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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第二章 魔法族は星のもとに集う
33/104

12Carat ケ・セラ・セラ、Christmas Eve part3 last

 ケセランパサランの降らせる粉雪は少しずつ大きな粒となって、完全な雪と呼べる氷の粒になっていた。


しとしと、しとしと。


音もなく聖夜をたゆたう雪の結晶。

その雪は二人の頬を濡らしたが、温かな雪であった。



「ぜひ、貴女に一緒に来てほしいところがあるんです。」

イレールが百合の手を取って言った。

「いつもの移動方法でお願いしますね……」

百合は苦笑しながら手を握り返す。

「貴女が嫌がることはもうしませんよ。私的には少し残念ですけど。」

「―――どういう…意味ですか?」

「そのままの意味です。」

イレールのその言葉に胸がどきりとするのを感じたときには、彼が指を鳴らす音が聞こえ、どこかの屋根の上に立っていた。



~~~♪

 交響楽団がクリスマスソングを厳粛に演奏しているのが足元から聞こえる。

ヴァイオリンやホルン、ピアノ…様々な楽器の織りなすシンフォニー。

聞きなれたはずのその曲は、いつもと違って特別なものに聞こえた。


それは演奏しているのがオーケストラだからか、隣に彼がいるからか。


「ここは…この町のホールの屋根の上ですね。」

百合は心地よい気持ちに満たされて、その場に腰を下ろした。

「毎年イブになると、オーケストラがクリスマスイブコンサートをしているんです。クラウンとミカエラと三人でここに来て、演奏を聴きながら語らうのが恒例なんですよ……」

イレールも隣に座って、荘厳な音楽に聞き惚れて目をつぶった。




しばし―――沈黙のまま、心地よい時が流れる。






そして―――小さな歌声がしっとりとその沈黙を破った。


「~~~~~♪」

 百合は知っているその音楽に合わせて、無意識に歌詞を口ずさみ始めた。

愛らしい歌声は金糸(かなり)()の朝のさえずりのよう。つやつやした唇が小さく上下して、目をつぶって、薄ら微笑みを浮かべながら、そっと小さな声で歌っている。

演奏のほうに聞き惚れていたイレールは、気付かれないように目を開けて隣の小さな歌声のほうに耳を傾けた。

(今の貴女は、どこか神秘的です…)



月光は優しく彼女の薔薇色の頬を照らし、彼に夢幻的な彼女の姿を見せていた―――



「~~~♪……」

粉雪が手のひらの上で溶けてなくなっていくかのように、小さな歌声はそっと消えていった。

一緒にオーケストラの演奏も休憩時間になって途切れた。


「お上手ですね。」

イレールは隣の小さな歌姫(ディーヴァ)に拍手を送る。


ハッとしたように百合は頬を赤らめて、うつむいてしまった。

「今の……忘れてください。」

「嫌です。もう聴いてしまいました。聴いてしまった歌声をどう思うか、どうするかは聴き手の自由です。」

「うぅ………。」

百合は恥ずかしさから体育座りになって、膝に顔を埋めてしまった。

「そんなに謙遜しなくてもいいのに。ほらほら、膝丈のスカートなんですから、その座り方は、はしたないですよ。」

彼女を優しく諭しながら彼は懐中時計を開いた。


すると不意に立ち上がって、うつむいてしまった彼女に上から話しかける。


「そろそろ午前零時。天使ガブリエルの鐘がクリスマスの到来を告げる頃です。」

「天使ガブリエルの鐘………?」


意味深な彼の言葉に百合は顔をあげた。



―――リー……ン、ゴー……ン


リー……ン、ゴー……ン、リー…ン




どこかからか――――――――鐘の音が響く


イレールの隣に百合も立ち上がって、音の出所を探った。

「あそこですよ。」

彼が少し先を指さす。

「わぁ~!教会の鐘が鳴ってる!!」

「教会の鐘は昔、一日に三回鳴らされて、人々に時間を告げる役目があったんです。ガブリエルは受胎告知の天使です。それになぞらえて、教会にある鐘は天使(アンジェラス)の鐘と呼ばれているんですよ。」



 ホールにほど近いゴシック建築を意識した教会の鐘が、ゆったりと揺れている。



――――役目を終えた鐘は、再び来年に備えて眠りについたかのように静かになった――――


二人は座り込んで、うっとりと鐘の音の余韻に浸った。



「この鐘って、ちゃんと音の出る、立派な鐘だったんですね……」

「ここの鐘は老朽化がすすんでいるため、日付が変わってクリスマスを迎える今日この時だけ……特別に鳴らされるそうです。」


「あっ……じゃあ!」


百合はバックから、ごそごそと青い包みを取り出した。


「イレールさん!!誕生日おめでとうございます!!」

黒曜石の瞳がきらりと優しく輝いて、彼女はそれを指し出した。

イレールは目を見開いて、びっくりしている様子だったが、ふっ…と笑った。

ブルーサファイアの瞳が幸せそうに細められる。


「ありがとうございます!まさか、貴女が一番に祝ってくれるなんて!!しかもプレゼントまで用意してくださったんですね!誰から聞いたんですか?」

彼はそれを大事そうに受け取った。

「ミカさんから聞いたんです。だからそれは……クリスマスプレゼント兼、誕生日プレゼントです…喜んでもらえるか…ちょっとだけ不安なんですけど…」

百合は頬を染めて彼を見上げる。

「貴女が私のために選んだものなんですから、何だってうれしいですよ!あぁ、天にも昇る心地とはまさにこのこと……では、私からも。」

それに優しく微笑んで答えながら、イレールは指を鳴らした。

鳴らしたその手に、白い包装紙にピンクのリボンで飾られた包みが現れる。

「私からも貴女へクリスマスプレゼントです。私も貴女のお気に召すような物を選べたか、心配なんですけどね…」

「……あ、ありがとうございます!」


 彼女の心は、涙が出そうなほどの幸せで満たされていく―――




「開けてみてください。」

イレールが彼女に開けるよう催促した。

「はい!お家まで待てません!」

百合は丁寧に包装を解き始めて、中から出てきたのは―――高そうな感じのする上品な裁縫セット。

「近代まで、西洋の女性にとって裁縫は身に着けるべき必須の教養だったそうで。アンティークの雑貨として今ではたくさん流通しているんです。これはプチポワンと呼ばれる細緻な刺繍の入ったソーイングセットで、当時大流行したものです。」


 両手のひらに収まるくらいのオーク材製の木箱には針や糸切狭はもちろん、かわいらしいアンティークレースや糸、ボタンなどがたくさん詰まっている。そしてその木箱専用のプチポワンの薔薇と百合の刺繍が入った布製の裁縫セット入れ。

「ミカエラから聞いたんですよ。貴女が、刺繍がお好きだということ。大活躍ですねミカエラ。そういえば、初めてお会いしたあの日も、器用にご自分の名前を刺繍なさっていたハンカチをお持ちでしたね。」

きれいなソーイングセットと、彼からの思いの両方に、百合は瞳を輝かせた。

「……ありがとうございますイレールさん…!本当にうれしいです!!」

「いえいえ…喜んでいただけて、こちらもうれしいです。」

純粋な笑顔にイレールも幸せで胸がいっぱいになる。



「では、私も開けさせていただきますね。」


イレールも彼女からもらった包みを開ける。

丁寧に包装紙を破ることなく、彼は宝石を相手にするときのように、繊細にそれを解いていく―――



贈り物の正体を知った彼は



―――口をつぐんで―――固まってしまった



 切なげに瞳を伏せて、その瞳はどこか潤んでいる。

その表情は彼が以前見せた、イレールさんと初めてあった気がしない、特に手をつないで一緒に歩いていると何だか懐かしい―――と、百合がつぶやいたときの表情に似ていた。


切なさと幸福が混ざったような、不思議な不思議な表情――――



「イレールさん……その、気に入りませんでしたか……?」

心配になった百合はじっと彼の言葉を待った。


「これは……手作りですよね?」


「はい……イレールさんはいつも黒いコートを着ているので、それに合うように、黒いマフラーを…編んでみたんです。」

イレールの固い声音に、彼女は顔をふせる。

「すみません!こんなのもらっても、うれしくな――――」




イレールは彼女の言葉を遮るように立ち上がって、そのマフラーを首に巻いた。


「ありがとう。」


彼女のほうに顔を向けた彼の表情は―――

とても美しいものだった

形のよい口元は穏やかに微笑んで、しっとりと濡れたブルーサファイアの瞳は月光を浴びて艶やかに光り、長い薄茶の飴色の髪は雪の舞う中、風になびいた。



百合はその姿に見ほれる。


「私は極度の寒がりです。どんなに着こんでも寒さに身を震わせている。自分でも笑っちゃうくらいです…でも―――」


イレールは平生の微笑みに戻って、首元のマフラーに愛おしそうに触れた


「これがあれば……貴女の思いがあったなら、寒くありません。」



~~~♪

―――再び、足元からオーケストラの紡ぎ出す音楽が流れ始めた。



それにイレールが反応する。

「あっ…今度はクリスマスの曲じゃありませんね。舞踏曲のワルツですよ。」


そう言って、きょとんとした表情で自分を見上げている百合の手を取って立たせた。

「せっかくですから、踊りませんか?」

「へ?イレールさん?」

 急な展開についていけていない百合の左手を握り、彼女の肩に右手をまわす。

「さぁ、貴女も私の肩に手をまわしてください。」

「何ですかこれ……!?私、社交ダンスとかそういうの踊ったことないですよ……!」

「大丈夫ですよ~長く生きていると色々身に付くものなんです。それはダンスも然り…きちんとエスコートしますから。―――un(アン) deux(ドゥ) trois(トロワ)……」



―――バサッ!

上機嫌のイレールはお構いなしに、コートを翻して、ステップを踏み始める。



「あわわ!!」

「あはは!!」


百合は慌てだすが、踏み出すべきタイミングでイレールが彼女を軽く押し、きれいに踊っているような気がしてくる。


「……イレールさんは何歳になったんですか?」


恐る恐る、楽しそうな彼のエスコートに流されながら、百合は尋ねた。


「えぇっ……、それ、知りたいですか?」

あまり出さないような声を出して、彼は渋っている。


「教えてください。歳を聞いたからって、私は何にも気にしないですよ。ただ気になるんです。」

「今日で528歳になりましたね……はい。」

「すごい……想像以上です。」

「ほら……びっくりしてるじゃないですか。だから言いたくなかったのに…これでも人間の歳でいうと、20~25歳ぐらいなんですよ……。」

イレールは少し、しゅんとして言った。

百合は慌てて訂正する。

「あぁっ!そういう意味じゃないですっ!やっぱり魔法族って長生きなんだなって思っただけで……」

「歳を聞いて、私との間に……壁を感じたりしましたか?」


「いいえ、全くです。私は人間だけど…イレールさんたちとあんまり変わらないと思うんです。」


イレールは少し驚きながらも音楽に合わせ、つないだ左手をあげて、彼女をゆっくりとくるくる回した。

彼女の白いワンピースがドレスのように緩やかにひらひらして華やぐ。




―――再び向き合ったとき、彼女は笑っていた。


「人間も魔法族も、同じように笑ったり…泣いたり…誰かを大切に思ったりして…心を持っているから、一緒ですよ!」

「………そうですか。貴女らしいです。」

イレールも笑って、もう一度なだらかに音楽に乗り始める。




――聖なるホワイトクリスマス。

オーケストラが音楽を奏でる、冬の夜。

楽しげに踊る二人の影が、月明かりに照らされる。




曲が終盤に差し掛かる。


―――バサッ!

手をつないだまま、大きく二人はステップを踏む。

イレールが勢いに乗った百合の肩を支えて、そのままダンスは終わりを迎えた。





「あっ!百合さん、あそこ!」

態勢を整えたイレールが顔を向けた先には、一匹のケセランパサラン。

「ケセランパ~~!」

「あっ!ケセランパサラン!また来てね!私達はあなたたちのこと忘れないからね!」

ふわふわ、フワフワ…百合の周りをくるくる回っていたが、風に乗ってどこかへ飛んでいく。



「ケ・セラ・セラ!」




「はぁ…確かに何とかなりましたね……あなたたちの騒動も、私達の約束も。」

イレールは苦笑いして、息をついた。




―――べぇーーーーーー!

ケセランパサランはそれにあっかんべーで返す。


「あっ!ちょっと!なんですか今の?!」

「まぁまぁ……」




二人が見つめる中、ケセランパサランは

「ケ・セラ・セラ!」

もう一度大きく叫んで天高く風に乗って――姿をくらました。




~~~♪

「また別のワルツがかかり始めましたね。もう一曲―――」

「ごめんなさい…私はもう限界です。眠いです……。」

呑気な百合は小さくあくびをしている。

「もう、そういう時間ですからね。良い子はもう眠っている時間です。では、家までお送りします。」

イレールは微笑ましく思いながら、百合の手を取った。

「すみません……子どもっぽくて…」

「謝らないでください。私のわがままを聞いていただいて、感謝していますよ。」


(貴女なら…人間と魔法族は同じだと“リュシー”のように…言った貴女なら…私の本来の姿を…魔法界での私がどういう存在か…受け入れてくれますか?そんな私が…貴女の人生に大きく介入することになっても………)

彼はつないだ手のぬくもりと同じぬくもりを、首元に感じて、マフラーに顔を寄せた。



二人の姿はその場に甘い音楽の余韻を残して消えたが、



ホールの中では交響楽団がワルツを演奏し続けている。




荘厳な音楽を奏でるクリスマスの演奏会が終わるまで―――


――――その余韻は消えないのだった



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