が照れちゃうようなことをよくするなあ……いかにも紳士って感じだし、私じゃなくても、きっとこんな言葉をかけるんだろうな……)


何だかそれは、ちょっぴり悲しいような、気がする。


そういえばクラースが見当たらない。

「クラースさんはどこに行ったんですか?」

もうこの話は忘れようと思い、話を変える。


「彼なら仕事に戻りましたよ。まだ羽が痛むみたいで高くは飛べませんが、今頃、屋根の上です。この店は、少し空間的にずれた場所にあるんです。だから、もし関係のない人が紛れ込んだりしたら、大変どころでは、すまされない。そうならないよう彼には、番をしてもらってるんです。まあ、ある程度、誰か近くに来たら気配で感じ取れるものなので、わざわざ屋根まで行く必要はないんですが、落ち着くんだそうで。そこのところは梟ですよね。」

口は達者なのに、と、付け加えて苦笑いする。


「今、異空間にいるんだ……」

突拍子もないことだが、きっとここにいる以上、まだまだあり得ない体験をするはずだ。

怖くはない、それどころかドキドキする。ここでは、おとぎ話が現実になるのだ。




「私たちも仕事に入りましょうか。これでショーケースに曇りのないようふき取ってくれますか?きれいな宝石たちが霞んでしまいます。私はあちら側からしますから、貴女はここからお願いします。」

彼女に白い布を手渡す。

「はい!」

それを受け取ると、張り切って仕事に取り掛かる。


改めて彼女は店内をぐるりと見渡す。広さは畳十畳ほど、店内に入ると、正面にカウンターが見える作りになっている。正方形の店内を囲むように、宝石箱のようにきらびやかなショーケースが並べられている。個人で営むには丁度よい広さだろう。カウンターの横には大きな全身鏡。カウンターの後ろはキッチンになっているらしい。その奥もあるようだが、ドアが閉まっているので分からない。



ショーケースを拭いていると、上品に陳列された宝石たちと目が合った。



「目が合った」というのは宝石相手におかしいかもしれない。

しかし、この店の宝石はまるで生きているように、のびのびと、輝きをその身に宿していた。

カットのみの宝石もあれば、ジュエリーにされたものもある。

さながら宝石博物館のようだ。



ボート型のマーキス・カットの燃え盛る炎のような、ガーネット。

円形のカボション・カットのラピスラズリは、その群青の地に、金の細かい斑点が散りばめられ、星空のよう。

しずく型のペンデロークカットにされた、オリーブグリーンのペリドットは春に芽吹いた若葉を思わせる……


 宝石の輝きを二点に集めて、彼女の黒曜石の瞳が鮮やかな黒に変わる。


 ショーケースをしっかり拭きながらも、視界にそれらを納めずにはいられなかった。


そして、やっと拭き終わったころ、

「お疲れ様です。昼食にしましょうか。腕によりをかけて作りましたよ。」

ショーケース拭きの自分のノルマをあっという間に終わらせた彼は、昼食の用意をしていたらしい。

いつの間にかそんなに時間が経っていた。

「わわ、ごめんなさい!只今行きます!」

慌てて手を洗い、駆け出していく。


彼の料理は高級レストランのランチメニューのように豪華で、美味しいものだった。

食後に二人で紅茶を飲みながら、のんびりと過ごす。

学校以外で誰かに話を聞いてもらうのは久しぶりだった。たわいのない話でも、イレールは楽しげに聞いてくれる。


穏やかに時が過ぎていった。



時計の針が一時を指し、ゴーン……と、オーク材のシックな郷愁ある振り子の壁掛け時計が鳴った。


「そろそろお客さんが来る頃ですね。」

イレールが、白い手袋をはめた。穏やかな表情も、心なしか引き締まったかのように見える。


「客だ。……百合!その服装は!すまない、あいつの趣味全開だな。」

来店を知らせようと、入ってきたクラースだったが、令嬢を思わせるような百合の服装に面食らう。

体制を崩しながらも、痛んだ翼をいたわるように、ゆっくりとカウンターに降り立った。


――――チリン!




二人が思うところを彼に言おうとした時だった、入り口が重たげに開かれた。


―――――そこには、きょとんとした様子の小さな男の子

水色のコートは着ているが、手袋をしておらず、手が真っ赤になっていた。


 呆然とした様子で、こちらを見据えている。

イレールがにっこりとしながら、出迎える。

「こんにちは、坊ちゃん。ここは貴方のように心が傷つき、破壊され、輝きを失いかけた方を救うための場所……」

(こんなに小さい子もここに来るんだ……)

まだまだ幼いその子は幼稚園生ぐらいだろうか。

「朱里がいないの……」

少年はただそれだけ口にすると、百合の足元にすり寄った。

百合はしゃがみこんで目線を合わせ、

「ここに来れば大丈夫だからね……」

と、声をかけ、頭をなでてあげる。



「とりあえず、座って落ち着きましょうか。お茶とお菓子で落ち着いてから、お話を聞きましょう。」

「私の時のように、すぐに対処できないんですか?」

ここへ来る者の苦しみを知っている彼女は、どうしても気持ちが急いてしまう。


「貴女は危険な状態でしたから……人の心とは、とてもデリケートな宝石。本当は他人がその記憶に勝手に立ち入ってはいけない。ですから、緊急の時以外は、なるべく本人の口から心情を語ってもらっています。この子は、見たところ、心が混沌としています。少しずつ整理してあげるために、私たちが、語り掛ける必要があるでしょう。ここには世界のあらゆる宝石が集まっています。彼らは誰も見捨てたりしません。大丈夫。絶対助けますから。」

力強い言葉に安心しながらも、


「混沌ですか……。」




カウンターの椅子に少年を座らせながら、百合はその表情を窺う。

彼は無表情で、何の心情も読み取れない。どこか床の一点を見つめている。

放心している、とでもいうのだろうか。

イレールが、食後に出してくれたガトーショコラと紅茶を運んでくる。


「お名前は何ていうの?」

百合が尋ねた。

「準……」

準というらしいその子は、それだけ言うと、百合にぎゅっと抱き着いた。

「朱里は?朱里はどこいっちゃったの?!ぼく待ってたのに!いつもの場所で……」

ひどく動揺した様子で、震えながら体を固くしている。

百合は様子の変化に驚きながらも、努めて、優しく、話しかける。

「朱里って誰なの?」


「……僕の…」



「僕の?……どうしていなくなっちゃったの?」

「………………」


再び準は無表情になり、口をつぐんでしまった。



一連の様子を見ていたクラースとイレール。

「幼すぎるこの少年の心を知るのは、この場では無理かもしれないな。朱里ってやつとの思い出を拾い集めたほうがいいかもしれん。」

「そうですね……それがきっと得策でしょう……準君、どうぞ、紅茶とガトーショコラです。食べると落ち着きますよ。」


何も言わずに彼からフォークを受け取ると、ケーキを崩す。一口、口に入れるが、食べるのを止めてしまった。

「いらない……」

「美味しくないの?お姉ちゃん、お昼に頂いたけど、すっごく美味しかったよ。」

「ちがう」

(何が違うのかな……美味しいとは思ってるってこと?)


「準君、先ほど言っていた、いつもの場所とはどこですか?」

イレールが微笑みながら聞いた。

「芽吹き公園……」

「行きましょうか。芽吹き公園に。ここにいても、この子は助けられないようです。」

「何のためにですか?」



「思い出を拾い集めるんです。準君の、朱里さんって人との。」



クラースに留守番を任せ、イレールと百合は、防寒着を身に着けた。

イレールが指を鳴らす。


 三人の姿が一瞬にして消える。

誰もいなくなった店内で、クラースはカウンターに置かれた雪うさぎをちらっと一瞥する。

「無表情……だったな。」


雪うさぎは、何の感情もなく、クラースを見つめ返した。





準を連れた二人が、芽吹き公園に現れた。


芽吹き公園は、百合の高校を過ぎた大通りに面した所にある、遊具のあまりない小さな寂れた公園だ。

雪は止み、雪雲の切れ間からは太陽が見え隠れし、公園の遊具に積もった雪を照らして、一面が銀色に光っている。


「イレールさん、寒くないですか?」

彼が寒がりであることを思い出して心配する。

「大丈夫です。太陽が出ているので大分ましに感じます。」

そう言いながらも、どこか寒そうだ。

「私はそれほどまで寒くないので、良かったらこれ使ってください。」

そう言ってコートのポケットからカイロを取り出す。

「これは……ありがとう、ありがたく使わせていただきます。」

断ろうか迷ったが、彼女の心遣いがうれしくて、お言葉に甘える。

「私のおさがりで悪いんですけど……」

「いえいえ、このカイロは、今の私にとってどんな暖房器具よりも、あたたかいものですよ。なんたって貴女のものだったんですから!」

「う、またそんな……照れます!」

二人がそんなやり取りをして、笑いあっていると、



「あっ!」


急に、準が何かに気づいたような声をあげて駆け出して行った。

二人も遅れて、慌てて後を追う。


彼は公園の花壇の一角を、ものすごい剣幕で掘り始めた。

いや、正確には掘っているのではなかった。十センチほどに積もった雪をどかしているのだ。

柔らかい小さな、紅葉のような手がかじかむのも気にせずに、よく見れば、ビニールテープで囲まれているそこの一帯の土をむき出しにした。


イレールは、焦った様子の準の手の土を払い、痛そうなほど真っ赤な手に自分の手を重ね、温めてあげた。

自分の手が冷たくなるのは構わなかったのだろう。


遅れて到着した百合は、準の、屈んだ時に雪で濡れてしまった膝を、ハンカチで拭いてあげる。


「いきなり駆け出したのには理由があるんですよね?花壇の、ここの部分、何かあるんですか?」

「ここには、お花の種が埋めてあるの。雪があったら、きっと寒くて死んじゃう!朱里も悲しくて泣いちゃう!」

宝石店に来たころとは別人のように、感情の変化の大きい年相応の顔つきと言動で、必死に訴える準の姿があった。



「この公園は誰も来なくてさびしいから、お花でいっぱいにしたいねって」

ぽつりと、呟いた。


イレールは温めている準の手をぎゅっと握りながら、

「それは準君にとって、朱里さんとの大切な思い出なのでしょうね。朱里さんはきっと、寒さの厳しい冬を種の状態で過ごし、温かい春が来たら芽を出す、そういう種類の種を植えたはずです。植物は強いんですよ。こんな寒さなんてへっちゃらです。」

私とは大違いです、と、笑いながら付け足しつつ、安心させる。


「本当……?」

「ええ、本当です。」


「良かった!朱里と約束したの、毎日ここで待ち合わせだから、一緒にお花が咲くのを待とうって。」

瞳をきらきらさせて、準は楽しそうだ。


「因みに、何ていう花か分かりますか?」

「うーんと、確か、まーがれっと?」

「マーガレットですか。それは楽しみですね。」


「でも、昨日朱里は来なかった。今日もここで待ってたのに、来なかった。いなくなっちゃった。お願い、お兄さんとお姉さん、朱里をさがして?」

「もちろんです。一緒に探しましょう。じゃあ、朱里さんと行ったことのある場所は、他にどこかありますか?何か分かるかもしれません。」


「ここから先のコロッケ屋さん。待ち合わせたら、いつも行くの。」



「では、そこに行ってみましょうか。」

イレールは準の手を引いて歩き出す。





「ごめんなさい……」

「何で謝るんですか?」

歩きながら、百合が申し訳なさそうに言った。

「私、どうしたらいいか分からなくて、お役に立てるのかなって思ったんです……」

冬の冷たい風が、彼女の黒髪を儚げに揺らした。


イレールはフフっと笑って、


「そんなこと、気にしないでいいんですよ。貴女は自分のできる最大限のことを、他者に施すような方です。それも、貴女の自覚のないところで、自然にね。貴女は思ったことをしてください。それでもう十分すぎるくらいです。」


と、優しい言葉で返す。

「はい……」

そんなに褒められては、もう何も言えない。まだ心の中には、歯がゆい感じが残ってはいるが、少しだけ頬を染め、押し黙った。



 公園から五分ほど歩くと、下町を思わせるような、活気あふれる商店街が見えてきた。

土曜の昼下がりの商店街は子ども連れの主婦であふれかえっている。八百屋や魚屋の威勢のいい売り文句が活気をまくし立てている。


「あそこだよ!」

準がイレールの手をすり抜けると、またしても駆け出していく。


「おや、準君!今日は一人かい?かぼちゃコロッケなら丁度揚がったところだよ。」

コロッケ屋のおじさんが威勢よく準に声をかける。

「ううん、今日はお兄さんとお姉さんと一緒。」

「ご無沙汰しています。」

「こんにちは」

イレールと百合があいさつする。

「あれ、兄弟がいたのかい?それにしてもずいぶんきれいな人だね~この商店街じゃ浮いちゃうよ~」

コートは着ているものの、イレールはともかく、百合も身なりの良いきちんとした格好(イレールの好み)をしており、何より二人ともきれいな顔立ちをしている。生活情緒たっぷりの、この商店街では、異質な存在に映る。誰もが二人にうっとりしていた。


「私たちは兄弟ではありませんが、縁あって今一緒にいます。朱里さんという方を探しています。毎日準君とここに来ているのは知っているんですが、昨日からいないそうで……何か知っていませんか?」

「朱里ちゃんね~確かに昨日から来ないね。どうしたんだろうとは思ってたけど、そうだったんだ。んん~いつも一緒の弟の準君が知らないとなるとね~」


「弟、ですか?」


イレールが聞き返す。

「ん?おたくら知らないの?朱里ちゃんは、準君のお姉ちゃんみたいな人だよ。二人とも両親が共働きでね。中学生の朱里ちゃんが、準君を本当の兄弟みたいに可愛がってるっていうわけ。準君は小学校が終わったら、公園で朱里ちゃんを待って一緒に帰るんだよ。いたいけな子どもをこんな境遇にして……親は何考えてるんだか。」

「そうだったんですか……」

サファイアの瞳がわずかに揺れた。



 百合は準が、かぼちゃコロッケを見つめているのに気付いた。

「食べる?」

「うん!いつもこれなんだ!帰りに食べるの。美味しいんだよ。」

「お話の途中、悪いんですけど……このかぼちゃコロッケを一つお願いします。」

話に水を差すようで悪いな、と思いながら恐る恐る切り出した。



イレールが何かを思いついたような表情に変わる。

「クラースにお土産にしましょう。もう一つ追加でお願いします。」

梟は肉食であったはずだ。

人語が話せるという特別な魔法の梟だが、クラースも例外ではないだろう。

「梟ですよね?食べるんですか?」

「食べませんよ。」

きょとんとしながら、平然と答える。

「ただ、反応が面白そうだと思って。」

いたずらっぽくウインクする。


くすっ、と百合は笑った。

 時々、彼は子どもっぽいいたずらをする。

普段はきっちりした紳士だが、こんな一面があるのだ。

それも、親しみやすい彼の魅力なのだろう。

「ん、まいど~。準君がいつも買ってくれるから、今日はお代はいらないよ。」

「わあーーい!ありがとう、おじちゃん!」

準がはしゃぎながら受け取る。




「そろそろ行きましょうか……準君、このコロッケ屋さんに寄ったら、まっすぐにお家に帰りますか?」

何やら考え込んでいた様子のイレールが切り出した。

「もぐもぐ……ううん、この後はね、夕日を見に行くの。」


「じゃあ、そこまで案内してくれる?」

今度は百合が彼の手を取る。

「うん、きれいなんだよ!行こう!」

準は空いている左手でイレールの手を掴むと、勢いよく走り出した。

「きゃあ!」

「おっと!」

百合は体制を大きく崩し、こけそうになるが、イレールはシルクハットが落ちないように頭を押さえただけだった。

二人の反応などお構いなしに、ぐんぐん走っていく。

「おーおー、元気が一番だ!」

コロッケ屋のおじさんはニヤニしながら、小さくなっていく三人の背中を見送った。



「ここ、登るの……?」


二人が引きずられて連れて来られたのは、うっそうと茂った山の頂上へと誘うような、大蛇を思わせる階段だった。

木々に囲まれて、薄暗く、それは、どこまでもどこまでも果て無く続いているかのようだ。あまり体力に自信がない百合は、ちょっと躊躇する。


「朱里と二人だけの秘密の場所だけど、特別だよ。」

そう言って、元気よく登っていく。

「う……筋肉痛になっちゃいそう……」

彼女がひゃー、と上を見上げる。

「まあまあ、私たちはゆっくり行きましょう。」

「お兄さんたち早くーー!日が沈んじゃうよーー!」

もうすでに十段ほど上にいる準が急かしている……

「そうはいかないみたいですね……」

はは、と苦笑いしながら、百合の左手を握った。



「え!?あの、ちょっと!」

慌てて手をひっこめようとするが、ぎゅっと握られていて逃げられない。

手を握ったまま、階段を登っていく。

彼女はイレールの背中を戸惑ったように見つめる。

「私が魔法で、貴女が足を痛めないようにしますよ。カイロをもらってしまったからでしょうか、手、冷たいですね。………嫌、ですか?」

最後のほうは心なしか、恥ずかしさを含んでいたようにも聞こえる。

「いえ!嫌じゃないですよ!いきなり握られたので、びっくりして……」

「そうですか、良かった。」

こちらに顔を向けないまま、安堵の声をあげる。


ぎゅ~っと、いきなり、きつく握る。

「いたたっ!いきなりきつく握らないでください!」

「あはははっ」

楽しそうだ。

「あははじゃありません!」




手を引かれたまま、どんどん登っていく。


(手、あったかいな……何だか懐かしいような気がする……そうだ!私、イレールさんと初めて会ったような気がしなかったんだ……!特に、こんな風に…手をつないで一緒に歩いているとなぜだか――――――――すごく懐かしい感じがする……!)


「イレールさん。」

「何ですか?」

平生の穏やかな声が上から返ってきた。

「変なことを言うんですけど、引かないでくださいね……」

「私、なぜだかイレールさんと初めて会ったような気がしないんです。今、手を握ってもらって、一緒に歩いていて……すごく懐かしいなって思ってるんです。不思議ですよね。」

笑い話になればいい、そう思って口にした思いだった。


それなのに――




 彼はひどく驚いた顔をしていた。




じっとこちらを見つめていたかと思うと、顔を伏せ、目を閉じた。


不思議な表情だった。


悲しげで、

今にも涙をこぼしそうで

でも、緩やかに口角を上げ

微笑んでいるような

幸福を噛みしめているかのような


  ――――そんな表情だった。


「手を握るっていいですよね。」

「え?」

目を開けた彼は、普段と変わらない微笑で、そう呟いた。



「手をつなぐと、その人の背負っているものを、私も分かち合いますよと、伝えることができる。その人が隣にいることを、確認することができる……」

「どういう――」





「ほらっ、着いたみたいですよ。」

言葉を言い終わらないまま、そう告げられ、違和感を感じながらも、周囲を見渡した。


「わあ、すごい……!」

広場のように開けたその場所は、町を見渡せるほど高く。遠くには海が見える。

空は薄暗く、少しずつ琥珀色に変わりつつある。いつの間にか雲は晴れ、夕日は雪を被った街並みに、とろりとした光沢あるオレンジのカーテンを落としていく。

「ね、ね、すごいでしょ!」

先をずんずん行っていた準が誇らしげに両手を広げる。

「きれいです…」

イレールが目を細める。

「すごい!すごいよ!」

百合もその光景に言葉を失う。

しばらくその光景に見入っていたが、ふと、百合が我に帰る。



「―――でも、朱里さんはどこにいるんでしょうか?これから、どうしますか?朱里さんのお家に行ってみるとか……」

「いいえ、その必要はないでしょう。」


彼は、百合とつないでいた手を名残おしげに離すと、準に歩み寄った。



「何となく、気づいていたんです……」


どこか苦しげに言葉を紡いでいく。


準は、というと、大きな岩に腰を下ろして、足をプラプラさせながら、夕日を見続けている。


「準君」



彼の肩にたらした長い薄茶の髪が、風を受けて揺れた。

「貴方が私の店を訪ねてきたのは――」


「朱里さんの、死を、受け入れられないから、ですね」



準がこちらを向いた。


其処には、それまでの明るい少年の顔は無く、感情の無い、人形の顔があった―――


百合はぞくっとして、思わずあとずさった。

準の雰囲気が、がらりと変わったのだ。

あどけない少年とは思えない。

それは生ける屍であった。

そこが空洞になったかのように、瞳は黒で塗りつぶされている。


「準君、今は何も考えなくていい。貴方が朱里さんを無くしたあの日、朱里さんの身に起こったことを、ただ……話していただけますか?」

動じずに、慈しみ深い声で、準の心に歩み寄る。


 準が何の感情も読み取れない幼い声で、淡々と語りだす。




 あの日、ぼくは公園の、いつもの場所で待ってた。テストで百点取ったから、一番に見てほしくて、ワクワクしてたんだ。

そしたら、向こうから朱里が走ってくるのが見えた。うれしくて駆け出したの。

そしたら、おっきなトラックがきて、気づいたら朱里が道路で眠っていたの。


どうしてそんなところで寝てるのって聞いても起きてくれないんだ。

いつの間にかいっぱい人が来て、朱里を連れて行っちゃった。

だめって言うのに聞いてくれないんだ。ひどいよね。

その日はママが迎えに来てくれて、うれしかったな。

次の日、朱里はお花がいっぱいの箱の中で眠ってた。

朱里のママもパパもみーんな泣いてて、

大きい車がまた朱里をどこかに連れて行っちゃった。そこでお家に帰ったの。


 昨日はどこかに行っちゃったけど、今日は帰って来てるよねって思ったから、公園に行ったよ。でも来なかった。まだ帰ってなかったんだと思った。また明日も行こう。

でも、でも、今日も来なかった!



朱里は?朱里は?朱里はどこに行ってしまったの?!



 声を張り上げ、顔を上げた―――準の瞳は悲痛に潤み、赤くなった頬に涙が次々に伝った。


押さえていた感情がむき出しになる。




「嫌だよ!いなくならないで!……死なないで!」


 百合は思わず準に駆け寄って、戸惑いに震えた小さな体を抱きしめた。

涙をこらえて、彼女は目をぎゅっとつぶる。


「準君、貴方は、死、というものが理解できないでいました。初めて近しい人を無くして、それが受け入れられなかったんです。死は、その人の身体の損失にとどまりません。これから、その人と過ごすはずであった時間さえも失ってしまいます。辛いですが、思い出してください。貴方は朱里さんと埋めた大切なマーガレットの種を、寒さから守ろうとしましたね。その時、死んでしまうと、貴方は心配していました。それはなぜですか?……」


「公園を……明るくできないと…朱里も、ぼくも……っ……悲しいからっ……!」

水風船がはじけるように、それまで抑えていた涙が、止めどなく瞳から零れていく。


「貴方は、朱里さんと自分が望んだ未来――人々が集いやすい花にあふれた公園―――が、マーガレットが咲かないことで、得られなくなってしまう。つまり、その存在がいなければ成しえない、思い出の損失を恐れたのです。本当に微かに、死というものを理解しながらね……死とは、その人の身体とその人が成すはずだった思い出を奪ってしまいます……」



 イレールが、膝をつき、百合に抱きしめられている準の頭に手を置いた。




「でも――その人が成した思い出は消えないんですよ。」




準がイレールのほうを向く。


「準君は、朱里さんと過ごした日々を、忘れますか?」

ふるふるっと、首を横に激しく振る。

「忘れないよ!!」

強い意志が、涙に濡れた瞳に表れた。



「死は無情にも奪うものでしかありませんが、残された人の拠り所までは、奪えないのです。朱里さんとの日々を思い出すと、彼女の息づかい、におい、ぬくもりが感じられるでしょう?最初は思い出すことさえも、苦しいことに感じられます。でも――――その人との思い出は、残された者にとって何よりの救いとなります……」


「…………………うん!」


 イレールは微笑み、ゆっくりと立ち上がる。

「今から私は、宝石商として……貴方の心に力をくれる宝石を贈ります。」


すっかり暗くなった空に、純白の大きな光が広がった。


百合はその神秘的な情景に見とれる。

胸の前に持ってこられた彼の右手に、大きな白い光を放つ、小さなパールが漂う。



「これはツインパール。二つの真珠がくっついた形から、近しい人との願いや、睦まじい関係を応援してくれる力を持っています。」



仲睦まじくくっついた二つの真珠は、優しく包容力に満ちた光を放つ。



それは、くるくると回りながら、準の体へ降りていく。



まるで仲の良い二人がダンスをするかのように、

あるいは追いかけっこをしているかのように、


準の体へと消えていく。




「マーガレットの語源も、ギリシャ語で真珠を表すマルガリーテスに由来します。どうか、この宝石を守り、開花させ、お二人の願いを叶えてくださいね――」





 ここは宝石店


準はカウンターの椅子で、スヤスヤと寝息をたてている。あれから、彼は眠ってしまい、ここに連れて戻ったのだ。

「そうか、この子は初めて人の死を知ったのか。」

クラースが準のそばに止まって、目を瞑って言った。

「私も、おばあちゃんが死んじゃったとき、どこか別の世界で起こっていることを見ている感じがしたな……」

安らかに眠っている寝顔を覗く。


「うーー…ん。あ、お姉ちゃん!」

準が目を覚ました。

「あのね!朱里の夢を見たの!いつも一緒だよって言ってた!」

キラキラしたあどけない瞳だ。

「そっか、うれしいね!」

百合も花が咲くような笑顔で答える。



イレールがふふっと笑う。

「大切な人はいつも一緒です。」

胸に飾ったスターサファイアのブローチをなでる。


「お兄さん、あのさ、ケーキまだある?……」

「ありますよ~。今お出ししますね。」

カウンターにガトーショコラと紅茶が並ぶ。

「朱里に、お菓子は一日一個って言われてるんだ。今日はアメ食べちゃったから、ケーキ食べられないなって悲しかったけど、特別に食べていいって。」


美味しそうに口の端に食べかすをつけながら、豪快に頬張っている。

 百合はハンカチで口の周りを拭いてやった。


にこっと準が笑った。



 カウンターに置かれた雪うさぎも、僅かに笑っているかのように、見えた。







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