ジーン&リツの場合 23
ブランチを終えたジーンはリツの父親の姿になり、再び母親に姿を変えたエストリエと共にルイとして入院しているストラスの見舞いに行くことにした。暮林家が退院後のルイの一時保護先になるように昨日のうちからエストリエは動いていた。弟の方は神力人ことガブリエルが一時保護することになっている。
「我が君ったら、それにしてもカミリキトだなんて随分ふざけた名前にしたんですね」
自分もストラスに対してシトラス・オレンジの名にしたのを棚に上げてエストリエが笑う。
「天使は適当過ぎる。差し込みすらせずに幽霊の如く、長年潜伏していたようだからな」
「まぁ確かに差し込みはした方がこちらで表立って活動する場合は動きやすいですからね…暗躍するならまだしも」
リツは後部座席で会話を聞きながら膝の上で丸くなる仔猫を撫でた。この仔猫は実はルイだ。生まれて初めて猫の姿に変えられたルイは最初興奮して部屋中を走り回っていた。リツがこっそりリュックに入れて病室に連れ込む予定だった。
「天使がってより…ガブリエルが適当なのかも…あの人も魔界と一戦交える気は最初からなくて適当な司令官だったから…私も見逃してもらえてた…」
適当なのは自分も一緒だ。リツはステアリングを握るジーンをちらりと見る。バックミラーに映るジーンと目が合った。
「何を思い出している?」
「…少し昔のこと」
リツは目を伏せる。一騎打ちで刃を交えたときの興奮が蘇る。純粋に楽しかった。会話はほとんどなかった。にも関わらずその剣は雄弁に物語っていた。
「私も本当はジーンと戦うのを楽しんでた。あの時はまだその気持ちを素直に認めてはいなかったけど」
「…分かっていた。そうじゃなければ、こんなに長年探す訳がないだろう。さすがに最初から全く脈ナシと分かっていて執着するほど無謀じゃない。可能性があったから賭けた…それだけだ」
「いやだわ、私たちったら壮大な惚気話を聞かされてるのかしら?ねぇ、ルイ」
膝の上でニャアとルイが鳴く。さすがにこの姿で人語を操るのは無理らしい。
「そろそろ着くぞ」
総合病院の姿が見える。第一駐車場は満車で第二駐車場に停めた。少しストラスの病室からは遠くなってしまったが仕方ない。
「昨日は屋上から不法侵入したからな。今日は正式なルートで行くとするか」
車を降りてジーンは真面目な顔をして言った。エストリエも軽口を叩くのを止めて真面目な母親の顔になる。少年姿になったリツもリュックに仔猫のルイを入れて二人の後に従う。
ルイへの面会希望はすでに伝えてあったようで、病棟に着くと応対に出た看護師がにこやかにルイの様子を伝えてくれた。
「傷がまだ痛むはずなのに、弱音も吐かずに耐えていて…でも仲良しの友だちが来てくれると知って喜んでいましたよ」
ルイにすっかり同情した様子の看護師の姿が見えなくなるくらいに遠ざかると、エストリエは小声で言った。
「ストラスって、そういうとこが油断ならないのよね…見た目も天使なルイの姿なら尚更危険よ」
病室に入るとうつ伏せのストラスがこちらを見て笑った。確かに見た目はエストリエの言う通りの天使だ。リツはリュックを下ろして仔猫のルイを出す。その姿を見るとストラスは小さく吹き出した。
「随分ちっちゃくされたなぁ」
ニャアと鳴いてルイはストラスの頬に鼻をつける。喉元をくすぐられたルイは心地良さそうに目を細めた。
「思ったよりも元気そうね」
エストリエが腰に手を当てて幾分か棘のある口調で言ったのでストラスは眉を上げた。
「…なんだ?」
「あなた、あえて看護師の同情を買ったでしょ」
「あえて…?自然体だよ。向こうが放っといてくれないんだ」
「どうだか」
ジーンが病室の外にまで会話は聞こえないように魔力を使ったので、お互い言いたい放題だ。
「ひょっとして…嫉妬してるのか?」
「当たり前でしょ。今から誰が妻なのか分からせてあげる」
エストリエがそう言ってストラスに口付けをする。すぐに済むかと思いきや、どこかで何か別のスイッチが入ったようだった。仔猫のルイが慌ててベッドの上から逃げ出す。リツは急いでベッド周辺のカーテンを閉めて仔猫を抱き上げた。
「しばらく二人にしておいてやろう」
ジーンがニヤリと笑って唐突にリツに顔を近付けてくる。仔猫を抱いたままリツはジーンに口付けされた。いつもよりも執拗に繰り返され唇をこじ開けられる。リツは思わず仔猫の目を覆ったが、流される寸前で踏み留まった。顔を背けてやっとのことで息をする。
「ジーン、ふざけないで」
「暇つぶしが必要だろう?あの二人はキス程度じゃ終わらないぞ?」
リツの耳元でジーンは囁く。
「えっ…?」
「まぁストラスにとっては一番の回復薬であることには違いないが」
やがてカーテンの向こうから密やかな息遣いが聞こえてきてリツは目を泳がせた。困り果ててジーンの顔を見る。
「…だから気を逸らせてやろうと思ったのに」
(仕方ないからリツとルイの耳は塞いでおいてやろう。これで目も塞いだらどうなるかな?)
不意にまぶたに手が置かれてリツは視界を封じられた。そのまま再びジーンの唇が重なる。リツは先ほどの口付けよりも更に鼓動が跳ね上がるのを感じた。見えないし聞こえない分感覚が研ぎ澄まされる。これはまずい。結局悪魔の手中に収められて弄ばれる羽目になったリツは心の中で叫んだ。
(早く終わらせて!エストリエ!)
***
しばらくして満足気な表情をしたエストリエがカーテンを開けると、何故かぐったりしているリツと恨みがましくニャーニャー文句を言っているルイに出迎えられた。ジーンは涼し気な顔をして単行本を読んでいた。
「お待たせ…って、どうしたのよ?リツ、何だか疲れてない?」
「どうもこうも…」
言いかけたリツは諦めて首を横に振る。
「悪魔の感覚にちょっとついていけなかっただけ…」
リツはルイを抱き上げてリュックの中にそっと入れる。
ベッドの上のストラスを振り返るとルイの姿で片手を上げた。元気そうだ。
「どうだ?調子は良くなったか?」
ジーンが単行本を閉じて顔を上げる。
「はい、それはもう絶好調ですよ」
ストラスはニヤリと笑ったが、傍らのリツの様子がぎこちないのに気付いて頭を掻いた。
「リツさん…すみませんね。これが一番手っ取り早い回復方法なんで。これからはリツさんも少しずつ慣れて下さいよ…」
ストラスの言葉に頷いたものの、リツは果たして慣れる日が来るのだろうかと自信がなくなった。
「なによ、リツったら。魔界じゃこんなの日常茶飯事よ?いちいち照れてどうするのよ」
エストリエにまで言われる。ジーンが咳払いをした。
「五百五十年もこちらの常識で生きてきたリツに今すぐ馴染めと言う方が無理だろう。何事も少しずつだ」
近付いてきたジーンは屈んでリツの額に軽いキスをする。
「これは平気か?」
慌てて額を押さえたリツを見下ろし、ジーンはエストリエとストラスを振り返って苦笑いをした。
「リツはこれですら、まだ抵抗があるんだ。魔界の常識にはまだまだ程遠いということを覚えておいてほしい」
ジーンの言葉に、悪魔と吸血鬼の夫婦は互いの顔を見合わせると、神妙な顔をして頷いた。




