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28話「魔王様とトラウマ」

魔王城、玉座の間。

かつては魔界の覇権を論じたであろう玉座のすぐ隣には、今や不釣り合いな事務デスクが置かれていた。

その机の上で、場違いに陽気なベルの音が鳴り響く。

白猫のエリザベスは、肉球で慣れた手つきで電話機のボタンを押し、スピーカーモードに切り替えた。


「はい。いつもご利用ありがとうございます。地域密着、安心、丁寧、迅速の『エリザベス工務店』、受付担当です」


受話器の向こうから聞こえてきたのは、いかにも中間管理職の板挟みになっていそうな、焦燥感に満ちた部下らしき声だった。


『……あ、あの。すみません! 急ぎで見積もりの依頼をお願いしたいのですが、今からでも大丈夫ですか!?』

「ええ、もちろん。当店は『猫の手も借りたい』ほどお忙しいお客様の味方ですから。……して、ご希望の施工内容は?」

『……ええと、城の老朽化がひどくて。雨漏りと隙間風、それから基礎の補強をお願いしたいんです。予算は上から「いくらでも出せ」と許可が出ています。出来れば迅速にお願いしたいです!』

「予算はいくらでも……。素晴らしい響きですね」


エリザベスは、デスクの横で依頼内容を素早くメモしている牛銀の元部下――今や「主任補佐」となった男が、力強く頷くのを確認した。


「承知いたしました。では、明日さっそく弊社の者が現地調査に伺います。……お客様、のご住所とご依頼主様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

『……西の魔界領の領主ティア様です。よろしくお願いします、「エリザベス工務店」さん!』

「かしこまりました。お任せ下さい」


――プツッ、と通信が切れる。


今、自分の口から出た言葉を脳内でリプレイし、そのあまりの滑らかさに全身の毛が逆立つ。


「……えっ!? ちょっ、ちょっと待って!? なんで私、いつの間にか完璧に『受付担当』をこなしてるのよ! 怖っ! 怖すぎない?この城!」


エリザベスはデスクの上でガバッと立ち上がり、自分の肉球を信じられないものを見るかのように凝視した。


「地域密着、安心、丁寧、迅速……って何⋯⋯ これが今の魔王城内に蔓延してる『工務店ムーブ』……!? 恐ろしい感染力ね……!」


あまりのショックに毛を逆立てるエリザベスを見て、デスクの横で控えていた主任補佐の部下が、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。


「……申し訳ありません、エリザベス様。我らの作業熱があまりに高く、つい事務作業までお手を煩わせてしまい……」


「いや、謝り方がもう現場の人間のそれ! あなたもいつの間にそんな腰の低い、できる営業マンみたいな顔になったの!」


エリザベスの絶叫が玉座の間に響き渡る。


「……何事だ。エリザベス」


現場の奥、新しく張り替えられたばかりの床の「養生ようじょうシート」を捲って、魔王が姿を現した。


「親方(魔王)様。明日、現調の依頼が入りました。尚、予算はいくらでもとの事です。」


主任候補の部下が、背筋をピンと伸ばして素早く答える。魔王はそれを聞くと、口角を吊り上げ、邪悪な笑みを浮かべた。


「ほう。で、依頼主は?」

「ティア様です」

「⋯⋯はっ?」


魔王の動きが止まる。あまりにも聞き覚えのある、昔なじみの名前と同じ名前だった。


「ティア様です」


部下はもう一度、はっきりと復唱した。魔王の顔から余裕が消え、今や困惑を通り越して、隠しきれない戦慄がその表情を支配していく。


「⋯⋯待て待て、あのティアが⋯⋯あのティアが⋯⋯」


魔王は遠い目をして、かつて自らの身に降りかかった、消し去りたい「記憶」を脳内で思い出した。

それはまだ魔王がエリザベスと出会う前、魔の森で一人、孤独に特訓をしていた頃の⋯⋯記憶。


『……沈まれ、俺様の魔力。くっ、俺様の呪われた左腕が、共鳴を求めて暴走を……!』


自らの左腕を右手で押さえ、悦に入っていた若き日の魔王。そこに、場違いな明るい声が響いた。


『あー! まー君だぁ! 何してるのー?』


そこに現れたのは、幼い容姿にフリルのドレス。黒く艶やかな長い髪をなびかせ、期待に満ちた赤い瞳をギラギラと輝かせた少女――ティアだった。


『……ふっ、見てわからぬのか。俺の右腕が疼き、暗黒の力が暴走するのを鎮めているのだ!』


『……え? でもでも、さっき「左腕」って言ってたよね? どっちなのー?』

「………………」


沈黙が森を支配した。

完璧なポージングと設定を、わずか数秒前の失言で論破された若き日の魔王。彼は顔を真っ赤にしながら、震える声で言い返した。


『う、うるさい! 左右どちらからも溢れ出ているのだ! 近寄るな、消し飛ばされるぞ!』

『えっ、すごーい! 遊んでくれるの? やろう、やろうよ。てぃ』


その直後、魔王が特訓していた森の半分が、彼女の掛け声の「てぃ」の魔術で消滅したのである。


『さすが、まー君、余裕だね!』


土煙が舞う中、ティアは無邪気に笑っていた。一方、消滅した森の境界線ギリギリで、中二病のポーズのまま硬直する若き日の魔王。

それからというもの、毎日のように「まー君、遊ぼう!」と物理的な襲撃を受け続けてきた地獄のような記憶。魔王のトラウマは、その一瞬一瞬に刻まれていた。ただ、エリザベスが彼の傍に来てからは、なぜかパタリと来なくなっていた……。


「魔王様。なんか顔色悪くなってますが大丈夫ですか?」


心配そうに覗き込むエリザベスの声に、魔王はハッと我に返った。

額にはうっすらと脂汗が浮かび、先ほどまでの「最強の親方」としての覇気はどこへやら、その表情にはかつての「まー君」と呼ばれた頃のトラウマが色濃く影を落としている。


「……よし、牛銀を呼べ」

「はっ! 直ちに」


主任補佐の部下が弾かれたように玉座の間を飛び出していく。

その様子を横で見守っていたエリザベスは、尻尾をパタパタと動かしながら、何となくこの後の展開が読めていた。


(……ああ、これは丸投げする時の魔王様の表情……ですね。私には分かりますよ)


数分後、息を切らせて駆けつけた牛銀に対し、魔王は胃のあたりを抑えたまま、しかし眼光だけは鋭く、言い放った。


「牛銀。明日、現調に行ってもらう……。貴様と部下を一人か二人連れて行け」

「はっ! かしこまりました!」


やる気に満ちた牛銀の返事を聞き、魔王は「自分は行かなくて済む」という安堵を悟られないよう、さらにトーンを落として重々しく語り始めた。


「うむ。俺様が居ないからと気を抜くなよ。わかっているとは思うが、敢えて言う。いいか、現調が全てだ。現調の段階で戦いは始まっている。必要な道具、必要な工具、必要な人員、必要な工期、必要な経費、等々と、この時点で全てを達成出来たのなら、施工とは、それを為すだけの答え合わせに過ぎない」

「おお……! 現調が全てで、施工が答え合わせ……。なんと深いお言葉!」


牛銀がメモを取りながら感動に震える。魔王の言葉は、職人としての真理を突いていた。だが、その真理を語る魔王の内心は――


(……よし。これで俺が行かなくてもいい流れが出来た⋯⋯筈だ)


「親方! その完璧な『答え合わせ』のために、何か特に注意すべき点はありますか!?」


食い気味に尋ねる牛銀に、魔王は一瞬視線を泳がせ、震える指先を隠すように腕を組んだ。


「……あー、そうだな。相手はティアだ。発言には気を付けろ、とりあえず怒らせるな」

「……魔王様、それって現調の事と関係ないですよね」

エリザベスの冷ややかなツッコミが玉座の間に響いた。




静寂に包まれた広大な森を抜け、眼前に現れたのは、断崖絶壁の向こうに果てしなく広がる海だった。昇り始めた太陽の光が水面に反射し、まるで砕かれた宝石のように幻想的な輝きを放っている。

その光景を崖の上から見下ろす、一人の少女――枝豆コーヒーは、海風に髪をなびかせながら妖しく口角を上げた。


「さて、あのステルス連中に気づかないフリをして逆に付けてみたけど、面白いことになったね。あの連中、西の領地に向かってるし……。ふふっ、さすが魔王様だね」


彼女は手元の双眼鏡を回し、街道を砂煙を上げて進む「エリザベス工務店」ののぼりを掲げた馬車が爆走する風景を視界に捉えた。そこに魔王の姿はない。


「わざと自分は動かないことでピエールに警戒させない。表向きは『リフォーム』、実態は『城内の内部調査』。ステルス連中が向かっている以上、例の宝具とやらもそこにある可能性が高い上に、合法的に隅々まで調べるつもりだね」


自分よりも先に、それもこれほど鮮やかな手口で動かれたことに、彼女は感心したように、そして愉しげに笑っていた。

彼女の影が朝日に溶けるように消えていく。





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