敵は意外なところに……
※ジェレマイア視点です。
第30話あたりの出来事です。
食堂の喧騒は、今日の主役がいなくなった今も冷めやらない。
まさか彼女があそこまで馬を扱えるとは思ってもみなかった。それは勝負の相手である王子も同じ感想を持ったことだろう。
そして今現在、この食堂にいる騎士たちは、王子妃がこの館にいることをひた隠しにしていた王子に対して、喧々囂々と非難を浴びせていた。
「ほんっとに綺麗っていうか可愛い人だよなぁ、リューネリア様って」
誰ともなしに賞賛の言葉がのぼる。
「同感。なんか、そこらの貴族とは違う美しさっていうかさ、変にお高くとまってないし、生き生きしてるっていうのか?しかも話してみると意外と気さくで」
「そうそう!あの紫の目に見られたら、なんか吸い込まれそうになるし」
「バーカ。何言ってんだ、おまえ」
「いや、分からはなくないぞ。けどさぁ、殿下もずるいよなぁ」
「こんなところにまで隠してまで連れて来て?」
「それはないだろう。あの強行軍を思い出してみろ。リューネリア様は最初からここにいたんだよ」
「ああ、それであんなに急いでたのか」
「へ?なんでリューネリア様がザクスリュム領に?」
「査察隊に混じったって聞いたぞ?」
「なんで、また……」
「いや、今それはどうだっていいんだ。要は、殿下がリューネリア様を隠していたってことだろ?」
「それだよ。あの殿下が、隠すほど入れ込むって、考えられるか?」
「いーや。何かの間違いだろ」
若い騎士たちの話に耳を傾けていると王子の豹変ふりに皆がついていけてないのが現実だ。それには同感だとジェレマイアも苦笑する。
一応若い騎士たちを取りまとめる役目であるため、酒をあおるとはいかないまでも、軽めのそれではどうにも満足感が得られない。さてどうしたものかと考えていると、視界のすみに本来ならこの時間は持ち場についているはずの人物を見つける。しかも、食堂の入り口で手招きしているではないか。周囲を見渡してどうやら自分を呼んでいるとわかると、コップを置いて席を立つ。
「どうした?」
側までいって声を潜めると、さらに手招きされる。
バレンティナは女性にしては背が高い方かもしれないが、ジェレマイアが高すぎるのだ。仕方なく腰をかがめると、彼女の瞳がいたずらっぽく輝いている。
「あの、殿下のいる階の護衛を一度引き揚げさせてもいいですか?」
普通なら考えられないことをバレンティナは言った。
「なんかあったのか?」
王族の警護を本来するのは近衛の役目だが、昔からウィルフレッドは騎士たちと懇意にしているためか、余程のことがないかぎり警備は騎士団に任されている。しかし、ここは王宮ではなく地方領主の館だ。何があるか分からないのに、警備を減らすことは出来ない。もちろん、目の前の彼女もそれは重々承知していると思っていたのだが。
バレンティナはうふふと笑って、さらに声を潜める。そっと口元に手をあて、ジェレマイアの耳元に囁く。
「リューネリア様が夜這に行くそうですよ?」
「はぁ!夜這!?」
思わず大きな声を出してしまった。
背後の喧騒が、一瞬にして静まり返ってしまった。
意表を突かれた事態に目の前にいるバレンティナをまじまじと見下ろすと、声が大きいと窘められた。
「ですから、いいですよね?」
否応なしに頷かずにはおられない状況にしておきながら、なおも許可を取ろうとするバレンティナに作意を感じる。
「わ、わかった」
どうにか了承を出すと、彼女は会心の笑みを見せた。
「ありがとうございます」
まるで跳ねるように戻って行ったバレンティナを見送り、やけに背後が静かなことに恐々と振り返る。
了承を出してしまったことで、ジトリと恨みがましい視線が全身に突き刺さる。
あまりにも信じられない出来事を耳にして不覚にも声を大きくしてしまったが、すべてが彼らに聞こえたはずはない。だが、食堂にいる騎士たちも馬鹿ではない。常日頃からジェレマイアが周りをよく見ろと言っていたせいか、確かに状況を見ればその一言で全てをうかがい知ることが出来る。
夜這と言いに来たのが誰なのか。それは妃殿下の警護を任されているバレンティナだ。ならば、誰がというのは言わずもがな、どちらがどちらに夜這するにしろ、本日の主役であるリューネリアにすっかり心酔している若い騎士たちには、その現実はとてつもない衝撃となってしまっただろう。
冷たい視線に晒されながら、さきほどまで飲んでいた椅子に腰かけると、未だに沈みきっているロドニーが暗い顔でこちらを見ていた。
初恋であっただろうリリアが、実は身分を隠した妃殿下で、一瞬にして失恋をさとってしまったのだ。哀れとしか言いようがない。その落ち込みようと言ったら先程までロドニーの存在自体を忘れてしまっていたほど、影が薄くなっていた。いや、ニーナに使い物にならないと罵倒されていたのは聞いた気がするが……。
そのロドニーが何か言いたげにこちらを見ているものだから、つい気の毒で声をかけてしまった。
「どうした?」
「――あの、夜這って何ですか?」
思わず、新たに注いだ酒を吹き出しそうになってしまった。
その言葉に、周囲の騎士たちが、ロドニーの周囲に集まり、少年の肩に手をかける。
彼らの表情はどうみても含むところがある。まさか憂さをロドニーで晴らそうという魂胆ではないだろうか――。
「おい、ちょっと待て」
失恋したばかりの少年に、その現実は酷過ぎる。
止めようとした矢先、先程バレンティナが現れた扉から、足音のない気配を感じ、視線を動かす。
そこには妃殿下付きの侍女で、現在ロドニーと一緒にこの館の食事の手配から、その他の雑用を一手に引き受けているニーナが現れた。
さすがに疲れた表情をしていたが、ジェレマイアの視線に気づくと無言で一つ隣の席に腰を下ろした。テーブルの上に残っている食事を皿に取り分け、遅い食事を始める。
「もう、仕事は終わりか?」
「ええ。リューネリア様のことに関しては、あなたのところの騎士に任せてきました」
淡々と話す口調にも、疲れが見える。
若いくせに彼女の手配は完璧だった。その上、リューネリアの侍女としての仕事もこなしていたのだ。軟禁状態であった為、侍女としての仕事に手を裂かれる時間は確かに少なかったかもしれないが。
「いいのですか、放っておいて」
しばらく黙って食事を続けていたニーナの口から出た言葉に、ふと首を傾げる。彼女のスプーンが目の前の席を指し、そこで青くなっている少年のことを目にする。
だが、どうやら思い出すのが遅すぎたらしい。
先程の比ではないほど落ち込んで、魂の抜けた顔をした少年に、すでにかけるべき言葉は見つからなかった。
「それにしても皆さん、どうしたのですか。先程まであんなに盛り上がっていたのに」
ある程度、食事を胃の中に納めて落ち着いたのか、ニーナが妙に盛り下がっている食堂を眺めて珍しく話しかけてきた。
ジェレマイアが事の顛末を話すと、冷めた目をして一瞥された。
「リューネリア様がウィルフレッド殿下と御結婚されて一体何カ月経ったと思ってるんですか」
「いや、そうだが――」
「あなたたちは、あの方たちの仲のよさを目の前で見たことがないからこのようなことで驚愕しなければならないのです」
「え、目の前って……」
ニーナは珍しく饒舌になって、ジェレマイアを見上げてきた。
「朝起こしにいった時から、もうベッタリですよっ。私のリューネリア様に!」
やるせない心情も露わに、次第に声が大きくなる。
疲れから、精神を安定させる何かが欠けてしまっているようだった。
「……そうか。だが、仲がいいのはいいことなんじゃないか?」
「リューネリア様が幸せなら別にかまいません!ですが、もしも殿下がリューネリア様を泣かすようなことがあったら私は許しません!」
物騒な物言いに、ジェレマイアはさすがに本分を思い出す。もともと彼女から足音がしないのは気になっていたのだ。本音を吐くかどうかは別として、どういうつもりなのかを聞いておいて損はないだろう。
「許さないって……何をするつもりだ?」
だが、ニーナはそれを鼻で笑った。
「何って、別に殿下をどうこうするつもりはありませんよ。でも、私は侍女ですから。やろうと思えばどんな嫌がらせでも出来るんですよ」
たとえばと言いながら、確実に王子の弱点をついた発言をする。つまり、今現在の最大の弱点は妃殿下であるリューネリアだ。
「すべての予定をずらして、何日間か会えないようにしてしまえば相当堪えるでしょう?」
言いきって、不敵に笑ったニーナに、ジェレマイアをはじめ、二人の会話を聞いていた周囲の騎士たちが青ざめた。
好きな女性に何日間も会えない――。
それは確かに堪える……。
もしかしたら、最も厄介な敵は意外と身近にいるのかもしれない。