宮森&花咲の場合 2
花咲は朝から出遅れたこともあり、その後はものすごい集中力で仕事をこなし定時上がりを目指していた。が、思うようにはいかず、結局三十分残業をしてしまった。急いでデスク周りを片付ける。スマホを見ると、宮森から連絡が入っていた。
「お先に失礼します」
花咲はタイムカードを切って指定された地下の駐車場に向かおうとした。すると同じタイミングで常務とリツが現れ、少し遅れて後からケージを抱えた成瀬がバタバタと現れた。
「えっ…猫?」
ケージをちらりと見るとそれらしき姿が見える。何故会社に猫など連れてきているのかと思ったが、余計なことは言わずにおいた。しかも成瀬も一階では降りずに地下までエレベーターに乗っている。花咲は困った。
「心配しなくても今ここにいる者は皆、今日は私の家に泊まることになっている。気にするな」
「え…?」
花咲は訳が分からないまま駐車スペースに向かう。社長がひらひらと手を振っていた。
「お疲れさま。今日は僕が運転したい気分だから、宮森と一緒に後ろに乗っててよ。フォスターくんの家が広いから、今日はとりあえずそちらに行くよ。じゃないと危ないからね」
常務の車の後部座席に成瀬も乗り込むのが見えた。言われるがままに高級そうな社長の車に乗ると宮森も隣に座った。車が動き出すとガラスがスライドして後部座席と運転席が遮断されたのが分かった。宮森の手が伸びてきて、花咲の手を握る。それだけで口から心臓が飛び出そうなほどにバクバクした。
「…少し眠っていてもいいですよ?疲れているでしょう?」
宮森に言われて眠れそうにもなかったが花咲は頷いて目を閉じた。今朝からずっと夢の中にいるようだと花咲は思った。
***
到着した一区の大豪邸に花咲はあんぐりと口を開け、先に着いた様子の成瀬が慣れた様子でドアを開けるのをぼんやりと見ていた。おかえりと誰かの声がする。他にも人がいるようだ。
宮森に促されて車庫から室内に移動していると、いつの間にか背後に知らない美少女が立っていた。
「あ、ども」
美少女はペコリと頭を下げる。社長が親しげにその肩を抱いたことに花咲は仰天する。
「みんなには秘密にしておいてね。彼女はイチカ。今はパートナー契約しかできないけど二年後には結婚するよ」
社長に恋人がいた!?しかも二年後と言ったということは十六歳だ。常務も大概若い娘が好きなのだと思ったが、社長も同じ穴のムジナなのかと花咲はめまいがしそうになる。洗面所の横を通った花咲は更に目を疑う光景に出会した。成瀬の背後に見慣れない若い男性がいた。成瀬よりは歳上のその男性は背後から明らかに成瀬を抱きしめていた。
「…気持ちは分かるけど、ちょっと洗面所が使えないから避けてくれないかな?」
社長が苦笑する。
「す、すみません」
成瀬が慌てて謝って洗面所から出ると、彼もその後をすぐについてゆく。
「使ってない新しいコップなら後ろの棚に入ってるわ」
栗色の髪に薄桃色の瞳の外国人女性が突然、流暢な日本語で声を掛けてきた。
「なんだ?新入り?」
「ケビン、あんたは口挟まないの」
「ちぇ…でも同類じゃん。君、男だよね?何だか同じにおいがするなぁ…」
肩の辺りにまで伸びた少しクセのある黒髪、エメラルドのような瞳が妙に光っている。怖いくらい色気のある男性だったが、横から更に美少年が現れた。
「ホラ、余計なお喋りしてないで。ごめんなさい、失礼な奴で。僕との契約忘れたの?」
こちらは金髪に青い瞳をしていた。花咲は何が何だか分からないまま、宮森に新しいコップを渡されてうがいをする。手を洗って廊下に出ると、金髪の少年の肩を、先ほどの男性が親しげに抱いていた。
「いいじゃん別に減るもんでもないんだからさ」
「あっちこっち値踏みするんじゃないよ。それにきっとあの人は宮森さんと契約するんだから、とりあえずは僕で我慢してて」
「別に我慢はしてねぇけどさ。でもキスだけってマジ?生殺しじゃん」
「…この家から追い出されたいの?僕ももう少し力のコントロールが出来るようにならないと、ケビンのこと本当に殺しちゃうかもしれないよ?」
「コラ後ろが詰まってるだろ、さっさとリビングに入りな。食事の用意はできてるよ」
物騒な会話の途中で、また花咲の知らない大きな外国人が現れた。金髪に青い瞳のワイルドな男性はケビンの頭をワシワシと撫でる。ケビンは微妙な表情を浮かべたが逆らわなかった。その男性に少年が抱きついた。
「ルイも何だよ。そんなに甘えたいのか?」
「うん、まぁね。だって契約で縛られてみたら、ちょっとハマりそうで…」
「はぁぁ…やっぱり手段を誤ったかなぁ…」
広いテーブルには美味しそうな料理がたくさん並んでいて、バイキング形式になっていた。それぞれが食べたい料理を皿に盛って席につく。
「いただきます!」
やがて席に座った者が時計回りに自己紹介をしたが、花咲は覚えられる気がしなかった。だが成瀬の隣の瀬尾と、金髪の少年がルイ、ワイルドな男性がストラスだというのはなんとか把握した。それにしても外国人の比率が高い。それに皆美形だ。自分が場違いな気がして花咲は俯く。左手に宮森の手が触れて、耳元で囁かれた。
「花咲さんが疲れているようなので外してもよろしいでしょうか」
「三階手前の部屋は使用中だから、奥の部屋を使ってほしい。正面の一番奥は書斎だ。その右側のゲストルームは風呂もトイレも完備してある。何か必要なものがあればエストリエに聞けば分かる。今日は二人でゆっくり過ごすといい」
「あ、あの…ありがとうございます…」
花咲はやっとのことで言って頭を下げる。社長が小さく頷いた。宮森は花咲を支えて立ち上がった。三階の部屋に辿り着く前に花咲は泣き出してしまっていた。部屋に入ってベッドに座り宮森はそっと肩を抱く。不安と絶望。負の感情が入り乱れていることに、宮森は少なからずショックを受けた。
「何か…気に障りましたか?」
花咲は激しく首を横に振る。途切れ途切れに声が聞こえた。
「私…場違い…です…醜い…汚い…宮森さんに…ふさわしく…ないです…」
宮森は頭をそっと撫でた。社長がよくイチカにそうするので真似てみたが花咲は泣き止まない。
「ふさわしいとかそういうことは…正直なところ、僕にはよく分かりません。醜いという点については否定します。僕が見ているのは、花咲さんの魂そのものなので…僕はそれを美しいと思います」
花咲はようやくここに至って相手が魂と言ったことに違和感を覚えた。
「え…?た、魂?」
「はい。汚いということも…すみません…僕はそういう人間の感情には疎くて…言いましたよね?僕は悪魔で…獣なんです。花咲さんが見たら多分、黒豹に見えると思います。厳密には違うのですが…だからほぼ意識のない間に他の男に好き勝手されたからと言って、花咲さんが汚れているとは思いません。汚れているのは、それを行った者の方です。その魂は汚れています」
「えっ…あの…悪魔って…元悪魔の転生者ってことですか?それで…そのときの姿が黒豹だった…?」
花咲はやっとのことで宮森の言葉を花咲なりに理解しようとしたが、花咲は首を横に振って微笑んだ。
「元ではなく…今も悪魔です。前世の話などではなく…むしろ、この家に今いる者の中で、悪魔ではないのは、ケビンと花咲さんくらいです」
どうしてそこにケビンが出てくるのかと花咲は混乱する。確かあのエメラルドのような瞳の外国人だったか。
「ケビンは半吸血鬼…ダンピールの突然変異と本人は言っていますが、世間を騒がせた転生者殺害事件で誘拐された転生者を奪還するために、常務と暮林さんが突入した監禁現場から、色々と訳あってついてきてしまった居候です…」
宮森の言葉に花咲はあ然とした顔になった。
「常務と暮林さんが…?一般人が…何やってるんですか!?危ないじゃないですか」
「うちに出入りしてる警部が誘拐されて、そのまま殺害されるかもしれない、猶予のない案件だったんです。それに我々は一般人ではありません。悪魔ですから。魔力も桁違いですし…多少の怪我では死にません。あ、見ますか?社長も襲撃されたことがあって、戦ったら少々手こずってしまって…」
宮森はそう言うと突然スーツを脱ぎ出した。ぽかんとして見守る中、上半身裸になった宮森の身体には、まるで巨大な鉤爪のある生き物にでも襲われたかのような傷跡が肩から胸に向かって生々しく残っていた。塞がってはいるが確かにまだ新しい。
「…こんな…ひどい…痛くないんですか?」
花咲の言葉に宮森は微笑む。
「見た目ほど痛くはないですよ。それに怪我をしたのは本当ですが、この姿はある意味まやかしですから。人間に好かれる要素を取り入れて、こう見えるようになっているだけで…獣の姿の僕を見たら花咲さんは…正気でいられなくなるかもしれません」
「獣の姿…」
花咲はごくりとつばを飲む。氷の王子の本性が黒豹?心臓がバクバクしていた。
「見せて…下さい…」
目の前の相手の姿が揺らぐ。以前宮森は自力で戻るのは困難だったのに、もう難なく出来るようになっていた。この家にいるからでもある。漆黒の艷やかな毛並みの黒豹が花咲の前にいた。宝石のような緑の獣の目が花咲を見つめる。
「きれい…」
思わず花咲はつぶやいた。恐怖を凌駕する美しさに花咲は手を伸ばす。そっと頭に触れると滑らかな手触りだった。不意にザラリとした感触が指先に走り、花咲は舐められたのだと分かった。黒豹は音もなくベッドに飛び乗り、花咲を押し倒す。獣の顔が近付いて唇と唇が触れる頃にはその姿は再び秘書の宮森の姿に戻っていた。
「花咲さん…僕を…受け入れられますか?」
宮森に問われて、花咲は小さく頷いた。
「最初は…出来れば…人の姿から…初めてもらえると…黒豹だと…どんな風に抱かれたらいいのか…その…分からないので…」
花咲の言葉に宮森の方が驚いた。
「人間の花咲さんに獣の姿で襲いかかったりはしませんよ。でも…もし…花咲さんも悪魔になってくれるならお互い獣の姿でもそういうことが出来るようになります…でも今日は…これ以上はしません。まだ…花咲さんの身体の中には傷が残っていますから…少しずつ癒します…」
「我慢出来ないんじゃ…なかったんですか?」
花咲の言葉に宮森は小さく笑った。
「そこは…覚えてるんですか。えぇ、本当はそうですよ。でもあなたの痛そうな顔を見るのは辛いです…お互いに気持ち良さを分かち合いたいですから」
言葉通りに宮森は花咲の傷を癒すことに専念した。昼間は触れなかった深い部分の傷にも宮森は丁寧に触れた。口付けされながらそんな風に癒やされると、すでに抱かれているのかと勘違いしそうになる。傷をくまなく癒やした後で二人は一緒に入浴した。昼間のメイクも全て流れ落ちてしまったが、素顔の花咲を見ても宮森は変わらなかった。むしろ獣の方が人間の男よりも丁寧に優しく花咲に触れてくる。花咲を女の代替品として消費するのではなく、一人の人間として向き合ってくれることに花咲は生まれて初めて幸福を感じていた。
「まだどこか…痛いですか…?」
花咲の涙に気付いた宮森に問われて、花咲は微笑んだ。声が震えた。
「違います…嬉しくて…」
「そうですか。良かったです…僕は…会社で氷の王子とかあだ名をつけられているでしょう?それはある意味、当たっていると思っていました。人の感情の機微を僕はあまり理解しきれていません。日常的に人の真似をしてはいますが…どちらかと言えば本能に近い方が理解しやすいんです。あなたを抱きたい、貪りたい…そういう衝動の方が僕には分かりやすい…だから、この先もしかすると、花咲さんの複雑な感情を理解しきれなくて…悲しませるかもしれません…そのときは見捨てずに…理由を教えてもらえると…嬉しいです」
花咲は頷いた。普段の彼はどちらかと言えば寡黙だ。けれども今日の宮森は饒舌だった。言葉を丁寧に選びながら、花咲に素直な気持ちを伝えてくれる。
「花咲さん、名前で呼んでもいいですか?」
「…はい」
「楓…」
宮森の顔が近付いてきて静かに唇が重なる。ゆっくりと流れ込む魔力は、暮林リツとどこか似ていたが、そこまで濃くはなくサラリとしていた。
(暮林さんと…比べましたね…いくら魔力切れでも魔界の王妃と軽々しくキスしてはいけませんよ。ハグする程度でないと)
脳裏に宮森の声が響く。心を読まれて花咲は動揺した。
(魂にマーキングします。僕の印を受け入れて下さい。大丈夫、痛くないですから…)
何が起こっているのか理解しきれていなかったが口付けの間にそれは終わっていた。ただ下腹部にお湯よりも熱い何かを感じた。見下ろすと揺らめくお湯の間に何かが見えた。
「立ってみて下さい」
「あ…」
直径三センチほどの小さな魔法陣が浮き出て光っていた。
「僕の印です。これで楓の魂を繋ぎました」
宮森が微笑んでその印に指を這わせる。花咲は背筋が泡立つのを感じた。こうやって見るとテレビで図形化されていた事件の魔法陣が稚拙なものだと感じる。自分に刻まれたものはとても繊細で美しい印だった。
「これで…より近く…楓のことを感じられます」
宮森に抱きしめられて、彼が獣で悪魔だと分かっているにも関わらず、花咲は嬉しかった。花咲は悪魔の印を描かれた自分の身体が前よりもずっと好きになれそうだと思った。




