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26話「魔王様と親方」


魔王城で働く部下達の朝は早い。

まだ誰もが寝ている魔王城。午前四時、すでに彼等の仕事は始まっている…⋯。


暁の光が差すよりも早く、玉座の間には火花と粉塵が舞い、硬質な金属音が鼓膜を叩く。


「……おい。俺はディスクグラインダーを持ってこいと言ったはずだ。なぜインパクトドライバーを抱えて立っている?」


低い、だがドスの利いた声が現場に響く。元小隊長の男が、後輩の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。


「す、すみません! 柱の補強かと思い……」

「馬鹿野郎。玉座の床板を面取り(めんとり)しろと指示しただろうが。エリザベス様がこの上を歩かれる際、わずかなバリ一本でも肉球に障ってみろ。エリザベス様が悲しむだろう!」

「ひ、ひぃっ! すぐに持ってきます!」


慌てて走り去る部下を見送り、男は忌々しげに吐き捨てた。

彼らの手にあるのは、もはや殺戮の道具ではない。魔力を流し込み、硬度を極限まで高めた特注の左官コテや、岩石をも容易に切り裂く大口径のダイヤモンドカッターだ。

魔族特有の怪力と動体視力は、今や「1ミリの誤差も許さない精密な施工」のために費やされている。


「おらぁ! そこ、モルタルの練りが甘いぞ! 陛下(魔王)がスマホを操作される際、指先の振動で床が鳴ったらどうする! 徹底的に水平を出せ! 魂を込めて叩けぇ!!」

「「「オォォッ!!」」」


軍隊さながらの咆哮とともに、巨大な石材が魔法と人力の合わせ技で次々と積み上がっていく。

ピエールという「言葉だけの主君」に使い捨てられる恐怖から解放された彼らは今、猫の肉球という「至高の安らぎ」を守るという、かつてないほどに具体的でやりがいのある「実戦」に身を投じていた。


「――ご苦労。なかなか良い精度ではないか」


突如、背後から響いた重厚な声。

現場の空気が一瞬で凍りつき、職人と化した兵士たちが弾かれたように直立不動の姿勢をとった。そこには、重厚なコートを羽織り、気だるげにスマホをポケットに収めた魔王が立っていた。


「へ、陛下……! ありがたき幸せに存じます!」


現場監督の男が額に汗を浮かべ、誇らしげに磨き上げられた床を指し示した。だが、魔王の鋭い眼光は、その床の一角を射抜くように捉えていた。


「……待て。あそこの床、わずかに水平が狂っているな」

「えっ……? そ、そんなはずは。我らが精鋭たちが、三度も確認を……」

「水平器を貸せ」


魔王は差し出された無骨な水平器を受け取ると、淀みない動作で床に置いた。気泡は中央にあるように見える。しかし、魔王は鼻で笑うと、懐から妙にハイテクな、禍々しい紫の光を放つ器具を取り出した。


「標準品ではその程度の狂いは拾えんか。これを使え。俺様が退屈しのぎに造った『絶対水平器君ぜったいすいへいきくん』だ」

「ぜ、絶対……?」


魔王がその器具を設置した瞬間、床面に精密な魔力グリッドが展開された。

するとどうだろう。完璧に見えた床の一部が、赤く点滅し始めたではないか。


「……0.02ミリの沈み込みだ」

「……っ!! 0.02ミリ……我らの慢心を、これほどまで正確に……!」


魔族たちは、その圧倒的な「技術的説得力」に打ち震えた。

自分たちが10年かけても到達できない領域に、このお方は「退屈しのぎ」で到達している。


「これこそが、真の王の視点……! 陛下、直ちに修正いたします!!」


再び響き渡る怒号。今度のそれは、恐怖ではなく、至高のクオリティを目指す職人たちの熱狂だった。


その一連のやり取りを、玉座の上から見ていたエリザベスは、凄いのかアホなのかよくわからない状況に陥っていた。


(……前から思ってましたけど、この牛銀さんの部下さんたちは、もはやプロの建設業者並みの手際ですよね。……まさか、魔王様が直接指導していたなんて……)


魔王が「絶対水平器君」を片手に、ミリ単位の誤差を熱く説教している。その横では屈強な魔族たちが「勉強になります!」と言わんばかりにメモを取っている。


(無駄に、本当に無駄にクオリティが高いのですが……これ、もう魔界征服とかじゃなくて、リフォーム業界を制覇した方が早いんじゃないんですか……)


エリザベスの冷ややかな視線の先では、魔王が「ここは左官のコテ跡が甘い。やり直しだ」と、もはや「魔王」というより「口うるさい親方」のような顔で現場を仕切っていた。



一方、その頃。とある魔界の奥深く――。

禍々しくも洗練された意匠の玉座に、一人の男が深く腰掛けていた。

鮮やかな赤いスーツを完璧に着こなし、頭部から鋭い一角を覗かせる男、ピエール。

彼は知性を感じさせるメガネを指先でクイッと押し上げると、目の前で平伏する部下の報告に、不快そうに細い眉を寄せた。


「……報告します。四天王――いえ、牛銀様が離脱したため現在は三天王のお一人、ティア様より通信が。なんでも、領地の城の老朽化が看過できないレベルに達しているとのことです」

「老朽化だと?」

「はっ。雨漏りは当然として、冬場は隙間風が凄まじく、ティア様は『早く何とかしないと、居心地が悪すぎるから裏切っちゃうぞ。プンプン』と仰っております……」

「……フン、下らん。魔族なら魔法で温度調節くらいすればいいものを」


ピエールは鼻で笑ったが、その内心は穏やかではなかった。

軍、組織を維持するには、部下のモチベーション管理――すなわち「住環境の整備」も欠かせない。だが、彼の陣営には現在、建築や土木に秀でた者など一人もいなかった。


「……現在、腕のいい工兵や土木魔族はどこにいる?」

「それが……調べましたが。先の戦いや魔界の混乱で、まともな職人は皆、姿を消してしまい……。風の噂によれば、最高峰の技術を持っていた工兵たちは、かつての魔王城周辺で行方不明になっているとか」


ピエールはメガネの縁を苛立たしげに叩いた。


「魔王城だと……。やはり奴か。……奴が腕利きの職人たちを拉致し、何か『恐るべき最終兵器』でも建造させているというのか……!?」


ピエールの脳内では今、魔王城は魔界全土を焦土に変える「巨大魔導要塞」の建設計画に脳内変換されていた。



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