リツ&ストラスまたはジーンの場合
リツはやけに大きくなる鼓動を意識しながらジーンとルイの消えた部屋のドアを見つめていた。周りの音が全て消えてしまったかのようだった。ドクドクと心臓だけがうるさいほどに鳴っている。ストラスは片手で顔を覆っている。動かない。
「…行って…お願い…」
どのくらい時間が経ったのか、リツはやっとのことで掠れた声を出した。ストラスはようやくそこで隣で目を見開いたまま固く手を握りしめているリツに気付く。青褪めた顔。大きく見開いたままの瞳。そうして握りしめたその掌から一滴の血が滴るのを彼は確かに見た。
「お願い…早く行って!」
リツの切羽詰まった声にストラスはとうとう動いた。リツに対する罪悪感が最終的に彼を突き動かした。ストラスは寝室のドアを蹴破る勢いで開けて中に飛び込む。後先の事は全く考えていなかった。
「三分半か…お前にしては早かったな」
ジーンはちらりと時計に目を向ける。上半身裸のままのルイをベッドに寝かせて、小さな子に寝物語でも聞かせるかのように寄り添いながらも、彼はその身体に淫靡な手付きで指先を這わせていた。
「で?飛び込んで来たからには悪魔に変えた責任を持つということでいいのか?」
「え…っ…それは…その…」
ストラスは思わず目を泳がせる。ジーンはルイを愛撫しながら呆れたように大袈裟なため息をついた。
「この期に及んでまだ、腹を括れもしないのか?」
ジーンはそう言って不意に姿を変えた。そこにはストラスがもう一人いた。
「どうせ抱かれるならこの姿の方がルイも安心するだろう?どうだ?気に入ったか?」
ルイはストラスそのものの顔で見下ろすジーンに一瞬見惚れ、そうしてドアの前で戸惑いの表情を浮かべたまま立ち尽くすストラス本人の顔を見た。そこにストラスがいなければ気付けないくらいの再現度合いだ。ストラスが二人いる。自信ありげな方となさげな方と。
「あぁ…もう、止めて下さいよ。完全に俺の負けです」
立っているストラスは眉を下げ、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。あぁこれがストラスの表情だ、とルイは思った。
「ルイ…悪かった。すみません…しばらくルイと二人きりにしてもらえませんか」
ストラスは真面目な顔になると静かにそう告げた。ジーンはくしゃっとルイの髪を撫でて立ち上がる。通り過ぎる際にストラスの肩をポンと叩いて足早に部屋を出ていった。ドアを閉める際にチラリと振り返ると歩み寄ったストラスがルイを抱きしめているのが見えた。ようやく腹を括ったようだった。リツのときにはさっさと抱けとうるさかったのに、自分のこととなると途端にこの始末だ。だがそれがストラスだ。
ドアの外の廊下には、先ほどまでストラスがいた場所にリツが蹲って猫のように丸くなっていた。だが、どこか様子がおかしい。ジーンはハッとしてリツの肩に触れる。焦点の合わない目がようやくジーンを捉える。血の匂いがした。
「何をやってるんだ…!」
ジーンは慌ててリツの固く握った手を開く。いつもよりも鋭利に伸びた爪が掌に刺さって床に血溜まりを作っていた。
「あれ…?なんで…」
リツは自分の手を見ておかしそうに小さく笑った。気付いてもいなかった様子だった。
「ケビンの力…なの?爪が変になっちゃった…」
ジーンはいたたまれなくなってリツを抱きしめた。そのままジーンはリツの掌の傷に口付ける。舌を這わせて深い傷を塞いだ。
「…力のコントロールが…できなくなっちゃった…こんなんじゃ…魔界の…国王陛下の…妻失格だね…」
リツは力なく笑う。ジーンは首を横に振った。
「いや…そんなことはない。リツにだって嫌なことを拒む権利はあるんだ…ストラスを動かすためとはいえ…配慮が足りなかった…すまない」
ジーンはそのままリツを抱き上げた。大人しくリツはジーンの胸に頬を寄せる。この腕がルイを抱くのだと思ったら急に不安が押し寄せてどうにもならなくなった。そうしてその感情を必死で否定しようとしたのに、それは水に落ちた墨のように黒い靄となりどんどん広がっていった。広がり出すとそれは溢れたように止まらなかった。醜い感情だと思った。ルイを大切だと思いながらもジーンをそんな形で共有したくないと思ってしまった。エストリエはそれを許容できるのだろうか。それとも自分のような感情に苛まれながらも許すのだろうか。だとしたら心が痛い、そう思った。そうしてそんな風に思う権利すら自分にはないとも思った。
「私…器が小さいんだなって…実感した…」
ジーンに抱きしめられたまま、リツは小声で呟いた。
「この先…いつか…こういうことが起こらないとも限らないのに…」
ジーンは少し考えてから口を開いた。
「まず…こんなことは滅多に起こらないから、もう心配はするな。ここ最近は魂の契約を結ぶことが多かったから、今回のようなことが起こったが…どちらかと言えばイレギュラーなんだ」
「え…?そう…なの?」
ジーンはリツの頬に口付けをする。ルイから吸い取った魔力が予想以上にリツを満たしていた。これで更にジーンの魔力を流すとリツが魔力過多に陥ってしまう。二人の寝室に入るとジーンはベッドにリツを静かに横たえた。そうして自分も隣に横になり、背中に腕を回した。
「元々この世界に来たのは、リツの魂を探すためと、ついでに幾つか堕天使の魂を回収する目的だった。見つけた他の転生者たちは儀式ですぐに元の悪魔に戻したが、リツとルイは少々事情が違った…」
ジーンがリツの頭を撫でると額がその胸に押し付けられた。ジーンは少し抱きしめる腕に力を込める。魔力は流さないように注意を払う。
「契約時のリツは元堕天使だったし、ルイも元炎の精霊だ。悪魔とは訳が違う。リツの魂と肉体を私は全て受け取ったが、ストラスは魂のみを所有し肉体の受け取りを保留にしてしまった。妻であるエストリエに義理立てした、ということにしておくが…本来、悪魔でない者を魔界に連れてゆくには、魂と肉体全てを受け取らねばならない。だが、まだ魔界には帰らぬから、その状態でもそこまで大きな問題にはならなかったはずだった…」
「じゃあ…どうして今になって…?」
「ルイが…他の悪魔たちと悪魔になったはずの自分との違いに気付いてしまったからだな。ストラスは…最初の儀式でエストリエを殺してしまうところだったんだ。肉体の受け取りの際に…あの頃はストラスも若かったから本能のままにエストリエを抱いて血塗れにしてしまった。私が途中で介入して、なんとかなったが…それでもエストリエの身体には一生消えない傷跡が残った。ストラスはあれがトラウマになったんだろうな。儀式でルイにも同じことをしてしまうのではないかと怯えているんだ」
「…そう…だったんだ…私…本当に自分のことしか考えてなくて…嫌になるよ…。二人は…大丈夫?」
ジーンはわずかに気配を探る。ストラスは昂ぶってはいるが昔のように暴走する気配は感じられなかった。むしろルイ相手に幾分か緊張してもいた。
「大丈夫だ。これでちゃんとルイのことも繋ぎ止められる。儀式は…悪魔にとっては仕事の一つなんだ。こう言ってしまうとまた誤解を招きそうだが。だから今回のことはエストリエも納得している。リツの抱く感情とエストリエのそれとはまた違うんだ。そのことを伝えたかった」
「そう…なの…私は…悪魔としても…まだまだ未熟なんだね…」
ジーンはリツの頭を撫でて笑った。そうして彼はアルシエルの姿に戻る。
「当然だろう?なってから何日経過した?百年でも若造扱いなんだ。たかだか数日で相手が誰を抱こうがお構いなしの境地になられても、それはさすがの私だって戸惑うぞ?それにこう見えて、そこまでのことをしてでも悪魔に変えて魔界に連れて行きたいと感じる相手に出逢うのは稀なことなんだ。あぁ、ちなみに使い魔にする方が契約は楽だ。血を与えて縛る。大概はこれでどうにでもなる。最初はその程度でもいいと思っていたんだ。だが、ストラスにとっては違った。もちろんルイにとってもだ」
「それは…愛なの?」
「そうだな…最初ストラスはルイの生い立ちに同情したのかと思っていたが…それだけではなかったようだ。我々悪魔は…愛する相手が必ずしも一人とは限らない。ま、私が言ってもあまり信憑性はないかもしれないが」
「アルシエルが…私以外の誰かも愛するようになるときには…私も悪魔として成長しているはずだから…受け入れられるようになっているかもしれないし…」
言いながらもリツは、それは何百年後のことだろうと、想像すらつかなくなる。今はリツ一人を見つめるアルシエルの瞳が他の誰かを映して同じように微笑むのかと思ったら心がざわついた。
「そんな日は来ないぞ…五百五十年、執念深くお前を探し続けた私の執着をそう簡単に他所に移すことなど出来ると思っているのか?」
背中を撫でていたアルシエルの手が不意に下着の中にまで入り込んできて、リツは息を飲んだ。
「…まったく…こんなに魔力で満たされていては抱くことも出来ないからな。少し発散させるしかないな…」
「ちょっ…何っ…あ!」
アルシエルの指先にリツは思わず声を上げる。あっという間に身体が熱くなり、リツは彼の与える刺激に飲み込まれ一気に溺れた。
「いい声だ…」
耳元で悪魔が囁いた。




