ジーン&樋口巡査部長の場合
ジーンの運転する車が駐車場に入るとセラヴィ株式会社の駐車スペースに見慣れない車が一台停まっていた。後から来た社長が車から降りてきて、おや、という様子で首を傾げる。
「この車は…?」
リツは倒された運転席にブランケットを被って眠っている様子の相手に気付く。社長が窓ガラスを叩いたが反応はなかった。
「まずいな、魔力切れを起こしているのかもしれない」
幸いなことに鍵はかかっておらず、運転席のドアが開く。不用心とも思ったが魔力切れ寸前に本人が開けたのかもしれなかった。書きかけのメモがダッシュボードの上にある。
「五十嵐警部行…?ダメだ、その後の文字は判別不可能だな。部下なのか?おい、聞こえるか?ダメだな魔力切れで気絶している。会社まで運ぼう」
ジーンはブランケットごと相手を担ぎ上げる。
「荷物用のエレベーターを使おう。通勤ラッシュの時間帯にそれじゃ悪目立ちし過ぎる」
社長が言って駐車場の奥の方へと案内する。瀬尾のゲージを抱えた成瀬が不審そうな顔をするのが分かった。
「あれ…?どこかで見たような…」
荷物用のエレベーターが到着して乗り込んだ後で成瀬は声を上げた。
「あ!この人、警視庁の転生者対策本部の刑事さんですよ!昨日取り調べのときに怒って乱入してきて…他の人に取り押さえられてどこかに連れて行かれちゃったんですけど…でも結局その後、もっと偉そうな人から謝罪されて、僕を取り調べてた刑事さんはめちゃくちゃ不服そうな顔してましたけどね」
「君も昨日は本当に災難だったね…」
言いながら社長は別の鍵を取り出して、普段はあまり使わない荷物搬入口を解錠した。正面から入ると目立ちすぎる。そのまま人気のないオフィスの備品庫を通り抜けて、遠回りで常務室まで向かった。
「やぁ!おはよう」
突然現れた社長に先に到着していた女性社員は驚いたようだったが、社長は言った。
「うちのお嬢さんを連れてきてしまったよ。みんな猫は好きかな?」
(おいっ!ソーシ!やってくれたな!)
結局イチカが客寄せパンダならぬ社員寄せ猫と化している間にジーンはさっさとブランケットに包んだ相手を運び込み、成瀬も常務室に瀬尾のゲージを押し込んで、素知らぬフリでタイムカードを押しに行った。リツはふうっと息を吐いて常務室に鍵をかける。ジーンは相手の警察手帳と小さなポーチを開いて中身を確認していた。
「どこかに魔力量に関する記載がなかったか…は?巡査部長なのか?」
ジーンは呆れたように相手を二度見して脈を取る。担いだときに触れ合ったせいか、最初の頼りない状態からは少し脱していた。
「リツ、ちょっと来い。私がやると差し障りがあるからな…」
そのときになってようやくリツは私服の相手が女性なのだということに気付いた。リツもパンツスーツを好むが、彼女に至っては女性らしさをあえて隠しているようにしか見えなかった。パーカーにダボダボのティーシャツそして太めのズボン。全てがオーバーサイズ気味で、スタイルの良さをこれでもかと隠している。
「少しハグでもしておけ。キスしてやりたかったら止めはしないぞ?」
リツは白い相手の額に手を当てた。美しい人だと思った。ゆっくりと魔力を流す。しばらくしてまぶたが震えて目が開いた。
「…天使…?」
リツを見つめて彼女はそんなことを言った。美しい顔にそんなことを囁かれたリツは思わず赤くなってしまった。
「樋口巡査部長、ここはセラヴィ株式会社の常務室です。あなたは駐車場の車の中で気を失っていたので、取り急ぎ応急処置をしました」
ジーンの言葉に、彼女は慌てて起き上がろうとしたが、まだ魔力が足りていなかったらしく、ゆっくりと、やっとのことで身体を動かした。
「あっ…うちの五十嵐に…天使と悪魔の饗宴の情報を与えたのはあなたですか?」
ジーンは首を横に振る。
「それは恐らく社長の方でしょう。私は昨日五十嵐警部に釘を刺されたので一日大人しくきちんと会社の仕事をしていましたよ。社長もです」
「五十嵐が…行方不明なんです…体調が悪いから休むって言うんで見舞いに行ったら、部屋はもぬけの殻でした…って、何で私非番なのにここに来てるんですかね。何かあったらここに行けって確かに言われたことはあるんですけど…」
「ところで素数集めについては…そちらでは話題に上がっているのでしょうか?民間人が事件に口を挟むのもどうかと思ったのですが…非番の樋口さんと今は単なる世間話ということでお聞きしました」
ジーンはお茶の横にガラスの小皿に乗せたチョコレートを置いた。
「まだ足りていないでしょう。どうぞ」
樋口巡査部長はハッとしたようにジーンの顔を見たが反射的にチョコレートに手を伸ばしていた。
「必要でしたら神木も呼びますので」
リツは樋口巡査部長の隣に寄り添って座る。
「あの…魔力を補います。生き物の方が、チョコレートの魔力よりも持続性が高いので…」
リツの言葉に樋口巡査部長は思わず笑ってしまった。何だか放っておけない、と五十嵐警部が言っていたのを不意に思い出す。その言葉に柄にもなく胸がチクリとした自分も。
「生き物って…お嬢さんは面白いですね。あぁ、あなたが暮林さんでしたか。ということはあなたが、噂のフォスター氏…なるほど。うちの五十嵐も裸足で逃げ出したくなるほどのオーラですね。助けていただいてありがとうございます」
樋口巡査部長は頭を下げた。ジーンは手近なタブレットにペンで何かを書き始めた。
「最初の犠牲者は三十七区の小口二三。その次が十九区で見つかった沢田四一、そして昨日は七区の東五染音…七区の彼は芸能活動もしていたので世間は騒然としていたようですが、私はニュースを見ていて数の方が気になりました」
「…その点については、すでに話題に出ているようです…といっても捜査本部から転対はお呼びじゃないということで、キレたイガさんが突っ走っちゃって行方が分からないというのが現状ですけど…」
「失礼ですが五十嵐警部のフルネームは?」
「え?五十嵐計一ですけど…計測の計に数の一…」
ジーンはピクリと眉を上げた。リツは急に悪寒がした。
「…五十嵐警部が転生者だという情報は…?」
言いながらもジーンはものすごい勢いでパソコンを操作し始める。
「彼は…自分のことは全く話してくれません…ですが…私の占いの結果では彼も無希望転生者と出ました」
「…占い?前世は占い師か何かなんですか?」
リツは首を傾げたがジーンは厳しい顔のまま、樋口巡査部長の返答を待たずに画面の向こうの相手と話し始めた。
「時空管理官の権限を最大限行使して五十三区内の廃ビルまたはトラック内に監禁されている者がいないか調べてほしい。五十三区にいなければ十一区で別の犠牲者が出る可能性もあるが…今から捜索対象のデータを送る」
何を根拠にそこに絞ったのかリツは不審そうに画面を見る。画面の向こうにはエストリエとストラスがいて、エストリエの口元がピクピクと痙攣しているのが見て取れた。
(うわー!無茶振りされて怒りたいけど怒れないって顔してる)
「はぁ!随分といかついおじさんじゃない!放っといても元気に帰ってきそうな屈強な見た目だけど、この人が大人しく監禁されてるんですか?」
「可能性は五分五分だな…もっと別の適正者が見つかれば交換している可能性もあるが…要するに前世で何らかの殺人を犯していて、名前に素数が含まれていると上位に浮上するのではないかというのが私の仮説だ…」
ジーンの言葉にリツと樋口はハッとしたように目を見開いた。
「計の字って…言と十に見えなくもない…それに一がつくと十一…素数…」
「転生者は元々生まれた年月日の数字と季節なんかを組み合わせて受理した職員が適当に名付ける場合がほとんどだから…」
ちなみにリツは十二月二十四日生まれだ。何から連想したのか。クリスマスツリー。ツリーを見ていてそれをひっくり返してリツになったらしい。ジーンが調べていたら記録が出てきたと言っていた。季節感も何もあったものではない。クリスマスイブなのに仕事に明け暮れてツリーでもひっくり返したいような荒んだ心境だったのだろうか。それでも名前としての体を保っているからまだいい。
「我が君のお願いだから、どんな無茶でも私の捜索能力を今から解放するけれど、こんな広範囲に向けてやったら二、三日は寝込んじゃうわ…まさか明日も通しでやれなんて言わないですよね?」
「そのときはストラスに最大限補ってもらってほしい。ストラスなら二、三日使い物にならなくなっても許す」
「はぁ!?俺の扱い雑じゃないですか?ん?あれ、この刑事さん俺のことつけてた人ですよ。ちょっと待って下さいよ。あの時は確か…」
送られたデータを見たストラスが素頓狂な声を上げた。
「もうっ、やっぱり勝手に尾行なんかして…しかもバレてるし」
ストラスの言葉に樋口巡査部長は額を押さえる。余計なことに首を突っ込んで自ら墓穴を掘っている。
「俺が寄ったあのスーパーの位置的には五十三区を重点的に探した方が良さそうですね。気配はよく覚えてるんで探れます。エストリエと半々で引き受けますよ」
「そうか。急いで頼む。場所を確認でき次第、連絡を」
「…あの…フォスターさんっていったい何者なんですか?」
樋口巡査部長の言葉にジーンは笑うだけで答えなかった。そのまま流されるかと思ったが彼は口を開いた。
「ま、気紛れな異世界旅行者とでも。見聞を広げるためと同胞を探すために、ここに立ち寄ったに過ぎません。そうしたら色々と手伝う羽目になって、新婚旅行にも行けずに困っているというところです。で?五十嵐警部が見つかったらどうしますか?応援を呼ぶ時間の余裕はないかもしれない。突入するなら手伝いますが、我々は途中で消えるのでお仲間が到着したら一人でやったことにしてほしいんです。あまり目立つとマズいので」
「イガさん…ったく。死に急ぐのは止めてほしいって言ってるのに毎回毎回!」
樋口巡査部長は顔を覆う。先に逝ってしまった仲間の顔を不意に思い出した。悪い予感がする。ジーンはおもむろにリツを手招いた。
「身を守る話をしていて訓練に付き合うと言っていたが、急に実地訓練になりそうだ。危険を伴うから先に強制的に思い出させる。感覚さえ思い出せば、あとはどうにでもなるだろう」
ジーンはリツの腰を抱いて口付けを始めた。人前で何を考えているのかと思った途端に膨大な量の記憶が流れ込んできた。思考回路が焼き切れそうなほどに頭が熱くなる。だが徐々に記憶と共に戦闘時の身体の動かし方をリツは思い出し始めた。瞬間移動の仕方も。むしろ何故今の今まで思い出せなかったのか不思議にすら思った。ジーンの胸に手を当ててリツは渾身の力で振り払う。
「やめて!もう、思い出したから!」
細身のリツの力で跳ね除けられて思わずよろけたジーンは低く笑った。面白い。身体はリツでもやはり魂はフィランジェルだとジーンは思った。
「そうだ、その調子だ。殺られそうになったらやりかえせ。むこうにいるのは異世界の悪魔たちだ。我々の同胞ではない」
「…悪魔?あなたたちは悪魔の転生者なんですか?」
樋口巡査部長の言葉にジーンは微笑む。再び彼はリツに近付くと彼女の腰を抱いた。蠱惑的な笑みを浮かべ彼は囁いた。
「誰が転生者だと言いましたか?向こうについている悪魔もどこぞの世界の現役だし、我々も…今は現役ですよ?言っておきますが、断じて向こうとは知り合いではありません。あんな野蛮な奴らが私の配下の者だと思われるのは実に不愉快なので」
現役の悪魔、というフレーズを初めて耳にした樋口巡査部長は困惑して目の前の相手を見上げた。配下?だとすると彼は上の身分の者なのか。
「今の間に猫の餌やりを成瀬くんに頼むとするか。特別に本日は常務室への出入りを許可しよう」
ジーンはデスクから予備のカードキーを出して内線を鳴らす。程なくして緊張した面持ちの成瀬が現れた。
「我々はもう少ししたら外出するから、留守の間は頼むよ」
言いながらジーンは鞄の中に魔力回復薬など必要そうなものを素早く詰める。明らかな医療器具も見えた。
「五十三区付近まで車を出します」
樋口巡査部長の言葉にジーンは笑った。
「私の方が先に到着する抜け道を知っています。行くぞリツ」
タブレットを片手にリツは立ち上がる。樋口巡査部長の方にリツは空いている方の手を差し出した。
「では、行きましょう」




