7Carat 満月の夜はヴァンパイア・ナイト 後編
―――パチン!
百合は植物園の入り口近くに降り立った。
茶色いロングコートを着たミカエラがこちらに気づいて、朗らかに手を振っている。彼女を見つけて、少しだけ心が落ちつく。
「ミカさ~ん!来てくれてたんですね!」
「ええ~有給二日目よぅ~。今は企業の美術館のコレクション展が来ているのだけれど、後輩の西園寺君が頑張ってくれてるわぁ。きっと、目まぐるしい忙しさよぅ。」
「……それ、有給とっていいんですかね………。」
―――「きゃ~人間の女の子ですわ!それもかわいらしい!王宮に連れて帰りたいぐらいでしてよ~」
デンファレ姫が百合のもとへ走って来る。その後ろにはそんな彼女を愛おしそうに見つめるジョルジュ。
「デンファレですわ!よろしくお願いしますの!」
にこやかに手を合わせて、デンファレはかわいらしく挨拶する。
(うー……ん。やっぱり普通のかわいい女の子だなぁ………抱き着かれたら、どうなっちゃうんだろう……何もなさそうに思えるんだけど…)
そう思いながら挨拶をすませ、百合、ミカエラ、ジョルジュ陛下、デンファレ姫の四人でこの植物園を散策し始める。
他の季節なら豪華絢爛、百花繚乱に様々な植物にあふれているここも、冬は花の種類が少なく、少し寂しげだ。しかし、ウサギや犬などの動物、飛行機や家の形に剪定された木々が所狭しと立ち並んで、迷路のような道を形成し、訪れる人を楽しませている。それらの木々には目立たないように電飾がつけられており、夜はライトアップされることを示していた。
その園芸植物が織りなす迷路道を散策し、早めにレストランで昼食を取る。
「デンファレ、どうだ?楽しいか?」
「ええ!人間界は建物の形も変わっていて、植物も見たことないものばかり!歩いているだけで楽しいですわ!ジョルジュ、ありがとうございますの!」
ジョルジュとデンファレ姫は人目を気にすることもなく、仲良く腕を組みながら、巨大温室を目指して、どんどん先を歩いて行く。
「これ……私たちいない方がいいんじゃないですか?」
百合がその様子を見ながら、穏やかに言った。
「そうねぇ……お邪魔かもしれないわねぇ。」
ミカエラも同感のようだ。
―――――グラッ……!
―――メキッ、ゴキ、バキバキバキッ!
(あれ?なんか今ちょっと地面が揺れて……コンクリートが割れたみたいな音がした?)
とりあえず気にせずに、百合はジョルジュに尋ねる。
「陛下さん、私たちお邪魔ですよね。退散しましょうか。」
「いや、いてくれ。確かにオレらは今完全にデート気分なんだけどよ。何しろ人間界になじみがねぇから、何かやらかしそうで、こぇーんだ。…………ほら見ろ。現にデンファレが電信柱を引っこ抜いてる………。」
「ジョルジュ~、不思議な植物が生えてましたの~持って帰りたいですわ!」
驚いたことに
―――彼女はその細腕で電信柱を引っこ抜いていたのだった。
誇らしそうに片手でそれを掲げている。
ご機嫌にそれを手で弄ぶたびに、繋がっている電線がぐらんぐらん揺れて、周りの電柱も揺れている。
「ええええええええーーーーー!」
「あら、まぁ。」
百合は最高に驚いているが、ミカエラは落ち着いていた。
「デンファレ様、それは電信柱といって、人間たちの生活には欠かせないものなのです。何より植物じゃないんですよ。」
「え?植物じゃありませんの?じゃあ、興味ありませんわ。」
ズシィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
地響きがして、それはもとの位置に戻された。
幸いなことに、冬の植物園に人はあまり居らず、その状況に人間たちは気付かなかったようだ。数人は地震かと思って地面をキョロキョロしていたが。
百合は、イレールが抱き着かれないように気を付けて…と言った理由が分かった。
(………すごい怪力だ。あんな力で抱き着かれちゃったら、ひとたまりもなさそう……)
悪い子ではなさそうだが、デンファレは百合の中で、危険人物にされた。
―――その頃のイレール
彼はしっかりその状況を見てしまっていた。
百合に見守っていて、と言われたからだ。
(うわああああああ…………なんて恐ろしい!あの時の恐怖が!脳裏をよぎる……!)
寒がりの彼は、黒いファーコートを着こんであたたかい格好をしているのだが、きれいな顔が恐怖で青白くなっている。
彼は誰もいない展望台で、瞳を潤ませて一人静かに、自分を抱きしめて震えていた。
「南国の花々はやっぱり好きですわ~!」
デンファレは色彩豊かな洋ランに囲まれて、ご機嫌に両手を広げて、くるくる回っている。
ローズクオーツのツインテールがそれぞれ弧を描いて、周りの花々に負けないほどに可憐であった。
「デンファレ姫はなんていう種族なんですか?」
百合がにこやかに話しかける。
「わたくしは、ジョルジュと同じヴァンパイアですわ。ほらっ、牙もありますの!」
口を開けて、牙を示す。ジョルジュのように血を吸うための鋭い犬歯が生えていた。
「ジョルジュさん……ヴァンパイアはみんな怪力なんですかね……?」
デンファレに聞こえないように、百合がジョルジュに尋ねる。
「ああ。オレも怪力なんだけどよ。デンファレは特にすげーんだよ……力加減が良く分かってねぇし………。力の次元が大体同じだから、オレはそれでもデンファレとうまく付き合ってるけどな。お前に被害がないようにオレとミカエラで守ってやるけど、自分でも気を付けといてくれ。」
「ありがとうございます……気を付けます。」
「なにをしていますの二人とも?早くランを見に行きましょう?」
デンファレ姫が駆け寄ってきたので急いで話を切り上げる。
ミカエラがこっそり百合に話しかけた。
「イレールは彼女にすっごく好かれちゃっててねぇ。見つかっちゃうと抱擁されちゃうの……魔法族だから体は丈夫なんだけど、前に一度全身全霊で抱き着かれちゃったときには………あばら骨が十本複雑骨折する事態になっちゃったのよぅ………それ以来、彼女は彼の中でトラウマなのよ……。」
「うわぁ………すっごい話ですね…それは、あんなに怖がるのも無理もないかも……」
百合はジョルジュと腕を組んで楽しそうに歩いているデンファレをちらっと盗み見た。
ガラス張りのドーム型の巨大温室は冬でも暖かく、南国の花――洋ランが、生命力たっぷりに咲き誇っていた。カトレアやシンビジウム、パフィオなどの様々な洋ランが通路を取り囲むように咲き並び、ランの小道を作っている。水分を花弁に多く含む独特の美しいその花々は、精密な砂糖菓子のように柔らかく、儚げであった。
デンファレが百合の隣にスキップしながらやって来て、話しかけてきた。
「ねえ、百合には思っている人はいませんの?」
「え!?いきなり何ですか?」
思ってもいない質問である。
「わたくし普段はあまり若い女の子と話す機会がありませんの。だから、あなたとこういうお話がしたくて!」
「うー……ん。あんまり恋とか、そういうのには疎いので………」
――――なぜかその時に、イレールの匂いを思い出した。
「………好きな人、とか、恋とか関係あるか分からないんですけど……」
「ええ!なんですの!?」
デンファレはきゃぴきゃぴしながら、彼女の話に聞き入っている。
「―――――もっと、近づきたい人なら、います。」
「きゃ~~~!」
「あっ!でも、この思いがそういう思いなのか、自分でもよく分からないんです!」
慌てて付け加える。
デンファレは満面の笑みで言った。
「百合のその思いが恋であるかなんて、あんまり関係ないと思いますの!」
彼女はミカエラと話しているジョルジュに視線をやった。
「わたくしたちは許嫁としてお互い出会いましたわ。でも、それからお互い惹かれあっていくうちは―――それが恋かどうか、なんてどうでも良かったのです。ただ、近くに居たくて、もっとお互いのことが知りたくて、そして、一緒にいると幸せを感じられていましたの。心が本当に通じ合っていたから………間柄の名目なんてどうでも良かったのですわ。」
デンファレはうっとりと目を閉じた。
「そんな風に、日々を過ごしていたら―――いつの間にか、恋人になっていましたわ。お互いにある思いが芽生えたから――――」
「この人に、特別な愛情を、もっと自分に向けてほしい。という思いが、芽生えましたの。」
「―――だから、百合はまだ、それをゆっくり見つめて、あたためて、自分の心に耳を傾けていれば、おのずと、その思いの正体が、姿を見せてくれると思いますわ――――」
百合は、彼女の言っていることがよく理解できなかった。
それでも何となく、分かったような気もした。
日光が温室の室中をオレンジ色に染め始めたころ―――
「悪いけどさ……これから先は二人っきりにしてくれねぇか?」
ジョルジュがデンファレの手を取って言った。
「まあ!ジョルジュ………!」
彼女も感激したように彼を見つめた。
「もちろんよぅ~、お幸せにねぇ~!」
「素敵です!お幸せに~!」
百合はミカエラとともに、イレールのところへ戻った。
イレールはなぜか、毛先だけゆるく癖のある、長い薄茶の飴色の髪を結んでいたリボンを取って、髪を自由に流し、眼鏡をかけていた。
「イレールさん、似合ってますけど………それは……。」
とても様になる姿なのだが、突っ込まずにはいられなかった。
毅然とした態度で彼は答える。
「これはですね……気配を消してもなお、デンファレ姫の存在に怯えてしまう私の精神が打ち出した安寧への究極手段………変装です!」
眼鏡をきりっと指で押しあげる。
彼は現在、迷走中のようだ。
「――――それよりも……そろそろですね。」
イレールが展望台から下を見下げる。
―――――ポッ……ポッ……
少しずつ暗くなっていく植物園に、イルミネーションの光の世界が着々と出来上がっていく。
――――ポッ………
――――そして、一面に、ブリリアント・カットのカラー・ダイヤを散りばめたような、きらびやかな世界が出来上がった。
それは、夜空の星が地におちて、天の川のような光の道をつくったよう。
剪定されて誕生した、緑の動物は光の粒で生気を吹き込まれている。
暗闇に浮かんだ数えきれないほどの光の粒がキラキラ輝いて、幻想の世界。
「きれい………」
百合はその情景に息をのむ。
「今日は私にとって苦しい一日でしたが……それもどこかに吹き飛んでしまいますね。」
イレールが微笑んで言った。
ミカエラは、はっとしたように口を開いた。
「そうだわぁ~、そろそろ美術館に戻らないとねぇ。西園寺君を労ってあげなくっちゃあ。
……あとはお二人の時間だものねぇ。」
朗らかに二人にウインクすると、タクトをふって、彼女は行ってしまった。
(ミカエラ……)
イレールは友人の気づかいに感謝すると、百合に向き直る。
「そこの椅子に座って……景色を見ながら、少しお話ししませんか?」
展望台に備え付けられた椅子に二人で腰かける。
彼は眼鏡を取った。
「眼鏡、もういいんですか?」
百合は微笑みながら聞いた。
「はい。もう、安心できますから。」
優しく、彼は微笑んでいた。
いつも中性的な美しさを持っているイレールだが、今夜は満月の月明かりにその美貌と、艶やかな飴色の長い髪が照らされて、神秘的な美しさを備えていた。
それに見とれていると、彼は不意に言った。
「昨日、悩んでいらっしゃったこと……教えてくれませんか?」
真剣に彼女の黒曜石の瞳を覗いている。
「………はい。」
百合は、自然とそう返事して、胸の内を語った。
「私の呼び方のことです………」
「呼び方、ですか……?」
彼の瞳が、不思議そうに見開かれた。
「自然なことだと思うんですけど…イレールさんは自分の幼馴染を呼び捨てにしますよね。でも……私のことは“さん”づけだから…どうしてか……少しだけ、心の距離を感じちゃったんです………」
彼は、しばらく黙っていたが、穏やかに言った。
「私が貴女を“さん”づけで呼ぶのは、親愛を示すためです。」
「親愛………?」
「確かに“さん”って、あまり親しくない人に一般的には使いますから、そう感じさせてしまいましたね……ごめんなさい。」
イレールが申し訳なさそうに言った。
「……でも、貴女もミカエラを“ミカさん”と呼ぶでしょう?ここでの“さん”はこの“さん”ですよ………」
揺れている彼女の瞳を優しく見つめながら、百合の頭に手をそっとのせる。
少しだけ、隣あった彼らの距離が近くなった。
「貴女は“ミカさん”と呼ぶと、どんな気持ちがしますか?」
「………口の中で、ミカさんへの親しみが広がるような気がして、あったかい気持ちになります。」
「それと一緒です……」
そっと、頭にのせた手で彼女を撫でて、すぐに手を離す。
―――満月に、仲良く手を取りあって空を舞っている二人のヴァンパイアの影が小さく見えた。
「ねぇ、二人で力を合わせて、雪を降らせませんこと?!」
植物園には、友達や家族、恋人とイルミネーションを見に来た人々が集い始めていた。
「おう、いいじゃねーか!人間ども、喜べ!今日をもっと幻想的な夜にしてやるぜぇ!」
二人は仲睦まじく満月の夜空を、ダンスをするように、こっそりと飛び回る。
―――ちらちらと、粉雪が舞った
それはイルミネーションの光の粒に照らされて、空中に漂うダイヤモンド・ダストのよう――
「寒くなってきましたね……」
イレールは困ったように言っていたが、どこか嬉しそうであった。
百合はそれを見て、優しげに微笑みながら、彼の右手を自分の左手で包んだ。
「これで少しは、寒くないと思っていただければ、うれしいです。」
「はい……全然、寒くないですよ。」
彼は穏やかに言って、目を閉じた。
「ありがとう…………イレール、さん……」
百合はそっと、イレールに聞こえるように呟いて、幻想的な情景へと、視線を移した。
ここは宝石店
――――パサ………
イレールはカウンターで眠っている百合に、自分のファーコートをかけた。
「よ!今日はありがとな!」
満足顔のジョルジュが入り口に、いつの間にやら立っている。
「いえいえ…………満足していただけたようで、何よりです。」
リボンで再び自分の髪を結ぶ。
ジョルジュは眠っている百合をちらっと見て言った。
「……お前がさ、何に悩んでその子に、あの事……と、自分の思いを伝えないのか、馬鹿なオレには分かんねぇけどよ。」
「それが全部その子のため、その子を思ってのこと………っていうのは分かるぜ!さすがのSaint-Hilaire様も頭を悩ませるぐらいにな!」
「その呼び方……やめなさい。」
きっ、と彼を睨む。
「こえーーーーーよ!わりかったな……」
ジョルジュは焦って謝ると、玄関へと足早に向かう。
「じゃ、また来っから。………そのスターサファイアと同じようなデザインのジュエリー、考えやがったら許さねぇかんな!お前の全身の血抜いてやる!」
口調とは裏腹に、悪戯っぽく笑っている。
「………もちろんですよ。そんなことしません、絶対に。」
胸に輝くそれをなでる。
――――バタン!
荒々しく、そのドアは閉められて、友人は帰っていった。
彼は、友人の消えたドアを見つめていたが、百合のほうに柔らかく視線をやった。
(いつか……この子に、この胸の内にあるものすべて…伝えられる日が来るのなら、私にどうか――――光を…………)
スターサファイアは、優しい、六条の光で、それに応えた。




