10Carat 血塗られた石と紅い帽子
10Carat 血塗られた石と紅い帽子
散乱する、車やガラスの破片。
人間たちは、それを拾い集めて、そこを何事もなかったかのように、きれいにする。
処理を終えた事故現場――――そこへ、一人の少年が歩いてくる
野球のユニフォーム姿の高校生ぐらいの少年。
彼は持っていた花束を置いて、その場に泣き崩れた。
そして、その日から、彼の瞳の生気が消えた。
――――――その少年を数日間、物珍しそうに楽しげに見つめる者がいる。
彼は――――レッド・キャップ
レッド・キャップとは人間からすれば、恐ろしい妖精。
血走った赤い瞳に、薄気味悪い長い白髪。黒いローブをまとった醜い小さな老人の姿で、人間を見つけては斧で惨殺し、頭にかぶった赤い帽子にその血を染み込ませる。
その帽子をさらに赤錆色にすることを至高の喜びとしているのだ。
彼はニタリと笑い、呟いた。
「あの少年は、生きているけど、死んでいる。
もうすでに死んでいる者は、どのような“さいご”を迎えるのか?気になって仕方がない……」
百合は、ショーケースの中の宝石たちを、ぼんやり眺めていた。
黒曜石の真っ黒い瞳に、鮮やかな色を映して、それらを愛でていたが、ある石に、目が留まった。
「イレールさん、ブラッド・ストーンって、なんで名前に”血”ってつくんですか?ちょっと宝石にしては怖い名前ですよね。」
ビーズ玉にカットされ、ブレスレットにされた、その石を指さす。
イレールはエメラルドの鑑別書を書く手を休めて、答える。
「そうですね。確かに血の石だなんて、穏やかじゃないですよね。」
彼は手袋をはめて、席を立つと、陳列されているショーケースから、そのブレスレッドを取り出した。
「ジャスパーという石の仲間で、濃い緑色の地に血のような斑点が見られるものを、一般的にブラッド・ストーンと呼んでいます。」
白い手袋をはめた手のひらにそれをのせて、彼女の目線にそれを持っていく。
「この赤い斑点は、キリストの血だと言われているんです。」
「キリストですか……?イエス・キリストの?じゃあ、血塗られた石ってこと…?」
少し怯えたように、百合は言った。
「はい。でも、そこまで怖く思わないであげてください。この石は、キリストがその身を磔刑にされた際、彼の聖血が下のジャスパーに滴り落ちてできたとされています。聖なる石として、神聖視されているんですよ。」
彼は優しげに、手の中の石をなでた。
「見た目と名前は恐ろしげでも、救いをもたらすもの、なんですね……」
百合は無邪気に笑っていたが、イレールがふと、顔をあげた。ドアのほうに視線をやっている。
「百合さん、お客さんみたいですよ。お茶の用意はお任せします。」
彼は急いでブラッド・ストーンをしまうと、態勢を整える。
――――チリン!
「「いらっしゃいませ。」」
二人で客人を出迎える。
来客したのは、不気味な姿をした小さな老人。
身長は五十センチぐらいしかない。
血走ったギョロリとした目を二人に向けて、にやりと笑い、突き出た歯を血色の悪い、さけた口から覗かせて、薄気味悪くこちらを見上げている。
「めずらしいですね……貴方は、レッド・キャップですか。こちらへどうぞ。」
イレールはその姿に動じずに、カウンターへと案内した。
イレールは少しだけ、人間にとって危険なこの妖精が百合に何もしないか、心配になった。
(百合さん……大丈夫だとは思いますが、変に刺激しないでくださいね……。)
レッド・キャップは百合を見て、不気味な微笑みを強めたが、案内に従ってカウンターの椅子へと腰かけた。
そんな妖精とは知らない百合はお茶を運んで、その隣に座る。
レッド・キャップは、それを意外に思い、彼女に尋ねる。
「お前はワシが怖くないのか?大抵の人間は、ワシを恐れて逃げ惑うぞ。」
百合はふふっ、と笑って答える。
「ここに来る人は、みんないい人達ばかりだから、あなたがどんな姿をしていても、怖くないんです。それに、何かに困っているから、ここに居るんですよね。」
(……うん!…さすが、純白のクリア・フローライトの心を持つ貴女!)
イレールは心の中で一安心する。拍手喝采ものだと思っている。
「珍しい人間だな……。お前の目に、ワシはどう見えているのだ?」
百合は彼をじーっと見つめていたが、ぱぁっと瞳が輝いた。
ひらめいたような顔をしている。
(……へんなこと…言わないで、くださいね………?)
何だか嫌な予感がする。
――――「あれです!今はやっている都市伝説の、幸運を運ぶ小さいおじさんみたいです!」
(あーーーーー!やっちゃったーーーーーー!)
イレールは慌てて、恐ろしきレッド・キャップの怒りに備えた、が。
「………キッヒッヒッ……悪名高きレッド・キャップにそこまで言ってのけるとは、肝の据わった娘だな。」
不気味に笑ったが、怒ることはなかった。
逆に百合を気に入ったように見つめている。
(良かった……でも、寿命が数年縮んだ気がします…)
胸をなでおろすと、イレールは本題に入る。
「貴方はどうしてこちらへ?数百年前に、レッド・キャップ一族は、魔法界にすべてが移住したのではないのですか?」
「ワシは、はぐれものだ。人間の死をもっと観察したいと思って、こちらへ残っている。他のレッド・キャップはその、青い石の星に導かれ、感化されて、すべて魔法界にいる。ワシも、それに感化されたことには変わりないがね。」
イレールのスター・サファイアのブローチを指さして言う。
「だから、ワシらはもう、人をこの数百年殺めてはおらん。全種族の和解……それが、星のもとに集いし、お前たち四賢者の望みだろう……?」
「……何の話ですか?」
話についていけない百合は、困っている。
「……お気になさらないでください。すみません、余計なことをお聞きしましたね。」
イレールは難しい顔をして、レッド・キャップに本題を催促した。
「ヒヒ、そうしよう。ワシも早く、この胸のわだかまりを取りたいのでね……。」
彼は、薄気味悪い笑みを浮かべて、ここへ来た理由を話し始めた。
「ワシは今、ある一人の人間に興味を持っている。それは、とある事故現場で見かけた少年だ――――――」
レッド・キャップは、人の死にまつわる場所に集まる習性がある。
そこには死臭が残り、そういうものにひかれる人ならざる者もいる。
彼はその日、人の血の匂いを感じ、その場所へと出向いた。
「ヒヒヒ……香しい血の匂いだ。人間どもはもう、死体の処理を済ませたつもりだろうが、ワシらの鼻はごまかせない。ここで、一人、二人……二人も死んでいると分かる。」
車が建物に突っ込んで、ガラスや車の破片が散乱する事故現場は、ある程度、事故処理が終わり、小さな破片が残る程度に、きれいにされていた。
「………誰か、来るね。」
彼は人の気配を感じて姿を消す。
(少年か………)
野球部のユニフォーム姿の少年が、花束を持って現れた。
そっとそれを置き、彼はその場に泣き崩れる。
(ここで死んだのは、あの少年の親というわけだな。)
しばらく少年は泣き止まなかったが、力なく立ち上がると、歩き始める。
(人間の葬儀というものは、そういえば見たことがないな。見てみるか。)
レッド・キャップは、興味本位で着いて行くことにした。
―――すると
その少年は葬儀の間中、まったく泣かなかった―――
どこか魂が抜けたように、瞳から生気が消えている。
誰かに話しかけられれば、普通に応対しているのだが。
(悲しみにくれる人間らしい心さえ、消えてしまったのか。……面白くないな。ワシは死という概念のもと感情をむき出しにする、人間らしい部分を見たいと思っているのにな。人間とは、皆そうではないのか……?)
レッド・キャップは、その少年のことが、気になった。
「―――それから、ワシはその少年を、観察しているのだ。生きながら死んだ者は、生き返ることはないのか?そしてもし、生き返ることがなかったら、どんな“さいご”を迎えるのか?
それが気になって、仕方がないのだ。胸の中でくすぶって、何とも気持ちが悪い。」
キヒヒと、身にまとったローブの袖を口に持ってきて、愉快そうに笑う。
「ワシに、見せてくれないかね?死んだ者が生き返る瞬間を。お前の、宝石の白魔術で。そして、この疑問の答えを指し示してほしいのだ。」
―――「分かりました。必ずやその少年に見合う宝石を探し出し、彼の心を救ってみせましょう。」
彼は目をつぶって、レッド・キャップの話に聞き入っていたが、強い意志をもって答えた。
「さっそくですが、その少年のもとへ案内してください。」
彼らは、宝石店をあとにして、少年のもとへと向かった。
――――おーい!そっちいったぞー!
―――ナイスバッティング!
「ここって、私が通っている高校のライバル校です………」
百合は、野球部が練習しているグラウンドの先に見える校舎を見て気づく。隣に立っているイレールを見上げると、百合は楽しげに学校を紹介し始めた。
「いつも甲子園の地区予選で争っているんですよ。それはそれは熱ーい熱戦なんです!」
「百合さんは野球、お好きなんですか?」
彼女があんまりにも楽しそうに言うので、イレールは微笑ましく思う。
「いいえ。普通です。正直あんまりルールも分かっていません。」
「あ、あれ……?」
思ってもいなかった答えが返ってきた。きょとんとしているイレールをよそに、油井rはしんみりと言った。
「でも、なんだか高校野球って、日本人ならどこか、応援しちゃうものだと思うんです。」
「そういうもの、なんですか?」
イレールには、日本人の感覚がよく分からない。
「はい。他の高校生の競技で毎年盛大に、日本中がわくものってないんです。そんな大会に自分の知っている人たちが関わるって、自分には関係ないのに、何だかうれしくなります……」
百合はグラウンドと、こちらを隔てているフェンスの間から、自分と同じ年頃くらいの高校球児たちを眺めた。
「そういうことですか……それなら、分かります。」
イレールも、百合の見つめるものをブルーサファイアの瞳に映す。
「おい、二人の世界に入っているところ悪いが、その少年が現れたぞ。」
レッド・キャップは二人に冷やかな目線を向けて、ボソッと言った。
二人は僅かに頬を染めつつも、気持ちを切り替えて、グラウンドに視線を飛ばす。
―――少年はグラウンドに入る際、帽子を取って一礼すると、体をほぐし始めた。
その姿を見たイレールは一変して、淋しそうに瞳を揺らす。
「彼は………真に生きるということを、捨ててしまっています。人生そのものに希望を見いだせず、ただそこに存在するだけ……空虚な瞳の、人形。」
「そんな……」
百合はその少年をじっと見つめた。
一見すれば真面目に練習に励む同年代の男の子なのだが、瞳に輝きがなかった。
この歳の若者に似つかない、死人のような目。
「分かってもらえないと思うがね。レッド・キャップの本能からすれば、何とも異質な人間に見えるのだ。ワシらは斧で人を殺め、自らの帽子をさらに赤く染めることに喜びを感じる。死の恐怖に怯える人間の、人間的な感情に直接触れて来たのだ。死とは人間にとって避けたいものではないのかね?それなのに、自らをそこへ貶めようとは……まったくもって理解できない。」
不気味な微笑を浮かべるのをやめ、レッド・キャップは呆れたように言った。
「彼が今、生きる理由。それは、己の”死”への渇望なのだ。」
「イレールさん………。」
百合は耐えきれなくなって、不安げに揺れた瞳を彼に向けた。
安心させるように彼女の頭をなでて、彼はゆっくり口を開く。
「……どうやら、望みは少しだけあるようです。ほら………」
―――少年の表情が、少しだけ真剣な表情に変わっていた。
目は依然として空虚なものであったが。
「彼は野球をしているときのみ、僅かに生気をその目に宿してします。普段は死に、その瞬間だけ、風前の灯火の生きる力がよみがえっています。しかし、どんな宝石が彼に見合うか見定める必要があります……」
「……はい。」
イレールの強い眼差しに応えて、百合はしっかりと頷いた。
「私には、あの子の気持ちが分かるんです……私も、両親を一人、なくしたようなものだから……」
彼女はしっかりとした口調で言った。
「今回は、私に頑張らせてください。」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あの、藤本大雅くんだよね。野球部の……」
練習を終えて家路についた彼は、花屋で花束を買い、それをあの場所へ供えていた。
「誰……あんた?」
こちらをちらっと窺って、興味なさそうにそっけなく答える。
百合は話かけづらい雰囲気に負けそうになりながらも、
「同じ高校に通ってるの。私はここの近所に住んでるんだけど……数日前、ここで事故があったよね。私も花を供えようと思ったら、私の他にもそんな人がいたから…気になったの。」
と言って、あらかじめ用意していた花束を、彼の花束の隣に供える。
「そう………あんがと。」
少年は、少しだけ口調を柔らかくした。
「ここ……オレの両親が死んだとこでさ……」
「………そうなんだ。」
「……オレはその日、部活だったから一緒に出掛けなくて、事故に巻き込まれずにすんだ。………だけど。」
「………。」
百合は、その言葉の先を待った。
「――――――あの日以来、オレは死んでる。」
「え………?」
「もう、誰も、オレの成長を見守ってくれる人がいない。」
「じゃあな………」
再び、愛想のない声音に戻ると、彼は行ってしまった。
イレールとレッド・キャップが彼女のもとへと現れる。
「百合さん………」
イレールは百合の瞳に光るものを認めて、悲しそうにつぶやいた。
しかし、彼女は泣いてはいなかった。視線を落としてじっと耐えていたが、すぐに顔が上がる。
「………平気です。行きましょう。私もイレールさんのところで、心を救うお手伝いがしたいと、あの日決心したんですから。」
―――スッ……
コートの衣擦れの音がした。イレールが優しく微笑んで右手を指し出している。
「恐れながら、お手をどうぞお嬢さん。」
「……はい。」
百合は少しだけ頬を赤らめて、その手を取った。
――――――大雅は、海に来ていた。
その場所は海辺に突き出た場所にある、切り立った崖。
彼はそこに立って、汚れたボールを手に弄んでいた。
片手でそのボールを上に投げてはキャッチし、また投げては捕まえている。
―――「ヒヒヒ、とうとう肉体までも死を選ぶつもりか?これがやはり、生きながら死んだ者の“さいご”というわけか?」
レッド・キャップは愉快そうに笑う。
イレールと百合の二人は、大雅を心配した面持ちで見守る。
大雅の死んだような目が苦しみに満ちて、ぎゅっと細められた。
彼は大きく腕を振り上げて、そのボールを大きく海に向かって放り投げる。
そのボールは大きく弧を描いて――――浅瀬へと落ちた。
―――ボチャンッ!!!
あまり重くないそれは軽い音を立てて、水中に呑み込またが、すぐに浮き上がった。波に揺られて、ゆらゆらと、沖へと流れていく。
―――――(いけない!)
―――タタッ!!
唐突に、百合はそう感じ、崖を危なっかしく下り、そのボールのもとへ走った。
「百合さん!」
イレールは不意を突かれて出遅れる。
――――ザバッ!ザバッ……!!
細い体が水をかき分けて一生懸命ボールのもとへ向かっている。
「………う……!」
冬の海は彼女の服を濡らし、身を、骨を、切るような冷たさで容赦なく襲う。
胸の下あたりまでの深さまで体を冷水に包まれて、息が大きく乱れ始めた。
体中に億の針を刺されたかのように、鋭い痛みが走る。
それでも、彼女は歩みを止めず―――ボールへと手を伸ばす
「………あう…………」
手がかじかんで痛みさえ感じながら、波に揺れるボールをやっとの思いで捕まえた。
「……よかった…でも………」
百合は体の痛みに耐えながら、力なく微笑んだ。
――――ふら……
陸に戻る力を無くした彼女は、ふらりと、ふらつく。
―――――ドサッ!!
「――――百合さん!しっかりして!」
海に身を浸したイレールが、しっかりと彼女を抱きとめる。
―――パチン!
彼は急いで指を鳴らし、砂浜へと移動した。
百合を横抱きにしたまま、イレールは彼女に身を寄せ、必死に呼びかける。
「百合さん!目を開けてください!お願いですから……!」
彼女の体は氷のように冷たく、薔薇色の頬は青白く、目は固く閉じられていた。
彼女の頭に頬を寄せ、強く、強く、抱きしめる。
自分の体温を冷たくなった彼女に届けるように―――――――――
ピクリと僅かに顔が動いた。
「………う……いれ……る、さん…」
百合の睫毛が揺れて、その眼が力なく開かれる。
「………ああ!よかった……」
悲痛に安堵の声をあげると、彼は目をぎゅっと閉じ、腕の力を弱めた。
今度は優しい抱擁に変える。
彼女がぬくもりに身を任せやすいように――――――――
「……あった…か……い…です」
百合は安心したように再び目をつぶり、身を彼に寄りかからせた。
彼の匂いがすぐそこにあったからだった。
二人の冷え切った、心も体も少しずつ温まっていく――――――――
しばらく、二人はそのまま互いを温め合った。
恋人ではない彼ら。それでも、心は―――――――――――
―――ぶるっ!
「……やっぱり、寒いですね…。」
「………はい。着替えたいです……」
二人は、ずぶ濡れであった。身を寄せ合っているとはいえ、寒いものは、寒い。
―――パチン!
イレールが指を鳴らし、互いの服を乾かした。
「わ、乾いちゃった……」
すっかり元気を取り戻した百合は、楽しそうに立ち上がった。
「すみません……必死過ぎて、服を乾かすということまで気が回らなくて………」
彼はばつの悪そうな顔になる。
「……ごめんなさい。心配かけちゃって…。」
百合はしゅんとなって、頭を下げた。
「いいんです……貴女が無事でなによりです。……行きましょうか。彼を救いに。」
「はい………」
二人はゆっくりと崖の上をめざして、歩き始めた。
(貴女を抱きしめるのは……自分の思いを伝えたときに、と…思っていたんですがね……)
イレールは隣を歩く彼女を思って、目を細める。
(次、貴女の匂いを、すぐそばに感じられるのは……いつになるのでしょうか……)
大雅はまだ、空虚な瞳で海を見つめていた。
レッド・キャップはそれを血走った目で、ずっと観察している。
「大雅くん!」
「あ………あんた。」
百合とイレールが、彼のもとへと駆けつける。
大雅の手を取り、彼女は拾いに行ったボールを手に握らせる。
「これ……どうしてさっき捨てちゃったの?」
彼はそれをつまらなさそうに見ている。
「もう…いらないんだよ。」
「野球……好きなんじゃないの?それに、そのボールは大雅くんにとって大切なものに、私には思えるよ…」
百合は必死な様子で、彼に問いかける。
「………オレにはもう、成長を見届けてくれる人がいないから。必要ない。」
そのボールは地にゆっくりと投げ捨てられた。
―――ころころ……
ゆっくり転がって、百合の足元で止まる。
「私もね………。お父さんとお母さんが離婚して、今は、お母さんしかいないの。」
大雅の目が少しだけ驚きで見開かれた。
「大雅くんのように、二人とも死んではいないけど……お父さんは私の成長を、もう…見届けてくれない………お母さんは最近やっと、ショックから立ち直って、家のことを何とかできるようになったんだよ。」
彼女の瞳は寂しげだったが、強さにあふれている。
「私の心は壊れて、バラバラになりかけてしまってた……お母さんも、伏せってしまって…私のことを見てくれなくなって…でも、そんな状況を救ってくれた人がいたんだよ。」
イレールのブルー・サファイアの瞳に笑顔を向ける。
「それから……少しずつ、私の日々は輝き始めた…それは以前の日々よりも、もしかしたら、輝いているのかもしれない……」
百合は足元のボールを拾った。
「今はつらくても………きっと人は、再び笑うことができるよ。ご両親も、大雅くんの幸せを願ってる。人は絶対に一人にはならないの。誰かが、必ずその人なりの形で、見守ってくれている。」
レッド・キャップのほうを少し窺ったのち、もう一度、そのボールを彼の手にのせた。
大雅の瞳が、少しだけ潤んだ。
ボールを今度は、力のこもった手で握った。
「……オレの両親は…オレを全力で応援してくれてた。」
少しずつだが、彼の瞳に生気が宿り始める。
「このボールは、親父がよくキャッチボールをしてくれてた…思い出のこもったボール。」
「オレの試合には、いつも二人とも観戦に来てくれて……オレもがんばってレギュラー入りして……将来は……プロになるために、三人でがんばってた………」
「……二人が死んで…オレの中の、なにかが……死んだ。ずっとそうだった…」
「でも……!オレだって――――――――また笑いたい!」
大雅は叫んだ。黒い瞳に、力強い輝きを持って。
「ブラボー……だ。娘よ。彼は生きているぞ………」
レッド・キャップは、信じられないといった様子で言った。
イレールが穏やかに百合のもとへ近づく。
「イレールさん……」
「私が、仕上げをしますね………彼の生気に満ちた心を、より強固にしてあげるために。」
二人は微笑み合う。
「大雅君……貴方はもう、充分に心に輝きを取り戻しつつある。でもそれは、まだまだ柔らかくて、頼りないもの…貴方の心に、宝石の強さ、気高さを……。」
イレールは右手に、血石――――ブラッド・ストーンを出現させる。
「これはブラッド・ストーン……キリスト教の救い主、イエス・キリストの聖血より生まれし宝石。」
彼の手を離れ、大雅のもとへと聖光を放ちながら漂う――――
「すべての生きとし生ける者は、すべて、その身に流れる血潮をもつ……この石は――人の生きている証そのもの。生きる喜びを忘れてしまった者に、救い主のように、生きる喜びを思い出させてくれる―――――」
「さぁ―――――生きて………」
レッド・キャップは、ニヤニヤしながら高校の屋上から、ボールを投げる大雅を眺めていた。
「胸のわだかまり、とれたでしょう?」
イレールが風に髪を揺らしながら、穏やかに聞いた。
「ああ。おかげさまでね……」
彼はキヒヒ…と笑った。
「ワシら魔法族も、ここ数百年で、人間的になったものだな。このレッド・キャップが、この少年を見守りたいと思ってしまう日が、くるとはな。」
「でも、悪い気はしないでしょう?」
「ふんっ……」
レッド・キャップは、面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、
「あの子と、四賢者の長であるお前の、幸せを願っている……それが、どんな結果を導くのか……まったく見当がつかないがな。」
表情は変わらなかったが、どこか優しげに言った。
百合は離れたところから、楽しげに屋上から高校球児を眺めている。
「………人間と魔法族、一筋縄ではいかない関係。……でも―――」
「ともに――――――――生きて行こうと思いますよ。」
レッド・キャップは、昔自分が殺めた人間の血が染み込んだ、血塗られた帽子を手に持った。
彼は人を殺める存在、そこには単なる善悪で測れない、人ならざる者の道理がある。
ただ―――人間の生きる証である血潮をあびて、誰よりも人間の“生きる姿”を知っているのだった。




