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剣と魔法とロッケンロール

作者: 丹賀 浪庵

 桑原留吉くわはら・とめきちが目を覚ますと、そこは真っ白い空間だった。


「おりょ?」


 自分がここにいる理由がわからず、寸前までの自分の行動を思い出す。

 車道に飛び出した子供。

 迫り来るトラック。


「をを、そうだった。飛び出した子供を助けようとして、トラックに刎ねられたんだった」


 彼が言う「刎ねる」は、首を切断する時に使う言葉だが、彼の遺体の状況から、あながち的外れではない。


「い、いや、そんなことはどうでも良い」


 どうでも良い話では無いが、彼にとっての優先事項は異なるようだった。


「ギター。マイ・スィート・ギターはどこだ?」


 愛用のヤ○ハのエレキギターを探す。


「ここじゃ」


 と、唐突に、目の前に差し出された。

 差し出した者には目もくれず、留吉は愛用のギターをかき抱いた。


「をを、心配したぜ、ベイベー。マイスィート・ハート」


 そして、慌てたようにギター全体をくまなく確かめる。


「傷ついたり、折れたりしてねぇな。よし。あ、ひょっとして、少し歪んでいるかも。音を確認しなくちゃ」


 いきなり、そのギターを抱えて弦をつま弾き出す。

 妙に音程が狂っていたが、彼は安心したようにため息をついた。


「どこもおかしなところはねぇ」

「もう、そろそろ話をしても良いかの」


 そう言われて振り向くと、長い白髪に、同様の長い髭を生やした老人が居た。


「あんた、誰?」

「わしか、わしは神じゃ」


 老人はきっぱりと言い切った。


「ふ~ん」


 留吉の反応は鈍かった。


「どうした? 神を前に驚きのあまり、声も出ぬか」

「あいにくと、俺にとっての神様はジミーだけなんでね」


 ジミー・ヘンドリックスの事を言っているらしい。


「ふむ、まぁ、そうか」


 神を名乗る老人はどうもやりにくそうだった。


「それで、何のようだ。てか、ここはどこだ?」

「煉獄じゃ。中陰とか、中有とも言うが。まぁ、死んでから、次の段階へ行くまでの待合室と思えば良いかの」

「死んだ? じゃあ、やっぱり、俺は」

「うむ。トラックに刎ねられて、いや、撥ねられて見事に死んだ」

「あの子供は?」

「お前のおかげで助かった……のは良いんじゃが」


 神様はポリポリと頭を掻いた。


「本来、あの子はあの場所で死ぬ運命じゃった。じゃが、お前が介入した事で、運命が入れ替わってしまったのじゃ」

「え?」

「うむ。本当であれば、お前は、八十過ぎまで生きる筈じゃった。じゃが、その寿命はあの子に移り、お前は死んでしまったと、こういうわけなんじゃな。まぁ、森羅万象を造ったとは言え、イブが蛇に唆されるのも予期し得ぬ身じゃ。不確定原理の前には、手も足も……むぎゅう」


 訥々と話す神様の首を、留吉は締め上げた。


「何てことすんだよ。じゃあ、俺はロックの大スターになる筈だったのに、お前のせいで死んだっていうのか」


 留吉が死んだのは神様のせいでもないし、別に大スターになる運命だったとも告げられていないのだが、思い込みと短絡思考の彼にそれを説いても無駄だっただろう。


「謝れ、未来の大スターになる筈だった俺に謝りやがれ」


 ようやく、首から手を離し、喚く留吉に神様は素直に土下座した。


「すまぬ。この通りじゃ」


 俗に「神様のような性格」と言う言葉があるが、本物の神様も、そういう性格のようだった。


「謝って済む問題か、馬鹿野郎。俺の未来を返せ」


 言っている事が無茶苦茶である。

 だが、神を名乗る老人は腹を立てるふうでも無く、少し考え込んだ。


「前の世界に戻す、というのは、さすがに摂理をねじ曲げてしまうでな。別の世界に、と言う事であれば、お前を蘇らせる事は可能じゃが」

「ほ、本当か?」


 留吉は勢い込んで言った。


「うむ。ちょうど、ある世界で、一人、別世界にトリップと言うか召喚されたところがあってな。何というか一人分空きがあるのじゃよ。そこならば、お前を蘇らせても均衡が崩れる事は無い。ふむ。望むのであれば、何か能力を付与しても良いが」

「そうだな」


 先ほどまで泣き喚いていたのが嘘のように、留吉は考え込んだ。

 そして、首を横に振った。


「いや、いらねぇ。俺はこのギターさえあれば、どこでだって、大スターになって見せる」

「そうか。では、そのギターが壊れぬようにしてやろう」

「をを。じいさん賢いな。ついでに、電源とかアンプやスピーカー無しでも音が出るようにしてくれ」

「お安い御用じゃ」


 こうして。

 桑原留吉くわはら・とめきち十七歳。

 未来のロック界を背負うと自負していた落ちこぼれの高校生は、この世を去り異世界へと旅立ったのである。

 ちなみに、小学校以降における彼の音楽の成績は、絶望的と言って過言ではなかった。



       ◆◆◆



 気がつくと、朽ちかけた神殿跡のようなところに留吉は立っていた。

 自分の服装を見下ろすと、西欧の中世時代の頃のような格好である。

 だが、背負っているギターは、現代日本の物と寸分違わぬデザインのままであり、違和感がある事夥しい。

 もっとも、留吉は服装にはあまりこだわらない性格であった。

 ロッケンロールは格好じゃない、ハートだと言うのが、彼の言い分だが、単純に服装のセンスが無いのとだらしが無いと言うのが、本当の事情でもある。

 辺りを見回すと、人どころか、動物も居ない様子で、周囲は草原が広がっているだけである。

 神様を名乗る老人が、この世界の事を説明するのを適当に聞き流していたせいで、どっちに進んで良いのかわからない。

 ともあれ、気の向くままに歩き出す事にした。


 かなりの距離を歩いた後、さすがに足が痛くなって休憩することにした。

 ちなみに、小学校以降における彼の体育の成績は底辺だった。

 まぁ、体力は人並み以上なのだが、運動神経が壊滅的なのである。

 穏やかな風に吹かれて休憩していると、なんとなく、バラードの着想が浮かんできた。


「うっ、これは名曲の予感」


 留吉は腰に下げた物入れからメモ帳と筆記用具を取り出した。

 これは、他に持って行きたいものが無いかと確認された時に思い出したもので、彼が今まで書きためた曲が記録されている。

 もっとも、留吉には音符の読み書きができないので、単に語句が書き連ねているだけなのだが。


「穏やかな風のバラード、っと。よし、これは名曲だぜ。聴衆の感激した様子が眼に浮かぶ」


 曲のイメージよりも、聴衆からの喝采のイメージしか無いようだ。

 まぁ、彼がロックにこだわるのは、モテそう、人気者になれそう、と言うのがそもそもの動機なので、無理も無い話ではある。


 メモ一式を物入れに仕舞った時、遠くから争うような音が聞こえてきた。


「を? 人がいるのか。ようやく、ここの住人に会える」


 留吉はいそいそと、音のする方角へと歩いて行った。



 四人の男女が、緑色の小さな人型の集団に襲われているように見えた。

 留吉は知らなかったが、その四人はゴブリン退治を請け負った冒険者で、数を読み誤って苦境に陥っているところだった。


「争いは虚しいぜ」


 留吉は(全然似合わない)ニヒルな口調でそう呟くと、やおら、ギターを抱えた。


「みんな、不毛な争いは止めて、俺の曲を聴け!」


 音量全開で、自作のご機嫌(?)なロックナンバーを弾き始めた。

 ここで断言するが、この留吉と言う少年にはロックの才能は無い。

 ロックどころか、こと音楽に関しては才能なる要素は皆無である。

 しかも、本人は凄まじい音痴のせいで、全く自覚が無い。

 そんな人物が、大音量でエレキギターをかき鳴らしたら、どういうことになるか。

 はっきり言って、迷惑極まり無い騒音である。

 しかも、音程は外れっぱなし、リズムも微妙に無茶苦茶なので、まともに聞いていると気が狂うような、立派な音響兵器と言えよう。

 ゴブリンと言う魔物にとって不幸だったのは、彼らは隠れた獲物が立てる微かな音を聞き分けるほどに耳が良かった事であろう。

 そんな鋭敏な耳に、凶器に等しい騒音がねじ込まれたのでは、たまったものでは無い。


「UGyAaaaa」


 ゴブリンの群れは苦痛の悲鳴を上げて、一斉に逃げ出した。


「ん? 俺の曲が聞けねぇってか」


 それを見た留吉は演奏を止めた。

 実際には、曲の続きが思いつかなくなっただけの話ではあるのだが。

 だが、ゴブリンの群れが去った後、耳を押さえている四人の男女に気がついた。


「ま、四人でも聴衆が居れば、俺は弾くぜ」


 再び、ギターを爪弾こうとした時、その四人の中から一人の青年が叫んだ。


「ま、待ってくれ」


 こうして、留吉と冒険者集団パーティー、《静かなる刃》は出会ったのである。



       ◆◆◆



 留吉達が出会った場所から、歩いて数時間の場所に、城下町カーンブールはあった。

 そこの宿屋を兼ねる居酒屋「煙とパイプ亭」の片隅で《静かなる刃》の四人と留吉は料理が並べられたテーブルを囲んでいた。


「いや、助かったよ。君が「魔物払いの音」を奏でてくれなければ、僕たちは全滅していただろう」


 集団パーティーの中で、前衛を担当する剣士であり、リーダーでもあるアルドがそう言うと、同じく前衛の剣士エドガーが賛同するようにうなずいた。


「まったくだ。お前さんは命の恩人だ」


 アルドは整った顔立ちの青年であり、エドガーはゴツい印象の巨漢である。

 二人とも優れた剣士だったが、ゴブリンの予想を超える数には押されてしまったようだった。


「あたしなんか、魔力が底をついちゃったから、どうしようもなかったわ」


 後衛職である魔法使いのリュリュが疲れ切ったような声を出す。

 こちらは可愛らしい少女だが、胸のサイズは可愛らしいと言うレベルではなかった。


「私も同様です。危ういところでした」


 治癒職の女神官であるナディアが綺麗な顔に感謝の表情を浮かべて、留吉を見る。


「いやいや、そんな」


 自分の音が褒められたのは、生まれて初めてだったので、何となく意識のずれは感じたものの、留吉は舞い上がってしまっていた。

 しかも、うち二人は魅力的な若い女性である。

 そんな様子の留吉を見て、アルドがナディアに何やら目配せをする。

 ナディアは微かにうなずき、留吉に向き直った。


「あの、そういえば、お名前をまだ伺っていませんでしたわね」


 留吉は名乗ろうとして、はたと思いとどまった。

 この古臭い名前は、祖父がつけたもので、両親がマイホームの資金を出してもらう代わりに命名権を譲ったと言う、とんでも無い由来があった。

 祖父は当時のキラキラネームに問題意識があったようだが、だからといって、この名前は無いだろう、と思う。

 ともかく、元の世界の事は忘れる為にも、彼は別の名前を名乗る事にした。


「俺の名はトミーって言うんだ」


 本名と敬愛するロックの神様を掛け合わせた名を留吉は告げた。

 それを聞いた四人の顔に黒い何かが走ったが、留吉は気がつかない。


「トミー様ですね。それでお願いがあるのですが」

「なんだい。サインならジャーマネを通してくれなくちゃな」


 既にしていっぱしのロックスターな気分である。


「は? じゃあまね?」


 戸惑うナディアに、さすがに悪いと思ったのか、留吉は前言を撤回した。


「いや、本来ならそうなんだけど、今回は特別だ。えーと、サインじゃなかったら、なんだろう?」

「あの、私たち、今回の依頼に失敗した形になりましたので、違約金を払わなければなりません」

「悪いけど、持ち合わせなんて無いよ」


 じつを言えば、物入れの底には、一枚で十年は遊んで暮らせる白金貨が五枚ほどあるのだが、神様の説明を聞き流した留吉は、それを知らないでいる。


「まさか、命の恩人にお金の無心をするなど致しませんわ。ただ、ご助力をお願いできないかと」

「ぼくから説明させてもらうと、違約金代わりにギルドから別の任務を提示されたんだ。これが、ぼくたちのレベルだと少し難しいかな、と言うところでね。手伝ってもらえると助かるんだが」

「ねぇ。お願いよ」


 リュリュが顔に似あわぬサイズの胸を押しつけるように、留吉の腕を抱いて懇願した。

 それだけで、留吉は首を縦に振ってしまった。



 階上の一室で留吉が寝静まったのを見計らって、四人の冒険者は再び、客の居なくなった一階の店舗に集まった。


「まぁ、気が進まないけどね」


 リュリュが浮かない表情で言うと、アルドが諭すように言った。


「仕方無いだろう。で、モノは手に入れてきたのか?」


 台詞の後半はエドガーに向けられたものだった。


「ああ、馴染みの道具屋から調達したぜ」


 エドガーは首飾りのようなものをテーブルの上に置いた。


「隷属の首輪、か。まぁ、名前も聞き出した事だし、後はナディアに任せるよ」

「わかりました。でも、大丈夫でしょうか」

「このあたりは見かけない顔立ちだし、多分、移民かなにかだろ。身寄りが無いのはうってつけじゃないか」

「確かに。あの変わった弦楽器も、あの気持ち悪い調べも聞いたことはありませんから、この大陸の出身ではないでしょうが」

「でも、何者なんだろうね。吟遊詩人が使う音の魔法って、たいてい支援とか治癒だろ? あんな攻撃的な音って……」

「下手に色々聞いていると情が移るぞ。彼が他にどんな音を持っているかしらないが、迷宮の主には聞こえないさ。主が彼の魂を貪っている間に、お宝を頂戴する。みんなで決めたじゃないか」

「まぁ、そこまで辿り着くのも一苦労だがな」


 エドガーが肩を竦めて見せると、アルドは励ますように言った。


「このパーティーの実力なら大丈夫。主以外の魔物は退けて見せるさ」



       ◆◆◆



 翌日、冒険者の四人と共に留吉が向かったのは、人気の無い洞窟だった。


「ここは?」


 何となく陰鬱な雰囲気に、留吉は思わず尻込みしてしまった。


「この地下に広い場所がある。そこで、君の奏でる調べを聞かせてやりたい相手がいるんだ」


 さすがに、アルドは伊達にパーティーのリーダーをやっているわけではなさそうだった。

 留吉の性格を見抜いて、そういうふうに話をもっていった。


「ん、まぁ、ライブハウスで、地下にあるって言うのは結構あるかもな」


 自分の音を聞きたい聴衆が居るのなら、それは義務だ、とか、留吉は考えたようであった。


「よっしゃ、俺のサウンドで、こんな陰鬱な空気は吹き飛ばして……」


 さっそくにギターを抱える留吉を、アルドは慌てて押しとどめた。


「君の出番は、舞台が整ってからさ」

「そうそう、トミー様。これを」


 留吉の前に進み出たナディアが、首飾りのようなものを差し出した。


「お守りですわ。トミー様の名前を入れておきました。さ、着けて差し上げましょう」


 美しい女神官が、正面から留吉の首に腕を回すように、その首飾りを着ける。

 柔らかい胸元が触れ、艶ややかな髪が彼の頬を撫でる。

 それらの感触と、鼻孔に広がる良い香りに留吉は思考停止状態になった。

 そのまま、ふらふらとして、四人と共に洞窟、即ち、魔物が巣くう迷宮ダンジョンへと入り込んだのだ。



 次々と現れる魔物達を、四人の冒険者は危なげなく片付けていった。

 激闘する彼らの後ろで、留吉は、未だに夢見心地でボーッとなっていた。

 それを見て、アルドはほくそ笑むような表情になる。


「効いているようじゃないか。あの首輪」

「ん~、俺が聞いたのと少し効果が違うような気もするが」


 エドガーが少し首を傾げる。

 彼が裏家業専門の道具屋で仕入れてきたのは、名前を刻んだ相手に着けさせる事で、その意識を操る魔道具だった。

 だから、今の留吉の様子は当然と言えなくも無いのだが、少し効き過ぎているようにも見受けられた。

 もちろん、偽名を刻んだ、そんなものが有効である訳も無く、留吉の脳裏では、これを着けてもらった瞬間が無限ループしているだけだった。

 前の世界でリア充には縁の無かった悲しい少年のさが……だとしても、行き過ぎであるが、留吉と言う少年は、つまり、そういう性格だった。


 そんな感じで順調に進むパーティーの背後から、一匹の魔物が忍び寄ってきた。

 気配を感じたアルドが振り返ると、巨大なオーガが留吉の背後に棍棒を振り下ろすところだった。


「危ない」


 だが、その警告は間に合わず、致命的な一撃が留吉の背中に叩き付けられる。

 正確には、彼が背負ったギターに、である。

 だが、この世界に移る時、壊れないようにと神の祝福を受けたヤ○ハのエレキギターは、言わば、あらゆる攻撃を防ぐ不可侵の盾に等しかった。

 それでも、軽い衝撃はあったのか、留吉は脳内ループから覚めたようだった。

 状況はよくわからないながらも、振り向いた彼は目の前の相手が、自分の大事なギターを傷つけようとしたと言う事は理解した。


「てめぇ、俺の大事なスィートハートを」


 留吉はキレた。

 まぁ、キレた人間の行動原理をとやかく言ってもしょうがないが、その大事であるはずのギターを振りかぶって、叩き付けるのは理解に苦しむところではある。

 もっとも、彼が敬愛するジミー・ヘンドリックスもギターを叩き付けたり、燃やしたりするパフォーマンスで知られたアーティストではあったが。

 ともかく、絶対不可侵のエレキギターは、武器として振るえば、超絶的な威力を発揮した。

 それを叩き付けられたオーガは、一撃で文字通りに粉砕されたのである。

 留吉の怒りは、しかし、それだけで収まるものでは無かった。


「ここの責任者は? 地下の広場にいるのがそうか?」


 凄い剣幕で怒鳴る留吉に、アルドがカクカクとうなずくと、留吉は「うぉおおおお」と雄叫びを上げて、ギターを振り回しながら走り出した。

 残された四人は一瞬顔を見合わせて、そして、慌てて彼の後を追いかけた。



 次々と現れる魔物を、振り回したギターで粉砕しながら、留吉は走る。

 運動神経は皆無だが、走るだけとか、泳ぐだけとかの単純な運動は得意だった。

 そして、地下の大広間に辿り着いた。

 そこに居たのは、リッチと呼ばれる、上級魔導士がアンデッドとなった高レベルの魔物だった。

 この迷宮の主であり、古びてすり切れたローブを纏った骸骨のようにも見える。

 その髑髏の眼窩に鬼火のような光をたたえて、突然の侵入者を睨むようだった。

 このリッチには実体が無い。

 それゆえ、剣も槍も通用せず、元は上級魔導士であってみれば、魔法も通用するものでも無い。

 これまでも何人かの高レベルの冒険者が挑んだが、それらをことごとく返り討ちにした、恐るべき存在だった。

 その歯が剥き出しとなった口が開き、何事かを語りかけた。

 むろん、それは、古代に失われたルーン語であって、その音楽の旋律のような言葉を理解できるものは残っていない。

 だが、それを聞いた留吉は我に返り、そして自分の間違いを悟った。


「くっ、確かに。俺はアーティストでミュージシャンだ。暴力で片をつけるなんて間違っていた」


 それまで振り回していたギターを、演奏すべく抱え直した。


「そうだ。俺はあくまでも音で勝負すべきだったんだ。それに気づかせてくれた礼は渾身の演奏で返させてもらう」


 正気を取り戻した留吉は、迷宮の主の姿を見ても「ああ、ヘビメタのバンドがこんなジャケットのアルバムを出していたな」くらいの認識しか無いようだった。

 そのリッチの口から、不気味な旋律が聞こえてくる。

 それは失われた古代ルーン語で唱えられる、恐るべき魔法の呪文の始まりだった。

 相手の心臓を止める致死魔法である。

 それを聞いた留吉のロック魂に火がついた。


「をを。あんたも音で勝負するか。ようし、どっちの音がお互いのハートに響くか。勝負だ」


 微妙に噛み合っているような、いないようなやり取りの末、留吉は(あくまでも自分の主観における)最高のロッケンロールを奏で始めた。

 すなわち、とてつもない騒音が、迷宮の最低階層にして、その主の住まう場所に響き渡ったのである。


 共振とか共鳴と言う現象がある。

 これは物質の固有振動数に、同じ周波の音をぶつけると発生するものである。

 音の周波数以外の、例えば光も波長であるが、光で共振現象が発生した事例は報告されていない。

 つまり、極論を言えば、世界の成り立ちの根底は「音」である、とも言える。

 留吉が蘇ったこの異世界でも同様で、呪文と言う音で魔法が発動するのもその辺りに理由があるのだろう。

 そして、それはこの迷宮の主にも言えた。

 むしろ、実体の無い精神生命体となったリッチの方が、純粋な「音」によって構成されていると言っても過言では無い。

 その、迷宮の主を構成する「音」が。

 留吉の。

 もの凄く迷惑な。

 殺人的な。

 決して音楽の範疇ではあり得ない「音」によって狂い始め、軋みをあげ、ついには崩壊してしまったのである。


 迷宮の主が崩壊していくのを見て、留吉は演奏を止めた。

 正確には、続きが思いつかなくなったからだが。


「信じられない」

「迷宮の主を……」


 後ろから着いてきて、耳を押さえていた冒険者の四人が、驚愕の表情を浮かべているところへ、留吉は振り向き、何かをやり遂げた表情でサムズアップしてみせたのである。



       ◆◆◆



 この世界の後世に語られる「グレートな狂楽師トミー」の伝説は、こうして始まったのだった。


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