リツ&宮森の場合
その後なんとか成瀬は持ち直し、通常業務に戻ることができたが、相当無理をしていたようで小休憩の際にとうとう雪豹に変わってしまった。本人の意識はあるので暴れる訳ではなかったが、瀬尾も元の姿になって二匹で絡まっていたので、ジーンとリツは社長室に避難するしかなかった。社長室にはイチカがいて、猫耳の少女姿になって社長に撫でられていたが、ふと気付けば宮森の姿が消えていた。
「あれ?宮森さんは?」
リツが言うと社長はニヤニヤ笑いながら言った。
「第三会議室で逢引中…」
「あんなクールな見た目なのに、案外中身は暑苦しいタイプなんだな」
自分たちだって他人のことは言えない、とリツはさり気なく肩に回されたジーンの腕を見て思ったが、隣の悪魔は気にする素振りすらなかった。
「花咲さんの元聖女の力を我々は少し甘く見ていましたね。あの目は…使い方次第では武器にもなる…むしろマーキングしたのが宮森で良かったかもしれません。銀の枝と関わりのありそうな悪魔たちに奪われたら厄介なことになっていたかもしれません…」
「ってことは、ま、誠司の恋もプラスアルファの結果になって、こちらとしては良かったってことなのかな?」
社長の言葉に頷きながら、ジーンはリツの首元に顔を近付けてくる。払い除けようかとリツは一瞬迷ったが、その迷いのせいで動きを封じられ呆気なく首筋に牙を立てられていた。
「ちょっと…ジーン!」
(少し飲ませろ…リツの魔力が欲しい)
「フォスターくんは、暮林さんの血がお気に入りだねぇ」
「ソーシも飲むか?」
見ていたイチカが首を傾げて社長を見上げる。
「いいの?イチカ」
社長が嬉しそうに笑って唇を近付ける。イチカの方もまるで自分の飲み物を分け与えるかのように気楽だ。
「やっぱり好きな人の全てを味わいたいって思うからね」
「ちょっとヘンタイっぽい発言だよなぁ…」
言いながらもイチカは素直に首を噛ませて血を与えていた。リツの首を舐めたジーンの手から薄っすらと残っていた怪我の跡が消える。
「さて…獣二匹もそろそろ落ち着いた頃か?」
リツの血を飲みながらも気配を探っていたらしいジーンは低い声でつぶやいた。おもむろに立ち上がったジーンが社長室から出ると、宮森が戻ってくるところだった。会議室は時折社員の個人面談で使われることもあるので、誰かが使っていても違和感はないのだが、通り過ぎた宮森からは濃厚な花咲の気配が漂っていて、ジーンの後ろのリツは思わず宮森をちら見してしまった。
「…あまり魔力を注ぎすぎると、花咲のコントロールが利かなくなるから程々にした方がいい…」
ジーンに言われた宮森はやや慌てた表情になり、小さく一礼した。常務室のドアをノックしてからジーンが開けると、上半身裸の成瀬の肩と首の中間辺りを瀬尾が止血しているところだった。
「少し…深く噛みすぎてしまいました…」
何がどうなったらそんな状態になるのかとリツは思ったが口には出さずに、ジーンが止血を手伝うのを見ていた。それでも成瀬が慌てた様子はなく朝よりも落ち着いていることにリツはホッとする。
「すみません…この程度のことで動揺してしまって…」
シャツを着ながら成瀬が言うと、瀬尾は静かに微笑んだ。
「僕が見ているのはあなたの魂なんですから、以前纏っていた形に囚われ続ける必要はないんです…もっと自信を持って下さい」
瀬尾は成瀬の頬を優しく撫でる。出会って数日とは思えない親密さにリツの方が照れ臭くなった。
「そろそろ仕事に戻ります」
成瀬は立ち上がると一礼して常務室から出てゆく。見送った瀬尾は成瀬の姿が消えると途端に猫の姿になってしまった。
「やれやれ…こっちも随分と消耗しているな…」
ジーンはひょいと瀬尾を腕に抱き上げる。
「ストラスじゃないが、魔力の足しにはなるだろう」
(陛下の手を煩わせてしまい申し訳ございません…恭也のメンタルが不安定で…僕まで少し影響が…)
「所有した魂の強さによっては契約した我々も影響を受けるからな…」
瀬尾をしばらく撫でてからケージに戻すと、すやすやと眠っていた。リツでも相当消耗しているのが伝わってくる。通常業務に戻ってからは、各部の部長を交えての会議があった。宮森とリツは前半と後半との議事録を担当し、早めに会議が終わったこともあり、ジーンが経理部の部長を呼び止めた。
「いやいや、真田常務からフォスター常務に変わってからは会議の進行が早いね。その仕事の早いフォスター常務から、菊池部長に話があるようだよ」
社長の言葉に菊池経理部長はわずかに身構えた。
「ときに、経理部の秋村圭太さんですが…彼は部署の女性社員と仲が良いようですが…出過ぎた行いがあるようなので少々話をしておきたいと思いまして」
すでに宮森が内線で第一会議室に呼び出していたらしく程なくして秋村が現れた。秋村は経理部長もいることに、すぐに警戒した表情になる。彼は菊池部長に向かって、困ったような笑みを浮かべたが、菊池部長は表情を変えず、そのまま会議室の椅子に座った。そのまま聞き取り調査が始まった。ボイスレコーダーとリツの提出した写真を並べられた秋村は一瞬リツを忌々しげに睨み、嘘くさい笑みを浮かべた。
「ちょっと、ふざけただけじゃないですか。みんな大げさ過ぎなんですよ」
「おふざけにしては、もっと行き過ぎた案件もあったので呼び出した訳ですが…秋村さん、デートレイプドラッグをご存知ですか?」
低いジーンの声色に秋村は表情を強張らせる。菊池部長もその言葉に眉を動かした。
「一昨日経理部のとある社員から、翌朝目覚めたら見知らぬホテルの部屋にいて、乱暴された形跡があったとうちの暮林が相談を受けましてね。あなたが未成年の社員に無理矢理勧めたお酒を代わりに飲んだらその後の記憶を失った、と。そのことについて、何か弁明することはありますか?」
「えっ…?な、なんの話なのか…ちょっと意味が分かりません」
秋村は言いながらも急に瞬きの回数が多くなった。明らかに動揺している。実に分かりやすい。
「単刀直入に言いましょう、あなたは多田さんのお酒に何か薬を入れたのではありませんか?」
「な、そんなこと…ある訳ないじゃないですか」
リツの隣の宮森の気配が冷ややかになるのを感じてリツはゾクリとした。傍らを仰ぎ見ると宮森の射るような視線が秋村に注がれていた。
(宮森さん、落ち着いて!)
リツは心の中で話しかける。
(…噛み殺してやりたい気分ですよ…会議室が汚れるので今はやりませんが)
今はということは、いずれはそうするつもりがあるのかとリツは背筋が寒くなる。
「実は…念の為に被害に遭った方の尿中の薬物検査も行いました。すでに市販薬ではない薬の成分が検出されたと報告が上がってきています」
「そっ、そんなの本人の飲んでる薬かもしれないじゃないですか!睡眠薬なんて転生者なら服用してる奴だって多いし!」
ジーンはニコリと笑う。そうして秋村に告げた。
「私は、睡眠薬とも被害者が転生者だとも、そんなことはひと言も言っていませんよ?何故そうだと思ったんです?」
秋村は自身の失言に青ざめたがすでに遅かった。
「不同意性交等罪…あなたのやっていることは犯罪なんですよ。ちなみに被害者はDNA鑑定も厭わないと言っています。以前のように相手が沈黙したままではないことを覚えておいて下さい。あなたが犯した罪の証は全て揃っていると思った方がいい…」
これまで黙っていた社長がいつになく重々しく口を開いた。
「僕としても、君を庇い切ることは出来ない条件が出揃ってしまったからね、自首するつもりがあるのなら、弁護士を紹介するよ?僕が社員の君にしてあげられることは、そのくらいだ。少し考える時間をあげよう」
結果として、そのわずかな猶予の間に取った彼の行動がその後の命運を分けることとなったが、秋村はそれを理解できてはいなかった。秋村は浅はかにも逃亡を選択した。社長もジーンも追って拘束することは造作もなかったが、あえて追わずに見逃した。一度のみ与えられた貴重なチャンスを彼はみすみすと取り逃した。
「…自身の行いを顧みて反省するフリをする気すらない、そういうことだな」
「目配りが利かず申し訳ありません…私の前では気さくで明るい部下でした…」
菊池部長が深々と頭を下げる。
「いや、彼は言葉巧みに偽るのも上手かったね…一人部下が欠けてしまうがヘッドハンティングをしてくるから少し待ってくれるかな」
部長が去った後の会議室でジーンがあらぬ方向を見て微笑んだことに気付き、リツはある種の予感がしていた。
「使い魔が追跡しているから、どこに逃げても無駄だというのに…往生際の悪い…」
やはりそうかと思う。朝、ジーンがストラスとルイ相手に何か話していてルイがやけに乗り気な返事をしていたのも気になっていた。恐らく奴は逃亡するから、悪夢をお見舞いすることになるだろう、と聞こえたがこのことだったのかと、ようやく腑に落ちる。
「待てができて偉かったよ、誠司」
社長がリツの隣で沈黙している宮森に声をかける。宮森は張り詰めていた緊張をようやく解いて息を吐く。そうしておもむろにリツの頭の上に顎を乗せた。
「ちょっと…何してるんですか」
「すみません…少しだけ…このままでお願いします」
ジーンは物言いたげな表情でこちらを見たが、今回は大目に見るつもりなのか何も言わなかった。社長が笑う。
「やれやれ…使い魔の特権だね…。他の悪魔がそれをやったら彼に首を刎ねられても文句は言えないというのに」
「使い魔の特権って何なんですか?重いんですけど…」
「社長にではなくリツに今は借りを作ったので彼は後からそれを必ずリツに返さなければならない。今までも魔力を分け与えたりもしているからな。むしろ他の悪魔の使い魔への貸しが大きいとその分の見返りも大きくなる…だが、大きくし過ぎないうちに返さないとリツにはあまり欲がないから、厄介なことになるぞ?」
ジーンに言われた宮森はすっとリツから離れたが、今度はサラリと手を握ってきた。
「分かっています…でも心地良くてつい…申し訳ありません…」
「くっつくなら花咲さんとくっついていればいいでしょう?私だって困ります」
「それがねぇ…元聖女だけあって相性は良くても、まだ急にベタベタし過ぎると誠司には魔力が少しキツいみたいなんだよね。だから暮林さんで中和させてもらったんだ」
社長の言葉が理解できずリツはジーンに助けを求めた。
「元聖女の魔力に対抗できる程良い魔力を持っているのがリツなんだ。天使から堕天使になり悪魔に変わった…その変遷が我々悪魔にとっては正邪のエネルギーを緩やかに中和させる緩衝材のような役割を果たしている、そう言えば伝わるかな?」
「緩衝材…ですか。でもこんな姿誰かに見られたら誤解されますから、気を付けて下さいよ?」
「それは…もちろんです」
そう言いながらも宮森はリツの手を離さないどころか、少しうっとりとした目でリツを見つめてくる。無駄にその顔が整っているので心臓に悪い構図だとリツは目を逸らした。だが時計を見ていたジーンが表情を変えずに告げる。
「三分経ったぞ?もう終わりだ」
宮森は名残り惜しそうにそれでも手を離したが、リツの胸中は複雑だった。
(三分って、カップラーメンか何かみたいじゃない。分単位で魔力を与えて、しかも見返りが必要なんてかえって面倒なんだけど…)




