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ジーン&リツの場合 3

 夜の七時半過ぎになってようやくジーンは帰路に着く。三柱冬真と接触を試みるも、それ以外の生徒が次々とやってきては、思春期にありがちな恋愛相談や、進路に関してなど、様々な悩みを打ち明けていくので、予想以上に忙しかった。転生者の生徒も一人怪我で訪れたので、さっさと魔力で治療すると驚かれた。


「前の先生は…魔力を使ってくれなかったので…」


 出し惜しみするのは、前任者が天使の転生者だからだ。パートナー契約の相手はいるようだが、記録を見る限り、それほどエネルギーは足りてはいないようだった。


「桜井先生には、パートナーはいらっしゃるんですか?」


 生徒の何かを期待する眼差しにジーンは柔らかな笑みを浮かべる。


「えぇ。いますよ」


 ジーンの言葉に一瞬ガッカリしたような表情をするのも可愛らしい。十五歳になるのを待ってすぐにパートナー契約を結ぶ者もいるから、エスカレーター式の中三ともなると、勉学よりもそちらの方が気になり出す年頃なのだろう。


「いいなぁ。僕も早くパートナーを見つけろって、家族がうるさくて。魔力回復薬って、なんであんなに高いんでしょうね。父の仕事が最近うまくいってないみたいで…少しでも余計な出費を減らしたいんですけど」


 少年の上目遣いのおねだりに、ジーンは笑いそうになったが我慢した。計算した角度なのだろうが、むしろ滑稽だ。とはいえ多少の恩を売っておくのも悪くはない。


「では少し持続性の高いものを。他言してはダメですよ?本来ならそう簡単には使えないんですから」


 ジーンは鍵の掛かった引き出しを開けてアンプルを取り出す。注射器を見て少年は再び落胆したような表情をした。僅かに口を開けてちろりと舌を出す。


「前の先生は…注射じゃなくて…経口接触してくれましたよ?」


 それはそれで大問題だ。元天使のくせに下衆が、とジーンは憤る。こういう大人が一定数いるから、この世界の腐敗は加速する。もっと呪いを上乗せすれば良かったか。


「…来て早々にクビにはなりたくないですからね」


 上腕に注射して、おまけ程度に頭を撫でる。それなりに整った顔立ちではあるが、それでも感情は全く動かない。当たり前だ。リツの魂の方が何千倍も魅力的で美しい。この魂は色もどこか澱んですでに輝きを失っている。少年が出て行った後にゴム手袋を捨てたが、それでも何となく不快になり手を入念に洗浄した。ストラスに見られたら、主は変に潔癖ですよねと苦笑されるところだが、自分の触れたいのはリツただ一人だった。


(リツ…)


 施錠して鍵を所定の位置に戻し、ジーンは首を横に振る。自分は少しどころか、かなりどうかしていると思った。たかが数時間離れただけで、もうそれが足りないと自覚する。運転しながらも早く会いたくて仕方なかった。



***



「おかえりなさい…うわっ!」


 帰宅するなり抱擁されて、リツは何事かと目を白黒させた。ジーンは差し込み時の外国人の姿に戻っている。一方のリツはまだ変身を解けていなかった。


「ジーン?」


 ようやく離れた相手は、シャツにデニム姿の少年をしげしげと眺めた。


「二十分後に食事の用意を」


 黒木に告げて、ジーンは洗面所の方へと消える。手を洗う水音が聞こえた。ジーンがネクタイを緩めながらこちらに戻ってきて、リツは何となく自分が狙われた獲物になったような気分になり、半ば本能的に後退りした。


「逃げるな。二十分だけ付き合え」


 腕を掴まれてそのままリビングのソファーに押し倒される。ジーンの全体重がかかって重い。


「変身が…うまく解けなくて」


 やっとのことで告げたが、そのまま唇が重なった。その唇が冷たいと感じて、ジーンの魔力がいつもよりも減っているのを体感する。


「冷えてる…大丈夫?」


 潰されたままリツが大きな背中に両腕を回すと再び口付けされた。繰り返すうちに次第にジーンの唇が温かさを取り戻す。


「大丈夫だ…と言いたいところだが、今日は側にいない君のことばかり…考えていた」


 顔を上げたジーンはリツを見下ろした。いつの間にか変身は解けている。痩せた十八のリツだ。


「ここ最近、君の魂ばかり見つめていたから…この世界はもう少し綺麗なものに満ちていると勘違いしていた…手に触れた花だと思ったものがネズミの死骸だった…くらいには落差があったな…」


「よく…分からない…。何かの比喩?」


 リツの困ったような顔を見下ろしてジーンは低く笑う。


「器を変えても魂の色はそう簡単には変わらない…そういう話だ」


 ようやく上から避けてジーンはリツの手を引いて起き上がらせる。近くに座って肩を抱いた。


「ま、要するに、端的に言えば子どもの相手に疲れて君のぬくもりが恋しくなった…そういうことなんだろうな」


 サラサラしたリツの髪に指を絡めてジーンはそのこめかみにも口付けをした。



***



 その日の夜、ジーンは眠ったリツの寝室から静かに出た。三時間ほど抱きしめてリツに魔力を補った。階下に降りるとストラスがまだ起きていた。


「顔色が良くないですよ…」


 ストラスは主の異変に気付く。ジーンは無言のまま乱暴にリビングの引き出しを開けた。アンプルと注射器を掴んで出す。


「…頼む」


 ジーンは億劫そうにストラスの隣にドサリと座った。ストラスは小さく嘆息した。


「その痩せ我慢を、いつまで続ける気ですか?腕に打つのは少し日を空けた方がいいですよ。足にしますか」


「どこでも…いい」


 ジーンは目を閉じている。ストラスはバスローブをめくって太ももに針を刺した。


「刺す場所がなくなったら、本当にリツさんに言いますよ?」


「止めてくれ…」


「だったら俺と寝ますか?それで万事解決だ」


「真顔で気色の悪いことを言うな…」


 ジーンが薄目を開いて睨む。ストラスは二本目を刺した。


「わりと本気で言ってますけどね。要はエネルギー効率の問題なんだから、最大限譲歩して、そのときだけ女になってあげますよ。それが嫌なら、さっさとリツさんを抱いて下さい。らしくないですよ…元々はその気だったじゃないですか」


 確かにそうだった、とジーンは振り返る。最初はいつでも簡単にできると思っていた。だが。


「リツは…キスすら…あの日が初めてだったんだ。ただでさえ…もう二度と天使には戻れない身体にしてしまったのに…それ以上は奪えなかった」


 ストラスは主の顔を二度見する。本当に同じ悪魔が口にする台詞なのかと少々呆れる。


「時間を巻き戻してやり直しても堕天使のままじゃ救えなかったんですから、仕方ないじゃないですか。悪魔にする選択をしてからも上手く行かなくて試行錯誤だった。早過ぎても遅過ぎても救えなくて何度やり直したかなんてもう数え切れないくらいだ。十分努力したと思いますよ?」


 反対の太ももに三本目を刺す。ジーンは沈黙したままだった。


「せっかくリツさんが生き残ったのに、主が倒れちゃそのまま共倒れになるんですから、いい加減腹を括って下さい。誰もが畏れる魔界の国王陛下が聞いて呆れますよ?」


「あぁ…そうガミガミ言うな…お前は年々母親みたいになるな…」


 ストラスは注射針を抜く。


「誰のせいでこうなったと思ってるんです?少しはマシな顔色になりましたね。あとは出勤前にしましょう。さっさと部屋に戻って仲良く添い寝でも何でもしてきて下さい」


 ストラスはそう言うとため息をつきながら、リビングからジーンを早々に追い出した。

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