ジーン&リツの場合 24
リツが仕事を終えて定時に退社しようとしていると、突然ジーンから連絡が入った。会社で待機と書かれていたので、かつて自分が使っていたデスク周りを片付けながら待つ。今日は社長に頼まれた仕事の合間に常務室への引っ越しの作業をしていた。陽咲のいなくなった席には新しい札付きの転生者が座っていた。天界に回収された魂は回収の際にその場にいた者以外の記憶からは消え去る。したがって社長と宮森とジーン以外に陽咲を記憶する者はいない。何だか寂しかった。
「暮林さん、まだ帰らないんですか?」
元陽咲の席にまだいた高卒の若者の名前を成瀬恭也という。今日はよく話し掛けられた。まるで人懐こい犬のようだ。けれども目の下のクマが酷い。
「成瀬くんも今日は終わりにして帰った方がいいよ。でもちょっと待ってね。魔力不足なのがバレバレだよ?」
リツは成瀬の後ろに立って両肩に手を置いた。
「少し魔力を分けるからじっとしてて」
成瀬は言われるがままに動きを止める。しばらくして成瀬は身体が温かくなり血の巡りが良くなったことに気付いた。終業時いつも感じていた気怠さが一気に消える。ちらりと背後のリツを盗み見る。ボーイッシュで綺麗な人だと思った。この後食事にでも誘おうかと声を掛けようとしたところで突然背後から声がした。
「リツ…私を差し置いて随分と大盤振る舞いをしてるじゃないか」
転生撲滅推進課の入り口に長身の外国人が立っているのに気付いた成瀬は慌てた。先日一度だけ目にした常務だった。
「じ、常務お疲れさまです」
慌てて立ち上がり一礼する。社長よりも常務の方が神経質そうで怖い印象があった。
「お疲れさま…です」
隣のリツも小声で告げる。ジーンは足早に歩み寄ってくるとリツのデスクの上の段ボールを持ち上げた。
「これで全部か?」
「はい…」
つい会社モードでリツは丁寧語になる。ジーンはカチカチになっている成瀬に向かって告げた。
「君は後から入ったからよく知らないかもしれないが、暮林里津は私の妻だ。ビジネスネームは暮林を名乗っているが、戸籍上はリツ・フォスターだということを今後覚えておいてほしい」
「えっ?つ…妻!?大変失礼致しました。それではお先に帰らせていただきますっ!」
成瀬は裏返った声で返事をして、慌てて逃げるように退社して行った。
「ジーン…大人げないよ?」
成瀬の姿が消えてからリツがつぶやくとジーンは片方の眉を上げた。
「魔力が増えて、あちこちにボランティア精神を発揮するのは結構なことだが、ああいうのに勘違いをさせると後々面倒なことになるぞ?」
そのままジーンは常務室に段ボールを運ぶ。リツも自然とついてゆく流れになって常務室に入るとジーンは何故か内側から鍵をかけた。
「ジーン?」
何となくリツは危険な予感がした。薄手のコートを脱いだジーンがネクタイを緩めながら近付いてくる。
「ジーン、ここ…会社だよ?」
「…だから何だ?しばらく誰にも邪魔されたくはないからな」
慌てて周囲を見回したが逃げ場はなかった。外したネクタイでリツは両手首を縛られた。
「ソファーかデスクの上か、どちらかを選べ。妻としての自覚が足りないようだから、お仕置きだ」
どっちも嫌だと思ったがデスクよりはソファーの方がマシだとそちらをちら見する。大股に近付いてきたジーンにリツは選ばなかったはずのデスクの上に押し倒された。そのときになってようやくリツは彼が本気で怒っていることに気付いた。ふざけている訳ではなかった。目が笑っていない。胃の奥がぎゅっとなった。
貪るように口付けをされる。あっという間にブラウスのボタンを外された。背中に無機質なデスクの冷たさが伝わり思わず鳥肌が立つ。その間にも力強い腕で動きを封じられ彼の妻の証をあちこちに刻まれた。いつになく荒々しい衝動を受け止めながらリツは必死に声を我慢する。お仕置きと公言しただけあってジーンは全く容赦なかった。羽をむしり取られた小鳥のようにリツは逃れる術もなく捕らえられ、貪欲な獣をひたすら受け入れるしかなかった。
「ジーン…肩が…痛い…」
噛まれた場所がヒリヒリする。ようやく永遠とも思えた嵐のように激しい時間が去って、リツはジーンの腕に抱かれたままぐったりとしてつぶやいた。確認する気力もなかったが多分歯型がついている。酷いことをされたはずなのに、それでも相手の腕を跳ね除けることが出来なかった。むしろこれまでどれだけ彼が己を律していたのかが分かってしまった。
「…これも私の本質だ…嫌になったか?」
「…さっきのは…私が…軽率だった…ごめんなさい」
「分かったならいい。それから出社するときは指輪をしておけ。いちいち牽制するのも手間だ」
ジーンは言いながらネクタイの拘束を解くとリツの左手の薬指に指輪を嵌める。リツは自分がうっかりしていたことを悔いた。登校するときは指輪を外していたので、そのクセで今日はそのまま出勤してしまったのだった。札付きの転生者は一日限りの気休めのパートナーを探している者も多い。成瀬もそうかもしれなかった。魔力を与えて期待させただろうか。うかつだった。
「ごめんなさい」
ジーンはやがて優しい手でゆっくりとリツの頭を撫でた。
「少し…私も意地悪をし過ぎた」
ジーンは肩の歯型を舐める。やがてヒリヒリする痛みは消え去った。ジーンは乱れたリツの服を直すと、今度は先ほどとは打って変わって丁寧に口付けをした。
「…社長は気軽に札付きを採用するが…成瀬恭也は元は聖職者なんだよ。一見人畜無害に見えるが、聖職者でありながら悪魔召喚を行うために大量虐殺までした…彼は悪魔を崇拝していたんだ。従ってリツの本質を見せるのは危険だというのが現段階での私の判断だ」
リツは思わずゾッとした。札付き転生者の転生前を基準に今ここにいる彼を判断するのは正しくはないと分かってはいても、それでも思わず恐ろしくなった。なぜなら。
(何の気配も感じなかった…)
あの距離で触れたのにリツには彼の前世が全く見えなかった。そんなことは通常ならあり得ない。
「彼からは…何も…見えなかったの…つまり…意図的に隠しているって…こと?」
リツの怯えを感じたジーンは抱きしめる腕に力を込めた。
「そういうことだな。君子危うきに近寄らず、と言うらしいからな。リツも気をつけるに越したことはない」
ジーンは再びなだめるかのように唇を重ねる。繰り返すうちにリツの恐怖は少しずつ和らいでいった。
「早くリツのいる会社に戻りたい」
ジーンは耳元で囁いた。




