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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第一章 平穏な日々を君へ
3/104

1Carat 宝石店

1話分が、1エピソードとなっています。一週間に一話を目標にしていますが、不規則になると思います。ご了承ください。

また、初めて小説を書き始めたので、至らない点が多々あるかと存じます。重ねてご理解のほどよろしくお願いします。温かい目で見ていただけると、うれしいです。

 読み手にも幸せを感じてもらえたら……と思います。

辺りは暗闇。ただの真っ黒な空間。



明かりは一つもなく、しっとりとした暗闇は、その果てを窺い知ることを許さない。


―――ホォ………


不意に、梟の鳴き声が聞こえた。


その声を合図に、白い光の粒が、丸めた重厚な絨毯を広げるように、直線の光の道をつくる。

まるで蝋燭の火を灯すかのように、たくさんの街灯が次々に現れ、その道をぐるりと囲んだ。 その道の先に建物があることを灯しだす。


辺りは静寂に包まれる。


―――その静まり返った空気を壊すことなく、ゆっくりと、ほのかな明かりが、その建物―――商店に灯った。

いや、商店と言えるのか。

三角屋根の古めかしいレンガ造りの小さな建物には、蔦が覆い、廃屋のように不気味であった。

しかし、その怪しげな外観の中に、一か所だけ温かな光に満ちた場所があった。


ショーウィンドーが照らされているのだ。


そこには見事な宝石たち。


光は小さな石たちの中を駆け巡り、様々な色の光となって石に輝きをもたらす。


暗闇に霞むこともなく、それはまるで、絶望の中の希望。


さあ、此度、ここに招かれるのは、だれか?―――





1Carat 宝石店


 

 ガチャン!


―――――ああ、まただ。また母がグラスを割っている。

今日も酒に溺れているのだろう。父が出て行って一か月が経った。それからというもの、母は悲しみを酒で忘れようとしているのだ。


―――「どうしたらいいの?もう、分からないよ……。」


 ベッドにうつ伏せに倒れ込んでいるその少女―――篠原百合は、一階から聞こえる母親のすすり泣く声を、ただ聞くしかなかった。ベッドの上に、彼女の美しい黒髪が扇のように広がっている。頬は血色を無くし、長い睫をもつ瞳は憂いをはらむ。

悲しみに囚われし、麗しい美少女。

今日は金曜日、高校生である彼女は学校に行かなくてはならない。なんだか身も心も気怠い。


本当は行きたくない。



この一か月無理に明るく振舞っていた。

友人に余計な気遣いをさせたくなかったのだ。そして、せめて学校では以前の日常を感じていたかった。

しかし、帰れば今の自分の現実を、突きつけられる。


玄関のドアを開けた時の絶望感。

そこにはもう以前のぬくもりは無い。


ベッドの隣の小窓から、冬の曇り空が覗く。重たげな曇り空に、ミイラの腕のような枝を木々は伸ばして、葉を落として水分の蒸発した幹は、生命力を無くしている。


 百合はズキズキと痛む胸を押さえ、体に鞭打つと、だるそうに立ち上がった。




学校へ行く準備を終えた彼女は、母が割ってしまったグラスを片付けた。母はテーブルに上半身を横たえ、眠っている。表情は窺えない。母のそばに朝食を置くと、百合はそっと呟いた。

「お母さん、私はどこにも行かないよ。お母さんまで変わってしまわないで。二人で前を向いて生きていこうよ……だからもとの優しくて明るいお母さんに戻って……。」

返事は無い。

百合は目を伏せると、学校へ向かうべくリビングを跡にした。




外へ出ると冬の朝特有の、肌を刺すような冷たさに身を震わせた。冷たい空気が鼻腔を突き抜け、頭がすっきりと覚醒するかのようだった。


気分を少し良くしていると、ふと、声をかけられる。

「あら、百合ちゃん!おはよう!今日は夜から雪みたいよ。風邪ひかないようにね!」

近所の仲の良いおばさんだと分かり、無理に笑顔をつくった。

できるだけ明るく返事する。

「おはようございます。雪が降るのは二年ぶりですね。おばさんも気を付けてください。」

「あらら、なんだか少し疲れてるんじゃない?クマができてるわよ。」

最近あまり眠れてないから。なんて言えない。

「大丈夫ですよ。明日はお休みなのでゆっくり寝ようと思います。」

「そう?無理しないのよ。じゃあね。」

おばさんと別れると、自分の心身の状態を思い知らされた。

は……とため息が自然と出てしまう。

(家の外では明るく過ごしたい……でもそろそろ限界だよ……!すべて投げ出したい!)

家では母をいたわり家事はすべてやっている。

勉強もしっかりやりたい。

母と二人、共に支えながら生きたくて、母を励ます。

しかしそれはその耳に届かない。

父が出て行ってから、会話らしい会話はほとんどない。




疲弊した心で、寂しげに瞳を揺らす。

近道をすべく裏路地に入った時であった――――――


―――バサッ、バサバサッ、バサッ――


(何かが羽ばたいている!?)


キョロキョロとあたりを見渡すと、細くて暗い道の片隅で、何かがバタバタと動いている。近づくと、それは真っ白い大きな梟であった。右の羽が乱れ、傷つき、血が滲んでいる。

――――(助けなきゃ!)

「大丈夫?!手当てしてあげるから、こっちにおいで。」

優しく抱き上げようとする。

すると、不思議なことに警戒することなく大人しくなり、腕の中におさまった。

梟は、賢そうな水色のアクワマリンと黄緑のペリドットを思わせる澄んだ色のオッドアイで、彼女をじっと見つめる。

――――彼女を見定めるかのような目つきだった。

きれいな梟だなと思いながら百合は、どこかの店の、裏口の階段に腰かけ、ひざにのせた。ハンカチでまだ流れている血をふき取る。

その間梟は、じっと目をつぶり大人しくしていた。


「どうしよう……病院、もう開いてるといいんだけど…。」



―――――病院に連れて行こうか迷っていると、いつの間に来たのか、裏路地の入り口に、若い男が立っていた。薄暗い裏路地にいる彼女からは、幾分明るい通りの光のせいで、彼は黒い人影のように、見えた。



薄い裏路地の道に、くっきりと映し出される、光をその背に受けた、黒いシルエット――――


この出会いは運命、必然、理、そういった類のもの

彼女の人生を大きく変える出会い、いや、時のめぐりあわせ


―――――――彼女の運命の歯車はカタカタと回り始める――――――――


彼女のほうに歩みを進める、黒い影



「――――――おはようございます。かわいらしいお嬢さん。僭越ながらその梟、私の大切な友人なのです。あとはこちらに任せていただけませんか?」


柔らかな口調、慈愛に満ちた声――――――

―――百合は思わず見入ってしまった。


彫刻のような目鼻立ち、優しく細められたブルーファイアの瞳、毛先だけゆるく癖のある長い薄茶の飴色の髪は、真紅の細いリボンで一つに結われて、右肩に揺れる。顔周りの髪は癖がなく、胸辺りまで伸ばして、整った顔に華をそえる。女性と見紛うばかりの美貌。黒で統一したスーツにマント。気品あふれる美しい紳士に見とれていると、

「お嬢さん?」

と声をかけられる。はっと我に返ると、百合は頬を赤らめながら慌てて言った。

「飼い主さんですか?!止血はしてありますのでっ!!」

わたわたと立ち上がり、梟を差し出すその様に、紳士は一層笑みを優しくしながら、梟を受け取った。その翼にハンカチが結ばれていることに気づくと、その紳士は再び彼女に微笑みかけて、言った。

「ハンカチはきれいにしてお返ししますね。―――また、後でお会いしましょう!!心優しいお嬢さん。」


意味深な別れ際の挨拶―――


―――――フッ…………


そう言うな否や、一瞬にして、梟もその紳士も消えてしまう。


呆気にとられる百合。

え?え?と目の前の出来事に驚き動けない。しかし、学校に遅れてしまう!ということに気づき慌てて駆け出した。



その光景を、屋根の上から見ていたのは――――先ほどの紳士。

「学校に送っていくべきでしたね…。」

苦笑しながらそう呟く。

――「いや、気にするとこずれてるぞ…。気にするべきは、あの子の心!」

そう言っているのは――なんと、紳士が腕に抱いた梟であった。

「ええ……分かっていますよ。あの子は非常に危険な状態です。あれほど美しい無垢な心が輝きをほとんど失っていらっしゃる……。急いでお助け申し上げなくては…。」

悲しげに微笑みながら言った。彼は駆けていく彼女の後姿をもう一度見つめると、


「やっと会えましたね……百合さん。」


そうひとりごちて、消えた。




学校に着いた百合は、今朝自分の身に起こったことが、頭から離れないでいた。

いったい何だったのだろう。

夢、というにはリアルであり、何よりハンカチがなくなっている。

そして、あの美しい梟と紳士に心奪われていた。

(また会いたいな…。サファイア色の目だったし、日本人じゃないのかな?しっかりした身なりだったからどこかの資産家の人かな?


それよりも――なんとなく、なんとなく、心に引っ掛かるのは――



――――――ずっと、ずっと昔、一度会ったことがあるような―――――――――



(でも、あんなにきれいな人だったら、すぐに思い出せそうなのに、思い出せないな……いつどこで会ったんだろう?)

考えるだけで頬が熱くなる。机に座ってうっとりとしていると、

「何にやにやしてんの?」

「わっ!いだだだ!」

友達の美結が熱い頬をむにっと掴んできた。美結はポニーテールの似合う凛とした雰囲気の女の子で、百合の親友である。

「好きな人でもできたのかなあ?」

疑うように、にやっと見つめてくる。

「す、す、好きな人!?」

ますます頬を赤らめながらも言い返す。

「違うよ!今日のお弁当には玉子焼きが入ってるから、それが楽しみなの!」

「プッ!なにそれ、苦しい言い訳だねー。怪しいなー?白状しなさい!」

ギャーギャーとしばらくじゃれ合うと、美結がふふっと笑った。

「最近さ、百合元気なかったでしょ。話したくないことなのかと思って聞かなかったけど、心配だったんだよね。今日のアンタは、いつものちょっと抜けたかわいい子に戻ってるから安心したよ。」

よしよし、と百合の頭をなでる。

「ばれてたんだ…。」

「当たり前じゃない。いつもキラキラした目で無邪気に笑ってるアンタが、深刻そうに張りつめた顔してんだから。」

親友は自分の変化に気づいてくれていたのだ。それでも、まだ、どうしても……話す気にはなれなかった。

「ごめんね、心配かけて……。もう少し落ち着いたら話すから、少しだけ待ってて……。」

少しだけ、百合は涙目になる。

「だーもう……。あたしが泣かしたみたいじゃない。もちろんよ。でも、あたしの力が必要な時は遠慮なく言うこと。いい?」

親友の言葉に胸が温かくなる。

「うん…。ありがとう……。」

 美結への感謝の気持ちと同時に、あの紳士との出会いで自分の心が少しだけ癒されているのが分かった。

あの紳士のことを考えると、フワフワして不安定でありながら心地よい気持ちになるのだった。

(でも、あの人がきれいで魅力があるだけじゃないんだよね。何だかやっぱり懐かしくて、居心地がいい感じというか……)


学校からの帰り道。美結と別れ、家路につく。

見慣れた帰り道は家のことを思い出させて辛かった。

一歩踏み出すたびにズキズキと心に痛みが走る。

自分の帰るべき、安らぎのある場所は今や苦しい場所でしかなかった。


一歩、また一歩。



踏み出すたびに心が張り裂けそうに軋む。

体が震えるのは寒さのせいだけではない。



―――帰りたくない、帰りたくないよ………!




不意に周囲が暗くなった。




部屋の電気をいきなり消されたかのように、何も見えない。

―――えっ!?どうして!?

言いようのない恐怖に襲われ、パニックになる。


――――すると自分の目の前に輝く一本の光りの道が現れた。


両脇を街灯がずらりと取り囲み、その道だけが、暗闇に照らしだされる。


なぜだか心が落ち着いた。

吸い寄せられるようにその道を無心になって歩いて行く。




いつの間にか目の前には一軒の宝石店。


三角屋根の、レンガ造りの建物の壁には蔦が生い茂り、まるで魔女の住処のよう。しかし、その不気味な外見とは裏腹に、ショーウィンドーからは温かな光が洩れ、丁寧に陳列された色とりどりの宝石が輝いている。

真鍮のドアノブのついた木彫のドアは鈍く光を反射している。


ギィと、それは、ひとりでに開いた。



―――どこかから楽しそうな声がする。


「いらっしゃいませ、お嬢さん。さてさて、貴女にお似合いになるのは何でしょう?真紅のルビー?それとも蒼のサファイア?はたまた純白の女王ダイヤ?この世界に存在するすべての宝石を揃えてお待ちしておりました。さあ、このイレールに、貴女を救くう、お手伝いをさせて下さいませ。」





―――そんな噛みそうな文句を、流暢に言ってのけたのは、今朝出会った美しい紳士であった。


今はマントを脱ぎ、スーツの下に着ていた服装に変わっている。白いシャツにグレーのベストを合わせ、赤のリボンタイで首元を飾った服装だ。胸には、深い青をした楕円形のカボション・カットのスターサファイアを、プラチナ製の地金の梟が羽で包んだかのようなデザインの、上品なブローチをつけている。彼は白い手袋をした手を優雅に動かし、百合に恭しくお辞儀をしてみせた。


百合はハッとして我に返る。


店内をぐるっと囲むように、宝石箱のよにきらびやかなショーウィンドーが配置され、店の奥にはカウンターがあった。

状況を理解しようとするが、体の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。



「ああ!またやってしまいました!驚かせてごめんなさい。さあ、座って……」

紳士は慌てて百合を支えると、カウンターのそばの木彫の椅子へ座らせた。

「当たり前だ。いきなり連れて来られて、変なテンションの怪しい男が迫ってきたら、誰だって腰が抜けるだろう。」

 ピョンピョンとカウンターの上を飛び跳ねながら言うのは、昼間の白梟であった。けがで飛べないらしく、右の羽には包帯が巻かれている。

紳士はきまりの悪そうな顔をして、梟に言い返す。

「もう仕方がありませんよ。この性格は生まれ持った気質なのですから。百合さん、お茶を入れてきますね。」

にこっと、百合にほほ笑みを投げかけると、イレールと名乗った紳士は店の奥へと消えていった。


「逃げたか……。ところで百合、朝方は世話になったな。お礼を言おう。」

左羽をひらひらさせながら梟が言う。


呆気にとられてイレールと梟のやり取りを見ていた百合は、まだフラフラする頭を押さえながら、

「梟さんしゃべれるんですね……。ちょっとまだびっくりしていますけど、とりあえず、けがも大丈夫そうで安心しました。ところで、その……、ここは一体どこなんですか?あの裏路地は、ほぼ毎日通っていますが、こんな店、見たことありません……。」

と、やっと口を開く。

梟は目を瞑って何か考えこんでいるようであった。そして、のどの奥で一度こもった声でホーっと鳴くと、

「おいイレール!店主直々に話してやれ。」

ちょうど、カウンター奥から、お茶を持ってきている店主に言った。

「そんなこと言って面倒なんでしょう。まあ、そのつもりですよ。」

肩をすくませると、カウンターにティーセットを置く。


百合に向き直る。

「落ち着いて下さったようですね。申し遅れました。……いえ、先ほど名乗ってしまいましたが、私は白魔術師、イレール・ロートレーズ。ここで宝石店を経営しています。こちらは店を手伝ってくれている白梟のクラースです。」

クラースがあいさつ代わりにホーと一言鳴く。

「魔術師………なんですか?えっと…初めまして、篠原百合です。でも、さっき私の名前出してましたね……。どうして分ったんですか?魔法ですか……?」

彼が人間でないことに心底驚きながらも、不思議そうに言う。

「それはですね。……フフ、やっぱり内緒にしましょう。後で分かりますよ~。」

のんびりと言い、イレールはいたずらっぽく笑っている。

どうやらここの店主は、なかなかにマイペースな人らしい。

イレールは表情をさらに緩めて笑っていたが、不意に、さっきとは打って変わって、慈しみに満ちた表情になった。

――――「さて、藪から棒ですが、私は早く貴女を救って差し上げたい……というのも、貴女の心は死にかけています……。心当たり、あるでしょう?」


――――イレールが一言ずつ話すのに合わせて、穏やかで温かい、安らかな眠りに落ちていくような感覚に包まれていく。



どきりとしている百合の表情を彼はしっかりと見つめながら、まるで抱擁するかのような眼差しを彼女へと向ける。



「ここは、貴女のような、心が傷つき、破壊され、輝きを失いかけた方を、救うための、場所……。」



―――――店の空気が変わった―――――




イレールが胸ポケットからルーペを取りだす。


「ルーペは、心という宝石の深淵を奥底まで映し出してくれる。貴女が必要としている輝きは、何でしょう……?」


優しく、語り掛けるように紡がれる言葉は、百合の耳に子守唄のように響き渡る。


ぼんやりと意識が遠くなっていく。


やがて


―――――彼女はゆっくりと目を閉じた。


カウンターに突っ伏している彼女の頭をイレールは優しくなでる。

「ごめんなさいね。貴女は特別重症と見受けられるので……。」

申し訳なさそうに微笑むと、ルーペを彼女のほうへとかざした。

ルーペは彼の手を離れてくるりと一回転し、宙を漂う。


その刹那―――


ルーペが映写機のように光りを放ちはじめ、宝石店の壁に


百合の心と記憶のビジョンが映し出される――――――――




 「やめてよ二人とも!」


百合が父親と母親の口論を止めようとしている。


「誰に食わせてもらっていると思ってんだ!!専業でずっと家にいるくせに、俺に説教たれるとは、いいご身分だな!」

「あなたが専業主婦で良いって言ったんじゃない!家のことを全てやっているのは私なのよ!全く家事を手伝ってくれないんだから、あなたに何か言われる筋合いは無いわ!百合が小さい頃はもっと大変だったんだから!!」

――「やめてってば!!二人とも家族なんだから、それぞれ不満があっても割り切ってたじゃない!今まで喧嘩してもすぐに仲直りできてたのに……どうして!?」

二人の間に百合は割って入る。

「うるせえ!この外道がっ!もう愛想が尽きたんだよ!どうせ、お前も俺たちが別れたら、俺じゃなくて、こいつについて行くんだろう?!昔からお前は母親よりだからな!」

自嘲気味に父親が言い放つ。

「どちらかなんて選べないよ!私は、お父さんもお母さんも好きなんだから!!」

「百合は関係ないじゃない!この子に当たらないで!!」

「お前だって少しは思ってるだろうがっ!。百合は自分のほうが懐いてるってな!」


それは母親に言った一言だったが

百合は、のど元に刃を突きつけられたような痛みを感じた。


昔から父親はいつも仕事ばかりで、休日でさえ、家にあまりいなかった。

どうしても、母親と過ごす時間が濃密になってしまっていた。

帰ってきて出迎えてくれて、学校であったことも聞いてくれて、同性ならではの会話も母親とならできる。

母親と出かけると、同性の友達と買い物を楽しんでいるような気持になる。

自分にとって母親は家族であり。仲の良い友達のような人物であったのだ。


それに比べて父親は――


小さい頃から、どちらかと言えば。恐れを抱く対象であった。


仕事一筋で、自分は一家の大黒柱であるという意識が強い。もともと口が悪いため怒らせると恐い。

毎日夜遅く帰ってきては、朝早くには出勤する。

それの繰り返し。


話もしてくれなかった。遊んでもくれなかった。


自分の楽しい思い出の中に、父の姿はほとんどない。それでも――


父のことは好きだった。


成長して知ったのだ。

自分たち家族のために汗水流して働いてくれていたこと。誕生日には早く帰って祝ってくれたこと。家族の写真がパスケースに入っていること。会社の飲み会で泥酔すると、娘の自慢話しかしなくなる、と部下が困っていること。


 二人とも大好きだった。



――――「私が帰ってくるべき場所。」――――



それが今壊れようとしている。恐怖、拒絶、悲愴、そんな感情に呑み込まれそうだった。


――――場面が切り替わる。


リビングで立ち尽くす百合。そこに父親の姿はない。母親は泣きはらした目をしており、ぼんやりと虚空を見つめている。


「お母さん、夕飯できたよ……。お母さんの好きな甘い玉子焼きも作ったんだ。食べよう?」

返事はなかった。

来る日も来る日も、応答は無くても、百合は母親に話しかける。


父親はもうここへは来ないと言った。お前も来いと言われた。それでも廃人のようになってしまった母を、一人にはできなかった。父は言った。

勝手にしろ、と。


もうここに家族の絆は存在しないのだと痛感した

あるのは、言いようのない喪失感――



―――――再び、場面が切り替わる。


学校で普段どおり明るく振舞う百合。

「忘れたい……。ここはいつもと変わらないから……。ここは楽しい。ここは楽しい……。」

傷ついて壊れかけた心を隠し、自分を励ますため、できるだけ笑う。


こちらを心配そうに見つめる親友の眼差しには気付けなかった――




 私は家族が、友達が、日常が、普段と変わらない日々が大好きだった。

 私はどうすればいいの?どうしたらよかったの?




―――あのぬくもりの場所にはもう帰れないの?―――――



イレールは憂いを帯びたサファイアの瞳を悲しげに伏せた。

フッとため息をつき、ルーペをしまう。


「貴女は家族という温かな陽だまりを、なくしてしまったのですね……喪失感に苛まれ、別の陽だまり、学校を拠り所としようとした。それでも、その陽だまりは、かえって空虚を際立たせる。貴女の心は優しく、無垢で、そして美しい。母親、父親、どちらも愛しているが故に、誰のせいにもできずに、路頭に迷ってしまった心……」


イレールの瞳が、澄んだ青に輝いた。


 「…………分かりました。貴女が必要としている輝きの欠片。それは、可憐で清純、包容力のある温かな色味を持つ―――クリア・フローライト。暗闇を照らす蛍のように、お母様の心を、貴女を取り巻く人々を、その優しさと包容力で包んであげてください。本来の貴女はそんな方……さあ、そんなクリア・フローライトを思わせる、素敵な以前の貴女に戻って……」




いつのまにか彼の左手に、乳白色の優しげな輝きを放つ小さな石が漂う。


そこここに宝石が輝く店内で、それは最も大きくて美しい光を放っていた。



その石――クリア・フローライトは彼の手を離れ、ゆっくりと百合のもとへと降りていく。


別名蛍石とも呼ばれるその石は、蛍のように儚げで、神秘的であり、どこか強さを感じさせるような気高い輝きも具える。

―――蛍の光は彼女の背負った悲しみ、苦しみと溶け合い、それを浄化していく。


そして……輝きを放ちながら、百合の体へと溶け込んでいった……。





―――ゆっくりと、彼女は目を覚ました。


黒曜石の瞳がしっとりと濡れ、自然と涙が頬を伝う。


「イレールさんの優しい声、聞こえましたよ。私を助けて下さったんですね。こんなに優しい気持ちになれたのは久しぶりです……ありがとうございます。前向きな気持ちで……少しずつでも母と支え合って、現実から目を背けずに、でも無理はせずに、誰かの支えとなりながら、明るく生きていきたい……!そんな気持ちが溢れてきます………」


ますます涙をこぼす彼女の頭をイレールは優しくなでる。

クラースもいつの間にか、そばに寄り添う。


「私は、ほんの少しお手伝いをさせてもらっただけ……第一、貴女のご両親を救うことは私にはできません……なぜなら、絶望にすべてが呑み込まれてしまった心は、この宝石すらも、跳ね返してしまいます。でも、今の貴女なら、その中でも、希望を見出すことができるはずです。」

「我々の力では、完全に希望を無くした者は救えないのだ。残念ながらな……人間の多くは、自分の心は弱いものと決めつけて、すぐに希望を無くす。しかし百合、お前は違ったのだ。絶望の感情の中でも希望を捨てなかった。だから救われたのだ。」


イレールとクラースが微笑み、彼女をぬくもりで包んだ。

彼女は溢れる喜びの涙をこらえることはなかった―――


「さあ、お茶が丁度いい温度になったはずです。ローマンカモミールティーですよ。」

「ありがとうございます。」

生まれ変わったような彼女を見つめながら、イレールはお茶の準備をする。

彼女は涙を拭き、柔らかくお礼を言って微笑む。

さっきまではどこか思いつめた感じのする少女だったのだが、今では彼女本来の、可憐な愛らしさを惜しみなく発揮させている。


彼女の心と容姿は――――――

まさにクリア・フローライトを思わせる――――




――――イレールの心の中を、様々な感情が、駆け巡った――――


どこか、昔を懐かしむような表情―――


イレールは決めた、というように瞳を閉じる。


――――「百合さん、急な話で申し訳ないのですが、一つお願いがあります。」

「はい、何ですか……?」

彼の穏やかな表情の中に、微かに真剣な眼差しが感じられた。


「この店で、バイトしてくれませんか?」

「それはいいな。」


クラースもすぐに賛同する。


「え………?」


思ってもいなかった申し入れに、返答が遅れる。

「え?!えと、ここは宝石店ってことですよね?私は宝石に詳しかったりもしませんし……返ってお邪魔になりますよっ?!」

イレールは、にこにこ笑いながら、期待のこもった目で見ている。

「大丈夫ですよ。この店は一人と一羽でやっと回っているので、もう一人、人手があればいいのに……と思うことが多いのです。時給は八百円でどうですか?食事も出します。貴女はまだ高校生ですから、来られる時だけで全然構いませんよ。」

彼の目はとても澄んでキラキラしている。

百合は思わず目をそらす。

(そんなにキラキラした目で見つめないで下さい……ほんとにきれいな人……何だか断る理由が見つからないよ……。)


結局……負けてしまった。

おずおずと切り出す。

「本当にお役に立てるか心配ですが、よろしくお願いします。でも、時給はいりません。恩返しとしてお手伝いさせてください。」

ほのかに、温かみを感じる頬を隠すように、大きく頭を下げる。

彼の表情がぱぁっと明るくなった。

「本当ですか!良かった~!貴女という方が手伝ってくれるなんて!!では、時給の代わりに食事に力を入れますね。こう見えて料理は得意なんです!」

素敵と言われて百合はさらに頬を熱くするが、そこまで喜んでくれると、こちらもうれしくなる。

「明日から三連休にはいるので、この三日は、一日中お手伝いできると思います……あっ!……」

ここで百合は大事なことに気づく。


ここは宝石店。


さっき自分は、クリア・フローライトを買ってしまったようなもの。いくらなのかは全く分からないが、持ちあわせのお金では足りないだろう。何しろ百三十五円しかない……。

時給はいらないと言えるご身分ではなかったのだ。むしろ、働いて支払わせてください、だ。

(ああ、この歳で私は借金を!どうしよう!イレールさん絶対に悪い人じゃないけど、怒るだろうな……!ああ………借金…借金……借金…しゃっ……)

心に余裕を取り戻した彼女は、いつの間にかいつもの自分のペースに戻っている。

いきなり遠い目をして青ざめてしまった彼女に、クラースとイレールが恐る恐る話しかける。

「お、おい、百合!大丈夫か!」

「百合さん!どうかしましたか?!」

「はい……。すみません……その、今、持ち合わせが百三十五円しかなくて……」

やっとそれだけ言葉にする。

「代金のことか……」

「てっきり私が、貴女を救うのに失敗したかと思いましたよ…」

それを聞いて、二人とも胸をなでおろした。


「それならですね。もういただきましたよ。」


心配ご無用と、イレールが懐からボトルを出す。

手のひらに収まってしまうほどの小さな透明なボトルに、白い欠片が入っている。


「これは貴女の心の欠片です。」

「私の心の欠片!?」

驚いて目を見開く。

ボトルの中には、純白で透明度の高い結晶が二欠片入っている。表面は薄ら桃色を帯びていた。


「人間の心は元来宝石のように美しい結晶のようなもの。人によって色も違う。この美しい人の心の欠片を宝石に溶け込ませると、宝石は輝きを増し、人の心を救う存在へと超越する。私はこの方法を応用して、傷ついて、壊れかけた心を生き返らせる仕事をしているのです。」

そうそうと言って、彼は言葉を付け足す。

「もちろん、心は減るものではありませんから、少しくらい取られても大丈夫です。」

「そうですか、良かった………」

ということは、自分の心の欠片も、いずれ誰かを救うのだろう。

救われた心は、また誰かの心を救う。

そう思うとうれしい。


クラースが飛び跳ねて言った。

「そろそろ暗くなるぞ。百合を帰してやれ。」

「そうですね。遅くならないうちに帰してあげないと。家までお送りしますよ。」

イレールがてきぱきとマントを着て、シルクハットをかぶる。

「美味しいお茶でした。ごちそうさまでした。」

百合もカップを置き、鞄を持つ。

心が軽い。

昔の自分が戻っているのが分かる。




店の玄関を出ると、そこは毎朝通学路にしている裏路地であった。

「お言葉に甘えて明日からお願いします。午前十一時には店を開きますから、三十分前にはこの場所に来てください。店へお通ししますから。」

「はい、分かりました。」

利口そうに言う少女に、思わず彼は目を細める。


歩みを進めながら、イレールは思い出したようにハンカチを取り出した。

「そうそう、これ。刺繍お上手なんですね。」

「あっ、私の名前!そっか、これで私の名前を知ったんですね。てっきり魔法か何かで分かったのかなって思ってました。」

あはは、と百合は恥ずかしそうに言う。

「ちょっといたずらしたかったんですよ。貴女のそういう顔が見たかったので。」

イレールはまた、いたずらっぽい目をする。

「あ、遊ばないでください!魔法だったら素敵だなって期待してたんですから!」

「ごめんなさい、そんなに怒らないでくださいよ~。」

「もうっ!!」

ぷいっ、と顔を真っ赤にする彼女に、ますます彼は機嫌をよくした。

楽しげな雰囲気が二人を包む。


それは優しく、甘い、雰囲気で、それはまるで―――思い合った者同士が集って初めて、織りなすことのできる雰囲気だった


 

「さ、着きましたよ。今夜は冷えるそうですから、あったかくして眠ってくださいね。今日は素敵な時間をありがとう、百合さん。」

「お世話になりました。今日は忘れられない一日です……私こそ素敵な時間をありがとうございます。明日から、またよろしくお願いします!!」

軽く頭を下げながら、微笑む。

イレールも微笑み返すと、百合の頭を優しくなでる。

頬が染まるのを感じると同時に、その優しさが体全体に染み渡る。


「こちらこそ。それでは、また明日………私の…大切な、大切な…」


最後の言葉は、彼女に聞こえないほど小さかった。




パチン、と指を鳴らすと、その場に甘いぬくもりの余韻を残し、彼は消えた。

百合は、まだほてっている頬を両手で包みながら、その甘いぬくもりに浸る。


はじめは何が起こったのか分らなかった。

きれいで不思議な、一人と一匹は、自分の心を苦しみから救ってくれた。梟はしゃべるし、魔術師だとも言っていて驚いた。

しかし、怖くはなかった。むしろ安らぎを覚えた。



あの場所に自分は昔からいたように、居心地が良かった。


そして何より、胸の奥の、心の中に、ぽっかりと空いてしまった穴は消え、そこには、前を向いて生きようとする気持ちが輝いている。

百合は、あたたかいその場所をそっと抱きしめた。


庭に植えられた木々は、相変わらず死んだように見える。

ミイラのような枝を、唯々伸ばしている。

しかし、その木々の中には、青青しい組織が詰まり、みずみずしく生命力にあふれている。


再び、春が来ることを知っているのだ。










 


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