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あきらめの行方

※ロレイン視点です。

 長めですのでお時間のある時にどうぞ。


 父であるソーウェル侯爵に、王都にある屋敷に呼び付けられたのは、ネリア様の一件が片付いてから数日経ったある日のことだった。

 外はまだ夏の強い日差しが照りつけているが、開け放たれた窓からは清涼な風が吹き抜けていく。庭に咲く花や草の匂いに、どこか懐かしさを覚えて思わず目を細める。

 あれはいつの事だっただろう、と視線を窓の外に向けて考えていると、先程まで固く口を閉ざしていた侯爵がやっとのこと口を開いた。

「ロレイン。おまえもいい歳だ。そろそろこの侯爵家を継ぐ心構えをしておきなさい」

 告げられた言葉にまず耳を疑い、知らず目を瞠っていた。そしてゆっくりと振り返る。

「父様……それは――」

 いつかは来ると思っていた話だったが、まさかこうも早く来るとは予想外で、次に続けられた言葉に二の句が継げなかった。

「いくつか縁談の話しも来ている」

 先程までの穏やかな気持ちが、夏の日差しに反して一瞬で翳りを帯びていった――。



 エリアスとのことは単なる子供の我儘で、玩具をねだっているのと変わらないことぐらい分かっていた。口約束だろうがなんだろうが、それがあの人との唯一のつながりであると藁にも縋る思いで今まで来たのに、それは呆気ないほど儚く消え去って行ってしまった。






 気持ちが悪い――。


 ウィルフレッド殿下の恋人としてではなく、ソーウェル侯爵令嬢として夜会に出るのは久しぶりのことだった。

 騎士の仕事が忙しいことを理由に断り続けていたが、先日の父である侯爵の言葉に逆らえるはずもなく、否応なく着飾る羽目に陥ってしまった。

 久々に締め上げたコルセットは苦しくて、髪を結い上げたため頭も痛い。顔に施された化粧も気持ち悪くて、夜会も中盤に差し掛かった頃、我慢ならずに会場を抜け出していた。

 嵌めた手袋が汚れるのも構わずに紅を拭う。

 髪を留めていた飾りを引き抜くと、むき出しになった肩に髪が滑り落ちる。

 人気のない王宮の廊下に身を潜め、知らずうちに深々と溜息がこぼれていた。

 今夜の夜会はゴードヴェルクの使者を歓迎する為のものだ。

 本来なら護衛としてネリア様のお側にいるはずだったのだが、その使者というのが、かの国の王族というにも関わらず、国賓級の扱いを嫌がり、適当にくつろげる場所の提供のみで実質的にはすべてウィルフレッド殿下が相手をしている。というのも、ゴードヴェルクの使者と殿下は知り合いだったらしく、使者の態度から国の友好関係にひびが入るとも思えず、議会はウィルフレッド殿下の評価を上げていると聞く。

 それはつまり、使者と殿下の間に何かない限り、ネリア様に何かあるとは思えないのだ。それは護衛に人を割く必要も減るということで、仕事を理由に夜会の出席を断る理由もなくなってしまった。

 俯くと、サラサラと音を立てそうなほど真っ直ぐな髪が視界に入る。わずかな明かりにさえ、その銀髪は目を引くというのに、日中の日差しの下ならば、どれほど目立つことだろう。

 はっきり言って、私は自分の容姿が嫌いだった。

 醜い、とは思っていない。どちらかというと逆だ。周囲から賞賛される言葉や向けられる眼差しに偽りを感じたことはない。しかし、それが異性から向けられる視線となると、はっきりと別の意図をもっていて、ねっとりと絡みつくような気持ちの悪さと寒気を覚えてしまうのだ。エスコートを理由に腰を引き寄せられた手さえ気持ち悪いと思ってしまう。

 それがこの容姿のせいなのだと気づいたのはいつの頃だっただろう。

 だがその度に、この視線があの人ならば、この手があの人の手ならば、と考えずにはいられない。

 そう思ってしまう私は異常なのだろうか。

 着飾っても、この姿を見て欲しいあの人はこの場にいない。いや――いるにはいるが、今はそれどころではないことぐらい分かっている。

 だから賞賛の言葉もなく、いつも見ているのは私だけ。


 いっそのこと忘れてしまえたらいいのに。


 歩を進める度に廊下に響き渡る自らの靴音に、次第に気分が塞いでいく。

 気づけば見慣れた中央棟を歩いていた。

 前から歩いてきた警備の兵を見つけ、窓に映った自らの姿に慌てて近くの部屋に飛び込んだ。

 こすれた紅が頬を汚し、髪はほどけて、どう見ても何事かあったとしか思えない姿だ。髪はともかくとして、せめて頬に付いた紅は何とかしないと人前に出られる顔ではない、と思ってふと顔を上げると、ここがウィルフレッド殿下の執務室の隣室であることに気づく。

 ――つまり、あの人の実際の仕事部屋だ。

 なんて偶然……。いや、思いにつられて足が向いてしまったのかもしれない。

 この部屋は執務室と違って狭く、窓近くに置かれた仕事机の他は、部屋の片側に寄せて置かれたソファしかない。仮眠用だと窺えるそれに腰を下ろし、外した手袋で頬を拭う。

 そして自らを嘲って、暗い笑みを漏らす。

 この度の夜会にエスコートしてきた男は、縁談の話が持ち上がっているうちの一人だ。何も言わず会場に置き去りにしてしまう侯爵令嬢などあちらから願い下げに違いない。

 それでいい。

 暗澹たる感情に心を染めながら、ソファにもたれかかると、私はゆっくりと瞼を閉じた。



「どうしたのですか、このようなところに隠れて」

 遠くであの人の声が聞こえる。

 昔、ダンスの稽古に疲れて庭に隠れていたらエリアスに見つけられてそう問われた。

「足が痛いの。でも先生が厳しくて――」

 慣れない踵のある靴で、何度も何度も同じステップを踏まされ、いい加減疲れていた。今日は久しぶりにエリアスが王宮から帰ってくる日なのに、少しも休憩を取らしてもらえない。このままでは会えないかもしれないという不安に、稽古を抜け出して隠れていたのに、このまま隠れていたら、なお会えないかもしれないという現実に、どうしようかと心が揺れている時だった。

 だが、見つけてくれたのは彼で、逃げ出したおかげでエリアスに会えた。


「そうですか。……ところで頬になにを付けているのですか?」

 延びてきた指先が頬に触れる直前、思わず身を引いていた。ソファの背もたれに阻まれ、それは叶わなかったが代わりに目を瞬く。

 ここは庭ではない。エリアスの仕事場だ。

 現実に立ち返り、先程自分が呟いた言葉に赤面する。完全に寝ぼけていた。

 エリアスが触れようとした箇所に心当たりがあり、自らの手で拭いながら視線を逸らす。

「化粧が気持ち悪かったので、それで……」

 力任せに擦ろうとすると、その手を止められた。つかまれた場所が知らず熱を持つ。彼の手は冷たいのに。

「何かあったわけではないのですね?」

 乱れた髪を多少乱暴とも言える手つきで整えられ、彼が何を言わんとしているのか察して否定する。

「私が何をされると?」

 少なくとも、ただの貴族の軟弱な男どもに力で抑えつけられようとも振り払う(すべ)は持っているつもりだ。そのようなこともできなければ騎士としての名が泣いてしまう。

「余計な心配でしたね」

 私の言った言葉にあっさりと手を離され、離れていく手を寂しいと思って見てしまう。

 つかまれた手首に残った低めの体温は彼のものだ。逆の手でその場所を握り、胸に抱える。

 そして微かな期待をこめて見上げる。

「心配してくれたのですか?」

 机の上から書類の束を取っている背に声をかければ、振り返ることなく彼は答える。

「私の目の届くところであなたに何かあれば侯爵に合わせる顔がありませんからね」

 淡々と告げられる事実に、心の中が一瞬で冷えた。

 今更ながら期待している自分に嫌気がさす。

「そう……」

 彼の言葉に一喜一憂してしまう自分が嫌だ。

「夜会に戻るのでしたら、人を呼びますが?」

 乱れた髪と、化粧を直さなければ人前に出られないのは分かっていた。

 私はゆるく首を横に振った。会いたい人に会えたと言うのに、心は沈む一方だ。だが今更、会場に戻る気などしなかった。

 言葉少なに俯くと、頭上から溜息が落ちてきて、エリアスが隣に腰をおろしてきた。

「本当にどうなさったのですか。今日の貴女は少し変ですよ」

 わずかに空いた二人の距離は、それでもお互いの体温を感じるほどしかない。だけど、出会ってからずっと縮まることのなかった距離だ。

 確かに、この時の私は彼の言うように変だったのかもしれない。

 彼の放った何気ない一言に、込み上げてくる感情が、抑圧していた感情を押し上げていた。

「私の――」

 知らず声が震えた。

 感情に任せて言葉を吐き出す。

「私の何を知って、私が変だとおっしゃるんです」

 渦巻く想いは奔流となって口から流れ出る。

 そして気づくと、責めるように呟いていた。

「知ってるくせに」

 止めようと思っても、止まらなかった。

「――私が欲しいのは貴方だけなのに」

 かつて、子供だった頃に、何度か告げた言葉だった。

 あの頃は、大人になったら、とかわされ続け、ある程度の年齢になると彼は困惑した顔を見せるようになった。彼の迷惑になるなら、とある時期から言わないようにした言葉だったのに。

 じっと見つめて、心の底から真剣に、どこまでも本気で告げた言葉だったのに、返って来たのは溜息と、呆れた横顔だった。逸らされた視線は私を見ない。

「まだそのようなことを言ってらっしゃるのですか……。それに、聞き及んでおりますよ。縁談が持ち上がっているとか」

 彼の口から単調に告げられる事実に息が止まりそうになる。

「……知って――」

「ええ。侯爵から伺いましたから」

 そこには感情の揺れさえ見えない。

 それが酷く悔しくて、腹立たしい。

「あなたは何も思わないの?」

 尋ねた声は自分でも驚くほど震えていた。

「――何を思えと言うのですか?」

 淡々と告げられた言葉に、二の句が継げなかった。

「……」

 彼はいつもこうやって、私を絶望の淵に追い込む。それはまるでこれ以上、追うなと言われているような気分にさせる。

 黙り込んでしまった私に、エリアスは再度溜息を落とした。

 そして、いつものように正論をかざす。

「いいですか。あなたは侯爵令嬢なのです。いつまでも子供のようなことを言ってないで、そこを自覚してなさって――」

 ドンっと、隣に座るエリアスの身体を両手で押していた。

 私は、いつまでも聞き分けのいい子供ではない。

 時に正論が、刃となることを彼は知らないのだろうか。どれほど私の心を切り刻んできたのか、知っているのだろうか。

 聞きたくなかった、正論など。だから今度は反対に、切り刻んでやりたくなった。

 言われなくても、知っている。

 その身分が、私を動けなくしているというのに。

 彼を力任せにソファに押し倒すと、冷たい言葉を吐くその唇に自分のそれで蓋をした。



 思った通り、その唇は冷たかった。

 熱を持っているのはいつも自分。

 求めるように、自らの熱を分けるように唇を貪る。

 だが、引き剥がすように身体を押しやられ、現実に立ち返った。

「貴女は――」

 ここまでしてもこちらを見ようともしない彼に、頭の奥で何かが切れる音がした。

「もういいです」

 感情を押し込め、喉の奥から辛うじて声を絞り出す。

 これ以上傷つくのは耐えられない。傷つけるつもりが、逆に倍増されて返ってくるなんて。

「良くないですよ」

 いつも通りの静かな声が耳に届く。

 また正論をかざすのか。

 もう、うんざりだった。

 こちらを見ようともしない人を視界に入れる気にもならなくて、私はソファから立ち上がった。

「どこに行くんです?話はまだ終わっていませんよ」

 手首をつかまれ、咄嗟に振り払おうとした。が、予想以上の力に眉を顰める。

「放して下さい。もう、貴方と話すことなど何もない」

 視線を空中に留めたまま、睨みつける。

 ここまでしたのに、手に入らない。彼が手に入らないなら、もう誰でも良かった。いっそのこと会場に戻って、あの男に結婚を申し込むのもいいかもしれない。

 空いた片手で、胸を押さえる。

 今、この胸を占める感情は、苦さ以外の何物でもない。唇を噛みしめて、手が離されるのを待った。

「ロレイン」

 一瞬、彼が誰の名を言ったのか分からなかった。

 あまりにも久しく呼ばれなかった自らの名に、全ての思考が遮断する。自然と耳がその声を拾う。たったそれだけのことに、心が震える。

 こちらを見てくれない顔など見たくないのに、視線はまだ彼を求める。

 だけど。

 気づいてしまった。

「卑怯です」

 今になって正面から見つめてくるなんて。

 つかまれた手首が熱を持つ。私の体温ではなく、彼の体温で。

「卑怯なのは貴女でしょう。私を欲しいといいながら、もういいと言う。こちらの気も知らないで煽るようなことをしておきながら……。ですが、貴方がいくら望んだところで、私には貴方を幸せにできないことぐらい、ご存知でしょうに」

 貴族の出自ではない彼が、ウィルフレッド殿下の右腕と言われようと――いくらその実力を買われていようと、王宮での立場は低く見られている。その生まれの為だけに。

 だけどそんなこと百も承知だ。

 それでも、この人がいいと思ってしまったのだ。誰が何と言おうと。

 ソファから立ち上がったエリアスは、手首を捉えたまま私の正面に回り込む。

 見て欲しいを思ったのに、見られていると思うと恥ずかしくなるのはどうしてだろう。

 視線から逃げるように俯いたが、でも、彼がこうして私に正面から向き合ってくれるのは、これが最初で最後かもしれないと思うと、この与えられた好機を逃すわけにはいかなかった。だから、彼の思い違いを正すべく、告げる。

「私は、貴方に幸せにして欲しいのではありません。貴方がいてくれるだけで、幸せなんです」

 彼が私の言葉に耳を傾けてくれる気があるなら――分かってくれるつもりがあるなら、このたった一言を何度でも言おう。

「私を拒絶しないで」

 握られた手の熱に励まされるように、ゆっくりと顔を上げる。正面から見つめる瞳を見つめ返す。

 彼は迷惑ならば、きっぱりと拒絶する人だ。今まで私がどれほどの想いをぶつけてきても、はっきりとした拒絶は見られなかった。だからずっと想い続けられたとも言えるのに。

 じっと見つめていると、彼はまるで何かを諦めたかのように深々と息を吐き出した。

「馬鹿ですね、貴女は。――私は、貴女が言うように卑怯な男ですよ?」

「分かってます」

 本当に卑怯な人ならば、自らをわざわざ卑怯だと言わないだろう。

「侯爵の名を利用するかもしれませんよ?」

「利用できるものなら利用すればいい。侯爵の名で貴方を縛れるのなら本望です」

 むしろ彼の存在は侯爵家にとって得難いものだ。いずれこの国を背負って立つ人に最も近い存在なのだから。

「離してくれと言っても離しませんよ?」

「っ……そのような心配は無用です」

 いつも人の心を揺さぶって、視線は離れようとしないことぐらい知っているはずだ。

 最後の返事に、エリアスは人の悪い笑みを浮かべる。

「ならば遠慮はしませんよ。貴女が今言った約束を違えない限り、私の持てる全ての力をもって貴女を守りましょう。ですが、もしも違えるようなことがあれば、ソーウェル家を潰させていただきます」

 今の私にはそれが可能ですから、とエリアスは鮮やかに微笑む。

 もちろん、約束を違えるなど有り得ない。手を伸ばせばきちんと届くところにいてくれて、視線も逸らされることなく、むしろ今までの冷淡な眼差しが嘘のように熱を帯びている。

 捉えられていた手首を引っ張るようにして身体ごと引き寄せられる。うなじを梳かれるように撫で上げられるだけで身体が震える。

 心の底から湧き上がってくる感情は、まるで夢の中にいるような気分にさせる。

 そのまま後頭部を支えられ、契約を交わすかのように触れてくる唇は温かく、でも目の前の胸に縋ると次第に深くなっていく。

 ずっとずっと欲しかったもの。それをやっと手に入れることが出来た。絶対に手放さない、と手に触れた彼の服を握りしめた。



「どうして……」

 口づけだけで腰砕けになった私は、ソファに座り込んでいた。背後から回された手は身体から離れることなく、片手は握られたままだ。

 そもそもエリアスは仕事を片付ける為に夜会を抜けて来たらしい。ゴードヴェルクの使者が来てからというもの、どうしても殿下の執務が滞ってしまっているのは仕方がないことだ。しかし部屋に戻ると私がいて……まあ、こんなことになってしまったのだが。

 邪魔なら帰ると告げてみたが、エリアスはこの体勢のまま書類に目を通している。

 だから私は暇を持て余し、ついつらつらといらないことを考えてしまっていた。

「どうしました?」

 何気に呟いた言葉を聞いたらしい。書類を繰る音が止まる。

「ロレイン」

 身体に回された腕に力を入れられ、背中にわずかに開いていた空間がなくなる。

 ふと肩に息がかかり、そう言えば現在の自分の格好が騎士の制服ではなかったことを思い出し、情けなくも身を竦めてしまう。

 耳元で息を吐き出すような小さな笑い声が聞こえ、肩に押しつけられた温かい感触に、慌ててしまった。

 いや、それよりも。

 身を捻ってエリアスを見上げる。

 その視線に、恨みがましいものが混ざってしまうのは仕方がないだろう。

「どうしました?」

 口調はいつもと変わらないのに、少しだけ甘いと思ってしまうのは自惚れだろうか。だけど、やっぱり気になって先程まで考えていた事を口にする。

「どこで、あんなキス――」

 いいながら恥ずかしくなってしまい、視線を下げる。

 腰が砕けそうになった口づけを、一体どこで知ったのだろう。本当につまらないことを気にしていると思うのだが。

「……気になるのでしたら言いましょうか?」

 固まってしまった私は、心では聞きたくないと思っているのに、あまりの衝撃に動けなかった。だから、続けられた言葉に頭に熱が上る。

「――離してください!」

 つまらない嫉妬だと思う。

 だけど、やっぱり痛みは隠せない。

 身体に回された腕を振り払おうともがくが、本気で振り払おうものなら彼に怪我を負わすかもしれないと思うとそれも出来ない。

 振り払うどころか、さらにもう一本の腕も絡み付いてくる。

「先程、離さないと言いましたよね?」

「そんなの卑怯でしょう!」

「ええ、卑怯だとも言いました」

「……意地悪」

「……それは言っていませんでしたね。追加しておいてください」

 耳元で囁かれる言葉に、勝ち目はない。

 そう、昔から彼に勝てたことはなかったのに。

 彼の腕の中でくるりと身体の向きを変えると、もう一度彼の唇を奪う。

「もう駄目ですから」

 何が、とは彼は問わない。

 代わりに、身体に回された腕に力がこもる。

「必要ないでしょう。今までは貴女の代わりだったのですから」

 告げられた本音に、やはり彼には勝てないと思い知る。

 彼の告げる一言で、一喜一憂してしまう。先刻までは、それが嫌だったのに、今はとても嬉しい。

 しかし、いつまでもこの体勢でいるわけにはいかない。私は一向に構わないのだが、もうそろそろ彼の方が疲れてしまうのではないだろうかと顔を上げると、空色の瞳と目が合う。

「疲れませんか?」

 ただでさえ、私の身長は高い方だ。ということは当然それなりの重みもあるわけで。

 彼は一つ息を吐き出すと、身体に巻きつけていた腕を更に強く締める。それは少し息苦しいほどで。

「今だから言いますけど、貴女が私のキスに嫉妬したように、私も嫉妬しなかったわけではないのですよ」

 それが何を意味しているのか、この身体に絡み付く彼ではない他の人の腕を思い出し、思わず凝視してしまった。

「でも……殿下の恋人に推したのは貴方でしょう?」

「してませんよ。侯爵からの情報は私の方でも押さえられますしね」

 告げられた事実に、眩暈がする。

 だけど、彼の胸にすがると、ひそかに笑みが浮かぶ。愚かしいことをした自覚があっただけに。

「あれは貴方へのあてつけでした」

「知ってますよ」

 呆れを含む声音に、笑い声が漏れる。

「馬鹿な事を言いました」

 諦めた様に呟かれる彼の言葉を最後に、腕は緩む。その腕を惜しく思いながらも、それでも逸らされることはない瞳に安堵する。

「さて、侯爵にはなんと言いましょうかね」

 別に困った様子のないエリアスは、きっと父親を丸めこむぐらい何とも思っていないのだろう。そして私も、丸めこんで欲しいと思うのは騎士としてどうなのだろうと思ったのはここだけの話だ。



 後日。

 父親は、いとも簡単に快諾した。

 曰く、

「いらぬ親心だとは思ったが、二人の気持ちが分かってるぶん、見てていい加減イラついたんだよ。孫の顔も早く見たかったしね」

ということらしい。

 どうやら今回、私の背中を押したのは、この父親の策略だったようだ。

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