ジーン&社長の場合
一方、社長室ではジーンが社長に小言を言っている最中だった。曰く、宮森の言葉を疑いもせずに前日夜の記憶を見ないで消して欲しいと頼まれて、それを花咲楓に実行してしまったこと。それによって花咲が再び性被害に遭った件について、宮森にはきちんと責任を取らせるべきである、等々。猫のままのイチカがリツの隣にやってきて、するりと寄り添った。
(こわいなぁ。さすがは国王陛下じゃん。ソーシはちょっと適当なとこあるからなぁ…)
「あの、経理の多田さんが秋村さんに給湯室で脅されてました。一応報告しておきます。念の為にボイスレコーダーに音声を録音しました。あとは写真も撮りました」
「ほう、ボイスレコーダーが早速役立ったな」
ジーンが笑う。
「秋村は常習犯の可能性もありますね。社内の他の女性社員が被害に遭う前に手を打つべきだと思いますが、警察を挟むのも手間ですね。さて悪魔の社長は、どう解決しますか…?」
ジーンに言われて社長は肩をすくめた。
「どうと言われても悪魔的解決…警察の目もあるから、バラす訳にはいかないし…宮森なら喜んで引き受けそうだけど」
(バラす!?ソーシは案外短絡的だよなぁ。思ってても普通は言わないよ。物騒だな…)
「あぁ、そうだ。ルイくんは悪夢を操る練習をしているんじゃなかったかい?その練習台になってもらうのはどうかな?」
ニコニコしながら社長が思い出したように告げる。ルイに関してはストラスからたまに報告を受けてはいたが、まだ他人の夢で試したことはないのだった。
「なるほど、それは良いアイディアですね。社員が一人しばらく使い物にならなくなるかもしれませんが…関係者が皆共通の悪夢に苛まれるようにでもしましょうか」
ジーンは冷ややかな笑みを浮かべる。リツの隣でイチカの震える気配がした。リツはやや乱暴に掴んで出てきてしまった瀬尾のケージを振り返る。だが瀬尾はそんなことはお構いもなしにすやすやと眠っていた。いい身分だとリツは少々羨ましくなる。成瀬は果たして仕事になっているのだろうか。
「して、花咲はどうしますか?宮森が長期にわたって彼を望むのなら…彼も悪魔に変えるべきかと。伴侶持ちの使い魔は少ないですし、その辺りは社長の判断も必要になりますが…少なくともこの会社で公表すると彼の立場は危うくなりますよ?何だかんだで宮森は男女問わず社員を魅了していますからね」
「そうなんだよねぇ…まったく、宮森ももっとこちらの扱いやすい子を好きになればいいのに、よりによって花咲さんを選ぶとはね…元聖女なんて、僕はゾッとするよ」
(ソーシ!好きになった相手の前世が何だろうが、そんなことは気にしないと思ったのに、案外器が小さいんだな)
イチカに言われて社長は眉をピクリと上げた。
「…元聖女だと…何かまずいんですか?」
リツは首をひねる。ジーンはリツを見て微笑んだ。
「札付きの元聖女…聖女とは名ばかりのもので聖女時代も不幸だったようだな…別にまずいことは何もないよ。ただ、パートナーとなった際にどの程度前世の力を取り戻すか…あくまで個人差にもよるな。それで仮に宮森の方が不調をきたすようなら…強いては魔王である社長の力不足ということになる。要するに悪魔として恥をかく。それだけのことだ。現に私たちは不調どころか絶好調だからな」
ジーンの言葉にリツは素直に喜んでいいものか判断に悩む。
「それは…私が堕天使だったから…もう天使じゃなくなっていたから…じゃないの?」
「それを言うなら、花咲だって大差ないんだよ。聖女とは名ばかりの娼婦…ここまで言えば神官相手に彼女が何をさせられていたか…さすがにリツでも分かるだろう?」
リツは何とも言えない表情で口を閉ざす。そうだった。そもそも札付きと呼ばれるからには、名前から想像する世間一般的な意味合いからは逸脱した生き方となった為に、流刑になっているのだった。悪魔崇拝の聖職者、娼婦の聖女、天使殺しの罪を着せられた堕天使…。
(花咲さんが…自らを犠牲にして他者を助けるのって…もしかして、その聖女時代に植え付けられた考え方の影響…?)
リツはそこまで考えて鳥肌が立つ。それはあんまりだ。ただでさえ生きにくい世界で、そんな生き方を選択していたら精神が摩耗する。
「何度繰り返しても…魂に付随する本人の性質や性格は…あまり変わらないものなのかもしれないね。だってイチカはやっぱりリリスと考え方も似ていると思うよ?」
社長の手がリツの隣のイチカを抱き上げる。イチカはニャァと鳴いた。
「えっ?そんなに暮林さんの魔力が気持ちいいの?そんなこと言われたらパートナーの僕は落ち込んじゃうなぁ…」
社長はクスリと笑う。それでもイチカは社長の肩に乗って巻き付いた。社長は満足気な表情になる。
「そろそろ…宮森も戻ってくるかな?今日は悪いけれど、花咲さんも一緒に連れて帰るよ。放っておいて二人で夜の街に消えられても困るからね」
「分かっています…そもそも最初からそのつもりですよ。異世界の悪魔の件も含めて、まだ問題は山積みですからね…こちらの目の届かない場所で襲撃されても困ります…」
ジーンが頷くと内線が鳴った。社長が出てニコニコと笑いながら応じる。
「うん、はいはい。良かったね。もう頼まれたって記憶は消さないからね。ちゃんと責任取って君の伴侶にするんだよ?」
社長は受話器を置く。
「やれやれ…春はとっくに終わったのに、彼には遅い春がやってきたねぇ…」
肩の上のイチカがゴロゴロと喉を鳴らす。社長は目を細めてイチカの背中を撫でた。自覚はしている。宮森のことをどうこう言って茶化しているが、自分だって春真っ盛りなのだ。浮かれまいとしていてもどこか落ち着かず、すぐにでもイチカに触れたくなる。宮森も同じような気分を味わっているのだろうかと思った。
***
その後、瀬尾と魔力補給をするのに常務室を訪れようとしていた成瀬は常務室から出てきた宮森と花咲と廊下でかち合ってしまい、互いに気まずそうな顔になった。花咲は逃げるように去ってしまったが、宮森に近くで見下された成瀬は、その冷ややかな視線に恐怖のあまり思わず目を閉じて小声でやっとのことで告げた。
「なっ…何も見てません…誰にも…言いませんから…」
「いえ、もちろんその申し出はありがたいのですが、瀬尾さんなら今は社長室にいますよ。今戻るところなので、ご一緒にどうぞ」
「は、はぁ…」
気の抜けた成瀬は間抜けな声を出して、宮森と共に社長室に入った。
「あぁ、成瀬くん、彼ったらぐっすり眠っちゃってるよ。どれだけ吸い取ったの?君ったら…」
社長は面白そうに笑う。成瀬は目を泳がせた。瀬尾といると我を忘れてしまう。
「私たちはもうしばらくこっちにいるから、ケージを持って常務室で補給してくるといい」
ジーンに言われて、成瀬は一礼してケージをそっと持つと逃げるように社長室から出て行った。
「花咲さんと一緒のところを成瀬さんに見られてしまいました…」
宮森の言葉に社長は頷いた。
「ま、彼なら言わないでしょ。社内の友人も暮林さんくらいだし」
「え…!?私、友人枠なんですか?ただ少し喋っただけですよ?」
「…彼も気の毒に。唯一の頼れる先輩がこの始末…って、冗談だよ。でも冗談抜きに成瀬くんとまともに会話できてる社員は暮林さんくらい。後は電話を回すときとか、仕事を教えるときとか、本当に必要最低限の会話しかみんなしないんだよ。たまに食堂に顔出してあげなよ。じゃないとぼっちだからね?彼。僕らだって毎回絡みに行ける訳でもないし」
リツは困ってジーンの方を見上げた。ジーンは事もなげに言った。
「じゃあ、外に食べに行く時にでも声を掛けてやるとするか。今日もガブリエルのところで少々打ち合わせついでに食事を済ませる」
打ち合わせ、とは便宜上の言い訳で何だかんだ言いながらジーンはガブリエルの作る料理を気に入っているのだと知っているリツは複雑な気持ちになった。やはり胃袋を掴んだ者が勝つのだろうか。むしろジーンの料理に胃袋を掴まれているのはリツの方だ。それに食事はほぼ使い魔の黒木が用意しているので、たとえ料理ができたところで振る舞う機会もない。それは女としてどうなのか。否、性別は関係ない、人としてどうなのか、とリツか悩んでいるとは知らない社長の方はリツが友人の少ない後輩について思い悩んでいるものと思っていた。
「最近多いね、天使と君が仲良くする日が来るとは正直思ってなかったよ。僕も今度行ってみようかな」
社長の言葉にジーンは真面目な顔をして頷いた。
「彼が万が一失業した際には王宮の料理長に雇いたいくらいの腕前ですよ」
「料理長にするために天使を悪魔に変える気?それはさすがに横暴が過ぎるよ…」
やはりジーンはがっつりガブリエルに胃袋を掴まれている、と思い二人の会話を聞きながらリツはひっそりとため息をついた。




