リツ&花咲の場合
ルイが登校した後でストラスが首輪の話をすると、エストリエは思わず噴き出した。
「もう、いっそのこと、とことん付き合ってあげなさいよ。鎖に繋いで散歩させてみたらいいと思うわ」
ストラスはルイの陰にケビンを忍ばせて同行させた。万が一の為だ。ケビンはストラスの血の一滴で快く応じてくれた。まずは試しだ。半吸血鬼とはいえ急に飲んでかつてのエストリエのように発作を起こされては困る。突然変異というからには、それなりにこの世界でも生き抜く力を持っているとは思うが、ストラスは用心していた。ケビンは好条件に釣られやすい。要するに餌に釣られて簡単に裏切る可能性も視野に入れての判断だった。
一方で、ジーンとリツは窓ガラスで区切った後部座席から漂ってくる気配に食傷気味だった。成瀬と瀬尾は悪魔になりたての不安定さを補う為と久々のパートナーの存在に完全に浮かれていた。相性が良いと尚更そうなる。朝食も忘れて互いに夢中になっていた二人を引きずるようにして、ジーンとストラスが浴室に放り込んでいた。
「まったく…獣の本性が強いと手に負えないな…」
ジーンのつぶやきに、リツはふと気になったことを口に出した。
「去年社長が…記憶を改ざんしたのって…いったい誰なの?」
「なんだ?リツもそんな下世話な話に興味があったのか」
「いや、興味っていうか…まぁ…興味と言ってしまえばそれまでだけど、宮森さんが誰かに夢中になるところって、あんまり想像がつかなくて…」
「ま、別に言ったところで何が変わるわけでもないから言っておくが、社長の介入の気配が残っていたのは経理部の花咲楓だな」
「ええっ!?元聖女と!?」
リツは思わず声を上げてしまい慌てて口を押さえた。やはり聞かなければ良かったと思ったがすでに遅い。
「入社が遅れたと言っていたが…実際のところはインターン時代にでも…すでに宮森の手付きになっていたとでもいうところか…表向きは交通事故に巻き込まれたことになっているが…そうなると少々交通事故の辺りも怪しくなってくるな。まぁ、余計な勘繰りをしても誰も得のない話だ。むしろ宮森の尻拭いの為に社長は花咲を採用せざるを得なくなった可能性もある…」
リツは黙って話を聞いていたがわずかな違和感を覚えた。
「あれ…?でも社長って今朝はルイやケビンに話を振ってたよね?宮森さんってバイセクシャルなの?」
ジーンはフッと笑う。
「リツは変なところは鋭いのに、抜けてるところは抜けているんだな…花咲楓は確かに元聖女だが…女装家…と呼べばいいのかな。的確な表現は私にも難しいところだが、あれの中身は男だよ。少なくとも肉体はな」
「ええ!?うそ!分からなかった!」
リツは叫ぶ。
「以前の話の蒸し返しになるが、そこのところを踏まえて、自分に嫌われる要素はなかったか、よく考えてみることだな…私が好ましいと思う特徴がある種の人間にとっては、許し難いということもままある…」
「えっ…そもそも接点すらなかったのに…なんで?」
リツは花咲楓の姿を思い出してみた。三人の中でも特に花咲楓は入念に時間をかけて化粧をしていた印象がある。カラーコンタクトでも入れているのか黒目が大きくて睫毛も長く、遠目からでも人形のような人目を引く見た目をしている。要するに薬用リップ程度しか塗らないリツとは真逆だ。
「花咲さんは私とは真逆…化粧もきちんとしてて…とても女らしく着飾ってた…」
「そうだ。そこまでしなければ彼は自分の納得ゆく外見にはなれない。要するに作り込んだりせずに素のままでも美しいリツに彼は嫉妬したんだ。最初リツは自分の足元にも及ばないと高を括っていたんだろうな。だがここ最近のリツはどうだ?栄養不足から解放され魔力も満たされた。毎晩のように私が愛しているから当然だが、これからもどんどん美しく艷やかになる。恐らく嫉妬も右肩上がりだろうな」
「えぇ…私、少しゲッソリしてた方がいいってこと?」
「いや、社長はあぁ言ったが、記憶を改ざんしても身体に刻まれた感覚は意外と忘れられないものだったりもする…そのうち花咲本人が宮森に再び接触してくるかもしれない…戦い方は思い出しただろう?もしも攻撃されたら防御に徹しろ。聖女程度の力ならリツが攻撃すると殺しかねない」
「殺すって…そんな物騒なことしないよ…元聖女って言うからには…聖水でも使ってくるのかな?」
リツのつぶやきにジーンは楽しそうに笑った。
「かけるとしたら、せいぜい、この世界じゃバケツに入れた汚水程度だろうな。使い古された手だが、ダメージはそこそこ大きい」
リツは眉を寄せる。会社でびしょ濡れになるのは嫌だ。汚水だとすると嫌な臭いもありそうだ、と思う。
「トイレに入るときは…気をつけなくちゃ」
リツはブルリと震えた。
***
会社に到着したリツは常務室のポットにお湯を入れる為に給湯室へと向かった。すると聞き覚えのある声が誰かと話しているのが聞こえた。花咲楓と以前一緒にいた経理部の後輩、多田ひまりの声だった。念の為にジーンに最近持たされたボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「えっ?それは…どういう意味…」
「だからぁ…多田さん、花咲は多田さんの思ってるような奴じゃないんだよ。仲良しごっこも程々にしないと危ないよ?」
男性の声が聞こえる。声の高さからして同期の秋村だとリツは気付く。
「…ちょっと…止めて下さい!」
多田の焦った声に、ポットを片手にリツが足早に突入した。
「おはようございます」
リツは冷ややかに言いながら空いたスペースにどんとポットを置いて、多田の手首を掴んだ秋村を見る。
「嫌がってるよ?離したら?」
リツの顔を見た秋村は途端にギョッとした表情になり、慌てて多田から手を離す。通り過ぎざまにチッと舌打ちをして秋村は給湯室から出て行った。リツは素早く多田の赤くなった手首の写真を撮った。
「今回が初めて?続くようならコンプライアンス課に報告するけど」
リツの言葉に慌てて多田は首を横に振った。
「ダメです!それだと…花咲先輩にも迷惑が…今の話は聞かなかったことにして下さい!」
ハッとしたように多田はポットを掴んで、小走りに給湯室から出て行ってしまう。何か隠しているのは明らかだったが、それが何なのかはリツには分からなかった。熱湯を入れたポットを常務室にセットし化粧室に向かう。エストリエに貰ったのだが、使っていなかった口紅をポーチから出した。出したが塗る勇気もなくて眺めていると、大股に入って来た相手がリツに気付いて慌てて顔を逸らした。眼鏡をかけているので誰なのか一瞬分からなかったが、気配は花咲楓だ。寝坊でもしたのか珍しく化粧もしていない。
「おはよう」
リツが声を掛けると花咲は諦めたようにため息をついた。顔色も悪い。二日酔いなのか酒の匂いがした。
「おはよう…見ないで。酷い顔してるから」
「何かあったの?それには…ひょっとして…同期の多田が関わってる?」
リツを素早く振り返った花咲は怖い顔でリツを睨む。さすがに至近距離でカラーコンタクトなしの素顔だと男性だと分かる。それでも整った顔立ちだ。見下ろされたリツは彼が酷く傷付いているのを感じた。魔力もほぼない。
「医務室で休んだ方がいいよ。体調悪そう。仕事が溜まってるの?魔力を補充する?」
「暮林さんって…お人好しが服着て歩いてるの?何言ってるのか意味分かってる?」
言いながらも、花咲の顔色は更に悪くなり、何が起こったのか分からない間に、リツはトイレの個室に連れ込まれていた。
「…クソっ…ムカつくっ…!」
悪態と共に唇に何かがぶつかった。それでようやく花咲にキスされている事実に気付きリツは慌てた。だがすぐに形勢は逆転した。花咲はキスした途端に身体に物凄い量の魔力が流れ込むのを感じ、一気に魔力過多に陥った。
「…っ!何だよっ…これっ!熱い…」
花咲は慌てて唇を離したがすでに遅かった。
「花咲さん!」
青かった顔色が急に赤くなり花咲は呼吸を荒げた。慌ててリツは施錠された個室のドアを開ける。花咲に肩を掴まれて振り払おうとしたが、すごい力で握られた。その間に花咲は鼻血まで出始める。リツは魔力を吸い取ろうとしたが焦りのせいか、うまくいかない。
「リツ!?」
入口の方からジーンの声が聞こえて、リツは思わず叫んだ。
「ジーン!花咲さんを助けて!!」




