35話「流れ星」
ティアの絶え間なく続く苛烈な猛攻。それを防ぎ、牛銀の魔力を最適化し続けてきた「闇夜の斧」だったが、その強固な刃にも限界が訪れようとしていた。
膨大な負荷が深層部に蓄積され、漆黒の表面には、まるで氷が割れるような細い亀裂が少しずつ、だが確実に生じ始めていたのだ。
「許容応力度を超え始めたか……」
軋みを上げる斧を見つめ、牛銀は低く呟いた。その言葉は、戦士の嘆きではなく、自らの道具の限界を見極める職人のそれだった。
「愉しいね! おじさん、まだまだいくよっ」
ティアが指先を踊らせると、周囲に展開された火・水・風・雷・土のあらゆる属性が、逃げ場のない波状攻撃となって牛銀へ殺到する。爆圧と閃光が、蒼き少年の小さな体を飲み込もうとしたその時——。
(このまま防ぐだけでは……埒が明かんか)
「——止水」
牛銀が静かに呟くと、彼の周囲を蒼白い魔力が円環を描くようにして滑らかに流れ出した。
直後、彼を全方位から襲っていたはずの属性の濁流が、見えない防波堤に阻まれたかのようにピタリとその動きを止める。物理法則すら堰き止める。
「——一力伝達」
牛銀は間髪入れずに踏み込む。全身を巡る蒼い魔力が、一滴の漏れもなく「闇夜の斧」の芯部へと収束されていく。分散していた力が、構造の骨組みを伝うようにして一点に凝縮される。
「——剛性加算!」
放たれた巨大な光の刃は、無邪気に笑うティアを正面から飲み込み、周囲の空間ごと圧壊させる。
もはや、城は原型を留めていなかった。豪華だった装飾も、堅牢を誇った外壁も、その一撃が放つ凄まじい余波に耐えきれず、まるで砂の城のように脆く崩れ去っていく。
轟音が止み、噴き上がる土煙の中で、牛銀は荒い呼吸を繰り返していた。
その手にある「闇夜の斧」は、度重なる無理が重なり限界を超え、もはや鉄屑同然の無残な姿をさらしている。漆黒の刃は至る所が欠け落ち、深い亀裂からは魔力の残滓が火花のように散っていた。
視界を遮る土煙の向こう側から、鈴を転がすような、あまりに場違いで無邪気な声が響く。
「おじさん……今のは、少しだけ痛かったよ! いいね、凄くいい。おじさん、もっと、もっとやろうよ!」
ゆっくりと煙が晴れていく。
そこには、服の裾をわずかに焦がした程度で、傷一つなく佇むティアの姿があった。その真っ赤な瞳は、最高のおもちゃを見つけた子供のように、かつてないほど妖しく、そして深く輝いていた。
対する牛銀は、もはや鉄屑と化した「闇夜の斧」を杖代わりに地面に突き立て、辛うじて膝を突く。今にも崩れ落ちそうな身体を、職人の意地だけで支えていた。
「……存在そのものが、『設計想定外』だっていうのか……」
絶望的な実力差を前に、牛銀の口から乾いた笑いが漏れる。しかし、ティアはそんな彼の疲弊など気にも留めず、楽しげに両手を天へと広げた。
「おじさんには、特別に見せてあげるね!」
ティアの右手には火の球が、左手には水球が生成される。本来は相反する属性。しかし彼女は、それを左右から挟み込むようにして強引に、かつ無造作に圧縮し始めた。
相反する魔力が衝突し、バチバチと空間を削る異音が響く。ティアの小さな掌の中で、逃げ場を失った熱量と質量が一つに溶け合い、見たこともないほど不気味で高密度の魔力へと変貌を遂げていく。
「楽しかったよ。バイバイ、おじさん」
無邪気な死の宣告と共に、圧縮された二つの属性が解き放たれた。熱力学の理を無視し、触れるものすべてを蒸発させる混沌の奔流が、満身創痍の牛銀へと迫る。
死を悟った牛銀は、抗うことなく、静かにその瞳を閉じた。
直後――戦場を切り裂くような赤黒い魔力が爆発した。
白い髪を夜風に激しく靡かせ、不敵な笑みを浮かべた少女が、牛銀の前に立ちはだかる。
「――六花無刀流。六の太刀、翁草」
彼女が手刀を一閃させた瞬間、吹き荒れていた魔力の質量が霧のように消失した。
風を受け流すように、彼女の手刀はティアの放った消滅の濁流をその根元からいなし、虚空へと霧散させた。
「おい、牛。……これで借りは無しだ」
牛銀は驚愕に目を見開き、目の前の背中を凝視した。
そこにいたのは、先ほどまで屈辱に震えていた彼女の姿ではない。赤黒い魔力を全身から噴き出させ、夜闇に月光のような白い髪をなびかせる、圧倒的な強者のオーラを纏った「枝豆コーヒー」だった。
「……姐さん。助かりました」
「勘違いするな、お前は足手まといだ。……下がっていろ」
冷徹な突き放し。しかし、その声には以前の感情的な怒りはなく、強者の揺るぎない確信が宿っていた。
その光景を眺めていたティアは、心底驚いたように、そしてこの上なく嬉しそうにその瞳を丸くした。
「わあ……凄いね、お姉さん! それ、『花の流派』でしょ? でもでも、瞳は普通なんだね。ちょっと残念かな。……でも、興味が湧いてきちゃった。ねえ、もっと遊ぼうよ!」
破壊の主である少女は、新たな「おもちゃ」の劇的な変化を前に、子供のような無邪気な感嘆の声を上げた――
――一方その頃。
魔王城は、深い静寂に包まれていた。
魔王の私室。開け放たれた窓から滑り込む夜風が、ベッドに横たわる一人の少女の白い髪を優しくなびかせている。
その傍らで静かに佇み、眠れる少女を見守っていた魔王は、ふと視線を夜空へと転じた。
そこには、暗闇を鋭く切り裂き、どこか不吉な輝きを帯びた一筋の流れ星が煌めいていた。




