野に咲く白い花
※後半リューネリア視点です。第2章後日談です。
王都ライルの王宮へと向かう馬車は、休憩のため、街道のところどころに設けられた馬専用の水飲み場の近くに停車していた。
まがりなりにも王族の乗った馬車だ。恐れ多くて誰も近づくことをしない。というのは嘘で、中に乗っている王子の奥方に対する異常な執着に、護衛の騎士たちもとばっちりをくらう事を恐れて(目も当てられないともいう)、離れて休憩を取っていたのだが――。
一人の少年が、馬車の扉を叩いた。
「あ、あの馬鹿っ……ロドニー――」
舌打ちしたのは騎士団を束ねるジェレマイアだ。
周りにいた騎士たちが気づくのが遅かったのか、それともあえてその馬車を視界に入れたくなかったのか、とにかく少年が馬車の扉を叩いて、そこから一人の清楚な女性が顔をのぞかす。
黒髪に紫の瞳というこの国では珍しい組合せの色合いをした女性だ。
周囲の騎士たちも、思わず目が釘付けになるほどだ。
少年は二、三こと言葉を交わし、何かを渡す。
女性も笑顔でそれを受け取り、馬車の中へと戻った。
たったそれだけのことだったが、ロドニーは嬉しそうにはにかみ、馬車から離れた――ところを、ジェレマイアは捕まえた。
「おまえ、何を渡したんだ?」
二人の周囲に、騎士たちが集まってくる。皆、ロドニーを見下ろすほど背は高い。
ロドニーは首をすくめて、それでも嬉しそうに笑みを浮かべた。
「さっき道端に咲いていた花を上げたんだ。すごい喜んでくれたよ」
その言葉に、騎士たちは衝撃を受けたようにロドニーを見る。
「な、なに?」
「いや、おまえ、勇気あるよな」
「うんうん」
「花か――」
「そうだよな。女性は花が好きだよな」
「ロドニー、おまえはいい騎士になるぞ」
口々に言う騎士たちに、ロドニーは首を傾げた。
これが後日、リューネリアを悩ませた花騒動のはじまりだとはロドニーもその時はまだ知る由もなかった。
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馬を休憩させているにもかかわらず、リューネリアは馬車から下りられなかった。少しでも腰を伸ばして歩いた方がいいのは分かっているのだが、先日、久しぶりにした乗馬のために足の筋肉が炎症を起こしてしまっていたのだ。無様な格好でなら歩くことも可能だが、ウィフルレッドが無理をするなと歩かせてくれないのだ。
昨日も宿に入るだけのことなのに、抱きかかえられどんなにお願いしても下ろしてもらえず、顔から火が出そうなほど恥ずかしかったのだ。休憩も出来るかぎり馬車から降りたくはない。
「何をもらったんだ?」
休憩中であるにも関わらず、馬車の中に留まっていたリューネリアは、先程もらったばかりの小さな花をウィルフレッドに見せた。
「可愛いでしょう?」
白い小さな花だ。野に咲くものだが、この花はどこの国にも咲く一般的な花だ。
リューネリアが笑顔で眺めていると、横から伸びてきた手が、その花を取り上げた。
「あっ……」
視線を上げると、目の前に青い瞳があった。その距離はとても近くて、思わず身を引く。
「俺はこの白い花にさえ嫉妬してしまいそうだ」
「いや、あの、ウィルフレッド様?」
「もしくはこの花になりたいな」
「……どうして」
「そうすれば、ずっとネリーは俺だけを見つめてくれるだろう?」
ただでさえ熱を持った頬をそっと撫でられ、ウィルフレッドの熱がその手を通じて頬をさらに熱くする。リューネリアは心の中で悲鳴を上げながら、そっと身を横にずらすと、馬車の扉に手をかける。
「――もう……限界……」
叫びに近い声を上げ、リューネリアは痛む足で馬車から飛び降りる。
きっと顔は真っ赤になっているだろう。だが、そんなことに構っていることなど出来なかった。
突然馬車から飛び出てきたリューネリアに、周囲にいた騎士たちがざわめく。何気に彼らの視線を痛いと感じてしまうのは気のせいではないはず。どこからともなく溜息が聞こえてきたのも絶対に気のせいではない。
馬車の中にいてもいたたまれないが、こうして出てきてもいたたまれないのは何故だろう。
近くの木陰に身を寄せ、疲れたように大きく息を吐いたリューネリアだった。