五十嵐警部&井上巡査の場合
夕方のニュースで転生者連続殺人事件の犯人逮捕の速報が流れている。患者には評判の良い総合病院勤務の医師が逮捕されたとあってマスコミは騒がしかった。逮捕された医師もまた転生者で、彼は孤独な転生者の魂を救うために儀式を行ったと述べている、とニュースキャスターが深刻な表情で告げていた。五十嵐警部は病院のベッドで見るともなしにニュースを眺めていたが、ふと気配を感じて振り返った。
面会禁止になっているはずなのに、ジーン・フォスターとリツが立っていた。樋口巡査部長と交替した井上巡査はどこに行ったのか、いつの間にか姿が見えなくなっていた。それにしても悪魔というものはどこにでも気軽に現れるものなのかと思ったら、相手がフッと低く笑った。
(警部は今、夢を見ているんですよ…)
(そうか…夢…か…)
何故か五十嵐警部は納得してしまった。
(ま、この夢を悪夢にするのも快夢にするのも全てこちらの匙加減ですけどね)
夢と言っただけあって彼はどこからともなく取り出した椅子に座る。傍らのリツも同じようにして椅子を取り出すのを、五十嵐警部はぼんやりと見ていた。
(何か聞きたいことがあったのではないですか?あの場では面と向かってお話する時間もありませんでしたからね…)
彼はそういうと突然中空から取り出した瑞々しいマスカットを差し出してきた。
(どうぞ。夢の中ですから食べても何の問題もありませんよ?それとも悪魔の誘惑は…リンゴの方が良かったですか…?)
彼はそう言って一粒房から外して口に含む。五十嵐警部も手に取って食べた。驚くべきことに甘く爽やかな香りが広がった。差し出されるままに数粒食べる。旨い。
(…十七夜月の奴が…俺が前世で余計なことをしたから悪魔が知性を得るきっかけを失ったと言ったんだが…それは本当なのか…?)
五十嵐警部が訊ねると、彼は微笑んだ。
(それは嘘です、と言ったらあなたは安堵するのでしょうね。ですが実際は半分が嘘で半分は本当です。魔王の腹に赤子がいたのは事実ですが、それは神の使者との間にできた子どもではありません…ごく一般的な人間の男性と魔王との間にできた子ども…あなたが殺したのは十七夜月聖也、本人です…)
(は…あいつが…魔王の腹の中にいた…だと?)
(えぇ。彼は次の魔王として君臨するはずでした。彼が君臨した後の世界は、悪魔が人間を飼い慣らし交配させることで人の知性を吸収し、お粗末な脳みそのレベルを上げる…せいぜい、その程度が関の山でしょうね。魔王を経験しない者は得てして魔王になりたがるのですよ…)
(じゃあ俺の後継者が作った組織が…異世界の悪魔も憎んで暴走してるってのは…?)
(そういった組織も存在することは把握しています。現に社長が襲撃されましたから。けれどもそれがあなたの後継者かどうかはまでは特定は出来ません。それに悪魔と手を組んだ悪魔狩りの組織というものが存在するとしたら実に気味が悪い。構成員の中には悪魔並の力を持つ者も存在しているんですよ。社長の襲撃が私怨なのかどうかも現段階では判断がつかない状況でして。出来る限りあなた方の手を煩わせずに解決したいのですが…)
(は?社長が襲撃されただと!?)
(えぇ。最初は単に銀の枝の構成員なのかと思っていたのですが、少々きな臭くなってきまして。けれどもこれはこちらの問題ですので、手出しはしないで下さい。一介の人間が対処できる相手ではありませんから…)
それまで静かに座っていたリツが不意に立ち上がる。彼は面白そうに笑った。
(警部にはこれがリツに見えているんですか?天使の彼女に叱られますよ?最も安全なものに見えるように、私の使い魔の一人に術を施しただけなのですが…)
リツは不意ににやぁと鳴いて猫の姿に変わると五十嵐警部のベッドに入り込んできた。
(こらっ!おいっ…!?)
けれども猫は五十嵐警部の胸の上に乗ると丸くなって目を閉じてしまう。
(我々と関わっているのが向こうにも筒抜けのようなので、念の為につけておきます。せっかく助けたのに病院で死体になられては困りますからね。あぁ、これはあなたの望む姿に変えられますよ。夢の中でまで真面目な警部さんは美女とお楽しみに耽るという選択肢も浮上しないのは実に興味深いです…無害な猫になってしまいましたからね…)
胸の上の猫はちらりと目を開け、警部の方に顔を近付けてきた。覗き込んでペロリと鼻の頭を舐める。一瞬その顔が金髪の美女に見えて警部はゾッとする。
(猫でいいっ!絶対に人にはなるな!!)
警部の慌てた声に悪魔は楽しそうに笑うとマスカットを近くのテーブルに置いて立ち上がった。
(危険が去ったとこちらが判断するまではつけておきます。ケビンよりはまともですから安心して下さい。あぁ、天使が留守の間にのみ活動しますのでご心配なく)
片手を上げて悪魔は去ってゆく。五十嵐警部はそこで目が覚めた。テレビのニュースは火災現場の様子を報じていた。
「夢か…」
胸の上にはもちろん猫も乗ってはいない。どこかホッとして首を巡らすと井上巡査がジュースを飲んでいた。パッケージにはマスカットとリンゴの絵が見えた。甘い匂いが漂っている。夢のマスカットはこのせいかと思った。お陰で妙な夢を見た。
「先輩…寝ながら難しい顔してましたよ…?」
「あ…あぁ…ちょっと夢を見ただけだ…」
再び自分の胸元の包帯に目をやった五十嵐警部はハッとした。そこには確かに寝る前にはなかったはずの猫の足跡がついていた。
(ニヤァ)
五十嵐警部の頭の隅で猫の鳴き声が聞こえた気がした。
(単なる夢じゃなかったのか?)
「先輩、大丈夫っすか?」
井上巡査がそんな五十嵐警部を心配そうな顔で見たが、彼は難しい顔のまま押し黙ってしまった。こうなるとしばらく話さなくなるのを分かっている井上巡査は、仕方なくそっとしておくことに決めた。




