砂の国の冒険 最終夜
朝になって知ったのだが、墓には屋上まで上る階段があった。日中の気温が嘘のように冷え切った空気に、頭も身体もすっきりと目覚める。
砂漠に人影がないことを薄暗い中で確認すると、今のうちにイーニッドに戻ろうということになった。
墓から出ると、東の地平線がオレンジ色に染まっていた。まだ太陽は顔をのぞかせていないようだったが、夜の気配を残した色と朝を告げる地平線の色が薄紫とオレンジ色に空を染め上げ、神秘的な調和を織りだしていた。
「夕日も綺麗だったけど、朝もいいな」
扉を閉めているアミールに正面を向いたまま告げる。
次第に明らんでくる空を見上げていると、地平線からゆっくりと光の塊が姿を現す。それは、朝の冷えた空気の中、ほのかな温もりを届けてくれた。
「あれ……光ってる?」
じっと砂漠を眺めていたウィルフレッドは、隣にいるアミールを振り返り、所々光っている地面を指差す。するとアミールは、最初こそ気のない様子で返事をしたが、次の瞬間、何かを思いついたように人の悪い笑みを浮かべた。
「あれは金剛石だ」
「ええっ!」
思わず驚きの声を上げ、アミールに口を押さえられる。誰もいないのだから、聞かれる心配はないのだが、それでも用心のためなのだろう。
ゆっくりと口を覆っていた手を除けられ、アミールに説明を求める。こんなところに金剛石が落ちているはずはないのだから。
するとアミールはニヤリと笑った。
「というのは嘘で、あれは水晶の一種だ。本物の金剛石とは違う。大昔、この辺りに空から星が落ちてきた時、一緒に降ってきたのではと言われている」
「じゃあ、もともとは星!?」
その発言に、アミールは笑いながら手を横に振った。
「いや、俺もよく知らない。だが、磨くと金剛石と同じかそれ以上の輝きを持つと言われているな」
イーニッドに向かって歩き始めたアミールに慌てて付いて行き、周囲を見渡す。太陽が横から差し込んできて、石を通してかすかな光を反射している。
「冒険の最後には、宝物が必要なんだろう?拾うか?」
あまりにも物欲しそうに見ていたのだろか。尋ねられ、ウィルフレッドは目を見開いた。
「いいのか?」
少し決まりが悪くて躊躇ってしまう。
「別にかまわないだろう。イーニッドに暮らすものは皆、価値など知らないし、この辺りは王族の墓があるからな。誰も拾わない」
墓の言葉に、ウィルフレッドも一瞬迷ったが、確かにこれなら兄のカールや教育係のエリアスの土産には荷物にはならないし丁度いいかもと思った。喜ぶ顔が目に浮かぶようだと思い、早速拾おうとしたが、アミールの緊迫した声に止められた。
「まずいな。人が来る」
「え……?」
顔を上げ、オアシスの側に繁るナツメヤシの林の方向から、確かに土煙が上がっているのが見えた。
「あいつら?」
昨日の集団を思いだし、ウィルフレッドはアミールを振り仰ぐ。
だが厳しい顔をしてしばらく正面を睨んでいたアミールは、深々と息を吐くと首を横に振った。
「いや、あれは迎えだな」
どうやら王宮からの迎えらしい。もしかしたらジェレマイア達かもしれない。
それは助かったと思うと同時に、自由時間の終わりをも告げていた。戻ればレイラのお小言が待っているだろうし、きっとジェレマイア達もいい顔をして出迎えてはくれないだろう。それは心配をかけたのだから仕方がないのだが。
そう言えばと思い、隣に立つアミールを見上げる。
「今日は誕生日だったよね。十三歳、おめでとう」
ハッとしたように振り返り、アミールはすぐに目元を和らげると照れくさそうに笑った。それは初めて見せる子供のような笑みだった。
「ああ、ありがとな」
静かな声音は、それからしばらくの間、ウィルフレッドの耳から離れることはなかった。
その日の夜。ゴードヴェルクに来た本来の目的である宴にウィルフレッドは出席した。
ゴードヴェルクの民にとって十三回目の誕生日というのは特別なものらしく、成人とみなされる為に例年よりも華々しく行われる。だから今回の宴に招待されたのは、成人の儀式への立会のようなものだとレイラに教えられ、当然ウィルフレッドも立ち会うつもりだったのだが、前日からの疲れもあって、宴も半ばにして強制的に退出させられてしまった。
翌日には帰国の予定だったので、是非もう一度アミールに会って別れの言葉を言うつもりだったのだが、レイラに止められた。
前日の朝、砂漠でジェレマイアに回収された後、散々レイラには怒られた。強い日差しにより火傷を負った肌を冷やしながら、眠たいと苦情をいったが無情にも却下され、解放されたのは宴の支度を始める直前だった。
おかげで宴を退出させられることにも反論出来ず、レイラの一睨みで終わってしまったのだ。
翌日、帰国の準備が終わり、昼前にもアミールを訪ねたが、金髪の侍女は首を横に振るだけだった。それは会えないという意味なのか、いないという意味なのかウィルフレッドには分からなかったが、時間はすでになく彼女に伝言を頼む。困ったような彼女の顔に、もしかしたらと言葉を伝える伝達手段を持っていないのかと尋ねると、彼女は頷いた。それにはもうお手上げでしかなく、ウィルフレッドも諦めるしかなかった。手紙を書くにも時間はない。こんなことなら前もって書いておけば良かったと後悔した。
ウィルフレッドがゴードヴェルクで過ごしたのはたったの八日間だったが、かけがえのない思い出が心に刻まれた。兄であるカールから貰った本は今では荷物の中に紛れ込んでいるが、あの主人公がした冒険とまではいかないが、それに近い経験が出来たのではないかと思う。ただ、心残りなのは一緒に過ごしたアミールに別れを告げられなかったことだ。
楽しかったと言いたかった。危険なこともあったり怒ったこともあったりしたが、今思えばそれさえ貴重な体験だ。
馬車に乗り込みながら、それでも視線は離宮へと向けられる。
すでに護衛の騎士や侍女たちも出立の準備が済んでいる。あとはぐずぐずしているウィルフレッドが馬車に乗り込むだけだった。
「殿下。早くお乗りください」
ジェレマイアは馬から一度降りると、急かすように言い添える。
彼は騎士の中でも融通の利く方だ。だが、珍しく真剣な表情と身にまとう緊張感にウィルフレッドは眉をしかめた。
「どうしたの?」
すでに馬車に乗り込んでいたレイラを見ると、彼女もいつもの怒ったような表情ではなく、逆に困ったような眼差しを向けていた。
「なに……」
そこでようやく、ウィルフレッドは気づいた。アミールのことを気にしすぎて、周囲の異様な様子に気づかなかった。
馬上の騎士たちも、周囲に視線を巡らし、緊張感に包まれている。
「ご説明しますから、乗って下さい」
レイラはジェレマイアに目くばせし、ウィルフレッドは抱えられる様にして馬車に押し込まれる。
「ちょっとっ」
苦情を言おうと振り返ると、すぐ目の前で馬車の扉が閉ざされる。そして時を置かずして、振動を感じ出発したことが分かる。
仕方なしに腰かけると、レイラは頭を下げてきた。
「申し訳ございません。本当ならウィルフレッド様に、このようなことをお知らせする必要がないことを私達は願っておりました」
珍しく言い訳がましいレイラの物言いに、先程から感じている不安は強くなる。馬車の外に目をやると、異様なほど緊迫した警備体制が取られている。一体、何事なのだろうとレイラを急かす。
「何なんだよ、一体……。これは異常だろう?ゴードヴェルクと何かあったの?僕は何か失敗した?」
一応、外遊とはいえ、エリアスに言われたように喧嘩をしに来たのではない。国交間に不利益になるような態度を取ったつもりはなかったのだが、もしかしたら一昨日抜けだして迷惑をかけたことが、ウィルフレッドの想像もつかない何かを引き起こしたのかもしれない。だが、昨夜の宴では何事もなかったのだ。それが余計な心配だと思っても、ウィルフレッドは不安になった。
レイラはその問いには首を横に振る。
「殿下に落ち度はございません。しかし、殿下はファイサル殿下と仲良くなりすぎたのです」
なぜここでアミールが出てくるのか分からなかった。
戸惑いを見せるウィルフレッドに、レイラは今回の宴にはもう一つの意味があったことを教えてくれた。
ゴードヴェルクの民は十三の歳をむかえると、成人した証を示さなければならない。それは自立するという意味をもち、十日間、誰の手も借りずに飲み物も食料も手に入れなければならない。お金も与えられず、誰も手を貸してはならないという決まりがある。大抵の者は、前もって食料や水を用意しておくのが普通だが、アミールの場合そうはいかない。常に命を狙われる立場にあり、狙う側もこの機会を逃すはずがない。食料を準備するということは一カ所に留まることを意味し、このイーニッドにそのような場などアミールにはない。命を狙う兄弟も王族である限り、イーニッドに住まう者が匿うことなどあり得ないのだ。つまり、味方など誰ひとりいない状況で十日間を過ごさなければならないのだ。そして、その間、常に命が狙われているのだ。
それは、ウィルフレッドも一昨日に身をもって経験したので、それが冗談ではないことぐらい知っていた。
だがどうしてここまで厳重な警備をしなければならないのか。仲良くしたぐらいでというのは事が大げさすぎやしないか。
「ファイサル殿下がイーニッドを出る可能性も考えて下さい」
一度イーニッドから出て、十日後に戻るという手もある。その方法として、安全にイーニッドから出るには警備に守られたウィルフレッドと一緒ならばより危険は少ない。しかし、アミールが安全だからだとそのような手段を取るなど考えられなかった。
すべての説明を聞き終え、ウィルフレッドは青ざめた。
思い返せば、思い当たることがありすぎた。自分の誕生日である宴をそこまで喜んでいるようには見えなかったこと。刺客に命を狙われた時、気が早いと言っていたこと。それは、この十日間のことを指していたに違いない。
しかも最初にアミールと出会った時のことを思い出す。
体調が悪くて寝込んでいたウィルフレッドが目を覚ましたのは、異様に静かだったからだ。警備の者はどこに行っていたのか。レイラもいなかった。
それをレイラに問うと、頷き返された。
「あの日、離宮の周囲で不審な人物が目撃されていたのです。警備の者たちは外を確認し、侍女たちも離宮の中を確認していたのです。ウィルフレッド様がお休みだった部屋は離宮の最奥。そう簡単に人が出入りできるような場所でないためお側を離れました」
多分、不審人物とはアミールを狙っていた者たちに違いない。そしてアミールは離宮に逃げ込んだ。そこがヴェルセシュカに貸された場所だと知った上での行動だったのだろう。離宮は一時的な他国である。何かあれば当然、外交に響く。それで、アミールは身を潜めていたのか。
「アミールは……大丈夫だよね?」
無意識に震える手を握りしめた。
懇願を込めてレイラに問うが、彼女は首を横に振る。
「それは……言いきることは出来ません。ファイサル殿下には敵が多すぎます」
彼女はこんな時でさえ、気休めも言ってくれない。
目に込み上げてきた熱を、瞼をぎゅっと閉じることによって逃そうとする。
ウィルフレッドにとって初めて出来た同年代の友人だった。いつもは王子という身分に、誰もがウィルフレッドの機嫌ばかりを、心にもない言葉で取ろうとした。それに気づいた時の痛みを今でもふとした拍子に思い出す。だが、アミールは最初から対等だった。いや、むしろ見下していたところもあったが、少なくともそれがアミールにとっての普通だったのだろう。腹立ちはしたが、むしろ取り繕わないところが清々しいとさえ思えた。
それなのに、もう二度と会えないかもしれないのだ。手助けも出来ず、別れの言葉さえ言えないとは……。
どうにか涙が零れそうになるのを堪えるが、喉の奥にも込み上げてきた痛みに、唇を噛みしめた。呼吸の一つにさえ、我慢の限界を感じた時、馬車が大きく揺れて止まった。
レイラが咄嗟に支えてくれたおかげで、どこもぶつけることはなかったが、ふと見上げた視線の先に彼女の顔に警戒を見つけ、まさかアミールを狙う刺客がやってきたのではないと不安になった。
だが次の瞬間、馬車の外にいる人影を見つけると、ウィルフレッドは扉を開け放っていた。
「アミール!」
レイラの制止も振り切って、馬車から下りる。
そこにいたのは、頬から血を流すアミールだった。手には抜き身の刀剣を持っている。その刀剣にはところどころまだ乾ききっていない血がついていた。
周囲の騎士たちがざわつき、一気に緊張感が高まる。
だが、ウィルフレッドは駆け寄ると、差し出しされた袋とアミールを見比べた。
「持って行け。おまえの欲しがっていた星だ」
受け取って袋の口を開くと、親指大ぐらいだろうか。薄黄色の半透明な石がごろごろと出てきた。昨日、拾うと言っていた石は結局拾えないままだった。それをアミールは覚えていたのだ。
「昔、俺が拾っていたやつだ」
「いいの?」
嬉しくなって確認したが、次の瞬間、アミールの言葉に頬が強張る。
「ああ。俺にはもう必要ない」
その言い方に、どこか諦観を感じ、ウィルフレッドは首を横に振った。もう、死ぬのだから必要ないと聞こえてしまった。強い日差しが降り注いでいるにもかかわらず、ぞわりと足元から冷たい何かが這い登った気がした。
「駄目だ。これは受け取れない」
石を袋に戻し、アミールに突っ返す。まさか返されるとは思っていなかったのだろう。それでもアミールは手を出さなかった。
「なぜだ?」
「これをもらうと、アミールは生きることを諦めるだろう?だからいらない」
「誰が諦めると言った?俺は、俺の出来ることをする」
そうは言ったものの、アミールの口調からはいつもの威勢が感じられなかった。
このままでは駄目だとウィルフレッドは思う。死んでなど欲しくない。だが、やれることが何なのか、ウィルフレッドには思いつかない。
だが、ふと、墓の中でアミールと交わした会話を思い出す。
「やっぱりこれは返す」
ウィルフレッドは無理やりアミールの手を取ると、袋を握らす。そして、そのままアミールの手を握りしめた。
「アミール、僕と約束をしよう」
「約束?」
突然の提案に、怪訝な顔して首を傾げる。
「今度はアミールがヴェルセシュカに来て」
それは夢のような約束だ。
ゴードヴェルクのような大国の王族がヴェルセシュカのような小国に来ることなど滅多にない。来るとなると、国賓扱いで王宮はきっと大変なことになるだろう。だが、それを想像するのはまた楽しいことのような気がする。
アミールも同じだったのか、暗かった顔にわずかに笑みが戻ってくる。
「それも楽しそうだな」
「だろう?」
ニコリと笑うと、ニヤリと返された。
「約束しよう」
静かな声で言われ、ウィルフレッドは嬉しかったが、出来るだけ怒ったような顔をして続けた。
「もし、約束を破ったら許さないからな」
「はは、怖いな」
全く本心から思っていないような台詞だったが、ウィルフレッドは笑みを深くした。その言葉が欲しかったのだ。
「そう、怖いだろう?だから、望んで。生きることを」
怖いことがなくなると、望まなくなると言っていたのはつい先日の事。アミールはその言葉に気づいたのか、ハッと息をのんだ。そしてその黒檀の瞳にいつもの力強さが戻ってくる。
「――わかった、約束しよう。必ず生きて、おまえに会いに行こう。その時にこれを渡そう」
今度こそ力強く言うと袋をしまい、ウィルフレッドに早く馬車に乗り込むよう促す。
周囲の騎士からは今にも爆発してしまいそうな緊張感を感じていた。
アミールが馬車から離れなければ、いつまでも危険はつきまとう。
アミールもそれを承知してか、ウィルフレッドが馬車に乗り込むと、軽く手を上げて離れていった。それはまるで、また明日、とでもいうような軽い別れだった。
ウィルフレッドは動き出した馬車から、アミールの姿が見えなくなるまで見続けた。いつか会えた時、今度こそ剣の打ち合いには負けないと心に誓う。だからそれまで生きていてと願わずにはいられなかった。
それから十年……。未だ彼はヴェルセシュカの地を訪れることはない――。