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イレールの宝石店  作者: 幽玄
第一章 平穏な日々を君へ
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5Carat 天使は薇(ぜんまい)を巻いて時を巻き戻す 前編

ミカエラ―――幸せの芸術家を愛する天使


できれば『病の少女はサーカス色の夢を見る』の内容をしっておいていただけるとうれしいです。いつもあたたかいアクセス、ありがとうございます!

5Carat 天使は(ぜんまい)を巻いて時を巻き戻す



 Museum(ミュージアム(博物館・美術館)―――そこは芸術と学問を司る九人の神々、ミューズが住まう学芸の殿堂。



 荘厳なその空間は、人がこの世界に誕生し、長い時の中で作り上げたあらゆる英知が集合している。そんな英知の塊――――絵画や彫刻、工芸品や民具が、照明の抑えられた展示室や資料倉庫で眠りについている。


 開館前の、美術館で、彼らは静かに寝息をたてていた。




 そんな彼らに目覚めをもたらしたのは、ミューズの歌う学芸への賛歌―――――ではなく、朝からご機嫌な女性の、鼻歌、であった。



「るんるんるーん♪、るんるんるーん♪、るんるん、ルンルン、るん♪」


 おっとりした声で歌いながら、美術館の玄関前に立てられた大きなクリスマスツリーを忙しそうに飾り付けている。

オーナメントをあっちへこっちへ飾り付けるたびに、彼女の黄緑がかった光沢をもつ、腰ほどまでのばした見事なブロンドの髪が揺れる。毛先だけしっかりと巻かれた髪は、まだ飾りっ気のないモミの木に華をそえられるほど上品であった。白い簡素なブラウスに、胸の下からくるぶし辺りまである黒いロングスカートを着ていて、服装は割合シンプルである。しかし、胸には小さめのエメラルドのブローチが輝いていた。プラチナの地金が額縁のように長方形のエメラルド・カットを囲むデザインである。




「ミカさーーーーーーーーーーん!」


そんな彼女のもとに、紙袋を持った気の弱そうな若い男性が駆け寄ってきた。



「なあに~~~~?西園寺(さいおんじ)くん。あなたも一緒に飾りたいのぅ?てっぺんのお星さま以外なら、飾っていいわよぅ~~~~?」

モミの木のてっぺんに付ける予定の、トップスターを手に大事そうにキープして、ミカ、と呼ばれたその女性が振り向いた。

たれ目がちの目は優しげに細められ、女神のような印象を持たせるおっとりした顔であった。

「違いますよーーー!またミカさんがいわゆる『いわくつき』の資料(博物館や美術館に収められる物はまとめてこのように呼ばれる)の寄贈を個人的に受け取ったって、ぼくを含めて学芸課はみんな心配してるんですよー………」

彼はへなへなした情けない声で彼女を非難する。


 美術館や博物館には、一般の人から資料となりえる物を無償で受け入れる寄贈というシステムがある。そのシステムを頼って、買ってから身内に不幸が続くお面、なんていう受け入れたくない物を持ち込んでくる困った人もいるのだ。


「うーーーん。だって、いちいち館にふさわしいものか審査しないといけないでしょう?そこで門前払いされちゃったら、かわいそうよぅ。」

「審査以前に!そもそもいわくつきなんて皆嫌ですよーー一応審査はしますけど、職員だって怖いですよ!皆ミカさんが怖がらないのが不思議なんですーー」

「怖くはないわ。現にわたしに何も悪いこと起こってないでしょう?」

なだめるように言う。

「ミカさんが良くても、この美術館は受け入れてくれるって噂が回っちゃって、そういう話がたくさん来て困るんですって館長が嘆いてるんですよ~~!」

「あらあら……館長さんお気の毒ねぇ。」

「いや、その原因はミカさんですよ………」


 あまりにも罪悪感もなく、おっとりとしている彼女の反応に、非難する気が失せたのか、彼は黙り込んでしまった。


「………ところで西園寺くん、その紙袋はなあに?」


 彼女は彼の紙袋を不思議そうに見つめた。


「これも、さっき寄贈したいってわざわざ隣の県から持って来られた、いわくつきの資料ですよ………。ミカさんのことだから、きっとまた館には寄贈せずに個人的にもらっちゃうと思って、持って来たんです………この間寄贈があったこと教えなかったら、ぼくの机の椅子を廊下に運ぶっていう地味ないたずらしてきたじゃないですか………」

泣きそうな顔で彼は紙袋を手渡した。

「そうだったかしらねぇ~」

彼女は本当に身に覚えがないという風に、首を傾げながら、それを受け取った。


「気をつけてくださいね……それは所有者の家系を没落させるっていういわくつきです……」

西園寺は心配

そうに、のんびりとそれを眺めている彼女を見つめたが―――彼女は聞いていなかった。





 百合は、いつものように、裏路地でイレールを待っていた。


そこへ、クラースが大きな白い羽を羽ばたかせて、彼女の前に現れた。


「百合、待たせてすまない。あいつは今来客中なのでな、俺が代わりに来たぞ。」

「ありがとうございます、クラースさん。人間のお客さんですか?」

「いや、何とも不思議な生き物が来ているのだよ……。俺には理解不能な生物が……」

 クラースはなぜか身震いしている。


「えっ!不思議な生き物ですか?どんな動物なんだろう~」

 人ならざる者に寛大な彼女はにこにこと笑っている。


「人の形はしているのだが、あやつと話していると、頭がおかしくなりそうなのだ……なぜイレールとその友人たちは平気なのか……俺は向こうへ着いたら屋根の上に退散させてもらうぞ。」

両羽で頭を抱えている。冷静な彼にしては珍しい反応だ。

そんな彼の様子に驚きながらも、楽しみであることに変わりはなかった。

「イレールさんのお友達なんですね!私は楽しみです!」




 その頃の宝石店。



――――「どう?変わってるでしょう~~~?」


「いつもならわたし一人で対処できるんだけど、これはちょっとあなたの力があった方がいいと思ったのよぅ。その石はクリスタルだと思うし、あなたの専門でしょう~?」

そうイレールに問いかけているのは、美術館でミカと呼ばれていた女性であった。

「はい、ミカエラ。全力でご協力しますよ。文字盤にクリスタルが埋め込まれているだけでも珍しいのに、これは普通のクリスタルではありませんね。」


 イレールが興味深そうに持ち上げて、ルーペで覗き込んでいるのは―――古いアンティーク置時計であった。

 ローズウッド製の直方体の古めかしい置時計。ローマ数字の文字盤にはエナメルで薔薇模様が入れられている。ただ――その文字盤の十二の数字部分には三日月型のクリスタルが埋め込まれていた。そして長針の先は太陽を模した形になっており、ヒスイ色の石が太陽の中心部分についている。


「こちらの石はどちらもファントム・クリスタルと呼ばれる水晶です。成長過程で成長(せいちょう)(こん)が残り、まるで雪を内包しているように見えるのが特徴です。文字盤のものは一般的なファントム・クリスタルのようですが、針につけられたものは石が成長する際、クローライト(緑泥石)が入って緑色になった、グリーンファントム・クリスタルですね。」

彼の口調が、少し困ったようなトーンに変わる。

「………しかも、凶悪でまがまがしい人の情念がこもっていますね……。誰かへの殺意を感じます………」


イレールがルーペから目を離し、顔をしかめた。


「すごいわよねぇ。こんなに人の凶悪な情念を取り込んでしまった物、久しぶりに見たわぁ。放っておいたら、どんどん犠牲がでてしまうでしょうねぇ~~~」

彼女も顔をしかめた―――が、口調がおっとりしているので、いかんせんあまり緊迫していないように見える。

彼女は表情をもとに戻して、イレールに向きなおった。


「とりあえず、この話はあとでしましょう―――――イレール、例の物を―――早くわたしに」


彼女の細められた瞳が、怪しく光った。



「――――フフ。もちろん。早急にご用意させていただきましたよ―――」


彼の瞳も怪しく光る。




百合がクラースとともに、宝石店のドアをくぐった時だった。



「きゃぁーーーーーーーーーー!」




若い女性の耳をつんざくような甲高い叫び声が聞こえた。


「な、何事ですかーーーーーー!?」

百合は慌てて、カウンターに座っている叫び声を上げたその女性のもとへと駆け寄った。



 上品な薄ら黄緑色の光沢を放つブロンドの髪の女性が、うつむいて肩を震わせている。


「イレールさん、これは一体どう―――」

彼女が説明を求めてイレールを見上げたその瞬間。



「おいしわぁ~~~~~~~~!なんておいしいのかしらぁ!」



パッと、その女性が顔を上げた。

 幸せそうに微笑みながら、もごもごと薔薇色の頬を動かし、両手でその頬を押さえて、体を揺らして喜んでいる。


「やっぱりここに来るのなら、イレールのシフォンケーキを食べなくっちゃいけないわぁ~」


――――カウンターの上には、シフォンケーキ


「えっ………、おいしいから叫んだだけ……?」

百合は安心して、へなへなとその場に座り込んでしまった。

イレールは百合を助け起こして、椅子に座らせながら説明する。

「………こんにちは、百合さん。驚かせてしまったみたいですね。こちらの女性はミカエラ。クラウン同様に私の古くからの友人で、幼馴染ですよ。」


ミカエラはそんな彼女とイレールの状況にはお構いなしであった。


もごもご もごもご ごっくん!


おいしそうに、シフォンケーキを頬張る。

幸せそうに、身をくねらせる。幾度もそれを繰り返していたが、遠慮がちに自分を見つめる百合の存在に気づく。

たれ目がちの瞳が優しげに細められた。


「あらあら、あなたが噂のゆりちゃんねぇ~~~聞いた通りの子だわぁ~~」

ふわふわした空気を周囲に放ちながら、隣に座った彼女の手を取って勝手に握手する。


癒される―――そんな言葉がぴったりの女性だった。彼女の背後には後光があるかのように、聖なるオーラを身にまとっている。

「ミカエラ・ディオールよ~~。ミカさんって呼んでねぇ。」

彼女のそんな神々しいオーラに百合はうっとりする。

「篠原百合です……イレールさんとクラースさんにお世話になっています……」

頬が熱くなるのを感じる。彼女といると、すべてを温かく抱擁してもらっているような安心感がある。

「天使みたいですね………」

百合がポツリとつぶやく。


「あらぁ?どうして分かったのぅ?」

ミカエラが不思議そうに言う。


「ええーーーーーーーーー!本物の天使なんですか!?」

百合は瞳をこれ以上にないぐらい目を見開いた。

「彼女は魔法族の中でも聖なる浄化をもたらす種族、天使族なんですよ~隠しきれていないですよね~」

笑いながらイレールが補足する。

「でも、ときどき自分が天使であることを忘れてるんです………ばれたらどうなるか、冷や冷やするんですよね……」

「う~~~ん……どういうわけか、忘れちゃうのよねぇ~~~~~」

イレールは真剣に心配しているようだが、当の本人は全く気にしていないようだ。

百合は呑気に言った。

「おっとりしてるんですね~私はそういうのかわいいと思いますよ~」

「まあ!かわいい子にかわいいって言われちゃったわ~」


「貴女方は気が合うかもしれませんね……」

人間でいえば、自分が人間であるのを忘れるくらいの大事なのだが………

そんなことにはお構いなしに、朗らかに笑っている二人に、彼は苦笑した後、本題に入った。




「――――というわけで、この置時計の持ち主に話を聞いて、事情を知り、最善の方法を判断し、この置時計に対処したいと思っています。」


途中で来た百合に、ミカエラがここに来た訳を話して、今後を説明する。


「慎重に対処しないといけないほど、恐ろしいものなんですね……」

「百合さん、約束してほしいことがあります。」

ブルーサファイアの瞳が真剣に彼女を見つめる。

「イレールさん………?」

「本当は今回、貴女を連れて行きたくはないんです……でも、それは今や立派な宝石店の一員となった大切な貴女をないがしろにすることを意味すると思うんです……だから、一緒に来てください。でも、この置時計は私たちへ、ではありませんが、誰かへの殺意を持っています。人の凶悪で激しい情念が詰まっているんです。危険ですから、触らないでください。そして、私とミカエラの傍を絶対に離れないこと……お願いできますか………?」

「………分かりました。」

あまりにも真剣な眼差しなのでこちらも緊張して頷いた。


カウンターの上で静かに時を刻んでいるアンティーク置時計に視線をやる。

こうして見ると、普通の古めかしい時計だ。

長い時を感じさせる風合いは郷愁めいたものを感じさせる。


――――カチッ、カチッ、カチッ………


これは本当に危険な物なのか、彼女には分からなかった。

「では、ミカエラ。とりあえず寄贈主がどこに居るのか調べることはできますか?」

百合を安心させるように、彼女の頭をなでて、ミカエラに言った。

「一旦、美術館に戻って住所を調べるしかないわぁ。」

のんびりと彼女は答え、どこかから細い棒のような物を取り出した。


―――それは指揮者のタクト、であった


「それって、指揮者が持ってる指揮棒ですよね?」

百合は不思議に思って尋ねる。

ミカエラはのんびりと答えた。

「これって魔法使いの魔法の杖に似てるでしょう?杖なんてなくても魔法は使えるから持つ人は少なくなっちゃったけれど、わたしが魔法族であることを忘れないようにって、誕生日にクラウンがくれたのよう~~」

確かにクラウンならやりそうなことだ。


「じゃあ、お二人を、ミューズのお城にごあんなぁい~~♪」


―――くるん♪


ミカエラが楽しそうにタクトを持ち上げ、空中に円を描くように、それを一振りする。



――――パッ!


 三人は、町の美術館に居た。

「ここって、この町の美術館ですか………?」

百合がキョロキョロと周りを見回し、見覚えあるその場所に反応する。


「そうよ~わたしはここで学芸員として働いているの。」

 学芸課の部屋に向かいながら、彼女はのんびりと話す。


「ミカエラは美術品や工芸品に詳しいんです。ほら、御真弓様をうちに迎えたときに、私にこの地が弓の産地であったことを教えてくれたのは彼女なんです!普段はのんびりしていますが、とっても頼りになるんですよ!それに、いたずらのセンスもあるんです!」

 楽しそうに友人のことを話していた彼だったが、微笑みの質が変わった。

「………早く、目覚めてほしいですね、御真弓様……」

イレールは百合の左手首を見つめる。百合も同じように左手首に視線をやった。

「はい………あれから、ずっとクッキー練習してるんですよ……」

寂しげだが、二人は微笑んでいることには変わりなかった。

「きっと彼は甘党です。御真弓様が目覚めたら……お菓子をたくさん作ってお祝いしましょうね。そして、メインディッシュは貴女のクッキーでどうですか。」

「わああ!楽しみです!じゃあ、メインに持ってきても恥ずかしくないように練習します!」

今はまだ叶わないけれど、いつか必ず訪れる三人と一匹の未来。

そんな将来に思いをはせて、彼の喜ぶ顔を思い、それを実現させるのは、待つ者の特権なのだった。


幸せそうに笑い合っている二人をミカエラは微笑ましく見守っていたが、不意に、とある絵画の前で立ち止まった。


イレールがそれに反応する。

「ああ、貴女は確か、ルノワールが特にお好きでしたね。」

彼もその絵を見上げた。

「ええ、そうよぅ………なんて幸せに満ち溢れた絵を描くのかしら!て思うの。」

彼女が愛情深くその絵を見つめる。


――ー光をまるでキャンバスの中に閉じ込めたような明るい画面。

若い男女たちが緑に囲まれたコテージで明るく談笑し合っている。

手を取りあったり踊りあったり、友の弾くギターに合わせて歌う人々の―――幸せな風景であった。

そして、そんなあたたかい風景を、午後の光が優しく照らしだしているのだ。


ルノワールはそんな幸せ一杯の一ページを切り取る、印象派の巨匠


「ルノワールの絵と、あなたのそのスターサファイアのスターが、わたしの大切な大切な……幸せの一ページを光で照らしだすの………」




大切な思い出を胸に抱きよせるように、ミカエラは目を瞑って微笑みながら胸に手を当てる。常に女神のように微笑んでいる彼女だが、それは特別な微笑みに見えた。


「これは私たちの………光、ですからね………」


イレールが大切そうにスターをなでた。


「それはお二人にとって大事なものってことですか………?」

百合も微笑みながら尋ねる。




「ええ。これは私にとって、クラースにとって……クラウンにとって、ミカエラにとって、また、もう一人にとっても………とても大事な光、私たちの絆をつなぎ、今なお優しく包んでくれるあたたかい光の象徴………」




イレールはいつも以上に優しげな顔をしていた。

そっと、胸に輝くそれを、握っている。



彼の言葉から、そのスターサファイアには彼らの物語があるように感じられたが、彼はそれ以上何も語らなかった。


でも――――百合には、彼らにとってその宝石がどのような存在なのか、しっかり伝わった。


彼らの心を支える大事なものだということ。


幸せに浸っている二人を眺めているだけで、充分すぎるほど、こちらも幸せを感じられたのだ。何か追及する気持ちは起こらなかった。




―――「あったわぁ~!これよ~ここの住所に行きましょう!」

西園寺の机に置かれた、連絡先がメモされた紙を見つけ出して、嬉しそうにミカエラはそれをヒラヒラさせた。


「さっそく、行ってみましょうか。」

イレールが百合の手を取り、パチンと指を鳴らした。



彼らの目の前に現れたのは――――名家が住んでいそうな、大きな洋館であった。

小さいながらきちんと手入れされた英国式庭園の中に、その邸宅は静かに佇んでいる。隣の県の市街地のど真ん中なのだが、その邸宅は異質な空間をその一角に作り上げていた。


「ここ、立派ですけど……何だか寂しげですね……」

百合は自然と言葉に出してしまった。

「そうですね………昔は栄えていた洋館のようですが、今は……さびれてしまって訪れる者もあまりいないような感じですね……」

イレールも賛同する。


庭園は手入れが行き届いているようだが、どの窓も開かれておらず、来るものを拒むかのように固く閉じている。

その一室に人がいるのだろうかと思ってしまうほど、生活感がなかった。



「行ってみましょう~」

マイペースなミカエラは先頭に立って、呼び鈴を鳴らした。


―――チリン!チリン!




―――――しーーーーーーーーん………


 反応がない。


「すみませーーーーん。誰かいませんかぁ~~?」


ミカエラが相変わらずおっとりした声で住人を呼ぶ。


―――チリン!チリン!チリン!


「ミカエラ、そんなに呼び鈴を鳴らさなくても聞こえていますよ!」

イレールが、住人を怒らせてはまずいと慌てて彼女をとめに入る。


彼女に邸宅の寂しげな雰囲気など関係ないのだ。


――――パタン……



「………どちら様ですか?」



 ややあって、声がした。



そこに居たのは―――品のある老女であった


 やわらかいサテンのワンピースにストールを肩にかけ、白髪を後ろでまとめてお団子にした老淑女である。


ミカエラが微笑みながら、挨拶する。

「わたしは県立美術館で学芸員をしている者です。昨日こちらの置時計を寄贈したいというお話をいただき、資料の登録用紙作成のためにさらに話をいただきたいと思い、お尋ねしました。」

声はおっとりしているが、しっかりした口調だ。学芸員モードとでもいうのだろうか。

老淑女はあからさまに迷惑そうな顔をしたが。どうぞ、と一言言って彼らを中に通した。




「いつもはお手伝いさんがいるのですが、昨日から一週間暇を与えましたので、私しかおりません。お茶を淹れるのは不慣れですが……どうぞ。」


彼らにお茶を出す。


彼女はこの邸宅の昔の繁栄を思わせるような、育ちの良さを匂わせる物言いであった。


北条(ほうじょう)さんでしたよね。あの置時計はどのような所以(ゆえん)で寄贈しようとお思いになったんですか?」

イレールが口を開く。




―――ガチャン!


「理由なんてありません!ただアンティークとして価値があるから譲った。それだけです!受け入れてくれないならほかをあたります!」


北条夫人は急に声を荒げて言った。

手に持っていたティースプーンを乱雑にティーカップに置く。


「怒らないでください。わたしたちはこの置時計を館の資料として受け入れます。どんないわくのある物でもです……聞かせてくれますか。」

ミカエラが憐れみ深く微笑みながら、夫人を落ち着かせる。


しばらく夫人は、瞳を揺らして考えていた。

百合は心配そうにその緊迫した状況を見守るしかない。


「――――これは、私の父の形見です。」


老夫人は寂しげにうつむいて、口をひらいた――――


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