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45話「答えは十年前」



「……そうですね。では、私からもお聞きしましょう。ピエールさん、貴方には心から愛する方はいますか?」

「…………」


ピエールは沈黙で返した。その無機質な反応に、教主は憐れむように目を細める。


「……この想いを理解できるのは、せいぜい今の魔王さんくらいでしょうか」

「……何故、私が理解できない事象を、あのような無能な男が理解できると断言する?」


ピエールの眼鏡の奥に、初めて不快感が混じった。


「おそらく⋯⋯あの方もまた、すべてを壊してでも守ろうとした人ですから⋯⋯」

「感情など、設計に不要なノイズに過ぎない。違いますか?」


ピエールの問いに、教主は謎めいた微笑を深めた。


「気になりますか? すべての答えは、十年前のあの日にあるのです」


(十年前——何が起きた……?そういえば最近も、十年前についてしつこく聞いてきた「枝豆コーヒー」だったか、奴が口にしていたのは、先代魔王の死因だっか……。勇者に受けた呪い⋯⋯呪いだと? まさか……!)


ピエールの脳内で、バラバラだった設計図の断片が急速に組み上がっていく。


「……伝説の勇者もまた、『花の到達者』だったというのか?」


ピエールの問いは、確信に近い響きを帯びていた。対する教主は、否定も肯定もせず、ただ夜風に揺れる花のような曖昧な笑みを深める。


「……さあ、どうでしょうね。ですがあの方は、確かにこちら側でした」

「……ということは、貴女はその男と少なくとも無関係ではない。そういうことですか」


ピエールの眼光が鋭さを増す。彼女が勇者の復活を望む理由が、単なる教団の利益ではなく、もっと個人的で、設計思想の根幹に関わる執着であることを察知したのだ。


「……ふふ」


教主は、小さく笑った。


「……では、この辺りで結論を出しましょうか」


ふわりと片手が上がる。


その瞬間――


空間を満たしていた魔力の位相が、静かにずれた。


「この場所で私に挑んだこと、後悔させてみせましょう。……ここは、私の『設計』した領域ですので」


ピエールの指先が、わずかに動き。宣言とともに、ダンジョン全体が咆哮を上げるように駆動を開始した。

教主の立っている周囲だけが、まるで巨大なプレス機のように天井が急降下し、凄まじい質量をもって地面へと叩きつけられた。


「……あら。でも出来るかしら、貴方に……」


余裕を含んだその声すらも、鋼鉄と岩盤が噛み合う轟音の中へと消えてゆく。完全に閉塞した通路を見届け、ピエールは眼鏡の奥に滲んだ汗を指先で拭った。


(……これで……通るとは思っていない。だが――

いかに『理の外』といえど、この超重力による圧殺からは逃れられないはず――)


勝利を確信した、その瞬間だった。


――圧壊したはずの空間から。


視界の端を、場違いなほど優美な一片が過る。

密閉された地下、風など吹くはずのないこの閉鎖空間に、静かに、しかし鮮烈な色彩を帯びて、桜の花びらが舞い落ちた。


「⋯⋯桜の花びら?」


呟きが空気に溶けるよりも早く、ピエールの右手に決定的な異変が起きた。

指先が、はらりと剥がれ落ちる。それは肉の削削そぎでも、骨の破砕でもなかった。欠落した端から、まるで春の盛りに散る花弁のように、桃色の花びらへと変質して地面に舞い落ちたのだ。


「……っ!?」


じわじわと、しかし確実に。花びらが一枚、また一枚と散るたびに、彼の指は形を失い、消失していく。まるで、自らの肉体が最初から「一本の枝」であったかのように。命を繋ぐ器官が、ただの無機質な景観へと書き換えられていく。


「うおおおおおおおおっ!!」


ピエールは、喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。

恐ろしいのは、激痛が一切ないことだ。神経が断たれる痛みすらなく、ただ「自分」という存在のパーツが、優雅な花弁に成り果てて風に攫われていく。その底知れない非合理な現象への、純粋な「恐怖」だけが強烈な重圧となって彼を襲う。

逃れようと動かした肩も、焦りに震える脚も、皮膚の表面からゆっくりと……しかし無慈悲に、桜の花びらとなって舞い散っていった。


(……一体、どれほどの時間が経過したというのか。もはや、手も足も残ってはいない。「手も足も出ない」とは、皮肉なものだ……。次元が違いすぎる。最初から私など、彼女の眼中には……映ってすらいなかったのだ)


ピエールの身体は、首から下がすでに桜の花びらとなって散り失せていた。その浸食は今、喉元を通り越し、顎のあたりまでゆっくりと、着実に這い上がってきている。


(……待て。違和感がある。あいつが素顔を明かした、あの不自然なタイミング……何故だ? それから、術が発動するまでの、あの絶妙な溜め。……導き出される答えは一つ)


ピエールの思考のギアが、死の淵で再び高速回転を始める。


(……これは、あの「瞳」を見た瞬間に仕掛けられていた「幻術」か。視覚を媒介にした情報の上書き……ならば、この喪失感も、散りゆく感覚も、すべては脳が視せられている虚像に過ぎない!)


「⋯⋯だが、わかった所でどうするのだ、私は⋯⋯」


ピエールの混濁した意識の底で、封印していたはずの古い記憶が鮮烈にフラッシュバックした。

それは、まだ「知将」という二つ名も、冷徹な眼鏡も持たなかった幼い日の、ある少年との語らい。


『……負けたらさ、次に勝てばいいんだよ』

『……何を言っているんだ。戦いに負けて死んでしまったら、「次」なんて無いだろう? 君は本当にお馬鹿さんだね』

『それはお前の考えだろ。俺様はな、負けることは受け入れるが、死ぬことだけは絶対に受け入れない。死ぬ寸前の、その最後の瞬間まで抗い続けてみせるさ』

『支離滅裂だよ、君は』

『……それが「魔王」ってもんだろ?』

『……君は、その息子だろう?』


セピア色の記憶が、今の絶望に冷や水を浴びせる。


「……いつからだろうか。魔王を『無能』だと断じ、見限るようになったのは。……魔王の父親があの呪いを受けた、十年前の日からか。だが、それより前……私は、あの理不尽なまでの強さに、憧れていた……?」


ピエールの消えゆく意識に、微かな熱が宿る。

合理的であること、設計図通りであること。それを至上命題としてきた彼の中に、かつて肯定していた「往生際の悪い抗い」という非合理な火が、再び灯ろうとしていた。


(いいでしょう。従いましょう貴方の悪夢に。私も抗わせてもらう。身体が現実に存在し、そこが私の構築したダンジョンの中であるならば――思考こそが唯一の「現実」だと仮定する。おそらく、この顔が花びらとなって消えた瞬間、私の精神は死に至る。……タイムリミットまで、あと僅か。チャンスは、一度きり)


ピエールは、崩壊しゆく意識の残骸を総動員し、脳内の設計図システムにアクセスした。


「ダンジョン・トラップ、ナンバー三百九十九……発動。対象、個体名『ピエール』」


それは、設計者自らが自らに牙を剥く、禁忌の防衛術式。

彼の言葉と共に、現実世界のダンジョンが、そのあるじを救うために――あるいは破壊するために、凄まじい轟音を立てて起動した。



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