7Carat 満月の夜はヴァンパイア・ナイト 前編
今回は百合とイレールに焦点が当たっています。
7Carat 満月の夜はヴァンパイア・ナイト
上弦の月のもと
道化は寝静まった住宅地の屋根を駆け巡り、飛び上がり、密やかに疾走する。
――――スタッ……シュタッ………
トン………シュタッ……
ほとんど物音はない。
それは人間の耳には聞き取れないほどの微音であった。
気配を完全に消し、月光に照らされた長い銀髪をなびかせて、しっとりと暗闇に仮面が浮かび上がる。不気味に笑ったその姿――――
――――死神、クラウン
彼は教会へと向かっていた。
―――――――――ある人物の気配を感じたからであった
あっという間に教会へとたどり着き、その人物の姿を視界にとらえる。
ゴシック建築を意識した大きなステンドグラスの窓をもつその教会。
その教会の尖塔に、目的の人物はいた――――
黒く細い影が怪しく教会の屋根に伸びて、尖塔の小さなその先端に、驚異のバランス感覚で立っている。
クラウンはニタリと笑い、もう片方の尖塔に自分も降り立つ。
彼は腕組みをして、片足立ちでそこに立った。
「これは、これは。ごきげんうるわしゅう――――陛下。」
口調は非常に丁寧だが、口元は不敵に笑っている。
「―――――――だまれ、元宮中の犬め。」
吐き捨てるように言ったその人物は、顔を上げた。
燃える炎のようにうねる、ミディアムの髪はワインレッド。不機嫌そうにひそめられた釣り目がちの瞳は、良質の紫水晶のように暗闇でも明るい紫色を放つ。首元のフリルをアメジストのブローチで止め、黒いズボンに、これまた漆黒の刺繍たっぷりのベルベットのコートを着て、今から気品ある夜会に向かうかのような美しい若者であった。
クラウンは胸に手を当てて、わざと傷ついたかのように言う。
「心外ですな。今はもう、サーカスの自由な道化でございます。宮廷道化師ではありませぬ。」
「ふんっ!いつもオレを小ばかにしたように話しやがって!」
苦々しく彼が口を開くたびに、鋭い犬歯がチラチラ見えた。
「――――まあいい。オレをつれてけ。人間界は不慣れなんだ。」
クラウンはお付きの執事のように恭しく頭を下げ、命令を了承する。
「どちらをご所望ですかな?」
「イレールのところだ。イレールの宝石店へ。」
―――「こんにちはぁ~、ゆりちゃん。」
おっとり、気の抜ける声がしてミカエラが百合を迎えに現れた。
毛先のみ、きつく巻かれた見事なブロンドの髪がくるりと揺れて、彼女の癒し系オーラも周囲に満ちる。
百合を見つけて嬉しそうに、彼女の両手を自分の両手でそれぞれ握る。
「こんにちは~、ミカさん!イレールさんは接客中ですか?」
百合も嬉しそうにその手を握り返した。
「そうなのよぅ~でも、あなたのお迎えをしたかったから、彼が行こうとしてたのを変わってもらったのよ~わたし、ゆりちゃん大好きだもの~!有給取ってよかったわぁ!」
「わ~~!うれしいです!私もミカさん大好きです~!」
お互いのんびりした気質なので、二人はすごく仲が良い。
薄暗いはずの宝石店へとつながる路地裏が二人の天使オーラで明るくなる。ミカエラは指揮者のタクトをご機嫌にくるんと振って、彼女を魔法の空間へ今日も導いた。
「―――――じゃ、そういうわけだから、よろしく。」
「また、無茶なことをおっしゃいますね………。」
はぁっとため息をついて、イレールは目の前の人物を困ったように見つめた。
イレールがカウンターで向き合って話しているのは
――――クラウンが昨日の夜連れて来た、高貴な服装の、赤毛の美しい若者。
――――チリン!
ドアが開いて、ミカエラと百合が入ってきた。
「ミカエラ、帰還よぅ~」
「こんにちは~」
「ありがとう、ミカエラ。――――こんにちは、百合さん。」
イレールが百合をにこやかに迎える。
―――――そして、入って早々百合は、赤毛のその若者に、鋭く刺さるような目線を向けられた。
――じ……
「な、なんでしょうか………。」
鋭い紫水晶の瞳が獲物を見るかのように彼女を捕らえている。
―――ニッ……
鋭い犬歯が覗き、彼女はビクッとする。
(こわ……い…………!)
体から血の気が引いて行くのが分かった。
―――――――――気を抜いたらかみ殺される!
本能がそう言っていた。
だんだん顔を青くして怯えた表情になる彼女を見つめていた若者だったが、不意に、ハッとした顔になった。
「あっ、やべっ!つい、うまそうだと思っちまった!ヴァンパイアの性なんだ!悪りぃな!」
人懐っこい顔つきになって、両手を合わせて彼女に謝った。
深々と頭を下げている。
見た目に似合わない口調とフランクさだ。
口は悪そうだが、フレンドリーな感じがする。
「まったくですよ!陛下………しゃれになりませんよ………?」
イレールは微笑んでいるが、目が笑っていない。
ブルーサファイアの瞳が黒みを帯び、氷のように冷やかだ。
赤毛の彼はひきつった顔になって、
「わるかったよ!最近血を飲んでねぇから……ちょっとは大目に見てくれよなーーー!」
と必死に謝っている。
「あ………、あの……。」
百合が遠慮がちに口を開いた。
「あなたは、ヴァンパイアってことですか………?」
「そうだよ。オレはヴァンパイアなんだ。ヴァンパイアのジョルジュ・クロイツ。」
うねるようなパーマがかかったワインレッドの髪をかき上げて、自らの気品を見せつけて堂々と自分を売り込む。
「うわぁ!かっこいい!じゃあ、イレールさんとはどういったご関係なんですか?」
「俺はイレールの―――――」
得意そうに彼が口を開くよりも早く、イレールが口元に手を持ってきて、にこやかに言った。
「彼は私の、サイフです。」
「!?――――――ちげぇーーーよっ!お前のパトロンだよ!そしてせめて幼馴染だと言ってくれよなーーーーー!」
彼は流石にこんなこと信じないだろうと思いながらも、慌てて百合のほうを向く。
「イレールさんのお財布はヴァンパイアなんですね………どこにお金をいれるんだろう……出かける時には持ち運びやすい大きさになるのかな………」
衝撃を受けた顔をして、百合はぶつぶつ何やら言っている。
「どこ気にしてんだよ!ってか、そういう意味に取るってある意味すげぇーな、お前!!!」
ジョルジュは気の抜けたような顔になる。
「はぁ……………っ、たくっ……何なんだよ…」
調子の狂った(狂わせられた)彼はへなへなとカウンターに座り込んで伏せってしまった。
「なあ……イレール。オレのこと嫌いか?」
ちょっとだけ涙声になっている。
「まさか!嫌いじゃないですよ!………ただ。」
イレールはお茶の用意を着々と手元でこなしながら、穏やかに話していたが、目がきりきりっとつり上がった。
「ただ………なんだよ……?」
どきりとして、ジョルジュは顔をあげた。
「毎回毎回、ありえない量と締切の特注をしてくるので、それに関しては語りつくせないほどの不満があります………。」
不機嫌そうに眉をひそめている。
彼のせいで時たまイレールの静かな夜は、戦争状態になるのだ。
「………う……。それに関しては悪いと思ってんだよ。でも、お前のデザインしたジュエリーは外交の交渉の品として、うってつけなんだよ………。」
―――トン……
ジョルジュの近くに、アールグレイの紅茶をそっと置く。
「分かってますよ……やむを得ない事情があることぐらい。そこは割り切って、特注にこたえますし、私がここで平穏に宝石店を続けていられるのも貴方のおかげです。感謝していますよ………」
「……お前だけだよ………なんだかんだで対等に接してくれるのは……クラウンはふざけてオレを王子扱いして遊びやがるし、そこの天使はオレを子ども扱いするし………。」
ちらっと、ジョルジュは隣に座っているミカエラを一瞥する。彼女はおっとり微笑みながら彼らのやり取りをじっと見ていたのだが――――
反応がない。
「ミカさん?」
ミカエラの隣に座っていた百合は、ミカエラの顔を不思議そうに覗きこむ。
「ミカエラ、呼ばれていますよー。」
イレールが彼女に呼びかけた。
「うん?あらぁ、なあに?呼んだかしら、陛下ちゃん?」
頬に手を持ってきて、ミカエラはおっとりと答える。
「今、完全に自分が天使だってこと忘れてたよな………」
ジョルジュが呆れたように、視線をそらして言った。
「そういえば……陛下って呼ばれてるのはなんでですか?」
話題を変えて、百合が疑問を尋ねた。
「オレはさ、魔法界のこいつらの出身国の王子なんだ。王子なんて煩わしいったらねー。」
頭をかきながらフランクにジョルジュは答える。
イレールとミカエラは楽しげに笑いながら、それに補足する。
「将来的に完全に陛下の地位につくのと、本人の態度もでかいので、私たちがふざけて名づけたんですよ。」
「でも……呼ばれて悪い気はしてないのよねぇ?」
「ま、………まぁな。あだ名があった方が、お前らと特別に仲いい感じがするしな……」
ジョルジュは薄ら頬を赤らめて恥ずかしそうだが、しっかりした口調で認める。
(この三人って、本当に仲がいいんだ。)
その様子を見ていた百合は、心の中でそう呟いた。
クラースに、クラウン、ミカエラ、そして今日初めて会った、ジョルジュ。
いつもイレールは友人の話題になると普段以上に優しげに笑って、楽しそうな顔をする。
見ているこっちまで、幸せになってしまうくらい。
そして、イレールの幼馴染を少しずつ知って、彼らのやり取りを見ていると、“素”の彼らの姿があった。よく言う冗談も、信頼し合っているからこそ許されるような話題だ。
―――――――そういえば、イレールは彼らを呼び捨てで呼ぶ。
(私のことは―――“さん”づけ……なんだな…………)
少しだけ、彼との間に―――――――――――――――――――――距離を感じた。
百合は胸の内に芽生えた少し切ない思いを押さえる。
そして、幼馴染たちと笑いあっている彼の姿を見つめた。
(お願いしたら、呼び捨てにしてくれるのかな――――でも、それじゃあ……なんとなく、この胸の痛みが増すだけのような気がする………。イレールさんが誰かを呼び捨てにする条件ってなんだろう?いつもあんなに優しく見守ってくれてるのに、信頼しているのに、それで十分なはずなのに、こんなことを考えるのは………どうして?―――)
―――「百合さん………そんなに悲しそうな顔をして、どうしたんですか?」
気づくと、イレールが、椅子に座った自分の隣に立って、心配そうに顔を覗き込んでいた。
――――ふわっ、と彼の匂いがする。
それは彼が―――
ふと、隣を通った時に
お茶を出してくれる時に
路地裏に迎えに来てくれた時に
いつも自分の手を握って、引いてくれる時に
頭を撫でてくれる時に
ほのかに香る、優しい匂い―――――
「あ………いえ、何でもないですよ~~~~!」
百合は慌てて取り繕うが、彼はますます心配そうな顔になる。
「何か………あったんですよね……?」
「本当ですよ~!」
手をヒラヒラさせて必死に隠す。
「…………。」
彼はそのままじっと百合の顔を覗き込んでいたが、どこか寂しそうに目を伏せて、追及を止めた。
(……私が何かに悩んでること……伝わっちゃったかな…。)
そんな反応だった。
その様子に、ミカエラとジョルジュも心配そうにしていたが、イレールが踏み込んで聞かなかったので、何も言わなかった。二人は小声でささやき合う。
「なあ、ミカ。クラウンから聞いたけど、あの二人ってさ………。」
「不器用さんなのよね………。もったいないわ。」
二人とも、小さく頭を抱えた。
―――わずかに雰囲気が暗くなってしまった。
それを吹き飛ばすかのように、努めて明るくジョルジュが口を開いた。
「………あのさ!結局オレの頼みは聞いてくれんの?」
イレールは元の、微笑をたたえた表情に戻って言った。
「了解です。ただし!条件がありますよ!」
「分かってんよ。あいつはお前の前には連れて来ねぇから、安心しろ。」
「お願いします………私はどうしても、彼女が苦手なんですから……。」
珍しくイレールが身震いしている。
「じゃ、よろしく。デンファレがご機嫌になるような散策プランを考えてくれよ!」
―――ジョルジュの頼みを平たく言うと、
人間界の観光プランを代わりに考えろ、ということらしい。
陛下の許嫁――デンファレ姫が、人間界に行ってみたいと言いだし、その望みを叶えてやりたいという。
陛下自身もあまり人間界には来ないので、こちらに住み着いている幼馴染の彼らを頼ってきたのだ。
「百合さん!―――デンファレ姫が近づいて来たら、一緒に逃げてくれませんか?!」
イレールは身を震わせて、彼女の白いブラウスの肩部分をくしゃっと握ってきた。
なんだか、愛らしい姿だ。
百合は、さっきの胸の痛みが引いて行くのを感じた。
自然に微笑みが出てくる。
「イレールさんはその、デンファレ姫って人が苦手なんですね?」
「はい………。恐怖でしかないんです。」
「じゃあ、一緒に逃げます!どこまでも引っぱって行っていいですよ!」
決して、彼との絆は弱いものではないのだと、彼女は思った。
今はそこに、身をゆだねて――――――
「―――こんな感じでいかがですか?」
考え終わった人間界観光プランを、イレールはジョルジュに手渡した。
「どれどれ…………」
ジョルジュは椅子に、偉そうにふんぞり返って座って、専属の従者から受け取るように、それを受け取った。
「デンファレ姫は人間界の洋ランがお好きですから、一年中温室で洋ランが咲き乱れている植物園を最後にもっていきました。そこは冬の間、夜にイルミネーションの光の祭典をしています。園内のレストランで、それを見つつディナー………ムードたっぷりのはずですよ~~」
イレールがにやにやしながら冷かす。
「……うるせぇ…!お前にムードを心配される筋合いはねーよ!美しき、愛するデンファレ!そして、これまた美しきオレ様がいることによって、ムードは自然と出んだよ!オレの存在、重要!」
結構ナルシストなことを言っているが、照れて頬が赤くなっている。
「……これさ……悪ぃけど、前半カットしていいか?」
「構いませんけど………どうしてですか?」
そのプランでは植物園に午後からずっと居ることになっている。午前中はその他諸々が日程として組まれていた。
「たぶんデンファレ、午後だけじゃ足んねんだ。いつもオレの王宮にある小さい植物園でさえ、遊びに来たら出たがらなくってよ。ここの洋ランを見ながら、オレと話すのが好きだっつって………。」
紫水晶の瞳が遠くを見据え、恋人を思い出して優しげに細められていた。
「………そうですか。あくまで私は提案しただけですから、お気になさらないでください。」
イレールも、微笑ましそうに目を細める。
「素敵だな……恋人……。」
百合が、うっとりしながらジョルジュを見つめ、呟いた。
ミカエラは百合の頭をなでながら思う。
(ゆりちゃんにも、きっといつか……固い絆で結ばれた、そんな存在ができるわ。とてもあなたを強く大切に思うあまり、慎重に、不器用になっている人がいるんだもの。普段はあんなに人の心を知り尽くしたかのように振舞っているのに、自分の心のことになると………困っちゃうわ。でも、それが、彼の素敵なところなの………考え抜いているの……自分も、あなたも、幸せになれる道を………)
ミカエラは、二人を見守る天使であろうと、その最後に誓った。
次の日
「あれがデンファレ姫なんですね!すっごくかわいい~!」
百合が双眼鏡で見つめているのは――――かわいらしい女の子
噂の彼女は、小柄で華奢な体を、落ち着いた品のあるクラシカル・ロリータファッションのワンピースで包み、ローズクオーツのような薄ピンクの髪を高めの位置でゆるく、白いリボンで結んでツインテールをゆるく垂らし、妖精のような姿をしている。瞳はパッチリとして、陛下の髪のようなワインレッドをしていた。植物園の入り口で、人間界の街並みを興味深そうにキラキラした瞳で眺めながら、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ………落ち着きなく走り回っている。
「うわあ…………見てしまった……!」
―――ここは植物園全体が見渡せる、園内の高い展望台
そこで、彼―――イレールは、短く情けない悲鳴をあげた。すぐに目をそらして、百合の背後に隠れる。
「本当に、苦手なんですね………。苦手な人に怯えているイレールさんを見るのは、初めてです。そもそも、苦手な人がいるのか不思議に思っちゃうくらい人当たりいいのに……」
「嫌いでは、ないんですよ………怖いんです!」
イレールは百合のコートを掴んで、震え始めた。
ブルーサファイアの瞳をぎゅっとつぶって、恐怖を伝える姿は母親の影に隠れる子どものようだ。
百合は微笑ましくて、くすっと笑った。
「今日は私を頼ってくれませんか?イレールさんの心が落ち着いてくれるなら、何でもしますよ!」
「本当ですか!?」
「はい!」
「じゃあ……私は今、彼女に存在を気づかれないために、気配を全身全霊で消しています。彼らの観光プランを考えた身ですから、彼女が苦手だからといって、ほっといて帰るわけにもいきません……しっかりと観光が楽しいものであるか見届けたいのです……。私はここにいますから、代わりにミカエラと彼らを案内してくれませんか?………やはり人間がいたほうが人間界観光として盛り上がると思うんです……。」
ここまで怯えた状態でも、彼らの観光をよりよいものにしようとしているのが健気だ。
「了解です!イレールさんはここから見守っていてください!」
気立て良く返事した百合とは対照的に、イレールは心配そうに彼女を見つめた。
「……ありがとうございます…そして、注意点があるんです……これだけが非常に心配なんですが……絶対に!デンファレ姫に抱き着かれないようにしてください…………!」
「………へ?」
気の抜けるような注意点だが、彼はいたって真剣そのものである。
「お願いです………!」
「……分かりました!気を付けます!」
何か大変な目にあってしまうのだろう。よくわからないままだが、百合は約束するしかない。
「陛下とミカエラがついていますから大丈夫だと思いますが、お願いします………あんな目に貴女があってしまったら………!」
「ん?……………あんな目?!」
イレールは身をぶるぶると震わせて、百合を彼らの近くに運ぶために指を鳴らす。
(イレールさーーーーーーーん!最後の注意点のせいで、すっごくこわくなりましたよ~~!)
心の中でイレールに叫びながらも、何でもすると言ってしまった百合は、否が応でも行くしかないのだった。




