43話「智将ピエール?」
北の魔界領ダンジョン内部。
ピエールは最初から、そこに何かが存在する事を前提に、視線を動かしていた。
「人界でも非合法とされる禁忌の魔導具……ステルススーツ。なるほど、情報は正確だったようですね」
眼鏡のブリッジを指先でクイッと押し上げながら、ピエールは確信に満ちた声で部下に問いかける。
「……そのようですね。ネズミが紛れ込んでいたようです」
部下の言葉が終わるか終わらないかのうちに、虚空が陽炎のように揺らぎ、漆黒のスーツを纏った刺客が姿を現した。光学迷彩を解除した刺客の瞳には、驚愕の色が浮かんでいる。
「……なぜ分かった。このスーツの遮蔽率は完璧なはずだ」
「『完璧』すぎるのですよ。周囲の魔力流まで完全に遮断してしまっている。ノイズのない空白は、我々のような技術者から見れば、キャンバスにぶちまけられた墨汁のように濃い違和感となる」
ピエールは冷徹な視線を刺客へと据え、静かに宣告した。
「さて、アビス教団。早速ですが……君たちの存在は、私の精緻な計画にとって看過できない不純物なのです」
「フン、抜かせ。ただの頭脳労働タイプが、実戦特化の俺たちに勝てるとでも思っているのか?」
刺客が嘲笑とともに武器を構える。しかし、ピエールは表情ひとつ変えず、ただ優雅に眼鏡を直した。
「ふむ……現場の人間というのは、いつも声だけは大きい。ですが、見逃さないのが一流の管理職というものですよ」
ピエールがパチンと指を鳴らす。その音を合図に、ダンジョンの壁面に刻まれた幾何学的な紋様が、冷徹な青白い光を放ち始めた。
「なっ……なんだ!? トラップか!?」
「トラップ? いえ、これはこのエリアの『環境調整』です。君たちのステルススーツが魔力を遮断するというのなら、この空間の魔力濃度を『致死量』まで引き上げればどうなるか……知っていますか?」
ピエールの言葉通り、空間全体が軋むような高密度の魔力に満たされていく。刺客たちのステルススーツは、外部からの過剰なエネルギーを遮断しようと過負荷を起こし、バチバチと不吉な火花を散らし始めた。
「ぐわぁっ!? スーツが……熱い! 脱げない、張り付いて……!」
「遮蔽率100%ということは、内側の熱も100%逃がさないということだ。自慢の装備が、そのまま君たちの『棺桶』になる。……実に効率的だと思いませんか?」
ピエールは一歩も動かず、悶絶する刺客たちを冷ややかな目で見つめていた。
「……なるほど。最後までお仲間を助ける気はない、ということですね」
ピエールの視線が、誰もいないはずの虚空の「一点」に固定される。すると、そこから空間を切り裂くようにして、一人の黒ずくめの女性が姿を現した。
「あら、私もバレてました? このまま、今の見せ物で満足して帰ってくれると嬉しいな……なんて、思ってたり?」
女性は悪びれる様子もなく、艶然とした微笑を浮かべて答える。その余裕に満ちた態度は、先ほどまでの刺客たちとは一線を画す「本物」の気配を纏っていた。
ピエールは眼鏡の縁を直し、感情を削ぎ落とした声で本質を突く。
「……一つ問おう。アビス教団。貴様たちは何故、今更になって『伝説の勇者』などという旧時代の遺物を求める?」
「天災のティア。そして頂点に君臨していた先代魔王……」
「なるほど。つまり、あの先代魔王すら討ち果たした伝説の勇者であれば『天災』を確実に始末できると踏んだわけですか」
ピエールは、まるですでに完成した設計図をなぞるように、冷淡に先を促した。
「正解。だって嫌じゃない? その日の気分次第で、世界が滅ぼされるなんて。……不確定な『異物』は、早急に排除しなくちゃね?」
「……ですが、そうなれば今度は、目的を果たし生き残った勇者自身が、この世界にとって最大の『異物』となりはしませんか?」
ピエールの論理的な指摘に、女性は一瞬だけ瞳の奥を怪しく光らせ、小首をかしげた。
「……彼は人間だもの。そのうちに寿命で死ぬわ。そうなれば……世界はようやく、誰にも脅かされない『平和』を手に入れると思わないかしら?」
ピエールは、心底退屈だと言わんばかりに深くため息を吐いた。
「なるほど。つまり貴女は、遠い未来さえ平和であれば、現在の犠牲や混乱はどうでもいいと。大変、立派な志しだとは思いますが…⋯その設計思想は到底信用に値しませんね」
数十年後の平和のために、今ある基盤をすべて破壊する。ピエールの冷徹な瞳が不快感を露わにする。
対する女性は、話の通じない相手を哀れむような仕草で、やれやれと肩をすくめた。
「あら、厳しいわね。せっかくの『合理的』な解決策だと思ったのだけれど……。やっぱり、言葉で分かり合うのは、無理みたい?」
女性は小首を傾げ、憐れみを含んだ視線をピエールに投げかけた。対するピエールは、もはや一秒の猶予も無駄だと言わんばかりに、無造作に指を鳴らす。
「議論の時間は終了です。では……さよならだ」
乾いた音がダンジョンに響き渡る。その直後、足元の床に刻まれた術式が、まるで獲物を噛み砕く顎のように、禍々しい輝きを放ちながら一気に収束した。
「あら。魔界の智将と謳われたピエールともあろうお方が、相手の実力も見抜けないほど愚かだったなんて……。がっかりね」
術式が発動する刹那、女性の姿が陽炎のように揺らぐ。
彼女は荒れ狂う魔力の奔流をあざ笑うかのような優雅な所作で、一歩踏み出す。そのまま音もなくピエールの背後へと滑り込むと、振袖に隠し持っていた短刀を流れるような動作で突き立てた。
鋭い刃が、ピエールの背中を深く貫く。
「……ほらね。案外、呆気ないものね」
確信に満ちた勝利の笑みを浮かべ、女性は耳元で甘く囁いた。だが、その瞬間のことだ。貫かれたはずのピエールの口角が、不気味なほど吊り上がり、獲物を罠に嵌めた狩人のような「笑み」を浮かべたのは。
「……なるほど。流石は智将ピエールさん、お見事な『身代わり』ですね」
女性の声に、焦りは微塵もなかった。彼女が刃を立てた「ピエール」の姿が、陽炎のようにゆらりと揺らぎ始める。
刹那、本能的な危惧を感じ取った彼女は、弾かれたように後方へと跳んだ。直後、彼女が立っていた場所を中心に、禍々しい術式が牙を剥くように展開される。刺されたはずの「無機質な人形」は、その魔法陣の光に呑み込まれ、跡形もなく消滅した。
「……チッ、見破られましたか」
わずかに苦々しい声を漏らしたのは、一歩引いた位置で控えていた「部下」だった。その輪郭がノイズのように書き換えられ、徐々に本物のピエールの容姿へと変貌を遂げていく。
「さて……。素直に『宝具』を渡してくれるなら、見逃してあげますよ?」
ピエールの巧妙な罠を回避した女性は、最初からすべてを盤上で俯瞰していたかのような余裕の笑みを絶やさず、静かに、しかし抗いようのない圧力をもって言い放った。




