21話「エリザベス二世VS牛銀」
「エリザベス二世」こと枝豆コーヒーは、華麗な立ち回りの裏で、内心冷や汗を流していた。
(しまった……勢いで飛び出しちゃったけど、よく考えたら、全力を出すと流石にお姉ちゃんに正体がバレる……可能性があるよね? 普段はおっとりしてるけど、戦闘になると途端に勘が鋭くなるもんね、お姉ちゃん。……かと言って、魔力抜きでこの人数を相手にするのは、流石に少しだるいかな)
そんな葛藤を抱えながらも、彼女の動きに一切の淀みはなかった。
殺到する牛銀の部下たちを、魔力に頼らぬ純粋な体術のみで翻弄する。無駄のない最小限の動きで急所を突き、次々と沈めていくその姿は、正に「蝶のように舞い、蜂のように刺す」を体現していた。戦場という混沌の中で、猫の仮面を被った少女だけが、異質なまでの静謐を纏っている。
「な、なんだこいつ!? 変な仮面のくせに強すぎるぞ!」
「怯むな! 一斉にかかれ! 変な仮面に息をつく暇を与えるな!」
「変な仮面は近接タイプだ! 距離を取って遠距離から一斉に放てぇ!!」
包囲網から放たれた魔弾や矢の雨。だが、彼女はその弾道すらも見切っているかのように、最小の身のこなしですべてを「無」へと帰した。それを見守っていた牛銀の瞳に、初めて真の戦慄が走る。
「……何者だ、あの変な仮面は!」
その一方で、激闘から数メートルしか離れていない玉座の裏では、緊張感の欠片もない主従が肩を並べて観戦していた。
「魔王様のネット友達、めちゃくちゃ強いですね。……しかも、全く本気出してませんよ」
エリザベスが感心したように尻尾を揺らす。
「……ふん、当然だろう。俺様とランキングを競い合う間柄なのだぞ? 弱いはずがなかろう」
「それ、ネットゲームの話ですよね? ……っていうか魔王様、気づいてます? 彼女、もし本気を出したら『今の』魔王様や私よりも強そうですよ?」
「…………そうか?」
魔王は乾いた笑いを漏らし、そっとスマホを握る手に力を込めた。
「止まれぇいッ!! お前たちでは、その変な仮面を倒すのは無理だ。――俺がやる」
玉座の間に、牛銀の凄まじい咆哮が轟いた。部下たちは畏怖の念を込めて道を開け、主君の背後に整列する。牛銀は重々しい足取りで一歩前へ踏み出すと、背負っていた巨大な両刃の斧を無造作に引き抜いた。石床を削る不快な金属音が、静まり返った広間に響く。
「部下どもが世話になったな。……変な仮面よ、貴様、そのふざけた見た目の割には骨があるようだ」
牛銀は身の丈ほどもある斧を軽々と片手で構え、仮面の少女を射抜くような鋭い視線を向けた。
「だが、技量だけで埋められぬ絶望があることを、その身に刻んでやろう……我が筋肉と、この『砕岩斧』の錆となれ!」
大地を震わせるような威圧感。一方、その挑発を正面から受けた枝豆コーヒーは、仮面の奥で静かに、深く、吐息を漏らした。
(……こいつは三回目。あいつも一回、あいつも一回……。さっきの部下たちも合わせれば、計四十二回)
彼女の指先が、微かに、だが確実に震える。それは恐怖ではなく、限界まで蓄積された「怒り」によるものだった。
(……私のことを、計四十二回も『変な仮面』と言ったな!)
乙女のプライドと、姉とお揃いというこだわりを真っ向から否定された屈辱。彼女の中で、牛銀への評価が「敵」から「絶対に許せない失礼な牛肉」へと格下げされた瞬間だった。
(……絶対に、ただでは済まさない。お姉ちゃんにバレない範囲で、一番痛い目に遭わせてやる……!)
彼女はエリザベスに魔力の残滓を感じ取られないよう、細心の注意を払いながら重心を極限まで落とした。爆発寸前の殺意をプロの冷静さで抑え込み、獲物を見据える。その殺気の劇的な変化に、牛銀も首筋を撫でるような「死」の気配を感じ、思わず息を呑んだ。
(なんだ……!? この、『変な仮面』から迸る凄まじい殺気は……! こんな、こんな『変な仮面』から、これほどの……!)
牛銀は知らない。その思考の間にも、自らの生存確率がゼロへと収束していることを。脳内カウンターはすでに「四十四」を刻んでいた。
「……死ねぇいッ!!」
本能的な恐怖を振り払うように、牛銀が巨大な『砕岩斧』を振り下ろした。空気を切り裂く轟音。床の石材が風圧だけで爆ぜ、全てを粉砕せんとする必殺の一撃。
だが、仮面の少女は動じない。彼女は振り下ろされた巨大な刃の側面に、吸い込まれるような動作で指を添えた。
「――おい。お前、今……なんて言った?」
地獄の底から響くような、冷徹なトーン。彼女が指先にわずかな力を込め、斧の軌道を真横へと弾き飛ばした。
ズドォォォォォンッ!!
少女の体ひとつ掠めることなく、逸れた斧が魔王城の頑強な壁を紙細工のように粉砕した。
「……なっ、馬鹿な!? 俺の渾身の一撃を、指先ひとつで……!?」
牛銀の視界が驚愕に歪む。だが、絶望の本番はこれからだった。仮面の少女の周囲に、逃れようのない濃厚な「死」が立ち込める。
「一体なんなのだ⋯…この……変……」




