紙幣に疲弊の指南役
帰ろうと角を曲がると、偶然にも製麺所のガキんちょがいた。姿を見た瞬間、鮮やかな場面が蘇った。群衆の中、ピンポイントで犯人の頭へ落ちた山なりボール。この子ならできる。ボールを蹴って塀の向こうに飛ばすことが。
「こんにちは。どーしたの?」
「馬のおじさん、いない」
「馬のおじさん?」
相変わらずガリガリの体で、必要最低限のことしか喋らない。
「蹴球、ほめてくれた」
「馬のおじさんが?」
「うん」
カタコトだったのは私を警戒してたからで、飴をあげたら普通に話してくれた。
何日か前、製麺所から家への帰り道で、馬に乗ったおじさんから蹴球大会でのことをほめられた。馬に乗せてくれた。馬で、今いる場所へ連れて来られた。
「頼まれたんだ」
おじさんは身分違いの好きな女に恋文を渡したいと話した。
「君だったら塀を越えて紙を入れられる」
紙の束を懐から出した。文字を読めないガキんちょは、身分の高い人は、こんなにもたくさん手紙を書いて恋とやらをするのかと不思議に思った。ガキんちょは綺麗に折り畳もうとした。おじさんは、
「他の人に見つかったときにゴミに見えた方がいい」
とぐしゃぐしゃにした。ガキんちょは、うまく蹴るために、その辺に転がっていた石を入れて蹴った。入った。お小遣いをもらった。
「どこから蹴った?」
尋ねると、ちょうど曲がり角の場所からだった。塀に対して直角に蹴ったんじゃなく、かなり斜めに蹴ってたんだね。だから、札束が落ちた場所から塀までが、塀から川までの4倍くらいあったんだ。
「上手いね。すごい」
褒めると得意げな顔。でも、もうここへ来させちゃいけない。
実行犯は馬のおじさん。政権抗争だったら、馬のおじさんの顔を知っているガキんちょは、命を狙われる可能性がある。もしも「今も連続官僚邸放火事件の犯人を探してる子供がいる」なんてバレたら、消されるかもしれない。
「身分違いの恋ってのを諦めたのかも。もう、ここへ来ちゃダメだよ。おじさんのためにも、その話を他のとこで喋っちゃダメだよ」
私はガキンんちょの骨と皮の両肩を掴んで、真剣に訴えた。おじさんのためじゃなくて、君のため。詳しく話せないけど、伝われー!
私の剣幕が怖かったのか、ガキんちょは小さく頷いた。そして、白い石に房がついたアクセサリーを私に差し出した。
「馬のおじさん、これ、落としてったんだ」
え、これって、私のファンクラブの特別ステータス会員の公式グッズ!
「持ってたら、かーちゃんに、盗ったって思われて。返してこいって。なんかさ、親にも信用されてないって話すの、恥ずくて」
「ホントは、これをおじさんに返したかったんだね」
「ぅん」
「えらいじゃん。これ、ちゃんと返せそうだよ。ありがと」
ガキんちょは、ほっとした笑顔を見せてから走っていく。汚れてくたくたの服。小さすぎるサイズから覗く枝のような手足。大きくなったら、軍に誘ってみようか。ご飯をお腹いっぱい食べられるよって。……。その代わり、人を殺さなきゃいけない。誘うのはやめよう。
◇
ぱたん
ぴと
いつものお約束通り、扉が閉まると第一側室は私の胸の中に身を置く。
「嬉しいわ。瑞様から会いに来てくださるなんて。初めてです」
「今日もお美しい」
「どうしたのかしら。私にできることがあれば、麗様のためならなんでもします。ふふふ」
ぶらん
私は胸の中の第一側室の鼻先に、ファンクラブ、特別ステータス会員の公式グッズを掲げた。
「こちら、馬に乗って、燃えた、あるいは燃える札束を官僚の屋敷に投げ入れていた男が落としたものです」
「……ふふふ。マヌケ」
「連続官僚邸放火事件の指南役は、貴方様ですか?」
「あら、バレてしまったのですね」
第一側室は、息子である第二皇子から渡される紙幣が両替商で換金できないことにムカついていた。皇族は小さなことにいちいち金がかかり、チップも必要。第二皇子を産んだとはいえ、肝心の息子はスキャンダルまみれで一族の出世への力添えは期待できない。
「側室なんてね、肩身が狭いものなの」
大して貢献していないのに実家に頼りづらいのだそう。それは第二側室以下も同じ。第一側室は、後宮での勢力拡大のために、第二側室以下の紙幣を手頃な値段で換金した。
「たくさん集まったでしょうね」
「紙幣? それはそれは大量だったわ」
腹いせに、息のかかった者を使って「インフレ紙幣を出すな!」という意味を込めて、札束を官僚の家に投げ込ませた。
「しかし、第二皇子だけでなく皇女もいらっしゃり、誰もから1番の寵妃と認められていらっしゃるではありませんか」
「ねー。寵妃なんて大したことないの。世間は貿易拡大で好景気。農民まで生糸や絹織物で銀バブってるのに。それを感じることもできない場所に閉じ込められて。紙幣なんかでごまかされて。皇帝におねだりなんてね、想像以上にできないものなのよ。この央の国の皇帝は、もう官僚の傀儡なの」
「そのようなお言葉。聞かなかったことに致します」
不敬罪で首が飛ぶ。
「これを持ってきてくれたってことは、犯人は捕まってないのでしょ?」
「はい。これは、朱氏様に指示なさったのですか?」
「はあああ? まさか。あの男にそんなこと頼んだら、やってもらうどころか、不正としてストックされるのがオチ。能力は認めていますけれど、こんな『腹いせに火ぃつけろ』なんてくだらないこと頼めないわ」
朱氏様が「民意」って言ったことは、ただの腹いせだったんだね。でもこれも一つの民意なのかな。第一側室は庶民じゃないけど。
◇
ほどなく、軍部が明るくなった。税が銀に一本化されることに決まったことが原因だったりする。
「まだ先なんだ。今は現物で税を徴収してるから、国庫に銀が足りないらしい。地方には銀が出回ってないから、地方はもう少し先」
「いやぁ、良かったですよ。紙幣分なんて0でしたから。息子の武科挙のための私塾代がバカにならなくて」
「これで娘にちゃんとした嫁入り道具を持たせてやれる」
世間話に上司達はニコニコ。軍のトップが明るい、その次が明るい、中間管理職が明るい、今まで紙幣など関係なかった末端ヒラ軍人まで明るい。銀は軍の隅々までを明るく照らしちゃった。
その明るいニュースは、未解決の「連続官僚邸放火事件」を吹き飛ばした。
「あれがあったから税が銀になるんじゃね?」
「じゃ、あの事件って、財務官僚への脅し?」
「税を銀にしろって?」
「「「「いーやつじゃん」」」」
事件は放火の意図は全くない、ただのイタズラレベルのこととして片付けられた。
◇
少し前、第二皇子はラブリー春香妃のところへ来なかった。
最近分かってきた。第二皇子は顔だけじゃない。行動の数々はバカ息子の名に相応しい。鼻水を垂らして泣く顔は美男でも汚らしいし、情けない発言が多い。でも、春香妃に優しい。いつも幼妻を気遣ってる。
「やっと治りましたか」
久しぶりに春香妃を訪れた第二皇子に小声で訪ねた。
「参ったよ。杖刑なんて」
第二皇子は、官僚のトップが税を銀に一本化する法案について皇帝にお伺いを立てた際、偶然を装って居合わせた。紙幣に価値がないことを語るときしくじった。最初は、浩宇が作ったシナリオ通り、自分が住む十王府の内情について紙幣が両替できないことを語った。しかし、皇帝に尋ねられた。
「では、遊ぶ金にも困っただろう」
バカなので正直に答えた。
「はい。両替商で扱ってもらえず、泣く泣く帰りました」
そのまま皇帝は官僚との話を終え、官僚が退席してから沙汰を言い渡した。
「無断外出か。杖刑、50回」
杖刑はバシバシ叩かれる刑。賄賂によって手加減してもらえるけれど、40回フルスイングで大抵死んじゃう。もちろん賄賂を渡したと思う。生きてたから。それでも、血肉が飛び散ったんじゃないかな。これまでの分、全部まとめて来ちゃったんだよね。
第二皇子は、1ヶ月以上動けなかった。




