ハジメ&ナナの場合
(首を突っ込むなって言ったくせに…俺は何やってるんだ…ナナまで巻き込んで…)
ぼんやりとした視界に白い天井が映って一はハッと気付いて起き上がろうとした。が、手足を拘束されていて実際には芋虫のように、うねうねと無様にかろうじて動けたのみだった。
「よぉ、起きたか」
椅子の上で足を組んだ人物が一を見てニヤリと笑う。明らかに外国人の顔立ちをしているのにやけに流暢な日本語だ。
「ナナ?どこだ?ナナは無事なのか!?」
「他人の心配より自分の命の心配をしたらどうなんだ?ふーん、ヤドリギの寮監ね。転生者施設の寮監って住所まで特定できるんだな。個人情報開示請求でもしたのか?お陰で一つ利口になったよ。次があったらもっと入念にやる。イチカの件にあんまり首突っ込むと面倒な組織も出てくるから、真っ当な市民のままでいたいなら、こんな所まで来るべきじゃないんだよ」
一の身分証を見ながら屈強な相手は笑う。一は言った。
「イチカは…本当に…生きているのか?」
「教える必要もないだろ。データ上は死んでた方が楽だったかもな。で?何しに来た?」
「…イチカに…渡したいものがあった…それだけだ…」
「それだけ?本当に?」
「…そうだ」
「ふーん。ちなみに、あんたの相方ならピンピンしてるぜ。ここは危ないから別の場所に連れて行ったけど。もうすぐ銀の枝が襲撃してくる。あんた来るタイミングが悪いんだよ。まったく…イチカの奴もモテモテで困るよ。しつこいったら。いいから何もしないでそのまま転がってろよ。下手に動くと首が飛ぶぞ」
物騒な台詞を吐いた相手だったが、突然視界が暗くなった。暗闇の中を何かがぶつかり合う音と金属音が響く。獣のような唸り声も聞こえた。巨大な生き物が真横を通過する気配を感じてゾッとした。
(動くなって言われたけど…怖すぎて動けねぇ…)
冷や汗が流れ出る。体中が心臓になってしまったかのようにドクドクと激しく鳴っていた。見えないから余計に怖い。何が起こっているのか全く分からなかった。どのくらいの時間が経ったのか、気付けば暗闇で誰かの啜り泣く声が聞こえた。
「私の負けよ…許して…もう…手出ししないから…愛してたのよ。あの子の心が…欲しかった」
若い女性のか細い声がした。
「残念だがそれは一生掛けても手に入らない。すでにいるからな。イチカの心の中には別の男が。あんたがどう足掻いてもその事実は変わらない。イチカは記憶の大半を取り戻した。あんたが巧妙に盗んだ記憶も返してもらう」
男性の低い声が返す。けれども先ほどまで喋っていた相手の声色ではない。もっと背筋がゾッとするような、それでいて聞き惚れてしまうような美声だった。
「…全部…お見通しなのね…こんなに強いのに…あなたは魔王じゃないの?」
「お前が弱いだけだ。魔王に嫌がらせをしたかったのかもしれないが、手を引いてくれ。これ以上お前を痛め付けるのはさすがに良心が咎める。削るのはそのくらいにしておいてやるからとっとと去れ」
「ライラは…あの方は来てもくれないのね…」
自嘲的なつぶやきが聞こえた。
「いっときでもシェムハザを匿った罪は重い。それがなければ多少なりとも結果は違ったかもしれないが、過去はもう覆らない」
「分かったわ。記憶を返すわよ。あの子に…愛してたと伝えて」
「あぁ…」
気配が遠ざかる。徐々に視界が明るくなり重い足音が近付いてきた。が、彼が首をめぐらす間に足音は変わり、先ほどの外国人が立っていた。
「さて、終わったから解放してやる」
拘束していた縄を切られる。ようやく両手が自由になり起き上がることができた。が、突然外国人の背後からぬるりとそれは姿を現した。
「死ね!ストラス!!」
闇のような塊が叫ぶ。相手は、けれどもそのまま動きを止めた。一はまるでスローモーションのように、その人の形をした闇の胸の辺りに吸い込まれる長剣を見た。闇は悲鳴を上げ一瞬にして崩れ去る。長剣が大きな音を立てて床に転がった。
「一般人の前にその姿を晒すな。見苦しい」
長剣を投げた人物は苦々しく言ってストラスの方を見た。
「…終わるまで背中を見せるな。お前は甘い」
「はぁぁ…来るような気はしてましたよ…」
一を立たせた相手は何故か照れたように笑った。
「あの程度の小物にやられたところで二、三日寝てりゃ治りますよ…」
「その二、三日の怪我でも大袈裟に騒ぐ奴がいるだろう。私はルイの相手はしないからな」
長剣を拾い上げた相手はそれを消し去る。一はぽかんとして長身の相手を見つめた。
「部下が手荒なことをして悪かった。怪我はないか?ちょうど君がイチカの気配のする物を持っていたからおびき出すのに利用させてもらった。申し訳ない」
「イチカの気配のする物って…」
一はポケットから少し古びた小さな箱を取り出す。慎重に開くと中の袋は真新しいままだった。
「イチカの臍の緒だな。母親と繋がっていた証…まだ若かった母親はイチカを出産後にすぐ亡くなったんだ。イチカは転生者だったが、札付きでも希望転生者でもなくて、結局理由が特定できないまま三十八区のヤドリギに入れられた…」
彼はドアの方を振り返る。彼の後ろからおずおずと姿を現したのは葉月一花その人だった。傍らには七もいた。
「本当にハジメ兄ちゃんなのか?」
「あぁ…イチカ…生きてたんだな…本当に。あ、イチカにこれを渡したかったんだ」
イチカの手に小さな箱を渡す。イチカはその中を見て少し困ったように微笑んだ。
「今更…わざわざ…こんな物渡すために…危ない目に遭うとか思わなかったのかよ。でもハジメ兄ちゃんは昔からそういうとこあったから…仕方ないよな。でも、ありがとう。覚えててくれて…」
かつて三十八区の施設で共に過ごした仲間に再会したイチカは照れたように笑った。
***
「二人とも元気そうで良かったよ。まさかあの施設でそのまま働いてるなんて思わなかったけど」
一と七から話を聞いたイチカは何よりもその事実に驚いていた。
「他に就職先がなかったってだけ。大したことじゃないよ。少しでも嫌な思いをする子が減ったらいいなって…あれからかなり施設の規則も変わったし」
七が照れたように笑う。
「イチカの方は大丈夫なの?」
「うん…銀の枝から抜けたから…ちょっと今日は色々あったけど、でも全部終わったよ。まだ未成年だからパートナー契約を結んだんだ。向こうは結婚する気満々で婚姻届まで持ってたんだけどさ」
そう言ってイチカは赤くなった。先ほどの外国人二人組は部屋から出て今は三人だけにしてくれている。
「で?どっちがパートナー?」
七の言葉にイチカは目を丸くして慌てて首を横に振った。
「どっちとも既婚者だよ!違う!なんか全然知らなかったんだけど…相手がわりと有名人だったんだよ。だから困ってる。会社の社長で…神木蒼士って名前…知ってる?」
一と七はその名前を聞いてあんぐりと口を開けた。
「転生者でその名前を知らないって普通はないよ?超有名人でしょ!!」
「…そうなんだな…いや、今更なんだけど、色々とヤバい…」
イチカは顔を覆った。
「ねぇ、でも好きなんだよね?」
「…うん…」
「ならいいよ。嫌なのに無理矢理とかなら困るけど」
一方で一は闇の中で聞いた会話を思い出していた。あの彼は明らかに人ではなかった。人の姿をしているが、転生者でもなく、そして恐らく人ではない。魔力が強いだけでは説明のできないことが多過ぎた。
(それに…あの古い歴史の教科書にでも出てきそうな長剣…魔王と言ってたか…では後から来た彼が魔王なのか?)
一は考えたが、これもまた首を突っ込むべきではない話だと分かっていた。世の中知らない方がいいこともある。
「俺さ、ナナと結婚しようと思ってるんだ」
一の言葉にイチカはさほど驚きもしなかった。
「そっか。昔から仲良かったもんな。いつかはそうなったらいいなって思ってたよ。良かったね、ナナ姉ちゃん」
久々に会った妹分は自分よりも逞しくなった気がする、と七は複雑な気持ちも抱きつつその成長に嬉しさも感じた。なにより転生者の救世主とまで謳われた相手とパートナー契約を結んで二年後には結婚する勢いなのだ。転生者に関して世間では暗いニュースが続く中、久々に聞いた心の底から喜ばしい話だった。




