消せない過去
※リューネリア視点です。
最近よく夢を見る。
パルミディアが事実上、大敗したあの場所――セレン=アデリーナ運河沿いの街アクセリナに立っている。
目の前には折り重なるように倒れるパルミディア兵とヴェルセシュカ兵の亡骸。
頬をかすめる風は焦げ臭く、また生臭さも混ざっている。それが何の臭いなのか、すでに思考が麻痺してしまっていた。
見上げる空は燃える街を映したのか、それとも亡くなった者たちの血の色だろうか。真っ赤に染まっている。
両手を見下ろし、白く汚れていない自らの手を握りしめる。
一体何を間違えたのだろうと、リューネリアは考える。しかし、頭が働かない。昨日まではすべて上手くいっていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
背後で土を踏みしめる音がして、ハッと振り返る。
髪を一つにまとめたニーナが立っていた。彼女の頬や腕は、自らの血なのか、それとも返り血なのか。すでに色の変わった茶色の染みが全身を汚していた。
「リューネリア様。引き上げましょう」
彼女が呼びに来たと言うことは、もう時間はなのだろう。
「ええ」
せめて彼女が心配しないよう笑おうとした。
だが、頬が強張ったように動かない事に気づく。
「リューネリア様?」
口元に手を当てて固まってしまったリューネリアを気づかうニーナに、これ以上心配をかけることは出来ない。
「行きましょう」
それに怪訝な顔を見せたニーナだったが、頷くと戻る道を見ながら口を開く。
「足元にお気をつけください」
自らの汚れた手を隠すように背後に回した彼女の心遣いに、涙が零れそうになる。自分の代わりに手を汚す彼女。どの兵よりも功績を上げながらも、王女の侍女で守り手であるが為、それが当たり前だと思われている。
そして自分も王女であるため、戦場に立ち、多くの敵兵を殺すための作戦を練っている。
自国民を一人でも多く生かすために……。それが責務だと言われ、思いこんでいた。
そこから先を考えては駄目だと強く手を握る。しかし、先程まで鈍っていた感情は、よりにもよって今頃蘇ってくる。
先にあるのは自らを正当化する理由だけだ。手を汚さなくても、結果、人殺しには違いない。それがたとえパルミディアの人間だろうとヴェルセシュカの人間だろうと殺めた数はすでに万を超している。
込み上げてくる慟哭に、目頭が熱くなる。
喉の奥から悲鳴が迸りそうになり、奥歯を強く噛みしめる。
それは「逃げ」だ。
叫んだところで彼らは帰ってこない。多くの命はすでに失われてしまったのだから。
自分に出来ることは、目の前の現実を忘れないことだ。
目を逸らさず、焼きつけて、自らの一生を彼らの残された家族の為に捧げよう。それが王女として出来る最大限の贖いだ。
こんなことしか出来ない自分に腹が立つ。
赤く燃え立つ空を見上げ、静かに祈る。こんなことが自分に許されるわけではないのだけど。
どうか、亡くなった者たちに安らかな眠りを――。
「ネリー」
軽く揺すられ目を開けると、心配そうな眼差しを向けるウィルフレッドと目が合う。
「ウィルフレッド……さま」
「また怖い夢でも見たのか?」
頬の涙を拭われ、泣いていたのだと気づく。
日々強くなる贖罪の心。
それがこの度の襲撃に起因しているのだと、心の奥底で分かっていた。許してはいないのだと、誰かが言っているような気がして、それは酷く心を弱くする。
連日のように見る夢は、リューネリアの心を苛む。
背中に回された腕に力を込められ、ゆるく抱き寄せられる。その温かい体温を身近に感じ、ここがあの戦場ではないのだと実感する。目の前にある胸に手を当てると確かに鼓動を感じ、静かに息を吐き出す。
心が痛かった。
過去を言う必要はないとずっと思っていた。
自らが人殺しだと、どうして言えよう。
あやすように背中を撫でられ、自然と瞼は下りてくる。
眠りに落ちる直前、リューネリアは小さな声で告げる。ずっと言いたかった言葉。絶対に聞き届けては貰えないことは分かっていても。
ごめんなさい――。
一粒の涙が、頬を伝わり落ちていった。