ジーン&リツの場合 21
ジーンとリツはひとしきり夜空のフライングデートを楽しんでから、人の出入りがようやくなくなったのを見計らって病院に搬送されたルイの姿のストラスを見舞った。うつ伏せで目を閉じたストラスは二人が静かに入ってくると口角を上げて笑った。
「ストラス、大丈夫?」
背中に巻かれた包帯や治療の跡が痛々しい。リツの言葉にストラスは笑った。
「大丈夫ですよ。痛みには慣れてるんです。悪魔になったときのリツさんほど辛くはないですよ」
「…私に嫌味が言えるくらいなら元気だということだな」
腕を組んだジーンがストラスを見下ろす。
「俺のことより…早く家に帰ってルイに会ってやって下さい。俺は元気だって伝えて安心させてやらないと、別れたとき不安で不安でどうしようもないって顔してましたからね」
ストラスの言葉にジーンは頷く。
「怪しまれない程度に傷を回復させておくから、あとはしばらく休んでいるといい。ルイと弟の引き取り先はエストリエにうまいこと偽装をしてもらっている。何日かしたら帰って来られるから、それまでは大人しくしていることだ」
ジーンは告げてストラスの背中に手を触れた。
「痛みをしばらく緩和させておくから、その間に休め。おそらく麻酔が切れたらまた痛むぞ。また明日来る」
「…ったく、相変わらず目敏いですね」
「何年一緒にいると思ってるんだ。私の目は誤魔化せないぞ。それにしても随分と派手にやられたな。最初の計画では途中でルイと入れ替えるつもりだったが、このまま入院していろ」
ジーンは少し呆れたように言って触れた手からストラスに魔力を流した。
***
家に帰ると、仄暗いリビングでルイを抱きしめていたエストリエがホッとした表情になった。
「どうした?」
「ちょっと…急にパニックみたいになっちゃって…ただアイスを食べようとしていただけなんだけど、バニラアイスの蓋を開けたら突然こんな風に…」
間接照明に照らされたキッチンには大容量のバニラアイスが出たままになっていた。そこまで溶けていないのを見るとたった今起こったのだろう。リツは蓋を閉めてアイスを冷凍庫に戻す。
「ルイ、大丈夫だよ。全部終わったからもう安心して」
リツが言うとエストリエにしがみついていたルイはゆっくりと顔を上げた。
「終わった…?」
「うん。ストラスも元気だよ。ルイはもうあの家に帰らなくていいんだ」
「本当に?」
「本当だ。その手続きを進めているところだ」
ジーンが告げる。ルイはまだ信じられないという顔をしていた。
「ルイ、少し傷を治してもいいだろうか。もう傷跡を残す必要はないんだ。毎晩うつ伏せで眠るのが好きな訳ではないだろう?」
ジーンに言われると、ルイは照れくさそうにエストリエから離れた。背中が痛いからうつ伏せで眠っていた。長い間そうだった。
「じゃ、少し私たちは外した方が良さそうね」
エストリエに言われてリツは隣の部屋へと移る。ドアを閉めるとエストリエは嬉々とした表情でリツの隣にやってきた。
「で?どうだった?初飛行の方は。無事に翼は出せた?」
「あぁ…うん。天使の頃に出すやり方と変わらなかったから…同じ感覚で…」
「そう、とりあえず一安心ね。良かったわ。飛べて。我が君ったら、リツが飛び方を忘れていたらどうしよう、なんてそれはもう心配していたんだから」
「えっ?そうだったの?」
そんな素振りは一つも見せなかったのに、とリツは急に甘酸っぱい気持ちになり、そんな自分の感情に動揺した。
「ジーンは…私に対して過保護過ぎると思う…」
動揺を隠すように言うとエストリエに笑われた。
「だって六百年分の溜まりに溜まった愛情をようやく相手に注げるようになったのよ?過保護にもなるし甘くもなるわよ。今あの人の頭の中はリツでいっぱいなんだから。今夜だって寝かせてもらえないかもしれないわよ?」
エストリエに言われてリツはハッとする。その可能性をうっかり失念していた。
「ルイの面倒は私がきっちり見ておくから、あなたは自分のすべきことに集中して?いいわね?」
きっぱりとエストリエに言われてリツは顔を赤らめながらも頷いた。
***
ルイの治療を終えたジーンがリツの元にやってきて、何故かその流れで浴室に連れて行かれた。当然のように一緒にお風呂に入る。自然と抱きかかえられたが、照れくさいことよりも安堵の方が大きくなっていることにリツは驚いていた。しばらくそのまま二人はゆっくりと浴槽に浸かっていた。
「私、本当にジーンと飛んだんだね…」
リツが言うと背中に口付けをされた。
「そうだ。ここから翼が出て…羽ばたいた」
「あ!そういえば背中にハートマークがあったって!体育のときに見られちゃったんだから」
首の少し下にジーンの指先が触れて、その跡を辿るようにハートの形に指が動くのを感じた。くすぐったい。
「昨日散々跡をつけられているときは大人しかったのに」
「あっ…あれは…っ」
あまりに心地が良くて少し眠くなっていたとは口が裂けても言えなかった。
「まぁいい。そろそろ上がるか。夜はまだこれからだ」
意味深な台詞を吐いてジーンが目を細める。覚悟が必要だとリツは悟った。
***
覚悟を決めたリツだったが、ベッドに入るとジーンはいつも通りに口付けをした後は、そっと抱きしめて魔力を流すだけでそれ以上は何もしてこなかった。一瞬眠りそうになって、そうじゃない、とリツは懸命に目を開く。
「…やはりな。昨日は眠りの力を無効化する薬を飲んだだろう…」
リツが眠りそうな自分と戦っているのをしばらく面白そうに見下ろしていたジーンだったが、不意に魔力を流すのを止めてリツの顔を覗き込んだ。
「起きていられるのか?今寝ないと眠るチャンスはなくなるぞ?」
「う…ん…分かってる…」
リツが目を瞬くと、バスローブの中にジーンの手が入り込んでくるのが分かった。
「これから何をされるか本当に分かっているのか?」
「うん…」
「だったらもう…遠慮はしない」
目の前のジーンの姿が揺らいでアルシエル本来の姿が現れる。少し長い黒髪は保健室の桜井仁に少し似ていた。その前髪の下から美しい赤い瞳がこちらを見下ろしている。日に焼けた肌には鍛え上げられた筋肉が盛り上がっている。リツは途端に自分の身体の貧弱さが浮き彫りにされたような不安に苛まれた。
「アルシエル…」
「なんだ、フィランジェル」
ふと己の身体を見ようとすると銀の長い髪が視界に入った。リツよりも白く長い手足だ。けれどもいつの間にか想像以上に大きな胸がついている。何故?これは一体どこから湧いて出た?リツは混乱する。
「…それはひょっとしてコンプレックスの裏返しなのか?私は胸の大きさにはさほど拘りはないのだが…」
「えっ?なにこの格好!?」
「無自覚か。お前が自ら望んだからそうなったんだろう。フィランジェル」
笑いながらアルシエルの唇が重なる。何だか感覚がいつもと違う。お互いの姿が違うせいなのか距離感が掴めなかった。
「これだと手に余るな」
戸惑うフィランジェルとは対照的に胸に触れたアルシエルは思いのほか満足気な顔をした。
「まぁ今の私を受け入れるにはリツの姿のままだと無理をさせそうだったから、ちょうど良いのではないかな」
悪魔は耳元で囁きながらフィランジェルの身体を愛撫し、ようやくその意味が分かって耳まで赤くなったフィランジェルの頬に口付けをした。




