ジーン&リツの場合 35
三階の奥の部屋の前でリツは深呼吸をした。大きなトレーとは別にジーン用の甘い物を添えてくれた黒木はさすがは気の利く執事だと思う。廊下の端に置かれたテーブルに大きなトレーを置いてノックする。高級そうなチョコを持ったところで、中から声が聞こえた。
「ジーン?」
「…どうした?」
そこはまるで図書館のような空間だった。リツは本棚を見上げる。ジーンは螺旋階段に座って本を読んでいた。その階段で高いところの本棚にも手が届くようになっている。が、ジーンの手元を覗き込むと見たこともない文字が並んでいた。どこの世界の本なのだろう。見当もつかなかった。
「ちょっと会いに来ただけだよ」
リツがチョコレートを差し出すとジーンはフッと低く笑って本を静かに閉じた。
「…リツが先に食べろ」
「え?」
「いいから」
リツは言われた通りに口に含む。すぐに溶け始めたところでジーンの唇が重なり、リツの口の中のチョコレートを舐めながら舌を吸われた。
「ん…」
チョコが溶けると中から痺れる味の液体が溢れ出る。ウィスキーだろうか。似ているけれどもやはり知らない味だとリツは思い直す。ひとしきり口付けを終えて残りのチョコレートを飲み込むと身体が次第に熱くなってきた。酒にしては何かがおかしい。
「…これ…何?」
「黒木に渡されただろう?これは悪魔のチョコレートだ。今のように恋人同士で食べる…艶事の前に…」
「え…ちょっ…と、何てものを…!?」
熱い。それに目の前の相手が急に欲しくなった。身体がおかしい。お腹の中が燃えるようだ。あの液体のせいだろうか。
「このチョコレートを渡す行為は…自分をこのチョコレートのように溶かして味わって欲しい…そういう意味だ」
黒木さんに盛られた!!あんな人の良さそうな顔をしてなんてものを!!リツは思わず叫びそうになる。
すでにジーンの手はリツの履いたデニムのジッパーを下ろし素肌に触れている。さらに奥まで長い指が入り込んできた。
「安心しろ、なるべく早く終わらせてやる。リツはただ気持ち良くなっていればいい」
ジーンは笑いながら、すでに呼吸を荒げ始めたリツの火照った身体を抱いて口付けをした。
***
「…リツ、遅いね」
トウマの言葉に、言われてみれば確かに遅いとルイは思った。
「ちょっと見てくる」
ルイが立ち上がったとき屋上の扉がやけに荒々しく開いてリツがやっと姿を現した。お菓子が山盛りのトレーを持っている。ルイが閉まらないように扉を押さえるとリツは小声で囁いた。
「ごめん、黒木さんに盛られて…遅くなった…」
山盛りのお菓子の話かと思ったが、リツの様子はどこかおかしかった。それに先ほどよりもまた魔力が増していて何故か色気すら感じた。
「えぇ…?盛られたって何?大丈夫なの?それに何ていうか…ギラついてるよ?僕は襲わないでね、襲うならコーキにしなよ?」
「…大丈夫だってば。変なこと言わないで」
小声のやり取りの後に、お菓子を持って現れたリツに三人は大喜びした。
「わ!やった!」
やはり中三男子の食欲はすごい。あれだけあった料理も完食したのに、おやつも吸い込まれるようにどんどん消えてゆく。リツは椅子の背もたれに背中を預けて、ふぅと息を吐いた。
「ほんとに大丈夫?リツ、少し休んだ方がいいんじゃない?」
ルイがリツを見て急に心配そうな顔になる。
「大丈夫」
リツは僅かな気怠さを感じながらマシュマロに手を伸ばす。普段はあまり食べたいと思わないのにたまに食べると美味しいと思う。不思議だ。
「リツ!!」
慌てた顔のルイが素早くティッシュを鼻に当ててきた。
「え…?」
途端にティッシュが真っ赤に染まる。
「わ…!」
「押さえて待ってて!!」
素早くルイが動いて誰かを呼びに行くのが分かった。すぐに戻ってきたルイはジーンを連れて現れた。
「すまないが、少し外すよ」
ジーンはリツを軽々と抱き上げる。扉を魔術で開けてあっという間に屋上から消えた。
(黒木さん…ひょっとして悪戯…やり過ぎだったのでは?)
ルイは二人の消えた扉を見て小さなため息をつく。
「リツ大丈夫かな」
そんなルイの様子を先ほどから見ていたアサヒは小さく笑った。
「なんだかんだ言いながら心配してるし。もっと素直になりなよ」
「何が?」
「好きなんでしょ?リツのこと」
「そりゃ好きだけど、多分アサヒの言う好きとは別枠なんだよ。種類が違う。説明が難しいけど…」
ルイは複雑な表情を浮かべる。
「少なくとも僕はリツを自分のものにしたい訳じゃないよ。でも側で見ていたい」
「…思ったんだけどさ、ルイ、なんか変わったね。何がって言われると僕もうまく説明できないんだけどさ。でもいい意味で言ってる」
アサヒは少し淋しげな笑顔を向けた。
「僕が必死でもがいてる間に、ルイは突き抜けて脱却した感じ。どうしたらそうなれるのか教えてほしいよ」
「ま、僕は簡単に言えば悪魔に魂を売ったんだよ。それでしがらみから解き放たれた」
ルイはチョコレートをつまむと口に放り込んだ。
「なんだよそれ、全然意味分かんない」
「分かんなくていいよ。でも自分の一番大切な部分は手放しちゃダメだと思う。アサヒが本当に欲しいものは何?自由?それともパートナー?養子縁組してくれた親からの信頼?世間体なんかとりあえず無視して自分の一番は何かを考えてみたらいいよ。それで困ってるならセラヴィに相談するのもアリだと思う」
髪を切ったルイはもう少女には見えない。一人の少年だった。どこか無理をして不自然に作り上げられた少女はもういないことがアサヒは寂しかった。
「なんだろうなぁ…分からないよ。自分のことなのにね」
「でも、自分のことだから決められないってことはあるんじゃないかな。僕は少なくとも怖かったよ」
トウマがぽつりとつぶやいた。
「俺は俗物だから、君たちのように高尚な悩みはない!ただ、お姉さんとキスがしたい!」
タイミング悪く屋上の扉が開いてイチカが顔を覗かせる。コウキと目が合って眉をひそめたのが分かった。
「ち、違うんです!これはそのっ…!」
「あれ?リツいないんだ」
それでもイチカはやってきて近くの椅子に座った。
「ごめんなーそこの君。俺さ、パートナー以外とキスすると吐くから無理なんだわ。あ、イチカって呼んでいいよ。十六だからタメでいいし」
目の前にあったパスタスナックをつまみながらイチカはコウキの方を見た。
「ガタイいいな。それだけでもモテ要素アリじゃん。そういうの好きな奴いるよ?」
「えーっ、それは是非とも、そのお友だちを紹介してほしい!俺はコーキ」
コウキはノリノリだ。イチカは首を横に振った。
「悪いな。俺、ストリートキッズやってて抜けてきたばっかだから、リアルな知り合いはそっち方面の危ない奴らなんだよ。真面目な中学生が関わっちゃいけないやつ」
「え?マジで?イチカって見た目は可愛いのに、意外とたくましいんだな」
コウキは目を丸くした。
「あ?面と向かって簡単に可愛いとか言うんじゃねーよ。そういう台詞は本当に好きな奴にだけ言っとかないと勘違いされて、下手すると血を見るんだぞ?」
「えぇ?マジか。こっわー。気をつけるわ」
「コーキ、先に言っとくけどイチカには正式に契約してるパートナーがいるからね?二年後には結婚する気満々の。だからすぐに簡単に好きにならないでよ?」
横からルイが口を挟む。
「なんだよールイ、夢くらい見させてくれたっていいじゃん。みんなリア充かよ…ちぇ」
コウキはチョコレートを口に頬張ると大袈裟に嘆くフリをした。
「ちくしょーなんだって、このご時世に男子校なんだよ。俺だって体育のときに揺れるおっぱいの一つや二つくらい見たかったのに!」
コウキの言葉にイチカは口をへの字にしてルイの顔をじっと見る。
「これ、ホントにお前の友だち?なんか意外だな」
「そう?僕は女装して学校に通わされてたから、まぁ色んな意味でモテて大変だったけどね…」
「…なんだよ、ルイの女装目当ての友だちかよ?なんかそれ聞いたら納得したわ」
「いや、ちょい待て!イチカ、それは誤解だ。俺はルイの生足になんかちっとも、一ミリだってときめいたりしてはいない」
「んー?いつだったか、ルイのこと、マジで女なら抱けるとか言ってなかったっけ?なんだかんだ言ってコーキは面食いだよね」
横からアサヒがのんびりと余計なことを言う。
「おいコラ、アサヒ!!」
「ごめんね、こんな奴らばっかりで」
トウマの言葉にイチカは不思議そうに目をしばたいた。イチカは首を傾げてしばらくトウマを見ていたが、やがて納得したようにニッと笑った。
「大丈夫、大丈夫!そういうのは慣れてっから」
屋上の扉が開く。ようやくリツが姿を現してイチカにからかわれているコウキを見て苦笑した。




