ストラス&ルイの場合 5
翌朝ストラスは右側にエストリエ、左側にルイが寄り添った状態で目覚めた。二人ともすやすや眠っている。昨夜ルイと共に夢と現の境目で遊び、時折夢を夢と認識させたりしつつ、たゆたっていたらエストリエが寝室に入ってきたのだった。悪魔になった際の身体のサイズを考慮してどの部屋もキングサイズのベッドを置いている。最初は無駄に広いと思ったがこの時ばかりは感謝した。エストリエはストラスの隣に丸まって眠るとするりと夢の中に入ってきた。そうして夢の中であれこれルイを鍛えているうちに、やがて夢も見ないほど三人は熟睡してしまったのだった。
(まぁ…これはこれで…いいのか?いや、この状況はどうなんだ?)
誰よりも早く目覚めたストラス一人が悶々として考え込んでしまっていた。程なくしてエストリエが目覚めてストラスに口付けをしてきた。魔力は減っていない。
「ん…おはよ。体調はどうだ?」
「大丈夫よ。もうっ!分かってるくせに」
「いや、念の為な?」
エストリエの栗色の髪を撫でてストラスは額にもキスをした。カーテンの隙間から差し込んだ一筋の光がエストリエの髪を金に輝かせる。
「夢で遊び過ぎたかしら?ルイったら、可愛らしい顔して寝ちゃって」
ストラスの上に上半身を乗せたエストリエが反対側のルイの顔を覗き込む。
「ルイって使い魔の素質はありそうよね…だって昨日、一度変身したわよね」
「あぁ…そうだな」
夢の中での出来事をストラスは思い返す。
「確かに一度猫に変えたことはあったけど、そのときの感覚を覚えてるって、なかなかないわよ?」
エストリエは眠っているルイの髪を撫でた。
「ほんとルイって綺麗な金髪よね。私の髪と交換してほしいくらいだわ」
「…エストリエの髪も綺麗だよ」
ストラスはさらりとエストリエの髪を撫でた。
「…いいわよ?私は」
「ん?何がだ?」
「ルイも込みで…三人でも、うまくやってゆけると思うのよ。そりゃ…あなたが他の女に手を出すのは嫌よ。でも…なんか…ルイは、ちょっとそれとも違う感覚なのよね」
ストラスは以前エストリエが口付けしてルイに魔力を分けていたのを思い出した。
「そういえば、前にルイの血を飲んでみたいって言ってたよな?」
「えぇ…言ったわよ。急にどうしたの?」
「ルイは交換条件があった方が安心するんだ。例えばエストリエが血をもらう代わりに、俺が…」
「俺が…何?」
「少し…ルイの欲求に…付き合いつつ魔力を与える…」
「それで、いいんじゃない?」
あっさりとエストリエは同意する。言ったもののストラスの方がどことなく気まずかった。
「なによその後ろめたそうな顔!アスモデウス元帥に言われたのよ。あまりあなたを縛り付けると悪魔として不能になるって」
「…エストリエにまでそんなことを言ったのか…ったく余計なことを」
「とにかく!他の女悪魔とあなたを共有するくらいなら、ルイの方がずっとマシってことよ。あ、リツはまた別よ?この話はもう終わり!」
(なんでそこにリツさんが出てくるんだよ!?)
言いながらエストリエが起き上がるとルイが身動ぎした。
「うーん…」
「あら、おはようルイ。よく眠れた?」
「おはよう…あれ?僕、部屋間違えた?」
「いや、ここはルイの部屋だよ。エストリエが夜に転がり込んで夢の中にも入ってきたんだ」
ストラスが言うとルイは安堵の表情を浮かべる。
「ルイ、私のことも本当の名前で呼んでいいわよ。この家の住人の前でなら。他の人がいるときはエリーゼって呼んでくれると助かるけど」
「俺は全部ストラスでいいよ。シトラスなんて呼ばれても反応できない」
ストラスはエストリエをちらりと見る。名付け親のエストリエは素知らぬフリをした。
「エストリエ、体調はもう大丈夫なの?僕のせいだよね、ごめんなさい」
起き上がったルイはベッドの上で正座をして頭を下げる。エストリエはルイの頭を撫でた。
「ルイのせいじゃないわよ。私も過信してたのよ。この世界の空気でも大丈夫って思っていたんだけど、ただ単に私の身体に影響が出るのが悪魔よりもかなり遅かっただけみたい。あとは想像以上にストラスと離れると魔力が減るのが早かった。体感的にね。だからこうやって三人でくっついていた方が楽なのよ」
エストリエは屈託なく笑う。再びルイとエストリエにくっつかれたストラスは、今の状況をアスモデウス元帥に見せたら何と言うのかと思いながら二人の肩を抱いた。少なくともストラスは誰からも殴られてはいないし、悪魔どうしの髪を引っ張っぱり合っての取っ組み合いにも発展してはいない。時に女悪魔の争いは血を見る。そんな状況とは無関係の実に穏やかな朝だった。
(まぁ、みんなの仲が良いのはいいこと…だよな)
ストラスは枕元の時計をちらりと見て、アラームが鳴るまで二度寝することにした。
***
ルイはしばらくしてまた自分が寝ていたことに気付いた。ストラスに腕枕をされたら安心して眠ってしまったようだった。そっと起き上がるとエストリエとストラスもまた眠っていた。
(喉…乾いたな)
二人を起こさないように静かにベッドから出てリビングに向かうと、バスローブ姿のリツとジーンがキスしているところに出会した。映画のワンシーンのようだとルイはぼんやりとそんなことを思った。
「あ…おはよう」
リツは慌ててジーンから離れようとしたが、ジーンは離さずリツの腰を抱いたまま言った。
「調子はどうだ?」
「だ、大丈夫。ちょっと喉が渇いちゃって」
「言われてみれば、私も喉が乾いたな…リツ…少し飲ませろ」
「えっ?」
ジーンの唇がリツの首に降りていき、リツとルイはその瞬間目が合った。そのままジーンはリツの首に牙を立てて唇を押し付ける。血を飲み始めたようだった。
「あ!ジーンっ!?」
しばらくしてジーンはそっと唇を離す。いつかのように傷も残らず、リツの顔色も悪くはならなかった。
「あの儀式ときに味わったら、想像以上に美味だったんだ。エストリエの気持ちが少し理解できた気がするよ」
ジーンはルイの顔を見たまま唇を舐めてニコリと笑った。凍りついたように立ち尽くしていたルイは慌ててキッチンへと移動する。ミネラルウォーターをがぶ飲みして、ルイは慌てて部屋を出ようとする。ジーンは可笑しそうに笑った。
「逃げるな。ルイはリビングを使っていていいぞ。まだ出勤までには時間があるから、私は寝室でもう一度リツを堪能してくる」
「えっ?ちょっと…シャワーに入るんじゃ…」
「気が変わった。黒木、ルイに朝食の用意を」
「かしこまりました」
どこからともなく現れた黒木が一礼する。あっさりと前言を撤回されたリツは慌てた様子になったがジーンは涼しい顔をしていた。
「ちょっと、ジーン何のスイッチが入ったの?」
軽々と抱き抱えられて二階に連行されるリツにルイが苦笑しながら手を振る。
「旨いから食いたくなっただけだ」
ジーンの声が遠ざかる。朝からリツも大変だなと思いながらルイは見送った。
***
穏やかな笑顔で黒木が料理を運んで現れる。いつも神出鬼没だと思いながらずっと気になっていたことをルイは口にする。
「あのっ…黒木さんも…悪魔…なんですよね?」
執事姿の初老の男性はフフッと面白そうに笑った。
「えぇ、そうですよ。私は主様の使い魔の一人ですから」
「使い魔…なんですか。どうやって…なったのか聞いてもいいですか?」
黒木は優しい目をしてルイを見つめた。おもむろに口を開く。
「私の話など…面白みもこざいませんが…そうですね。ある日の暮れ方のことです。とある異世界で、一人の男がリストラされて人生に絶望しておりました…」
黒木は語り始めた。
黒木は元々営業担当だったが、気弱な性格が災いしてかなかなか取引先との契約にまで漕ぎ着けることが出来ずに入社早々苦戦していた。口手八丁の同期の田中などはどんどん契約を取ってくる。だが、相手に対して真摯であろうとすればするほど、彼は契約を取れなくなっていった。この契約を勧めても顧客の本当の満足には繋がらない、そういった思いが浮き彫りになり、彼はその場限りのうまい嘘をつくことが出来なかった。
「黒木は考え過ぎなんだよ。そんなのテキトーにうまいこと言っときゃいいじゃん。契約満了を迎える頃まで自分がこの仕事を続けてるかどうかだって分からないし、そのときはそのときの担当が尻拭いすりゃいいだけの話なんだよ。未来なんて誰にも分かんないじゃん?」
そう言っていた田中は、その翌年痴話喧嘩のもつれで元交際相手に刺されてあっさりと死亡した。社内で仕事の出来る者がその後を引き継ぎ、黒木は営業から外されて窓際に追いやられた。そうこうしているうちに経済は崩壊し彼は真っ先にリストラ対象となった。何もかもがどうでもよくなって死に場所を探して飛び降りようか迷っていたら、その橋の欄干で変な男に会った。昼過ぎから降り続ける雨で川は増水し荒れ狂っていた。
「やれやれ、何をそんなに絶望している?命を軽々しく扱うなと言いたいのだが」
「その手の輩に構うと厄介ですよ?ここにも彼女はいなかった。そろそろ移動すべきです。空気が淀んでいてやってられない」
二人とも日本人の姿をしていたが、違和感があった。何故なのかと思って彼らがこの雨の中でも全く濡れていないことに気付く。
「あなたたちは…一体…何なんですか?」
「自殺する勇気もなくて、散々立ち尽くしているのにそんなことが気になるのか?まぁいい、特別に教えてやろう。私たちは悪魔だ」
「はぁ…悪魔…そう…ですか」
何とも間の抜けた返事をしていると思ったが、黒木は相手が嘘をついているとも思えなかった。
「あの…こんな魂で良ければ…あなたに差し上げますが…私の魂じゃ必要ないですか?」
気付けばそんな言葉を口にしていた。傍らの悪魔は僅かに目を見開く。一瞬赤い光が見えた気がした。
「たまたま通りすがりの悪魔に魂を捧げるのが、この国の人間の間では流行っているのか?」
「そんなことは…分かりませんけど…多分ないと思います。私は会社に必要ないと言われ職を失いました。恋人もいません。親も交通事故で死にました。この世界に私を必要とする人はもう誰もいないんです。せめて…誰かの役に立って…一度くらいは必要とされてみたかったですが…無理でした」
「ずいぶんと悲観的だねぇ」
隣の悪魔がニヤニヤ笑いながら宙に浮く。
「なるほど?それで?悪魔に魂を捧げたらどうなるかその先のことは分かっているのか?」
「いえ…消え去る?死ぬ…とか?」
「それは魂を食えばそうなるな。だがあいにくと今はそんな気分でもないからな、そうだな、この世界で何の収穫もなく帰るのもつまらないからな。拾っていってやろうか?私の使い魔くらいになら、してやってもいい」
「えぇ!?本気ですか?何だってこんなしょぼくれた野郎を拾うんですか。どうせ拾うならピチピチの女子大生とか、そういうのにしましょうよ」
隣の悪魔が不服そうに声を上げる。
「分かってないな。お前の隣に女を置いておくと仕事にならないだろう。お前の食指の動かない相手にしておかないと後々面倒なことになる」
そこまで語り終えると黒木は再び微笑む。ルイは何かがおかしいと思ったが何が変なのか、瞬時にはよく分からず首を傾げる。モグモグとサラダを食べていたルイは不意に声を上げた。
「あれ?ところで…黒木さんがリストラされたのって…何歳なんですか?」
「おや、気になるのはそこですか?よく気づきましたね。私が人から悪魔になったのは二十七歳のときですね。この姿は完全に私の趣味です。枯れたジジイくらいになっておかないと、少々困った事態になったせいでもありますが」
黒木はそう言って顔の前で手を動かした。姿が一気に若くなる。誠実そうな顔付きの男性がそこに立っていた。
「うん…?あれっ?あぁ…ちょっと…ごめんなさい。そういう目で見るつもりはなかったんですが…わりと僕の好み…かも」
パンを頬張っていたルイは素直に頬を赤らめた。
「同行しているとストラス氏の口説く相手が何故か尽く私に欲情してしまいまして…悪魔になって何やら妙なフェロモンが出るようになったのか、急に男女問わず口説かれるようになってしまったんですよ…そういうルイさまも、悪魔になった途端に急に色気が増しましたけどね」
そう言っている間に黒木は再び初老の男性の姿に戻る。野性味溢れるストラスと誠実そうな黒木は対照的だと思った。黒木は悪戯な笑みを浮かべてルイに言った。
「私は悩める若者に、あなたは素敵ですと言えるイケおじになりたくなったんですよ。少々悪魔になるのは早過ぎましたが、今この姿でその夢を叶えている最中なのです」
人は、いや、悪魔は見掛けに騙されると本性は全く別物だったりするのだな、とルイは別の意味でいい勉強になったと思った。それにしても、あえて初老の男性姿を選んで楽しんでいるのは酔狂だなと、すまして控えている姿を見る。
「食後にはコーヒーをお持ちしますか?」
「ありがとうございます。コーヒーをお願いします」
執事姿もなかなか似合っている。与えられた役になりきることも悪魔にとっては必要な器量なのかもしれないと、ルイは黒木の後ろ姿を見ながら改めて思った。




