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「その不気味な仮面を外せ」と婚約破棄されましたが、これは国を傾ける『魅了』の封印具です。……本当に外してよろしいのですね?

作者: 夢見叶

シャンデリアの輝きが、私の顔を覆う黒い金属には決して反射しない。

 光を吸い込むような無骨な鉄仮面。

 華やかなドレスを身に纏いながら、顔だけが異様な「鉄の塊」である私は、学園の卒業パーティーにおいて誰よりも浮いていた。


「オルトリンデ・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約は、この瞬間をもって破棄とする!」


 音楽が止まる。

 ダンスフロアの中央で、この国の第二王子ヴァルダス様が、私を指差して叫んでいた。

 その隣には、小柄で愛らしい男爵令嬢ミナ様が、彼の腕にしがみついている。


「……理由を伺ってもよろしいでしょうか、殿下」


 私は努めて冷静に、鉄仮面の奥から声を絞り出した。

 仮面のせいで声は少しこもるが、それでも周囲には十分に聞こえたはずだ。


「理由だと? 鏡を見てから言うがいい! その不気味な仮面だ!」

 ヴァルダス様は生理的な嫌悪感を隠そうともせず、顔を歪めた。

「夜会でも、茶会でも、貴様は一度としてその鉄仮面を外そうとしなかった! 私の隣に立つ貴様を見る目が、どれほど嘲笑に満ちていたか分かるか!? 『呪いの仮面令嬢』などと噂され、王家の面目は丸潰れだ!」

「殿下、この仮面は……」

「言い訳は聞きたくない! どうせ、その下には見るに耐えない醜い火傷痕か、あるいは私を呪うための呪詛文様でも刻まれているのだろう!」


 会場から、ひそひそとした嘲笑が漏れる。

 醜い。不気味。呪い。

 慣れ親しんだ言葉のつぶてだ。私は仮面の下で、小さく溜息をついた。


(……説明なされたのは国王陛下でしょうに。お忘れになったのですか)


 この『封魔の鉄仮面』は、伊達や酔狂でつけているわけではない。

 私の身に宿る、特異体質。

 ――『先天性強制魅了』。

 魔力を持たない者が私の素顔を見れば、三日三晩熱に浮かされ、正気を失う。魔力を持つ者であれば、その魔力が暴走し、私に対して執着するあまり争いを始める。

 かつて、幼い私がうっかり仮面を外した際、屋敷の庭師と執事が殺し合いを始めかけたことがある。

 それ以来、私は王家から貸与されたこの強力な封印具を、入浴時以外は片時も外さずに生きてきた。

 その事実は、婚約を結ぶ際に国王陛下からヴァルダス様へ伝えられているはずだった。

 だが。


「ミナは素晴らしいぞ。愛らしく、素直で、何よりこの私を真っ直ぐに見てくれる! 貴様のその、鉄板越しの冷たい視線とは大違いだ!」

「……そうですか」


 聞いていないな、これは。

 ヴァルダス様は人の話を聞かない性格で有名だ。おそらく「重要な話がある」と陛下に呼ばれた際も、上の空だったのだろう。


「オルトリンデ様……」

 ミナ様が、潤んだ瞳で私を見つめた。

「ごめんなさい。でも、真実の愛には勝てないのです。どうか、潔く身を引いてくださいませんか? それに、その仮面……私、見ているだけで寒気がして……怖いのです」

「おお、可哀想にミナ! 怖がることはない、私が守ってやるからな!」


 茶番だ。

 私は冷めた思考で、周囲を見回した。

 誰も私を助けようとはしない。

 無理もない。不気味な仮面の女より、次期国王候補の王子と、可憐な男爵令嬢の恋物語の方が、見世物としては面白い。

 ただ一人を除いては。


「――お待ちください、殿下」


 重厚な、地響きのような声がホールを震わせた。

 ざわめきが一瞬で止む。

 人垣が割れ、黒い軍服に身を包んだ大男が進み出てきた。

 近衛騎士団長、ジークハルト・ヴォルガ。

 鉄壁の異名を持つ、我が国最強の騎士。

 身長は二メートル近くあり、鍛え上げられた肉体と、古傷の走る精悍な顔立ちは、並の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出すほどの威圧感を放っている。


「ジークハルトか。何用だ」

「その婚約破棄、騎士団長として看過できません。ベルンシュタイン嬢の仮面は、王家の安寧のために必要な措置。それを一方的に責め立てるとは、あまりに不条理です」


 ジークハルト様。

 彼は、私の隣まで歩み寄ると、まるで猛獣から小鳥を庇うように、王子の前に立ちはだかった。

 背中が大きい。

 学園時代、誰もが私を避ける中、彼だけは普通に接してくれた。

 『良い天気ですね』『その仮面の手入れは見事だ』。

 たわいもない会話。けれど、仮面ではなく「私」を見てくれた唯一の人。


「不条理だと? ジークハルト、貴様もその女にたぶらかされているのか? ああ、そういえば貴様も『鉄壁』などと呼ばれているな。鉄仮面とお似合いのカップルというわけか! ははは!」

「殿下。言葉を慎まれますよう」

 ジークハルト様の声が低くなり、会場の空気が凍りつく。

 まずい。彼が王族に剣を向ければ、それこそ大問題になる。

 私は一歩前に出た。


「ジークハルト様、お下がりください。これは私と殿下の問題です」

「しかし、オルトリンデ嬢」

「大丈夫です」

 小声で告げると、彼は苦渋の表情で、しかし私の意思を尊重して一歩引いてくれた。


 私は改めて、王子に向き直る。

 もう、潮時だ。

 これ以上、この愚かな男の婚約者でいる義理はない。

 ただ、手順だけは踏まねばならない。


「殿下。婚約破棄の件、承知いたしました」

「ふん、やっと認めたか」

「ただし、一つだけ訂正を。この仮面は、殿下がおっしゃるような呪具ではありません。私の魔力を抑えるための封印具です。これを外せば、周囲に多大なご迷惑をおかけすることになります」

「嘘をつくな!」

 ヴァルダス様が叫んだ。

「魔力を抑える? 貴様のような魔力反応の薄い女がか? どうせ、その下が醜いから外せないだけだろう!」

「……信じていただけませんか」

「信じるものか。証明してみせろ! 今ここで、その仮面を外して、その下の醜い顔を晒せ!」


 来た。

 逃げ道の封鎖だ。


「ここには多くの生徒や来賓がいらっしゃいます。ここで外すことは推奨できません」

「逃げるな! これは王命に等しい、次期国王としての命令だ!」

 ヴァルダス様は、勝ち誇った顔で言った。

「外せなければ、貴様を『王家への反逆罪』および『不敬罪』で投獄する。実家のベルンシュタイン伯爵家も取り潰しだ!」


 ……そこまで言うのなら。

 私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

 常に持ち歩いている、『緊急時免責同意書』だ。本来は、仮面の破損事故などに備えて持っているものだが。


「分かりました。では、殿下。ここにサインをお願いできますか?」

「なんだこれは」

「私が仮面を外した結果、いかなる事態が起きようとも、その全責任は命令したヴァルダス殿下にある……という誓約書です」

「はっ! こけおどしを!」

 ヴァルダス様は鼻で笑うと、私の手から羊皮紙をひったくり、さらさらとサインをした。

「これでいいだろう? さあ、早く外せ! その醜い化けの皮を剥いでやる!」


 誓約書が魔力を帯びて光り、契約が成立した。

 これで、もう誰も私を責められない。

 私は静かに、後頭部の留め金に手を回した。


「……オルトリンデ嬢」

 背後で、ジークハルト様が不安げに名を呼ぶ。

「ジークハルト様、目を閉じていてください。……絶対に、開けてはいけませんよ?」

「え?」

「皆様も、ご自身の責任でご覧ください」


 カチリ、と硬質な音が響く。

 会場が水を打ったように静まり返る。

 ヴァルダス様が、ミナ様が、そして遠巻きに見ていた貴族たちが、一斉に私の顔を凝視する。

 重い鉄の感触が、肌から離れていく。

 十数年ぶりに、夜会の空気が頬を撫でた。


 ガチャン――。


 鉄仮面が、床に落ちた。


 瞬間。

 世界が、反転した。


「――あ」


 誰かの、間の抜けた吐息が聞こえた。

 それが合図だった。


 ドサッ、ドサドサッ!


 周囲にいた近衛兵たちが、糸の切れた人形のように膝をついた。

 彼らの目は焦点が合わず、頬は紅潮し、口元からは涎が垂れている。

 いや、兵士だけではない。

 貴族の令息も、令嬢も、給仕の者たちまで。

 私を中心とした半径五十メートル以内の人間が、一斉に「酔った」ようになっていた。


「あ……ああ……」


 目の前のヴァルダス様が、ふらふらとよろめいた。

 先ほどまでの侮蔑の表情は消え失せ、そこにあるのは、底なしの渇望と、とろけるような恍惚。

 彼はミナ様を突き飛ばすと(彼女もまた、白目を剥いて床に倒れてピクピクしている)、這いつくばって私に手を伸ばしてきた。


「女神……! ああっ、女神よ……!」

「殿下?」

「美しい……! なんだその輝きは、その瞳は……! 欲しい、欲しい欲しい欲しい! 私のものだ、誰にもやらん、その足を舐めさせてくれぇぇぇ!!」


 ……汚い。

 私は一歩下がった。

 仮面を外した私の顔は、確かに「整っている」とは言われる。銀の髪に、紫紺の瞳。肌は病的なまでに白い。

 だが、今のこの惨状は、美醜の問題ではない。

 『強制魅了』だ。

 視覚情報を通じて、脳の報酬系を直接焼き切る、暴力的なまでの魔力干渉。

 耐性のない者が私を見れば、理性が蒸発し、本能だけの獣になる。


「オルトリンデ様ぁぁ! 結婚してくれぇぇ!」

「いや私だ! 私の全財産をあげる!」

「こっちを見て! ゴミを見るような目で私を見てぇぇ!」


 会場中から、ゾンビの群れのような悲鳴と愛の告白が押し寄せてくる。

 これが、私が恐れていた地獄だ。

 だから外したくなかったのに。

 誓約書があるとはいえ、どうやって収拾をつけようか。私が再び仮面をつけるまで、彼らは争い続けるだろう。

 落ちた仮面を拾おうと屈んだ、その時だった。


「――見るな」


 低い、怒気を孕んだ声と共に。

 視界が暗転した。

 暖かく、大きな手が、私の両目を覆っていた。

 そして、背中から分厚い胸板に抱きすくめられる。


「……ジークハルト様?」

「馬鹿者どもが。その穢れた視線を、彼女に向けるな」


 耳元で響く心臓の音は、少し早いが、力強い。

 彼の手の隙間から、わずかに周囲の様子が見えた。

 ジークハルト様は、私を片手で抱き寄せ、顔を自身の胸に埋めさせながら、もう一方の手で儀礼用の剣を抜き放ち、迫りくるヴァルダス様たちを牽制していた。


「ジークハルト! そこを退け! その方は私の婚約者だぞ!」

「たった今、ご自身で破棄されたはずですが」

「撤回する! 間違いだったんだ! ああ、オルトリンデ、愛している、愛しているんだ!」

「近寄るな」


 ゴォッ、とジークハルト様の体から青い闘気が立ち上る。

 物理的な圧力プレッシャーに、魅了された人々が吹き飛ばされる。


「彼女の警告を無視し、嘲笑い、傷つけた報いだ。……これ以上、彼女に近づく者は、王族だろうと斬り捨てる」


 それは、騎士としてはあるまじき発言だった。

 けれど、その声には一片の迷いもなく、ただ純粋な怒りと、私への独占欲だけが滲んでいた。


「ジークハルト様……平気、なのですか?」

 私の顔を、こんな至近距離で見て。

 彼は、私を隠すように抱きしめたまま、フッと短く笑った。


「平気なものか。……今すぐ、君をどこかへ連れ去って、二度と誰の目にも触れさせたくない衝動と戦っている」

「えっ」

「だが、俺は『鉄壁』だからな。理性を保つ訓練はできている。……それに」


 彼の手が、優しく私の髪を撫でた。


「仮面をつけていようがいまいが、俺にとって君は、最初から世界で一番愛しい女性だ。今さら顔が変わったくらいで、態度は変えん」


 ――ああ。

 胸の奥が、熱くなる。

 魅了の魔力ではない。これは、私自身の感情だ。

 誰もが私の「仮面」か「素顔(魔力)」しか見ない世界で、この人だけが、「私」を見ていてくれた。


「……騒がしいな。何事だ」


 そこへ、多数の近衛兵を引き連れて、国王陛下が現れた。

 陛下は、鼻眼鏡のような特殊な魔道具を装着している。あれがあれば、私の魅了をある程度無効化できる。


「父上! 父上、聞いてください! ジークハルトが私の婚約者を奪おうとしています!」

 ヴァルダス様が、涎を垂らしたまま陛下にすがりつく。

 その醜態を見て、陛下は深い、深い溜息をついた。


「……ヴァルダス。お前には失望した。あれほど、ベルンシュタイン嬢の仮面には触れるなと言い含めておいたものを」

「へ? 何を……それより、結婚の許可を! 今すぐ式を!」

「黙れ」

 陛下の冷ややかな声が落ちる。

「誓約書の内容は確認した。お前は自らの意思で、彼女の封印を解き、この混乱を招いた。その責任、取ってもらうぞ」


 陛下は、私とジークハルト様の方を向き、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すまなかった、オルトリンデ嬢。愚息が迷惑をかけた。……ジークハルト、彼女を頼む」

「ハッ! 命に代えても」

「うむ。ほとぼりが冷めるまで、別室へ避難させよ。……この場の収拾は、私がつける」


 ジークハルト様は、私を軽々と横抱きに抱え上げた。

 足が浮く。

 視界が揺れる。

 私は、彼の胸に顔を埋めたまま、遠ざかる会場を見つめた。

 そこには、まだ私を求めて手を伸ばす、哀れな元婚約者の姿があった。


        ◆


 王城の一室、貴賓用の控えの間。

 ジークハルト様は私をソファに降ろすと、すぐに厚手のカーテンを閉め切り、部屋の明かりを落とした。

 薄暗い部屋の中で、二人きり。


「……落ち着いたか?」

「は、はい。ありがとうございます」

「礼には及ばん。……それより」


 彼は私の隣に腰を下ろすと、じっと私の顔を覗き込んだ。

 その瞳は、熱を帯びているけれど、先ほどの会場の人々のような濁りはない。


「ずっと、その顔を見たかった」

「……失望、されませんでしたか?」

「まさか」

 彼は私の頬に触れ、親指で唇をなぞった。

 素肌に触れられるのは、何年ぶりだろう。


「美しい。……だが、それ以上に危険だ。俺以外の男に見せたことを、今さらながら嫉妬している」

「それは、不可抗力で……」

「分かっている。だから、これからは俺が守る」


 彼は懐から、真新しい仮面を取り出した。

 それは無骨な鉄ではなく、白い革とレースで作られた、繊細で美しいドミノマスクだった。

 目元だけを隠す、舞踏会用のようなデザイン。


「これは……?」

「職人に作らせていた。内側に魔力遮断の術式を編み込んである。あの鉄仮面より性能は上だし、何より……これなら、君の表情がよく見える」

「ジークハルト様……」

「外ではこれを着けてくれ。だが、俺と二人きりの時は……外してほしい」


 彼は私の手を取り、その指先に口づけを落とした。


「俺は、君の呪いごと引き受けるつもりだ。……オルトリンデ、俺と結婚してくれないか?」


 プロポーズ。

 魅了されたからではない。

 仮面の頃から私を見てくれていた彼からの、真実の言葉。

 私は涙が溢れるのを止められなかった。

 魔力のせいではなく、嬉しさで視界が滲む。


「……はい。私でよければ、謹んでお受けいたします」


 彼は満足そうに微笑むと、新しい仮面をテーブルに置き、私の後頭部に手を回した。

 そして、今度は遮るもののない私の唇に、深く、優しく口づけた。


 後日談だが、ヴァルダス様は廃嫡となり、北の修道院へ幽閉されたそうだ。

 今でも「女神に会わせろ」と譫言うわごとを言っているらしい。

 ミナ様や、あの日会場にいた貴族たちも、精神的な後遺症――「オルトリンデ様以外愛せない病」にかかり、社交界は大混乱に陥ったが、それはまた別の話。


 私は今、白い仮面の「麗しの公爵夫人」として、鉄壁の旦那様に過保護に愛されながら、幸せに暮らしている。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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