47話「崩壊の鎮魂歌」
地鳴りのような咆哮を上げ、ダンジョンが一気に崩壊を開始した。
精密に組み上げられた回廊が、階段が、そして天井が、巨大な質量となって降り注ぐ。それはさながら、世界の終わりを告げる断罪の地震のようであった。
「……自爆、ですか? この程度の物理的破壊で、私を討てるとでもお思いで?」
瓦礫の豪雨の中に立ち尽くしながらも、教主の衣類には塵ひとつ付着していない。彼女の周囲だけが、目に見えない絶対的な境界によって守られていた。
「……無理……で、しょう……ね。……ただの、……嫌がら……せ、です……よ」
ピエールは口から鮮血を吐き出し、力なく笑った。その瞳からは、もはや生気すらも失われつつある。
彼が全人生を懸けて構築した迷宮のパーツが、上から下へと、凄まじい破壊の音律を奏でながら奈落へと墜ちてゆく。
「……さて。宝具は回収しましたし、これ以上この場所に留まる理由もありませんね。……なかなか楽しかったですよ、ピエールさん――ほんの少しだけ、ですがね」
教主の表情には、一片の動揺も、惜別の情も浮かんでいない。
彼女は、崩れゆく瓦礫の渦に呑み込まれ、動かなくなった知将の姿が闇に消えてゆくのを、ただ冷徹に見届けていた。
崩壊の轟音が響き渡る中、死を弔うかのように、場違いな桜の花びらだけが静かに舞い散っていた――。
――ダンジョンから数里離れたピエールの居城。
主の留守中、ピエールの執務室を整理していた部下は、突如として起動したモニターに目を見開いた。
『書類整理、ご苦労様。……君がこの映像を見ているということは、私はおそらく、死んだのだろう』
部下は、手にしていた書類を床に落としたことすら気づかぬまま、画面を凝視していた。
「……ピエール様?」
『今、書類を落としたな? ……と言ってみたが、もし落ちていなかったら格好がつかないな。まあ、これは私の死後に自動再生されるよう仕組んでおいた録画映像だ』
「……まあ、ちゃんと落としたので、外れていたら失笑ものでしたが……」
『私が敗北したとなれば、宝具を奪いに来たアビス教団の刺客は、相当な手練れ……おそらくは組織の上層部だろう。……君には世話になった。今後の方針は君に一任する。残りの四天王――君の数え方なら「二天王」か。残りの二人は、君の指示に従うよう手配してある。上手く使いこなしてくれたまえ』
「はあ? 嫌ですよ、そんな面倒なこと……」
『ありがとう。君ならそう言って引き受けてくれると信じていた。だからこそ、私は安心して……君に、全てを……』
「……全く。この人は最後まで人の話を聞かないし、思考も読み違えてる。はぁーあ……」
部下は深い溜息を吐き出すと、主の独白が延々と続く部屋を後にし、崩落の噴煙が立ちのぼるダンジョンへと向かおうとした。
『……まあ、待て。そう泣きじゃくるものではない。私のために涙を流してくれて、ありがとう。だが、これから流れる映像は、ダンジョン全域の監視網を通して記録した私の最期の戦闘記録だ。後からでも見返せるようにしてある。教団への対策資料として、ぜひ有効活用してくれたまえ……』
「……泣いてませんし、むしろ頭を抱えてるんですがね」
そこまで聞き届けて、部下は今度こそ部屋を後にした。
主のいなくなった静かな執務室では、録画されたピエールの独りよがりな優しさと、場違いなほど自信に満ちた声だけが、いつまでも虚空に響き続けていた。
「……もしもし」
部下は歩きながら、使い慣れた通信機を耳に当てた。
『あ? 誰だ、こんな時に』
通信の向こうから、野太くも威厳のある声が響く。
「ピエールの部下です」
『……! お前か。どうした、ピエールの奴にまた何か無茶でも押しつけられたか?』
「そうですね。……勝手にダンジョンを崩壊させてくれましたよ、あの人は」
一瞬の沈黙。通信の向こうで、空気が一変したのが伝わってくる。
『……そこまでヤバい奴なのか、アビス教団は。……分かった。儂も直ちに向かう。奴も叩き起こして連れて行くわい』
「お願いします」
プツリと通話を切り、部下は凄まじい噴煙が上がる現場へと辿り着いた。
「……なっ。……完全崩壊、ですか」
目の前に広がるのは、かつて緻密な計算で構築されていた迷宮の成れの果て――巨大な石材と鉄骨が入り乱れる、無慈悲な瓦礫の山だった。
「……勝手すぎますよ、ピエール様」
部下は毒づきながらも、迷うことなくその山へと足を踏み入れた。指先が裂け、爪の間に泥が詰まるのも厭わず、一心不乱に瓦礫を掻き分け始めた。
辺り一面を支配するのは、崩落の熱気と厚い砂塵、そして静寂。絶望的な風景の中で、数分後、部下はある決定的な「違和感」に指を止めた。
「……ここだけ、瓦礫が干渉していない? まさか、この構造……」
周囲が複雑に折れ曲がった鉄骨と岩盤で埋め尽くされている中、その一角だけが、まるで目に見えない「殻」に守られているかのように、整然とした空間を保っていた。
「……勝手ですよ。最後まで、計算通りなんですね、ピエール様」
部下の声が、微かに震える。
その狭い空間の奥、粉塵にまみれ、焦げた黒い肌を晒しながらも、微かに、だが確実に「生存」の鼓動を刻む一人の男の影があった。




