あてつけの行方
※ロレイン視点です。
本編より1~2年ぐらい前の話になります。
あの人との歳の差は、たったの五歳だったけどとても大人に見えた事を覚えている。
最初の出会いは私が四歳の時。あの人は九歳の子供だったけど、その落ち着きぶりは父様と変わらないほどに見えた。
少し痩せすぎに思えるほど身体の線は細く、きちんと食べているのか心配になって、本当はきちんと挨拶をしなければならなかったのだけど、思わずテーブルの上に置いてあるお菓子を食べてと渡したほどだ。
そんな私に父様は驚いていたけど、あの人は視線を合わせるためにわざわざ屈んでくれた。
喜んでくれたのかと思ったが、そうではなかった。あの人は丁寧な言葉で断りを入れてきたのだった。
「はじめまして、お嬢様。エリアスと申します。――こちらのお菓子ですが、大変ありがたく思います。ですが、私は施しを受けるためにこちらのお屋敷にきたのではありません」
綺麗な白金色の髪を揺らして、こちらを覗きこむ。
驚いた。
施しなんて思ってもいなかったのに。
「……エリアス。ロレインはそのようなつもりで菓子を渡したのではないよ」
父様はそういってあの人を諌めたが、私は自分の配慮のなさに悲しくなってしまった。
「ごめんなさい」
口をついて出た謝罪の言葉に、あの人はとても驚いた顔をした。
「……いえ。こちらこそご厚意を無下にしてしまい……」
難しい言葉の羅列に、私は首を傾げた。
困って助けを求めるように父様を見上げると、今にも笑いだしそうな表情を浮かべた父様に抱き上げられた。
「エリアスは、見ての通りとても頭がいい。いずれ王宮に上げようと思っている。ロレインも、分からないことがあったら彼に聞きなさい。その方が、エリアスの勉強にもなる」
父様の言うことの矛盾とエリアスが頬を赤くした理由を理解するまで、私はしばらくかかったが、エリアスが人と関わることが苦手なのはすぐに知ることとなった。
「へえ、やっぱりエリアスは昔から変わらないんだな」
騎士団の訓練所に、時々身体を動かす目的でやってくる第二王子のウィルフレッド殿下に乞われ、私は昔話をした。
今はパルミディアと戦時中ではあるが、まだ王都にまで戦火は及んでおらず、だが、街の治安は思うほど良くはない。騎士団の役目の一つに街の治安維持がある。ウィルフレッド殿下もそちらに役割を振られたらしく、本当は王太子殿下のように戦地へと赴きたかったようだが、さすがに王位継承権を持つ二人の王子を戦地にやることは、もしも何かあった時のことを懸念した議会と王族から承認がおりなかったのだ。
ウィルフレッド殿下にしてみれば、王太子の命の方が重要だと言っていたのだが、最近はなかなか自分の思惑通りにならないからか、その鬱憤を晴らすため、女遊びが酷くなっているような気がする。
だが先日、父様から聞いた噂では、近くパルミディアと休戦協定が結ばれる可能性があるとのことだった。
その条件の一つに、ウィルフレッド殿下とパルミディアの王女との結婚の話があるとのこと。ますますウィルフレッド殿下は荒れてしまうのではないだろうかと心配になる。そうなると、必然的にあの人の仕事が増えてしまい――。
「そう言えば、ロレインはどうして騎士になろうと思ったんだ?」
ハッとした。
思わず顔に熱が集まるのがわかる。
「侯爵家令嬢であり、唯一の後継ぎだろう?なぜわざわざ危険な仕事に就こうと思ったんだ?」
聞かれ、思わず口ごもる。
だが、今まで黙って隣に座っていたバレンティナが、ふふっと笑った声が聞こえた。それで、ますます顔に血が上った。
女性騎士は数が少ない。まして実動部隊にいる女性はなおのことで、事実、私とバレンティナの二人しかいないのだ。だから自ずと一緒にいることが多くなり、私的なことも知ることとなるのだが――。
やっぱり、彼女は知っていると確信する。
「家を……守るためです」
「自らの手で?ロレインは後継ぎだから、いずれは婿を取るのだろう?ならば、家を守るのはその者の役目になるのではないのか?」
もっともな質問だ。
だが、今の質問で確信した。ウィルフレッド殿下は知らないのだ。
幼い私の我儘を聞いてくれた父様と、エリアスの間に交わされた約束を――。
今更無効と言えば無効なのかもしれない。だけど、それが私にとってのほんの少しの希望でもあるのだ。
だが、あの人に今一番近いウィルフレッド殿下さえそのことを知らないということは、あの人にとってもはやあの約束は、忘れ去られて久しいものなのかもしれない。
先ほどまで顔に集まっていた熱が、今度は急激に下がっていくのを感じる。
「ところで、ロレイン。ものは相談なんだが……」
急に話を変えたウィルフレッド殿下に、少しだけ感謝する。このまま質問を続けられたら、表情が繕えなくなるかもしれなかった。
「なんでしょう?」
「……今、恋人がいないんだったら、俺の恋人にならない?」
「は?」
あまりの話しの唐突さに、呆気に取られる。隣からは、ついに堪えられなくなったのか吹き出す笑い声が聞こえたが、それどころではないだろう。
女好きとは聞いていたが、どういうつもりなのか。
今のこと、私が婿を取るという話をしていたばかりではなかったのか。
「ああ、いや。別に本当の恋人になってくれって言ってるわけじゃない。つまり……ロレインはソーウェル侯爵の娘だ」
当然のことを、口にしたウィルフレッド殿下を訝しむ。
それは誰もが知っていることだ。ソーウェル侯爵である父様は議会でも発言権は強く――。
閃くものがあった。
「つまり、情報を?」
「――兄上が……王太子殿下の体調が戦地でも芳しくないと聞いた。もうそろそろ帰ってきてもらおうと思ってね。だけど俺にできることは少ない。まずは、情報収集から始めようと思ってね」
もともとウィルフレッド殿下の女性遍歴は華々しいほどだ。だからそれを利用して、情報収集を始めるという手段はいい方法かもしれない。だがそれは――。
「もしかしてその案は……」
「ああ、エリアスだよ」
言われ、愕然とする。
あの人のことだ。誰を恋人候補にすればいいのかまでリストに上げていそうな気がする。
先ほど下がった血が、今度は頭に上がるのが分かった。
「そのお話。お受けします」
勢いだった。確かに、戦争などもう終わればいいと思っていた。現在、その可能性もあることも知っている。その渦中にこの王子がいることも。
だが、何よりもあの人が出した計画に、腹が立った。少なくとも私が候補に上がることも考えなかったはずはないのだから。
隣のバレンティナを見ると、彼女はため息をついていた。
「馬鹿ね」
彼女にはすべてお見通しのようだ。
だが、彼女も分かっているのだろう。このままでは、今の状態がずっと続くだろうことを。
あてつけだろうが、なんだろうが、私は種をまいたのだ。花が咲くかどうかは分からない。でも、種をまかなければ花は咲かない。
だから私は、このあてつけに賭けてみることにした。もうこれ以上、こんな思いをするのは我慢ならなかった。
「よし、これで二人確保だな……」
ウィルフレッド殿下の声を聞きながら、この話をきいたあの人がどのような顔をするのか、見てみたいと思った。それはきっと、気分を暗くするだけのことだろうけど……。
心の奥底に芽生えた仄暗い感情に、思わず、私は自分自身を嘲笑した――。