宮森&花咲の場合 3
社長は寝室のベッドでイチカの頭を撫でながらも、念の為にさり気なく宮森の気配を探っていた。
「どうした?」
イチカが腕の中から顔を上げる。猫耳がピクリと動いた。
「あぁ…ごめんね。ちょっと使い魔が暴走しないかチェックしてただけだよ」
社長はイチカを見つめて微笑んだ。最近猫の時間が少し長過ぎるせいだろう。獣と混ざっている。黒豹の話をしたせいか、今は猫の耳も黒かった。
「…まさか、待てを本当に実行できるなんてね。あの子も随分と人らしくなって感慨深いよ」
「…待て?いや、それこそペットの躾だろ?てことは、がっつかなかったってことか?ふーん」
イチカは感心したように言って再び社長の腕の中で目を閉じる。
「今はイチカの方が獣かもね…」
社長はイチカの猫耳を撫でる。太もも辺りに何かを感じて手を伸ばすとイチカの尻尾だった。パタパタと尻尾でリズミカルに社長の太ももを叩く。
「うーん、もっと何かこう、すごいのに変わろうと思ったんだけど、うまくいかないなぁ。イメージするのが難しい」
イチカは手を開いたり握ったりしながら目を開けた。
「人の姿を残しつつ部分的に取り入れる方がむしろ難しいと思うよ?これはこれで可愛いけどね」
イチカの猫耳に触れながら社長は言う。
「うわっ!」
イチカが声を上げて次の瞬間、全身黒い猫に変わってしまった。
「ほらほら、だから言ったでしょ。早く人に戻って。獣の時間が長いと思考回路も獣寄りになってしまうよ?」
社長の笑い声に、イチカは慌てて黒猫姿から元に戻って社長に抱きついた。
***
花咲はまだ薄暗い部屋で目を覚まし、一瞬どこにいるのか分からずに混乱した。また酔っ払ったかどうかして、見知らぬホテルにいるのではないかと思って慌てて起き上がる。
「…大丈夫ですよ」
優しい声がして美しい人が隣に横たわっている事実に花咲は動揺した。腰を抱いた腕が動いて指先が触れたのは魔法陣を描いた場所だった。都合の良い夢などではない。これは現実だ。魔法陣を辿られると今まで感じたこともないゾクゾクする感覚と、隣の相手が自分の魂を所有しているというその事実が、次第に納得のゆく形として身体に伝わってくるような気がした。
「まだ早いですよ…」
そのままベッドに引き込まれて口付けが始まる。いつもは魔力が足りなくてものすごく気怠いのに、むしろ魔力に満たされていた。
「もう、身体…大丈夫です…」
そこまで言って、これではまるで続きをねだっているようだと思い、花咲は顔を赤らめて目を逸らした。
「では、確認しますね…」
宮森の指に触れられる、それだけで花咲は緊張しつつも半ば期待している自分を意識せずにはいられなかった。
「どうやら…僕たちの魔力は相性が良いようですよ。傷の治りが早いです。本当ですね、きれいに治ってます」
宮森はなおも触れて花咲を快感に誘う。思わず花咲は仰け反って声を漏らしてしまった。自分の方が目の前の獣よりも堪え性がないと思いつつも宮森の与える快感には抗えなかった。
「今から魂も肉体も…僕のものにしていいですか?」
花咲が頷くと宮森は嬉しそうに微笑んだ。宮森は花咲を消費した男たちとは全く違って優しく花咲をリードした。ほんの一時期パートナーだった相手には素顔を見ると萎えると言われた。うつ伏せに押し付けられて乱暴に扱われた。
「楓の記憶に上書きしますよ…」
ほんの一瞬の考えを読まれたようで花咲はドキリとした。目の前の宮森の姿が揺らぐ。瞳の色が獣の緑に変わって、更に奥深くまで彼が入ってくるのが分かった。本当にその後は余計なことを考える余地はなくなった。お互いの良い場所がどこなのかを丁寧に探っては純粋に快楽を求め合った。やがて息を切らした花咲が尽き果てると宮森はその身体を抱きしめていたが、しばらくして立ち上がりベッドから出た。すぐに浴槽にお湯を溜める音が聞こえてくる。まるでホテルのように電話まであって、どこかに宮森が連絡をし始める。受話器を置いた宮森は言った。
「今日は部屋で朝食を食べたいとお願いしました。その…僕たちにとっては記念日でもあるので…人はそういうものを大事にすると…聞いたのですが、合っていますか?」
花咲は自信なさげに言う宮森に頷いた。
「今まで…実際には誰もそんなことを言ってくれたり気遣ってくれたこともないです。でも…私にとっては今日が特別で人生で一番の記念日です」
お湯が沸いて二人でお風呂にゆっくり浸かっている間にいつの間にか朝食が運ばれていた。急いで髪を乾かして、ワゴンに置かれた朝食を小さなテーブルに並べて向かい合って二人で食べた。
「何でも食べられるんですか?」
「えぇ。昔は苦手な物もありましたが、慣れました。長く人のフリをしていると、それなりに振る舞えるようになった、ただそれだけのことですが…でも好きな匂いは…やっぱりあるんです。こんなことを言うと気持ち悪いかもしれませんが、楓の匂いは…僕の本能を刺激する…」
「そ、そうなんですか?」
思わず自分の腕の匂いをかいだ花咲を見て宮森は笑った。こんな笑顔を会社で見たことがないと思って、その特権を手に入れた自分は幸運だと思った。
「…今はボディソープの香りですよ。それに恐らく人の嗅覚では感じない匂いなんだと思います…それに惹かれて…だから、人混みでもすぐに見つけられました。もう二度とあんなことはしないで下さいね」
花咲は頷いた。薄れゆく意識の中で宮森が絶望的な表情を浮かべていたのは、本当に花咲の身を案じていたからなのだと分かった。
「ごめんなさい。心配させてしまって」
「いえ…私の方が…短絡的な方法で楓のことを救おうとして…余計に傷付けてしまいました。申し訳ありません」
「でも…今、私は…幸せです。だから、過去がどうであっても、今に至る道のりだったのだと思えば…これからは前を向いて生きていけそうです…」
花咲は温かいパンを口に入れて噛みしめる。小麦の味が口に広がった。こんな風に好きな相手と共に朝を迎えて温かい朝食を食べているのが夢のようだった。たとえ、この幸せを与えてくれた相手が悪魔で獣なのだとしても、差し出された手を握ったことを後悔してはいなかった。それに前世で聖女だった彼女を絶望に突き落としたのは、世間からは崇められ讃えられる神官長だった。右も左も分からずに敷かれた道を歩いた先に至った道ではなく、今回は自分の意思での選択だ。花咲は目の前の美しい男性の姿をした獣に向かって微笑んだ。




