ジーン&リツの場合 40
滞在人数が増えたことでジーンはいつの間にか洗面所とトイレ、それに風呂も増改築していた。登校と出勤前の混雑を避ける為である。魔力が上がるとこういったことも自由自在なのかとリツは感心した。冬は底冷えするかつての住居のトイレを不意に思い出す。天と地の差だ。お陰で皆がそれぞれ余裕を持って準備を終えることができた。
黒木の隣にはお揃いの格好をした小さなシャイタンがいて、テキパキと動いて黒木の手伝いをしていた。シャイタンはストラスを見ると一瞬怯えた表情を見せたが、すれ違いざまにストラスに頭を撫でられて、驚いたように長身の相手を見上げた。
「随分と可愛らしくなったじゃねーか。それに虫歯は昨日全部引っこ抜いたから歯もきれいに生え替わったな」
唇の端を持ち上げてストラスはシャイタンの歯をくまなくチェックする。
「特に牙はちゃんと磨けよ。牙が虫歯の悪魔なんて格好悪いだろ」
「さすがですね。拷問と見せかけて全ては治療の一環だったとは」
黒木が苦笑する。たまたま口を開けたら虫歯が気になった、それだけだったのだが。図体はでかいくせに麻酔をするだけでも泣き喚いて手を焼いた。
「ねぇ、ストラス!僕の治療済の歯も今度引っこ抜いてよ!綺麗な歯にしたい」
早速聞きつけたルイがネクタイを締めながら笑う。
「それをやるなら歯医者の記録も改ざんしなきゃなんねーだろ。通院記録の抹消だな」
ルイを見たシャイタンは、驚いたように目を見開き、途端にぽーっとしたような顔付きになった。
「お兄さん、とってもきれいだね」
「うん?そう?ありがとう」
ルイはシャイタンの少しクセのある黒髪を優しく撫でる。
「君の方がかわいいよ。じゃ、行ってくるね」
ルイに可愛いと言われたシャイタンは顔を赤らめてルイを見送る。黒木はフフッと笑った。
「おやおや、シャイタン、ルイが気になりますか?」
シャイタンは黒木を見上げてこくりと頷く。思わぬきっかけで恋は始まるものだ。シャイタンの赤く染まった頬を見て黒木は苦笑した。
(果たして歳上好きのルイがシャイタンと恋に落ちる可能性やいかに…ま、いずれにしても若いというのはいいものですねぇ)
***
瀬尾は清葉学園に体調不良で欠席する旨を連絡し、変身してするりと猫用のゲージに入った。イチカもすでにゲージに入って準備万端だ。その様子を見た成瀬が猫のイチカを見てギョッとしたような表情になった。
「えっ…!?昨日のって…猫じゃ…なかったんですか!?」
「あぁ、うん。そうだよ。僕の恋人だから、実はモフらせてとか猫吸いさせてとか言われたら困るなぁと思ってたんだよねぇ」
社長はおっとりと笑ったが、ゲージの中のイチカからは剣呑な気配が漂ってきたので、成瀬は慌てて頭を下げた。
「すみませんでした…」
(いや、むしろ悪いのは安請け合いするソーシの方だからな)
頭の中に声が響く。不思議な感覚だと思った。
(おや、雌猫の方が好きなんですか?困りますねぇ)
頭の中に今度は瀬尾の声が響く。
「そ、そんなことはっ…!」
一人赤くなったり青くなったりしている成瀬の近くを通りかかったリツが言った。
「成瀬くん、それだと独り言を言ってる風に見えちゃうから、頭の中で返事して。ちゃんとそれで相手には伝わるよ」
「あ…」
見るとリツは心なしか寝不足の顔をしていた。昨夜は常務とお楽しみだったのだろうか?と思ったら、リツに軽く睨まれた。
(成瀬くん、私の顔を見ながら考え事しないで。心の声がだだ漏れだから。それに成瀬くんだって明らかに寝不足な顔してるよ?なのに魔力はこれでもかってくらい満たされてて身体だけ元気な感じ…要するに二人の相性が良かったってことなんだね)
(暮林先輩っ!!)
成瀬は心の中で叫びそうになった。そのとき常務がやってきて彼女の肩を抱いてこめかみに口付けをした。
(口に出すとまずそうな内容は相手の目を見て心で強く思うといい。その様子だと午前中キスする程度でも魔力は保ちそうだな。十時半に常務室の瀬尾に会いにくるといい)
「えっ?常務室で…ですか?」
思わず口に出した成瀬に向かってジーンは呆れたように言った。
「二人きりにならないとキスもできないのか?瀬尾が猫のままなら別に問題もないだろう。それとも何か?猫を抱えてトイレの個室にでも籠るつもりだったのか?」
「ジーン、そろそろ出発時間。成瀬くんも、ジーンの挑発に乗ってないで早く!今乗るべきなのは車の方だから!」
「やれやれ嫁を怒らせてしまったな。ま、やり方は君たちの好きに任せる。どうしても二人きりになりたいのなら社長室にでも避難するとしよう」
意地の悪い笑みを浮かべてジーンは車庫に繋がる階段を降りた。宮森が少々興味深そうに成瀬の方を見ているのが分かった。
「同じ猫科の雄だとやっぱり気になるものなんですか?」
リツが宮森を振り返る。宮森は苦笑した。
「まぁ…そうですね。これで雌だったら押し倒してるところですよ…暮林さんが豹に変身したらどんな風になるんでしょうね?って…常務!そんな怖い顔しないで下さいよ!」
「社長…この尻の軽そうな使い魔を海に沈めてきてもいいですか?リツにマーキングしそうな距離で擦り寄るのを止めないと去勢するぞ」
冗談には聞こえない声色でジーンが告げたので、宮森は慌てて後退った。
「宮森くん…暮林さんには絡まない方がいいよ?分かってるでしょ?常務は怒らせない方がいいんだから」
社長が後部座席にゲージを入れながらため息をつく。ニャアと同意するようにイチカも声を上げた。
「分かってますよ。ちょっと見てみたいなと思っただけですよ。別に手を出そうだなんて思う訳ないじゃないですか!」
「さて、どうだか…」
別の車に乗り込みながらジーンは冷ややかな視線を送る。後部座席に乗り込む成瀬が、宮森を見て苦笑するのが分かった。宮森の運転する車がやがてシャッターの開いた車庫から出る。その後ろにジーンの運転する車が続く。後部座席でゲージの扉を開けた成瀬が瀬尾に擦り寄られているのが見えた。
「やれやれ、少し二人きりにしておいてやろう」
後部座席の間にあるガラスをスライドさせてジーンは色を変えた。前後の空間が遮断される。
「ま、これで私たちが何をしても向こうに知られることもないな」
「でも私たちは隣の車線の人には丸見えでしょ!」
リツが慌てて言うとジーンは笑った。
「ふぅん?じゃあ要するに隣に見えなきゃいいんだな?」
運悪く赤信号で車は止まる。ジーンは不意に顔を近づけて片手をさっと振った。周りの景色に靄がかかったようになり見えなくなった隙にジーンはリツの唇を奪っていった。程なくして周囲の景色が戻り、信号が青に変わる。
「なっ…何!?」
「周りには私たちがただ車に乗っているようにしか見えないようにした。キスする前の光景を外に向けて固定しておいて、その間にキスをした。車内でキスする度にリツに嫌な顔をされたくはないからな」
涼しい顔で運転する相手の横顔にリツは恨みがましい視線を送る。
「なんだ?それとも、見られていた方が良かったのか?それはそれで興奮するからまた違った意味でいいが」
「もうっ!ジーン!見られたい訳ないでしょ!」
リツは叫んだ。からかい甲斐のある相手だと楽しんでいるジーンの様子が伝わってきて、リツは余計に腹を立てた。遠目には会社のビルが見えてきていた。




