ストラス&エストリエの場合 1
やがて夕方になり、三人はストラスの運転する車に乗り込んだ。
「暮林一家とは家族ぐるみの付き合いなんでね」
ストラスは笑う。
「僕も週明けからは新しい学校の方に通うから、今日はみんなに会えて良かったよ」
「そっか、ルイ。頑張って。ルイならすぐに友だちできるよ」
アサヒが言う。その横で窓の外をやけに感傷的な顔で眺めているのはコーキだった。
「あぁ…楽しい時間はあっという間だな…イチカ…可愛かったな」
「また一緒に遊ぼうよ。すぐに転生者絡みの事件なんて、色褪せるから、外でも遊ぼう。リツも誘ってさ」
アサヒの言葉にルイは頷き笑いながら三人に手を振る。三人の後ろ姿が駅の人混みに消えるまでルイは見送っていた。
***
車の助手席に乗り込んだルイは隣のストラスをじっと見つめた。ストラスも見つめ返す。にらめっこ状態が続き、ルイが寄り目で変な顔をしたのでストラスはとうとう吹き出した。
「なんだよ、ルイ」
「…なんだよ、じゃないよ。なんで…あんなキス…したの?」
「そりゃー俺なりの愛情表現?」
ルイはその言葉にストラスを軽く睨んで頬を膨らませた。
「勘違いしそうになるから止めて。ストラスの一番はエストリエでしょ?」
「あぁ…悪かったよ。嫌だったか?友だちの前で、ああいうことをするのは」
「それは…別に…嫌じゃないけど。今以上にストラスのことを好きになるのが怖いだけだよ」
ストラスは笑ってルイの頭を撫でた。
「…そうやってサラッと可愛いこと言うなよな。この小悪魔が」
シートベルトをしめたルイはそっぽを向く。ストラスは苦笑しながら車を発進させた。
***
ストラスとルイが戻ると、いつの間にか社長と宮森も戻っていた。社長はソファーに座って元気のないイチカを抱きしめていた。
「…あまり長時間留守にしないように言ったはずですが。リツがいたから良かったようなものの、まだ魔力が不安定なんですから、気を付けて下さいよ?」
向かいのソファーに座ったジーンは疲れた様子のリツを膝の上に乗せて抱きしめたまま、社長に小言を言っている。何とも珍妙な光景だが、それぞれがお互いのパートナーに魔力を流し込んでいるのだと、ストラスもルイも分かっていた。そして社長の方が明らかに分が悪い。
ジーンはリツを見下ろしてそのまま口付けをし始めた。リツは一瞬抵抗する素振りを見せたが、すぐに諦めたようにジーンを受け入れた。思いのほか消耗している様子だった。
「前にも言っただろう。拡散の話だ。忘れたのか?」
唇を離してジーンが言う。
「イチカの方がまだ魔力量は少ないが、儀式で悪魔になったんだ。人間だった頃とは桁違いの魔力が必要になる…だから気軽に与えたらかなりの量を持って行かれるんだ」
ジーンは再び熱心に唇を重ねる。リビングに誰がいようとお構いなしだった。
「あら、おかえりなさい」
エストリエがキッチンから顔を出す。スプーンを持っているところを見ると何か食べていたようだった。
「小腹が空いちゃって」
「あ、ごめん…血、必要だった?」
ルイが言うとエストリエはルイの頭を撫でた。ストラスとすることが同じだとルイは思う。でも安心するのも事実だった。何だかそれが切ない。
「そうね。少し欲しいわ」
「少し待ってて。汗かいてるから手洗うついでに首もきれいにしてくるよ」
ルイが洗面所に走る。
「あら、そんなこと気にしなくていいのに」
無言で近づいてきたストラスは、けれども少し怖い顔をしてエストリエを見た。エストリエは思わず目を逸らす。
「…どこでやられた?」
エストリエの袖を乱暴にめくると腕に十センチほどの長さの傷が走っていた。血は止まっているが新しい傷だ。
「もうっ、ルイが心配するでしょ?後にして」
エストリエは小声で返すと傷を隠す。ストラスは強引にエストリエを抱き寄せると魔力を流した。洗面所からルイが戻って来る足音を聞きつけてストラスは、素知らぬフリでエストリエから離れる。
「お待たせ!」
「じゃ、二階に行きましょ」
エストリエはルイの手を引いて二階に消えた。その背中にストラスは厳しい視線を送った。
***
しばらく経ってエストリエが二階から戻ってきた。
「…ルイは?」
「血をもらって…少しの間…眠ってもらったわ。今日は特に楽しかったみたいね?血の味がいつもよりも更に美味しかったわ」
エストリエは笑う。だがストラスは少し怒ったような顔付きのままエストリエの手を引いて空き部屋に移動した。
「なによ…そんなに怒らなくたって…」
けれどもストラスは壁にエストリエを押し付けると悪魔の姿に変わった。金髪が少しクセのある長い黒髪に変わる。
「なっ…」
そのまま貪るように口付けされる。やがてストラスの血が口の中に流れてきた。無理矢理流し込まれる。
「いや…」
エストリエは思わず喘ぐ。ストラスの血は魔力が濃い。ルイの血とは違う。効きすぎる。
「ま…って…」
エストリエの中に僅かな恐怖が過ぎるのを感じてストラスは口付けをやめた。猛禽類のような瞳のままでエストリエを見つめて抱きしめた。
「…どこのどいつだ?お前に傷をつけたのは」
エストリエはストラスの頬を撫でた。
「大丈夫よ。もう…記憶を消したから…イチカを追って…来たのよ。殺すつもりだったんだと…思うわ。刃物を何本も持っていたから…」
エストリエはそっとブラウスをめくる。腹の傷の方が酷かった。巧妙に隠されていて気付けなかったことに、ストラスは腹を立てた。自分自身に対する苛立ちを押し隠してそっとエストリエを横たえる。
「…もっと自分の身体を大事にしろ」
ストラスはエストリエの腹の傷を舐め始めた。傷口から魔力が流れ込む。エストリエが魔力で誤魔化していた鈍い痛みが少しずつ消えてゆく。
「…臓器は…先に治したのよ…残りは…あなたにお願いするつもりだった…力が…足りなくて…」
痛みとも快感ともつかない感覚にエストリエは、思わず声を漏らした。
「もっと早く言えよ…」
傷口を塞ぎながらストラスは怒ったような口調で続ける。
「だって…ルイが…心配するでしょ…イチカだって…悪魔になりたて…だし」
ストラスは大きなため息をついた。皮膚の傷は程なくして塞がった。薄いピンクの線が残るのみだ。エストリエを抱き寄せてストラスは栗色の髪を撫でた。
「ったく…イチカは人気があり過ぎて困る。どうせ社長だって、そっち関係の対応に追われていたんだろ。で?お前を刺したのはどこのどいつだ?」
「銀の枝のメンバーよ。あの集団って想像よりも情報網が広いのね。刺したのは…やたらと鼻の利くリーとかいう男よ。あれは単なる人じゃないわ…」
「…まだ他にも悪魔がいたのか?一人始末したばかりだってのに。報復か?この世界の空気のせいで弱体化して影を潜めていたのが、主とリツの気配で急に活気付いた気がするんだよな」
エストリエを抱いたままストラスは考え込む。悪いことが起こらねばいいが、と思ったが、こういうことは大概悪い予感の方が当たるのも、これまでの経験から嫌というほど分かっていた。
「エストリエ…お前、本当に吸血鬼のままで大丈夫か?俺は不安になってきたんだが…」
「…ねぇ、今更なんだけど…どうして私を悪魔にしなかったの?」
ストラスが望んだから特に疑わずにエストリエは吸血鬼のままで魔界に行った。人と違って寿命がその身体の劣化度合いにも影響しないから、わざわざ悪魔にする必要もなかったのだろう、くらいにエストリエは考えていた。
「え?それはだな…」
ストラスは途端に気まずそうに沈黙する。しばらくして口に手を当て、彼は目を逸らして言った。
「あの頃は…お前の気が変わって…故郷に帰りたいと言うかもしれないと…思ってたんだ。帰りたくなったときに悪魔だと困るだろ…」
「え…?そう…だったの?」
エストリエは意外な事実に驚いてストラスの精悍な顔を見上げた。彼がそこまでエストリエのことを考えているとは思ってもみなかった。軽薄でノリの良い面白い男。出会った頃の彼は人生を楽しんでいるように見えた。だからこそエストリエも深刻に悩む必要はなく、気軽に過ごしているうちに気付けば何百年もが過ぎていた。
「だから…悪魔にしたくないとか、そういう訳じゃないんだ。ただ…いつの間にかこんなに長い時間が経っていたってだけで」
「そうだったの…悪魔にすることで安心できるなら、私はそうなっても構わないのよ?」
「分かった。だったら俺は…お前を悪魔にしたい」
ストラスの掌がエストリエの刺された場所を愛撫する。悪魔なら簡単に自力で治せる怪我だ。こんな怪我でも吸血鬼の身体にはそれなりに負荷がかかる。この世界では特に。微弱な魔力を流しながらストラスはエストリエを治療した。
「じゃあ…契約更新ってことかしら…?」
エストリエは小さく笑った。
「あぁ…」
たくましいストラスの腕の中でエストリエはようやく安堵して目を閉じた。




