ジーン&成瀬の場合 3
やがて本日の業務は終了し襲撃される可能性も考慮した社長も再びジーンの家に戻ることになった。イチカはゲージの中で大人しくしていたが、成瀬も家に来ると聞いた社長はイチカをどのタイミングで元の姿に戻すか悩んでしまった。
「まぁ…いいか。なるようにしかならないし。先に帰宅していた体で、別の部屋から出てきてもらうかなぁ…」
社長の言葉に秘書の宮森は仏頂面のまま後部座席を振り返る。
「どうやらもう一人他にも悪魔がいるようですよ?先ほどストラスさんから連絡が入ってました。オセ…だったかと」
「なに?オセが!?うわぁ。久し振りだなぁ」
何やら嬉しそうに社長は笑い声を立てた。
一方で社長と秘書も泊まると聞いた成瀬は今度こそ不審そうな表情になった。ジーンは隠す気も失ったらしく、答える。
「社長も悪魔だし宮森はその使い魔だ。長年行方不明だったのを偶然発見した際に、私が悪魔に戻した」
そうだったのか、とリツは納得する。社長も宮森も悪魔に戻ったのはわりと最近の話なのだと、ようやく今まで感じていた違和感が消えた。お互いにぼんやりした状態を脱却するのに、なんと長い時間を費やしたのかと思った。
「ついでに言うと社長が先に魔界に君臨していた王だ。行方不明になったせいで私は玉座に座る羽目になった。だから本来ならば君が敬うべき相手は神木蒼士その人という訳だな」
後部座席に座った成瀬は納得したようなしないような判然としない表情をしていた。助手席に座ったリツは久々にスマホを見てストラスからの連絡を見落としていたことに気付いた。
「ジーン、滞在者が増えてた。オセだって」
「あぁ、向こうも今日は慌ただしかったようだな。オセが死ななくて良かったよ。せっかくマーキングしたのに転生サイクルに入られると、探すのが手間になる」
「そのときは時間を巻き戻すんじゃないの?」
リツの言葉にジーンはいや、と首を振った。
「通常はやらないな。リツのときは国王としての権限を最大限行使しただけだ。ストラスが同じ権限を使えるのは私の命に関わったときのみだ」
「え…そう…だったんだ」
リツは思わず照れて俯いた。ジーンは運転しながら片手でさらりとリツの頭を撫でた。後部座席に成瀬がいるのに、と思うと素直に喜べない。やがて自宅に到着する。すぐに社長の乗る車も敷地内に入り門が閉まった。その瞬間に外部からの侵入を拒む魔力が周囲に張り巡らされたのをリツは感じた。
「ただいまー」
いつも通りに家に入るとルイが駆け寄ってきてハグをしてきた。
「リツ!おかえり!」
しばらくくっついていたルイは成瀬に気付いてようやくリツから離れる。
「あ、こんばんは。お客さん?今日は随分と色んな人が来るね」
そのときいかにもサッパリした風呂上がりといった様子のストラスが二階から降りてきた。
「おかえりなさい」
ストラスはジーンの横にやってくると小声で何かを囁いた。ジーンは低く笑って頷いたが、何の話かリツには聞き取れなかった。
「それで?君が成瀬くん?今日は大変だったね。お疲れさま。まぁ、ここは安全だからゆっくり休むといいよ」
ストラスは笑ってリビングの方へと向かう。
「みなさま、おかえりなさいませ。夕飯の準備はできていますので」
一階の洗面所は混み合いそうだと思い、リツは二階に上がる。その際に社長からさりげなくゲージを受け取った。ゲージから出すと、猫はイチカの姿に戻って伸びをした。
「うにゃーって、なんだよ。にゃーじゃねぇ。なんなんだよ。日本語忘れそうだ」
イチカは思わず口から出た自分の言葉に慌てたようだった。リツは言った。
「あまり長時間猫の姿でいると、そっちの習性に引っ張られちゃうみたい」
「こっわ。とりあえず人に戻れて安心したわ。あの会社にはホントにゴキブリもいなくて良かったよ。で?これから食事なんだよな?腹減ったよ」
二人は二階で手洗いうがいを済ませてリビングに戻ろうとしたが、リツは階段を上ってきたジーンに進路を塞がれ、そのまま再び拉致された。
「イチカは先に食べているといい」
ジーンに告げられたイチカは察したのか了解っス、と軽い口調でけれどもやけにビシッと敬礼し、階段を降りてゆく。ジーンは壁際にリツを押しやると、深い口付けをしてきた。リツの欲望を刺激するかのように舌が絡まる。
「…車中では出来なかったからな…今日はお預けが多過ぎる」
言いながら再び唇が重なる。リツも自ら腕を伸ばしてジーンの背中に手を回した。しばらく互いの温もりを感じながら唇を重ねると、身体のどこかで感じていた飢えにも似た欲望が満たされるのが分かった。悪魔のチョコレートの名残だろうか。
「ジーン…」
「なんだ?」
「なんでもない…ただ…呼びたかった…だけ」
リツが首を振るとようやくジーンは身体を離す。手を握ったまま彼は言った。
「このまま食べてしまいたいくらいだが…ひとまずは食事にしよう」
「もうっ…」
リツはいつの間にか外されていたブラウスのボタンを留め直す。まったく油断ならない。
階下に移動すると、これまでは無駄に広いと思っていたダイニングテーブルもむしろ狭いくらいになっていた。社長が二人の姿に気付いてニヤニヤ笑う。
「なんだ、もっとゆっくりしてくるかと思ったら、予想が外れたね」
社長の隣に座ったイチカを一体誰なのかと不審そうな目で見ているのは成瀬だった。成瀬に関してはルイの存在も、そしてストラスとエストリエの関係にも悩んでいる様子が手に取るように分かる。ストラスの子どもにしてはルイは大きいが、あり得ないほどでもない。だがエストリエを母親と見做すのは論外だ。一方の瀬尾の方は社長とその秘書、イチカの関係性が掴めないままルイの隣で黙々と食事をしていた。
「いただきます!」
リツとジーンが両手を合わせ食事を始める。妙にいつものリラックスした空気とは別の緊張した空気が漂っていると思った。しばらくは黙々と皆が食べていたが、ジーンがようやく口を開いた。
「今日は大変な目に遭った者もいると思うが、まずはここに集まったことの意味は深く考えずに寛いでほしい。知らない者同士も同じ食卓を囲んでいることだし、簡単に紹介しよう。リツは私の妻だから皆も知っていると思うが、こちらはシトラスとその妻のエリーゼ、私のビジネスパートナーだ」
シトラスと呼ばれたストラスはやや不服そう眉を上げたが苦笑して、どうも、と言った。
「それから、彼はルイ、シトラスとエリーゼの養子だ」
ルイもにこりと笑う。ジーンは社長の方を見た。
「あぁ、僕は彼が働く会社の社長をやっている、神木だよ。隣は僕の秘書。そして反対に座っているのは僕とパートナー契約を結んでいるイチカだよ」
社長はイチカの頭を撫でる。豚汁を飲んでいたイチカは照れ隠しなのか、その手を払った。
「…人前で止めろよっ!」
「なんで?可愛いから撫でたくなるんだよ。別にいいじゃない」
社長は笑う。そうして成瀬の顔を見て笑った。
「成瀬くん、そんなに驚いた顔をしてどうしたの?イチカが若いから?まぁ、そうだよね。まだ十六歳だから結婚は出来なかったんだ。あぁ、彼は成瀬恭也くん。最近僕の会社に入った新人くんだよ」
「どっ…どうも…本日はお世話になります…」
言いながらも成瀬の頭の中では、すでに社長びいきの数名の女性社員の顔が浮かんでいた。契約しているパートナーがいると知っただけで、とんでもない騒ぎになるか、ショックのあまり欠勤する者も続出するのではないかと思った。そしていまだに常務狙いの者もいる。つい最近も暮林さんにはもったいない、などと給湯室で話している声を聞いた。元聖女だか何だか知らないが、自分のことはやはり客観視できないのだなと思って通り過ぎた。自己評価の高いのは結構だが、少なくとも常務があの社員に鞍替えする確率は限りなくゼロに等しい。今日見ただけで、常務の方がベタ惚れなのだということを成瀬は嫌というほど理解した。他人にベタ惚れの相手などは略奪しようなどと無駄な努力はせず、早々に諦めるに限る。
「あぁ、彼はとある私立学園の事務員で瀬尾くん。今日は五区の事件に巻き込まれそうになっていたので、部下が連れてきた。大変だったな」
ジーンがオセを紹介する。何故事件に巻き込まれそうになった彼を一般市民が保護しているのかも理解不能だったが、成瀬は深く考えるべきではないと判断した。それに彼の気配も何やら不思議だった。というよりも、ここに集まっている者、皆の気配がすでにおかしかった。元聖職者の勘ともいうべきものをここで働かせても意味がないのは分かり切っていたが、この場で元札付き転生者として座っている自分がものすごく場違いな存在のように思えて仕方なかった。成瀬は落ち着かなかった。
「成瀬くん、そんなにそわそわしないで。別に君を取って食う訳じゃないんだから」
社長は美味しそうにハンバーグを食べている。皆の食べているものがバラバラだということに、ようやく成瀬は気付いて驚愕した。そういえば自分は中華が好きなどとは、一言も話していないのに目の前には大好物のエビチリが置かれている。エビを箸でつまんだまま、成瀬は果たしてこれは本当にエビチリなのかを疑い始めた。
「成瀬くん、別に変なものは入ってないよ?それに黒木さんの料理はとても美味しいからね」
社長がニコニコと笑う。その言葉に影のようにひっそりと控えていた執事が微笑んだ。
「これほどまでに悪魔が一堂に会している場に足を踏み入れたのは初めてだろう。何、彼は元聖職者だが考え方は比較的我々寄りだ。天界よりは魔界に憧れる魂…この中に彼の魂を欲する者があれば名乗り出ても良い。契約を交わす交わさないも自由だ。無論本人の意思を捻じ曲げることは厳禁だがな。思う存分に誘惑するといい」
ジーンが低く笑う。成瀬は社長の言葉を信じてエビチリを頬張ったばかりだったが、美味しさを堪能する前に唐突に次の試練が訪れたことを悟った。
「ねぇ、それって悪魔になりたての僕でも出来るの?」
金髪に青い瞳の美少年が無邪気な顔で隣の屈強な男性に聞いている。彼は少し呆れたような顔をしたが、首を横に振った。
「ルイは何でも興味津々だなぁ。やって出来ないこともないが、まだ危険だよ。どうしてもって言うなら手伝ってやる」
「ふーん、そっか。やっぱり難しいんだね」
ルイはニコリと笑って成瀬の方を見る。そうしてとんでもない爆弾発言をした。
「だって成瀬さんはさ、この中で一番僕と好みが近いと思うんだ。エリーゼのことを考えたらいつまでもシトラスに依存する訳にもいかないし、少し視野を広げてみようかなって思って。成瀬さんって同性愛者だよね?わりと幅広くイケるタイプみたいだし、僕なんかどう?」
口の中のエビチリをようやく成瀬は飲み込んだが味は全く分からなかった。ただ心臓がバクバク鳴っている。何故バレた?彼はこんなに大勢の前でカミングアウトした経験すらなかったので、ルイを見てすっかり固まってしまった。
「成瀬さん、リツに何だかイライラしてたよね。分かるよ。脳がバグるんだ。ボーイッシュなのに女性だから。ひょっとしたら自分もこれを機に異性愛者になれるかも?なんて思ったり、不必要に葛藤しちゃう。止めときなよ。リツは手に入らない。このくらいの距離感がちょうどいいんだよ。だから、今のところオススメは僕って訳」
ルイはニコニコ笑いながら鶏ハムの入ったサラダを頬張っている。シトラスと呼ばれた男性は肩をすくめてルイを見た。
「お前、そんなんでいいのかよ?俺もそこそこ腹を括ったのに」
「んー?どうしても一人に絞らなきゃダメって訳でもないんでしょ?魔界の法則は。もちろん僕はシトラスのことが好きだよ。悪魔にしてもらったからやっぱり特別だし。でも重すぎる愛情もどうかと思って半分くらい誰かに託せたら少しはお互い気楽になるんじゃないかなって思っただけだよ」
「何、急に達観してるんだよ。アスモデウス元帥に聞かせたら感涙しそうな思考回路だな」
「誰それ?知らないよ…別に達観した訳でもないし」
ルイは言いながらも成瀬のことをじっと見つめた。成瀬は落ち着かなくなり、とりあえず目の前にあるご飯を口に入れた。
「成瀬さんも、悪魔になったら楽になるよ?だから前向きに僕のこと検討してみてほしいな」
ルイはクスクスと笑いながら小悪魔のような笑みを浮かべる。ここは悪魔の巣窟だ。とんでもない所に足を踏み入れてしまった、と成瀬は思ったが、不思議と後悔はしていなかった。ただなるべくしてこうなった、そんな気がしていた。




