ストラス&ルイの場合 2
翌朝ルイはストラスの腕の中で目覚めた。温かくてホッとする。魔力も満たされていて、ここ数日抱えていた漠然とした不安はすっかり消えていた。自分はここにいても大丈夫だと思えた。
「おはよ。目が覚めたか?身体の調子はどうだ?」
頭を撫でられてルイは頷く。ゆっくりと起き上がると裸だった。ストラスはおでこに手を当てる。
「うん、熱も下がったな。飯は食えそうか?」
「うん…お腹減った」
「じゃ持ってくるから、これでも着て待ってろ」
バスローブを渡してストラスは部屋から出てゆく。ルイがバスローブを羽織っていると入れ違いにリツが入ってきた。もう出勤する時間帯なのか出掛ける準備が終わっていた。
「ルイ、身体は大丈夫?」
リツが少し心配そうに言う。
「うん平気だよ」
ルイが頷くとリツは軽くハグをして囁いた。
「ストラスは優しくしてくれた?」
「うん」
ルイの恥ずかしそうな顔を見てリツは頭を撫でる。その左手の薬指にキラリと指輪が光った。
「私はこれから会社だから。じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
ルイはもう一度リツにハグをしてから見送った。
***
「え?遊園地?」
ルイは突然のストラスの提案に食べていたサラダのきゅうりを思わず落とした。
「嫌いか?」
「嫌いじゃない…と思うけど…遊んだことないから…分からない…」
ルイは恥ずかしそうに俯いた。そんなことだろうと思った。子どもらしい子ども時代をルイは過ごしていない。
「いや、ルイと二人で遠出したかっただけだよ」
腑に落ちない顔付きのルイの頭を撫でてストラスはコーヒーを飲む。甘やかし計画は始まったばかりだ。
「それに、もうじき主の後任も決まりそうだから、そうなると長期休暇に入るからな。新婚旅行ついでに異世界の知人にも会いに行くだろうから、俺たちも同行する。ルイも来るだろ?新しい学校の方にもきちんと話をつけておくから安心しろ」
「そう…なんだ…」
ルイはトーストを食べながら僅かにホッとした顔付きになる。
「何か気になることがあるなら遠慮なく言っていいからな?」
「うん…分かった」
ルイはこくりと頷いた。
***
「私は今日は忙しいのよ。我が君の休暇前に片付けなきゃいけない案件が色々あるんだから。もうっ、リモートワークが異世界にいても出来ちゃう時空管理官って損するわ!」
エストリエはパソコンのキーボードを鬼の形相で叩きながら出掛ける二人をちらりと振り返った。が、思わず吹き出す。
「なにその格好!誰かと思っちゃった」
それもそのはず、二人とも外国人の姿から一変して地味な日本人親子になっていた。これだとどこからどう見てもルイには見えない。
「二人とも私の分まで楽しんできてちょうだい!」
エストリエは笑顔で見送る。甘やかし計画のことはすでに聞いていた。ルイが子ども時代にしてこなかった体験をさせて、子どもらしい子どもがどういうものかを実感させることが最初の試みだった。
「じゃあな、お土産楽しみにしてろ」
エストリエに言ってストラスが口付けをする。心なしかいつもより長いとエストリエは思った。
「気をつけて行ってらっしゃい」
エストリエは笑顔で二人を見送った。
***
ジーンの車はどれも一般家庭には見合わない高級車ばかりだったので、ストラスはわざわざレンタカーを借りて出発した。助手席に座ったルイはどこか心許ない表情をしている。何かまだ不安を抱えているようだった。
「どうした?ルイ、何かまだ心配なのか?」
コンビニの駐車場に停めてストラスは助手席のルイの顔を覗き込む。俯いていたルイはストラスの顔をようやく見上げた。
「遊園地で遊び終わったら…僕は…何をお返しすればいいの?僕で、できることならいいんだけど…先に言ってくれないと不安なんだ…」
ストラスは絶句した。ルイがそんなことを考えているとは思ってもみなかった。
「ルイ…そうか…それは不安になるよな。すまなかった。けどな、今までルイと一緒にいた奴らはそうだったかもしれないけどな、俺はただルイと遊びに行きたかっただけなんだよ。それだと納得できないか?」
「え…?どうして…?そんなのおかしいよ。対価に見合う報酬が必要なはずなんだ…じゃないと…僕っ!」
ルイは途中まで言いかけて急に胸を押さえる。過呼吸を起こしていた。
「ルイ、落ち着け。ゆっくり息をしろ」
ストラスは慌ててシートベルトを外した。背中をさする。
「ゆっくりだ…そう、長く息を吐け…ゆっくり…」
繰り返すうちにルイは少しずつ落ち着きを取り戻す。
「ルイ…」
「…ごめん…なさい…」
「謝るな。大丈夫だから」
ストラスは不安そうなルイの頭を撫でる。なにかルイのトラウマを刺激してしまったようだと、次は慎重に言葉を選ぶ。
「遊園地で遊び終わったら、二人でどこかで飯を食おう。それから家に帰って…一緒に風呂でも入るか?」
「…そんなことでいいの?本当に?」
「あぁ、それでいいんだよ」
ストラスが言うと、ようやくルイはホッとした顔をした。
「分かった。早く行こう!遊園地!」
***
それからは順調で多少の渋滞に巻き込まれたものの、無事に遊園地に到着した。入場券を買う間もルイは物珍しそうに辺りを見回していた。
(どっちが異世界の住人だか分かったもんじゃないな)
ワンデイパスを購入し、ストラスはルイと共に園内に入る。初っ端からルイはジェットコースターを選び、ストラスを苦笑させた。かと思えばメリーゴーランドにも乗ると言って、幼児連れの家族に挟まれてルイと並ぶ羽目になったりもした。
とりあえず小休憩を挟むことにして二人はソフトクリームを食べる。
「美味しい!」
ニコニコしながらルイはソフトクリームを食べている。平日とあって、そこまで混み合っていないのも有り難かった。
「ルイが楽しそうで良かったよ」
ストラスは写真を撮る。端からは見れば親子のように見えているのかは正直なところ分からなかった。ソフトクリームを食べ終わったルイは、不意にストラスを見た。急に大人の顔をしている。不穏なものを感じた。
「…遊園地…本当は一度来たことがあるんだ…でも、こうやって遊ぶのは初めて。ここが…取引場所に指定されてて…一緒に来てくれた転生者のお兄さんが知らないおじさんからアタッシュケースに入った大量の札束受け取っててさ。しばらくはこれでみんなで楽しく暮らせるなってバカみたいに浮かれてたら全然違った。その金で売られたのは自分だった。ほんとバカだよね」
ストラスは一気に遊園地を選んだことを後悔した。
(遊んだことないって…そういうことだったのか。行ったことがないとは一言も言わなかった)
「…無神経に古傷えぐって…悪かった」
ストラスが言うとルイは笑った。
「僕が世間知らずの生意気なガキだったから仕方ないんだよ。因果応報ってやつ?お兄さんの女を寝取った腹いせ?多分そんな感じ」
四十五区から更に数字が増えると札付き転生者のストリートキッズの集団が幾つも存在するのは割と有名な話だった。施設を逃げ出した者や生活苦により住む場所を失った転生者が廃墟や地下に勝手に住み着いている。恐らくルイもそこにいたのだろう。
「よーし!それじゃ今日は遊び倒すぞ!」
ストラスが明るく言うとルイは頷いた。
「ジェットコースターまた乗りたい!」
***
それから数十分後。
「若いって恐ろしいな…」
ストラスはもう回数を数えることすら忘れるほどに何度もジェットコースターに乗る羽目になり、げっそりとしてつぶやいた。隣のルイは元気そのものだ。
「おい小悪魔、ちょっとおじさんを休ませろ…」
若干ふらつきながらジェットコースターから降りたストラスは手近なベンチにぐったりとして座り込む。隣にピッタリとくっついてきたルイが小さな笑い声を立てた。
「えぇ?もうギブ?」
「ルイ、ちょっとお茶買ってきてくれ」
「はーい」
小銭片手に近くの自販機に買いに行ったルイは、けれどもそこで動きを止めた。知った顔が幼い子どもを連れて立っていた。こちらは姿を変えているから同一人物だとは気付いてもいないだろう。間違いない。ルイを売った張本人だった。パパママと呼び合っているのが聞こえた。
ストラスは自販機の前であらぬ方向を向いて動きを止めたルイに気付いて立ち上がった。
「どうした?」
そっと肩に触れるとルイは小声で告げた。
「昔の…知り合いがいる…」
「え?」
ストラスはお茶を買うとルイを連れてベンチに戻る。ルイは深いため息をついた。
「あいつ…俺を売った金で人生やり直したのか?あの女も…勝手に俺の布団に入り込んで好き放題やってったくせに…何家族ごっこやってんだよ…クソッ!気持ち悪いんだよ!」
「ルイ、心の声がだだ漏れだぞ?このままでいいのか?」
お茶を飲みながらストラスはルイの肩を抱く。一人称は俺か。ひょっとして、こっちが本性なのか?とストラスは内心舌を巻く。
「元の姿に戻るか?言いたいことがあるなら言ってきていいぞ?」
ルイは無言でストラスを見上げる。
「戻りたい。ストラスも元に戻って一緒に来て」
「分かったよ。俺はいつでもルイの味方だからな」
ルイとストラスがゆっくりと家族連れに近付くと、女性の方が先にルイに気付いて目を大きく見開いた。
「もしかして…ルイ!?そうだよね?」
背中を向けていた若い男の方が振り返って途端に怯えた表情になった。
「うん、そうだよ。元気そうだね。結婚したの?」
「ルイ…突然いなくなっちゃったから、心配してたんだよ?」
女性の方は目を潤ませた。
「突然…ねぇ」
ルイは唇を歪めて笑う。悪魔になったせいかそういう顔付きをすると凄味が増していた。
「すっ…すまない!この通りだ許してくれ!」
今まで黙っていた若い男が突然地面に土下座をした。
「えっ?ちょっと、リュウ、何?」
女性の方は何も知らないのか慌てていた。ストラスはそっとルイの肩を抱く。ルイはストラスを見上げて困ったように笑った。
「拍子抜けするなぁ…謝って許されることじゃないと思うんだけど。悪いことしたって自覚はあるんだ?」
そのとき母親にくっついていた小さな女の子が振り返った。目が青い。ルイはギョッとした表情になった。
「その子…」
若い男性も女性も純日本人の顔立ちをしている。なのに子どもの瞳は青かった。ルイと同じ色をしている。
「ち、違う!リックがいただろ。あいつ、リコが妊娠したと言ったらトンズラしたんだ。だから俺が…認知して…育ててる…」
ルイは、はぁぁと息を吐いた。驚いた。一瞬自分の子かと思ったからだ。
「俺のこと、クソみたいな扱いしたわりにはまっとうに生きてるじゃん…もう…いいや」
「いいのか?」
ストラスが聞くとルイは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「だって今めちゃくちゃ幸せだもん。このまま死んじゃってもいいくらい」
ルイはストラスの腕に自分の腕を絡める。この状況で親子というのは無理があるよなとストラスは思いつつ苦笑した。
「おいおい、死なれちゃ困るんだよ。生きるために一緒にいるんだろ?」
「そうだったね。うん。じゃあね、もう会うこともないと思うけどお幸せに」
「ルイっ…本当に悪かった」
なおも謝罪する男性に向かってルイは言った。
「その子は俺たちみたいにならないようにちゃんと育ててあげてよね」
ルイは片手を上げて背中を向ける。そして二度と振り返らなかった。




