6Carat 御真弓の追憶
御真弓様の過去のお話です。
6Carat 御真弓の追憶
御真弓様
白魔術師イレールの宝石店に眠りし、真弓の神―――――
これは彼が、愛しい彼女の心に抱かれて安寧の眠りの中で追憶した、泡沫の夢
もう誰も語る者はいない、小さな小さな――――――神話
「あはは!くすぐったいよ!猛禽類の羽はどうしてこんなに柔らかくてふわふわなんだろう!」
御真弓様は檀の大樹の大枝に腰を下ろして、友達の隼を肩にとまらせていた。彼の白い真珠のような光沢をもつ、肩まで伸ばした外に軽くはねている髪をかき分けて、隼は頬に体をすり寄せて来る。その足には御真弓様からの寵愛の組み紐が結ばれている。
その隼は普段海辺の切り立った崖に住んでいるのだが、御真弓様に会いに檀の樹林まで飛んできてくれるのだった。
少しあどけなさの残る白藍の瞳を細めて、隼の羽をなでてやり、それに応える。
「ほら見て。今日もあんなに僕らの大弓を訪ねてくれてる。」
隼は示された方向に目をやる。
そこは彼を祀る社―――神棚には彼と人間の友好の証、白い大弓
その社は今日も彼への参拝者が後を絶たない。
彼はその檀の大樹に座って村全体を見渡すのが好きだ。
ここなら村を走り回る子どもらや忙しそうに働く大人たちの生きた声までも耳にすることができる。
「きっ!きっ!」
「あっ、どうしたの?」
俄然、隼が飛び上がり、彼にここに何かあるというように樹林の一か所で円を描くように飛び回っている。
御真弓様は胸騒ぎを感じた。
軽やかに、天狗のように檀の枝から枝へと飛び移って、そこへと急ぐ。
「――――危ない!」
――――小さな女の子が、大猪に襲われていたのだ!
――フッ……フッ……!
大猪は鼻息を荒くして、将に(まさに)少女に飛びかからんとしている。
「う…………あ……………」
少女は恐怖で動けなくなっている。
――――キャン……
弦音が冴える
御真弓様は大弓を手にし、大猪をかすめる程度の位置に矢を放ったのだ。
「ぐるるぅーーーーーーーー!」
大猪は驚いて退散する
「………これで大丈夫だね。」
落ち着いた心で静かに微笑み、弓を手から消す。
しかし、少女は安堵感から泣き崩れてしまった。
「うわああああぁーーーーーーん!」
「あっ!どうしよう…………。」
ここは檀の樹林、森は深くて一人で村まで帰ることは、ほぼ不可能だろう。ここに放っておくわけにもいかない。
暗くなれば動物だけでなく、妖怪などの妖も活発に行動するのだ。
隼が再び彼の肩にとまった。
じーーーーっと、鋭い瞳を丸くして彼を見つめている。
「…………う。助けたいけど神の掟上、寵愛した者の前にしか姿を現せられないんだ。」
「きっ!きっ!きっ!」
「え?相手は子どもだし、ばれなければ大丈夫じゃないかだって?うん………それはそうなんだけど……そういう問題じゃないんだ……。いたた!つっつかないで!人でなしじゃないよ!そうだね………何より子どもだし……ここで助けなかったら、僕も自分が許せなくなっちゃう……ありがとう!行くよ!」
神としての立場に揺れながらも、肩に隼を乗せたまま、少女を助けるために颯爽と木から飛び降り、少女のもとへ駆け寄る。
「大丈夫?」
その場に座り込んで泣きじゃくっている少女の隣に身を寄せる。
少女は彼の存在に気づいて充血した目を彼のほうに向けた。
「ぐすっ……!うぐっ………!ぐすっ……ぐすん…………だれ……?」
彼は安心させるように微笑んで話しかける。
「ここを偶然通りかかったら君が泣いていたんだ。きっと、迷子だよね?村は少し遠いから送ってあげようと思って。一緒に行こう?」
少女に手を差し伸べる。
「……………………………うん。」
彼女はまだぐすぐす泣いて黙っていたが、少しの間があって彼の手を握り返した。
「そっか、お父さんと…はぐれっちゃったんだね………。」
「うん……。焼き畑のための木や草を刈り取りに来てて、一人で遊んでいたら………いつの間にか知らないところに居て……迷っちゃったの……。」
御真弓様は少女の手をしっかり握って、小さい歩幅に合わせながら、彼しか知らない村への近道を歩いて行く。
だんだん日も落ちていき、村は橙色に染まりつつある。その頃。
「しのーーーーーーーーーーーーーー!しのやーーーーー!」
「どこやーーーーーーしのやーーーーーー!」
村人たちが少女を探し回っている声がする。
「もう何も心配はないね。さあ、お行き。」
彼は少女―――しの、という幼い少女の手を優しく離す。
「お兄さんは村に帰らないの?」
寂しそうに彼の袖を掴んで離さない。
水干の袖が小さい手で握りしめられて、くしゃくしゃになっている。
「ごめんね……僕は君と一緒に行けないんだ。」
「もう会えないの?」
「………うん。これで、さようなら。」
少女は瞳を再び潤ませ始めた。
どうやら懐かれてしまったらしい。
彼は人間のそんな顔に弱い。
切ないような、うれしいような、罪悪感のような感情――でも心地よい思い――が、胸の中で渦巻いた。
「……………この村には、大弓が祀られた社があるよね。」
「……うん。毎日お参りしてるよ。村を豊かにしてくれる神様がいるんだって、お父さんが言ってた………。」
「もし、君がどうしても困り果てて、助けてほしくて、苦しくてたまらなくなったとき――――――そこに、君の悲しみを祈ってほしい。」
「そしたら…………お兄さんにまた会えるの?」
「うん。その神様がきっと僕に知らせてくれて、君を助けてあげられるから―――」
「お兄さんは、わたしを助けてくれる人なんだね!今日も助けてくれたから、また助けてくれるんだ!」
しのは彼の腕に無邪気に抱き着く。
小さなその重みに、神としてではなく、人と同じ心を持った存在として―――喜びを感じた
「じゃあね!お兄さん!」
しのは瞳を夕焼け色に染めながら、彼に手を振って走り去った。
「はぁーーーー……良かった、ばれなくて………子どもは意外と僕らみたいなのに敏感なところがあるから冷や冷やしたよ……。」
彼は肩にとまった友人に苦笑いした後、
「…………君が背中を押してくれたおかげで、とても心があったかくなったよ。ありがとう。」
夕焼けを見上げて、凛とした声で呟いた。
―――――それから、数週間たった、ある日。
村は焼き畑を始めた。
焼き畑は山から刈り出した木や草を十分に乾燥させたのち、行われる。よく燃えるそれは、村中に焼けこげる匂いを充満させる。
そこかしこに細くたなびく煙があがり、空にうねった灰色の道をつくっている。
毎年の風物詩だ。
「季節が廻るっていいよね。人もそれを理解して受容して、その中で生きていく。反抗したりせずに、そこに豊かさとしての美を見つけて……焼き畑は一見すると自然を燃やす野蛮な行為に見えるかもしれない。でも、その過程で決して必要以上の草木を燃やさない。灰となったそれは地に養分となって降り注ぐ。それは別の命を育むんだ……それは数えきれないほどの命。そこへ芽吹いた植物だけじゃなくて、人間たちの糧として、彼らの命さえも育む――――季節が廻ると、彼らの生きる姿を、幾度も愛していることを自覚できるよ。」
今日も御真弓様は檀の大樹の上で、人々を温かく見守っていた。
「人と僕とが、信頼し合っているから、社の大弓を通して彼らの思いがすごく伝わってくるよ………ずっと、僕ら、こうしていたいな………」
隼のお腹をなでてやりながら、彼はうとうとし始めた。
――――くぅ……くぅ………
彼は幸せそうに眠りにつく。
風は彼の髪と頬をなでて、気持ちのよい絹を彼の体にかけてやっているかのようだ。
カン!カン!カン!カン!カン!
彼は火事を知らせる村の鐘で目を覚ました。
一瞬で覚醒し、村のほうに目を向ける。
――――村の楠の大樹が燃えていた
焼き畑の炎が燃え移ってしまったようだ。
「火事を止めないと!焼き畑を中断させてしまうけれど……誰かが犠牲になる前に!」
彼の顔からわずかに残ったあどけなさが影をひそめる。
目を瞑り、真弓を放つ時のように邪心を捨て、精神を統一させる。
空気の流れが止まった
―――――ふわ、り ひら
彼は水干の袖を舞うように動かす―――ひらりと―――白い彼岸花が周囲を舞った
氏神として
霊験あらたかな御真弓様は、天より雨を降らせる。
――――ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
春雨を浴びた炎はあっという間に鎮火した。
「……………良かった。治まったね。」
――――しかし、次の日のことだった。
あの少女――――しのの悲痛な叫びが、社の大弓を通じて御真弓様に聞こえた
助けて、御真弓様!あのお兄さんを呼んで!お父さんが大蛇を怒らせちゃった………!今日の夜、わたし達を殺しに来る……………!
御真弓様は白い彼岸花を散らしながら、ひらりと、人知れず社へと降り立った
そこには、彼の降臨の印―――――白い彼岸花が大弓を取り囲むように、残された
「大蛇…………怒り狂う原因が何かは分からないけど……妖の類だね。人間じゃ犠牲を覚悟しないと退治できない。待ってて、しのちゃん………僕が聖なる弦音を響かせて、君に仇なす魔を射抜くよ。」
村人は、しのとその家族――父、母を囲んで対策を講じていた。
周囲の大人には姿が見えない彼は、堂々と彼女の隣まで行く。
「あっ!お兄さん!来てくれ―――もごっ!」
「わ、わー!しーーー!あんまり面倒なこと起こしたくないんだ。」
慌てて彼女の口をふさぐ。
そして、隙を見て彼女の手を取って連れ出した。
彼女の家の裏手にある小川の川辺に腰を下ろして、事情を聞かせてもらう。
「昨日、村の大きな楠が燃える火事があったの………。」
「うん…………。」
「あれは、お父さんの畑の火が燃え移っちゃったの……雨がすぐに降ってくれたから、みんな安心してたのに、お父さんの夢に、怒った大蛇が現れたんだって………明日の夜、お前ら
家族を殺してやるって……」
「それは………あの火事が原因なんだね。」
「根元の大きな穴から大蛇の親子の焼けたしがいが大きいのと小さいのと二匹見つかったって………たぶん生き残った親蛇がかたきを取りに来るんだって………村長様が言ってた……。」
しのはひどく怯え始めた。
「……こわいよ!みんな殺されちゃう……お父さんも、お母さんも……わたしも……!……ぐすっ、ぐすっ………」
恐怖の涙を流す少女の小さい肩に後ろから手をまわし、自分の体に抱き寄せる。
「………大丈夫。僕は君にとって…………どんな人?」
「お兄さんは……わたしを助けてくれる人。」
「僕を信じられない?」
「……ううん。信じられる……」
「ほらっ!大丈夫じゃないか!」
彼はしのを抱き起すと、
「君はずっと僕のことだけ考えていて。そうしたら、君の心は安心できて、心が救われるから。大蛇のことは君の代わりに僕が考える。そうしたら、君は考える必要がなくなるから。」
そう、彼女に言った。
その夜、村人は、しのの家をぐるりと取り囲み、彼らを守ろうとしていた。
屋根の上にまで登り、多くが弓矢を手にし、刀や農具を持ち出し、緊張した空気が漂っている。
そこここに松明を燃やし、夜を照らして少しでも視界を明るくしようとしていた。
不気味な不気味な夜である。
「皆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
そこへ村人の一人が、白い彼岸花を片手に息を切らして駆けて来た。
「その花は!」
「降臨なされたのか!?」
「われらの神が!」
村人は口々に歓喜の声を上げている。
「ああ!聖なる大弓のもとに散らばっていたのだ!われらの神が―――真弓の神が、降臨なされたのだ!この者たちは安泰だ!」
村人たちは、武器を地に捨て、歓喜に沸いた。
――――――その頃、真弓の神 怒れる大蛇と対面す
檀の樹海の、悠久の時を感じさせる苔むした巨岩がひしめく開けたその場所で、彼らは睨みあう
「この先へは行かせぬぞ。」
御真弓様は神の威厳をその身に宿して、大蛇に言い放つ。
「氏神か………どけ。神に抗うこと、愛しい家族の仇を取ること……それらを天秤にかければ、いともたやすく天秤は後者に傾くものだ……。」
全長十メートルはあろうかという灰緑色の大蛇が舌をチロチロ出して、今にも襲い掛からんばかりに双眼で目の前の神を睨みつけている。
御真弓様も毅然として弓を構える。
「焼き畑は毎年行われる。火事の危険性も十分に分かっていたはずだ。それなのに畑に近いあの木の洞穴に巣を構えるとは、些か無鉄砲なことではあるまいか?人間たちに非はあまりないように思える………ちがうか?」
「だまれ!妻が産気づき、子が生まれたが、妻は体力が戻らず動けない。俺は妻のために妙薬を取りに行っていたのだ!その間に焼き畑が行われ、どうしようもなかったのだ!」
「ギシァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーー!」
怒りをあらわにした大蛇が牙をむき、御真弓様に襲い掛かる。
彼は袖を揺らし、ひらりと身軽にかわす。
対象を失ったその刃は巨石をうち砕き、辺りに爆音と噴煙を上げる。
――――――ドォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
「無駄な殺生はしたくない。この山から去れ。さすればお前も傷つかない……そして僕もね。」
落ち着いた様子で彼は、怒れる大蛇に告ぐ。
「ギシァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーー!」
怒りに飲まれ、我を忘れた大蛇にその言葉は届かなかった。
―――ドォーーーーーーーーーン!
―――――ドォーーーーーーーーーーーーーーン!
牙をむき、彼を歯牙にかけようと暴れまわる。
御真弓様はふっ………と。息をついた。
「ごめんね。こうするしかないみたいだ……」
自分の背丈ほどもある大弓を引き、矢をその大蛇の眉間めがけて放つ。
弦音が冴えて
―――――――――――スパッ!
その聖なる矢は大蛇の眉間に突き刺さる。
「ギァァァァァッァァァアアアアーーーーーーーーーーーー!」
大蛇はあちらこちらに体をぶつけ、のたうち回りながらもがき――――倒れた
あとに残ったのは―――彼の残心と――――――二メートルほどの青大将
彼はその青大将を抱き上げた。
「生き物に矢を向けることは……とても勇気がいることなんだ。心がすり減る感じがする………心が痛くてたまらない。」
ぎゅっと胸に抱き寄せる。
「さあ、起きて。僕の矢は魔羅しか射抜かない。君の怒りや無念は僕が射抜いた……」
―――――ぴく
彼の腕の中で青大将がつぶらな瞳を開けた。
「シューーーー」
小さく鳴いたかと思うと、腕から飛び出し、元気よく樹林へと消えていった。
「悲しい出来事だった……不運が重なっただけなんだ。今回は誰も悪くないよ………人間も大蛇も………………」
誰に語るでもなく、静かに言った。
村は朝日を浴びて、今日も活気づく。
しのとその家族は抱き合って、無事に朝日が拝めることを神に感謝する。
姿を消した御真弓様はそれを見て微笑んだ。
そして、そこをあとにする。
しのは何かの気配と視線を感じて、家の縁側を振り向いた。
「あっ!御真弓様だ!」
彼女の視線の先には――――――――白い曼珠沙華が置かれていた




