ジーン&リツの場合 31
リツとアールが食事をし終えてデザートを食べていると、しばらくしてインターホンが鳴った。
「リツって大食いなんだな。そんなに細いのに」
「あぁ…それは、貧乏過ぎて…つい最近まで一日一食生活してたから…ここにいたら、だんだん太ってきたよ」
「全然だろ。てか、一日一食って俺より酷いじゃん」
アールはプリンを嬉しそうに食べているところだったが、ジーンと話している声の主が社長だとリツはすぐに気付いた。アールもプリンを置いて声のする方を振り返る。
「リリス!!」
ジーンの制止を振り切って入ってきた社長はリツの隣に座るアールを突然抱きしめた。
「…やっと…だ…あのとき…僕は君を…引き留めることが…出来なかった。本当にごめん。僕が悪かった」
「は…何?」
アールは困ったような顔をして抱き締められていた。けれどもしばらくして、手を伸ばしてそっと社長の背中に触れた。
「なんで…懐かしいって…思うんだ?なんで?教えろよ…それ以外、全然…思い出せないんだよ…」
アールの目から突然涙が流れ出す。アールは自分自身の感情に困惑していた。社長はその涙を拭う。
「リリス…君は…ここに来るずっと前は…僕の妻だったんだ。でもある日突然消えてしまった。君を探そうと飛び出した私まで…ここに着いた途端に記憶を失ってしまったんだ…」
社長は改めてリリスを見つめた。不意に社長は困ったように口を開いた。
「ところで…君…調査員から上がってきた情報では十九歳って聞いてたけど…本当?」
リリスはその言葉に気まずそうに目を逸らして俯いた。
「…仕事…するのに…嘘ついた…ほんとは…十六…」
「えーっ!?」
隣のリツが声を上げる。社長はがっくりと肩を落とした。
「やっぱり…か。なんてことだ!この国だと今すぐ結婚出来ないじゃないか!元々は僕の妻なのに!今すぐ時空管理官に言って、数年前の法改正を阻止してもらおうか」
社長はおもむろに鞄の中からクリアファイルを取り出し自分の欄のみを書き込んだ婚姻届を見せた。
「社長…先走りし過ぎですよ…それに数年前の時間軸に触れると、今現在に至るまでのひずみが大き過ぎるのでお勧めできません」
ジーンが呆れたように言う。
「だって魔界じゃ僕が十三の時に結婚したのに!リリスが百歳で僕は初めてそのとき女性を知ったんだ!」
「はぁっ!?」
アールはギョッとしたように、子どものように駄々をこねてとんでもないことを暴露した相手を見た。
「魔界じゃ百くらいの年齢差は当たり前だ。気にするな」
ジーンが淡々と告げる。だがアールは慌てて首を振った。
「ちげーよ!十三って…全然記憶ねぇけど、そんな子どもに俺は手ぇ出したのかよ!サイテーじゃん!あ…だからなのか?そういう犯罪めいたことしてたから…今やったら具合が悪くなるのか?」
アールはアールで急に真剣に考え込む。
「どうした?あぁ…行為の後で吐いてたな。社長…身に覚えはありませんか?」
「え?何が?」
「例えば、過去にあなたが妻を愛するあまりに強い魔力で束縛した…あるいは…他の者が手を出せないように暗示をかけた…などがなかったか、ということですが」
社長はぶんぶんと首を横に振る。仕草がいちいち子どもっぽい、とアールは思う。
「ある訳ないよ。君じゃあるまいし。僕に隠れて超堅物の君がまさか愛しい天使を探してるなんてあの頃は思ってもみなかったけどさ。そうだなぁ…むしろ逆だよ。リリスが僕を愛情という名の鎖できつく縛ったんだ。生涯僕しか要らないって。僕は喜んでそれを受け入れた」
端から聞いていると何やら危ない台詞を口にして社長は微笑む。
「だとすると自己暗示か?アール、君は…社長…ルシフェル以外には体を許さないと、深層心理ではそう思っているから、他人との行為に酷い嫌悪感を覚えるのかもしれない。それがこの世界では生きる為に仕方なく行う仕事だとしても…その可能性があるな」
「は?ルシフェル…?俺は…一体誰なんだ?」
「君はリリス。僕の妻のリリスだよ。あ、リリスっていうのは本当に魔界にいた頃の君の名前だよ?」
「社長、とりあえずはソファーにでも一緒に隣り合って座ってみたらどうです?場合によってはゲストルームも貸しましょう」
ジーンの言葉にアールは身構えた。魔力が足りない訳でもないのに、そんな部屋まで借りる必要はないとも思った。
「リツも最初はぼんやりしていて何も覚えていなかったから、キスをしながら魔力を流し込んだんだ。アールは他人とのキスでも気分が悪くなったりするのか?」
「な…そんなこと…」
アールが言い淀むとジーンはするりと黒髪碧眼の少女姿に変わる。
「ライラのときはもっと気安く色々と喋ってくれたのに、男の前だと警戒心が強いなぁ…大事なことだよ?どうなの?」
「うわ…なんだよ、いきなりライラになるなんて反則じゃねーか!そうだよっ!キスでも拒絶反応が出るんだよ!吐き気がする。悪かったな」
アールは顔を真っ赤にして口を押さえた。
「じゃあ社長、試してみましょうよ。とりあえずキスくらいならパートナー契約未満でも犯罪にはならないですから。あくまで人助けの延長です」
「あぁ、その手があったね。結婚は二年後にするとして、まずパートナー契約を結ぶって手が!すぐにでもパートナーになろうよ!行こうかリリス。リラックスして」
社長はアールをソファーへとエスコートする。結局逆らえずにアールは半ば連行されて行った。
「さ、邪魔者は消えようか。リツ、風呂に入るぞ。他人にあちこち触られたからな。洗い直してやろう」
リツはリツで抵抗する間もなくリビングから連れ出された。服を脱がされる。その手際の良さに驚いている間に裸にされて、気付けば浴室でシャワーをかけられていた。泡立てたボディソープでジーンはリツの体を洗い出す。隅々まで愛撫するような手がリツの身体の輪郭をなぞる。両手に指が絡んで一本ずつ丁寧に洗われた。髪も優しく洗われる。次第にリツは何故か泣きたいほどに胸が苦しくなった。
「どうした?」
ジーンが自分の頭と体を洗いながら訊いてくる。リツは手を伸ばしてジーンの身体の泡に指を滑らせた。
「私は…今…幸せ…なんだな…って思った…」
リツもジーンの身体を洗いながら微笑む。
「そうか?なら良かった。そんなことで泣くな」
「泣いてないし!あ、私が流すから」
リツがジーンの髪を洗い流し始めると、掌に違和感があった。
「あれ?傷…?」
リツは頭の後ろの髪を掻き分ける。するとジーンは急に笑い出した。
「いや、傷じゃない。見れば分かる」
リツが更に髪を掻き分けると傷口のような線が一本あった。が突然それがパカリと開く。
「わあっ!」
目が合うはずのない場所で突然目が合い、リツは思わず声を上げてしまった。髪の中から赤い瞳がリツを見つめていた。そうだ人に見せかけていても相手は悪魔だったと今更ながら実感する。
「予備の目玉だ。万が一こちらで負傷した際に取り寄せるのも面倒だからな。一から再生するのも時間がかかるから、身体の数ヶ所に保管している」
「えぇ…?数ヶ所って、どこに?」
リツが訊ねるとジーンは意味深な笑みを浮かべてリツの顔を覗き込んだ。
「全身くまなく探ってみろ。全部見つけたら褒美をやろうか」
「それって…むしろジーンが欲しいだけじゃなくて?」
リツの声色に不満を読み取ったのか、ジーンはシャワーをかけて残りの泡を流すと浴槽にエスコートした。
「バレたか。そう拗ねるな。こっちにおいで。ゆっくり浸かるとしよう」
「何も…しない?」
「それは…保証しかねるな」
ジーンはそっと腰に手を回す。浴槽に入ると背後から抱き締めてきた。リツの胸にジーンの掌が触れる。
「保証しかねるって…もう?」
言いかけたリツはそのまま口付けで唇を塞がれる。すでにジーンはその気になっていた。
「ジーンっ…!」
バシャリとお湯が跳ねる。のぼせないといいけど、と頭の隅で思ったのが最後だった。その先はもう何も考えられなくなり、リツは悪魔な夫の手にひたすら翻弄され全身くまなく愛された。




