ジーン&リツの場合 36
なかなか治まらない身体の熱を持て余しながら、リツはジーンとベッドの中にいた。昼間盛られたときは数時間で治まると思っていたし、急に鼻血は出たもののその後は平気になったとも思っていた。どうも勝手が違うと感じ始めたのは、何故か急に再びジーンから目が離せなくなった夕方辺りからだった。気付けばジーンにぴたりとくっついて、素肌を触られていた。とにかくどこかに触れていて貰わないと、あらぬことを口走りそうだった。
いつの間にか廊下の隅にひっそりと立っている黒木と目が合う。リツの様子を見た黒木は満足気に微笑んだ。
「黒木…リツには少々刺激が強過ぎたぞ?」
「…そうでございますか?その割には…自力で歩けているし、所構わず求めたりもしていないではありませんか」
平然とそんなことを言う初老の男にリツはため息をついた。
「黒木さんの…見た目に…騙された…」
ついつい恨みがましい口調になる。
「久々に会った友人を襲ったら困るから欲望の処理を優先しただけだ…だが、まだ効果は十分に残っている。これからゆっくりと味わうところだ。今日はいつもより戸締まりを強化しておいてほしい。また妙な連中がうろつかないとも限らないからな。正面から戦うのは面倒だ。侵入させなければそれでいい」
「心得ております。それでは甘くとろける夢を」
黒木は一礼すると姿を消す。それからジーンとリツは寝室に入って、いつにも増して濃密な夜を過ごしていたが、自分の底無しの欲望にリツ自身は次第に嫌気が差し、途中からはフィランジェルの姿に戻って、やはり悪魔の姿に戻ったアルシエルの腕の中で熱に浮かされていた。伸びた黒髪の間から赤い瞳がこちらを見下ろしている。欲望を剥き出しにした悪魔がフィランジェルの耳元で囁く。それがいつにも増して淫靡な声に聞こえる。
「ここまで注いでも…まだ足りないんだな…そんな欲にまみれた顔をして…」
自分で自分の表情など窺い知れるはずもない。だがアルシエルの瞳に映る自分の姿をその瞬間リツはどういう訳か細部に至るまで認識することができてしまった。
その瞳に映るのは無垢なる天使の顔をした、けれども中身は悪魔の女そのものの醜悪な己の姿だった。呼吸を荒らげて淫らに目の前の相手を誘っている。こんなのは自分ではない、リツは即座に自分自身を否定した。
「違う…私じゃない…!」
叫んだ途端に姿が元に戻る。アルシエルが驚いた顔をしてリツに戻った彼女を見た。
「どうした?大丈夫か?」
「…大丈夫な訳…ないじゃない!いつまで続くの!?無理だよ…もう!ジーンのことは好きだけど、違う…こんな風にまるで自分が自分じゃないみたいな欲望に振り回されることを望んだ訳じゃない!」
リツは叫んだ。思いがけず涙が溢れる。自身をコントロールできない自分が悔しかった。
「落ち着くんだ、リツ」
「もう…いやだよ…助けて…こんな目でジーンのことを見たくない…私を見ないで…」
リツは顔を覆って小さく丸まってしまった。まるで怪我をした獣のようだとジーンは思った。
「分かった…リツ、私も悪乗りし過ぎたな。すまない…薬を使って無理矢理治めることも出来ない訳じゃないが、身体が余計に辛くなる…だからあと少しの間耐えてくれ…」
ジーンはいつもの外国人の姿に戻るとリツを抱きしめて頭を撫でた。過剰な熱をなだめるようにそっと触れる。下手に刺激し続けるとリツの性格からして再び自己嫌悪に陥るのも分かっていた。ジーンの胸に顔を埋めたリツはそのまま顔を押し付けると涙を隠すようにしてぎゅっと抱きついた。
「私は…リツがどんなに欲望にまみれた顔をしていようが…リツを嫌いになったりはしないよ…でもそんなに辛いのなら…見ないでおく…」
リツはしばらく顔を押しつけていたが、やがて身動ぎした。相変わらず赤いままの顔でリツはおずおずとジーンを見上げた。
「ずっと…心臓が…バクバクしてて…苦しい…息が…できない…」
「そうだな…だから、少し目をつぶってろ」
目を閉じたリツにジーンは唇を重ねる。僅かに震える唇をこじ開けて執拗に舌を絡める。
「有り余る熱を…奪うには…こうするしかないんだ…嫌か?」
目を閉じたリツは首を横に振る。閉じたまぶたが開いてジーンを見た。
「嫌じゃない…ジーンのキスは…好き…」
ジーンはリツの髪を撫でて、むくむくと頭をもたげる自身の欲望には蓋をした。こちらを刺激するようなことを無意識に口にしておきながらも自らが欲望に身を任せることは嫌う。間を取るのが難しい。ジーンは再び口付けをして、ギリギリのラインを攻めることに集中する。リツは一見するとジーンの与える全てを許容しているようでいて、自身の中には強固なまでの規律を維持していることに驚いてもいた。なし崩しにできるかと思っていたがそうではない。外的誘発を思いのほか嫌う。悪魔のチョコレートなど論外だったのだろう。昼間許容したように見えたのは、リツの友人たちが来ていたからに過ぎなかったのだ。リツの我慢強さを許容と見誤ったのはジーン自身だった。完全に誤算だ。魂を縛ったのに、これまでの使い魔のように容易く自分の自由にはならない、だからこそ魅力されて離したくはないのだと気付いてもいた。
それなのに。ジーンの口付けを受け入れるリツは驚くほど無防備だ。先ほどまでの欲望にまみれた顔をもう一度見たい気もしたが、しばらくは先送りにするしかなさそうだと思った。未来の愉しみとして取っておくのだと自身に言い聞かせる。無防備なこの表情もこれはこれでそそる。何よりもこの顔を知るのは自分だけなのだと、ジーンは腕の中に閉じ込めたリツの美しい顔を見つめて、決して忘れないようにまぶたの裏に焼き付けた。
ようやく乱れていた呼吸も静かになり、程なくして寝息が聞こえてきた。
「おやすみ、リツ」
ジーンはつぶやいて目を閉じた。穏やかな夜も悪くはない。リツを腕に抱いたまま、やがてジーンも深い眠りに落ちていった。




